なぜ祈りがかなうのか?
「腹の底から『かなうー!』って思う瞬間が湧いてくるんですよ」
御本尊と境智冥合する瞬間が必ず来る。その瞬間が来るまで祈り続けるからかなうのだ、と教わった。
聖教新聞 ある体験談の「取材を終えて」より
なぜ祈りがかなうのか?
「腹の底から『かなうー!』って思う瞬間が湧いてくるんですよ」
御本尊と境智冥合する瞬間が必ず来る。その瞬間が来るまで祈り続けるからかなうのだ、と教わった。
聖教新聞 ある体験談の「取材を終えて」より
————信心の世界も例外ではない。仏法は道理である。いかに御本尊を信受しているといっても、努力なくして前進はない。むしろ信心をしているからこそ、人一倍の努力をかたむけていくべきである。“なんとか一歩でも二歩でも人に先んじていこう”という、創意と苦闘の積み重ねがあって初めて、勝利と栄光の実証が輝くのである。しょせん、努力と精進なき人は、弱々しき愚癡と中傷の人となり、みじめな敗者とならざるをえない。
池田大作
今の世の中の大半の人は、宗教で幸せになれるなどとは思っていない。
ただし、これは、宗教側にも責任がある。
宗教を葬式仏教や観光や年中行事、果ては金儲けの道具にしてきてしまったからである。
宗教の本来の目的は、人を救うことに尽きる。
今、苦しんでいる人、悩んでいる人が、それを乗り越えるためにこそ、宗教はあるのだ。
ゆえに、その宗教が本物か偽物かを見分けることは、じつは、さほど難しいことではない。
つまり、その宗教で、現実の苦しみや悩みを乗り越えられたかどうか、という“現実の証拠だけ”で見ればよいのだ。
ちなみに、本物の宗教についてある人が語っている次の言葉も付け加えておきたい。
「真の宗教とは、自分の人生を、自身の力で切り開く源泉です」
「幸せになる力は、万人の生命に内在しています。それを引き出すのが、本当の信仰なのです」
不詳
「人間」は読んで字のごとく、「人と人のつながり」の中で生きている。相手は自分を映す”鏡”。御書には「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」(769ページ、通解)と仰せだ。
人を尊敬する人は、人の尊敬を得る。善き心の人は、相手の善き心に呼び掛ける。
聖教新聞
人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なものである。心の中のこの二匹の蛇からのがれることは、素晴らしくこころよいものである。
スイスの哲学者ヒルティ