誰が知らなくとも、誰が誉めなくとも、仏天は全てお見通しである。陰の献身は、一切合切が自らの福徳となり、命の輝きとなる。
「陰徳陽報」という、生命の究極の栄光がここにあるのだ。
池田先生
誰が知らなくとも、誰が誉めなくとも、仏天は全てお見通しである。陰の献身は、一切合切が自らの福徳となり、命の輝きとなる。
「陰徳陽報」という、生命の究極の栄光がここにあるのだ。
池田先生
「不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける」――これが、新しい一年に臨む私の決意である。
「世界広布新時代 栄光の年」への池田先生の決意
みんな折伏できるのに、自分だけできなかった時がありました。そんな時は、もう涙が出るんですね。悔しいのか、情けないのか自分でも分かりません。「池田先生、どうすれば折伏できるか、教えてください」って題目あげました。もったいない言い方ですが、御本尊様が電話になって、池田先生とお話しさせてくれた気がします。やっと折伏できた時、うれしくてまた泣きました。
ある体験談から
―― 仏道修行には師弟という人間関係のなかで得られる 「生命的感化」 が不可欠だからと思います。 日々の勤行・唱題で御本尊を拝すること、御書を学ぶことはもちろん重要ですが、御本尊も御書も物質ですから、当たり前ですが何か言葉をかけてくれるわけではありません。 だからこそ、池田会長という生身の師の言葉を通した 「生命的感化」 が、死活的に重要なのです。
作家 佐藤 優
友人の悩みを聞けば、“この人を救うために、今の自分たちの悩みがあるんだ”と思えた。
本年は、48年ぶりに再会した幼なじみが入会。悪性リンパ腫と闘う友の話をじっくりと聞き、“この人を救うために、私は病になったんだ”と痛切に思えた。
ある体験談から
法華経で説かれる宝塔について、御義口伝には「生老病死の四つの苦悩をもって、我らの一身の塔を荘厳する」(御書740ページ、趣意)と。「苦」は避けるべきものではなく、むしろ“生命を飾る宝”である――日蓮仏法の捉え方は一重深い。
降り積もる雪があるからこそ、富士は美しく化粧をする。心が負けない限り、苦難は自身を荘厳し、人生を輝かせる宝となることを忘れまい。
名字の言
「断じて全てに意味がある。大きな悩みがあるから成長する。仏の境涯を開くことができる。変毒為薬の妙法である。何があろうと、微動だにしてはならない」
池田先生