「魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにある」
池田先生
その手帳は、細かい文字でびっしり埋まっていた。三重県のある女性部員が記した、自身の行動の記録である。いつ食事をし、出かけ、トイレに行ったか――一挙手一投足を書きとどめるのには理由があった。
女性は7年前、「脳動静脈奇形」による脳出血で倒れた。10万人に1人といわれる病。懸命なリハビリの末、体は歩けるまでに回復したが、記憶力が低下する「高次脳機能障害」と診断された。どれほどの苦労だったかと尋ねると、意外にも彼女は笑って答えた。「信心があったから、病気を通して“なりたい自分”になれました」。
倒れる以前は極端なマイナス思考だった。しかし今、つらいことも上手に忘れ、くよくよすることから解き放たれたという。今年2月には、念願の社会復帰も果たした。
日蓮大聖人は病を患った門下を「最初は嘆きましたが、再度考えると悦びになりました」(新1358・全1009、趣意)と励ました。苦悩を機に宿命転換できることは、むしろ喜びなのだ――御本仏の大確信が心に響く。
困難に直面した時、人間の真価が問われる。“なぜ自分が”と嘆くより、“苦しみがあるからこそ”と、力強く進めば「宿命」は「使命」に変わる。信心は勇気と希望の源泉だ。
名字の言より