たとえ負けても「次に向けて頑張ろう」と思うことです。希望に変えていくのです。
池田先生
「信仰のことで、いたずらに“とらわれた心”になって、窮屈に自分を縛る必要は全くありません。また、気持ちを重くさせ、喜びが失せてしまうような指導をしてもならない。
勤行・唱題も、やった分だけ、自分の得になる。かといって、やらなければ“罰”が出るなどということはありません。それでは、初めから信仰しない人の方がよいことにさえなってしまう。
妙法への信心の『心』に、一遍の唱題に、無量の功徳があると大聖人は仰せです――そう確信し、自ら勇んで、伸び伸びと、喜びの心をもって仏道修行に励んでいく一念によって、いよいよ境涯は限りなく開け、福運を積んでいくことができるんです。信心は、決して義務ではない。自身の最高の権利です。この微妙な一念の転換に信心の要諦がある」
新・人間革命
検査の結果、ボルナッケさんの体にも、病気の遺伝子があることが分かった。
ボルナッケさんが抱いた感情は、「諦め」だった。
(中略)
「私も、そうでした。何をやっても、どうせ病気は変わらないと思うようになったんです」
だが――。
「おめでとう、トビアス」。意外な言葉を掛けてきたのは、男子部のリーダーだった。
「この病気のおかげで、これから、たくさんのプラスの価値を生んでいけるじゃないか」
デンマーク男子部グループ長 トビアス・ボルナッケさんの体験談から
「自分のことだけではない。他人をも固定的に見てしまう『くせ』が人間にはある。相手はどんどん成長しているのに、いつまでも過去のその人の姿にとらわれるということもある。そういう固定化を打破したのが(中略)仏法の『空』の智慧です」
そして、「この世に無常でないものは何ひとつないと見て、だからこそ前へ前へ、永遠に前進し、向上していく」生き方を促している。
『法華経の智慧』
「妙法を唱えている人は、どんなに大変な立場であったとしても、深い、深い、大哲学者であり、大勝利者である。宿命を、必ず転換していける。生きていく上で、『生老病死』は避けられない。大事なことは、負けないことである」
池田先生
「僕はずっと何かで自己実現したかった。だけど成功し、誰かに認められたから幸せなのか――。結局は全部、自分自身。“心こそ大切なれ”です。僕は池田先生から“何があっても絶対に負けない心”を学んだんです」
ある体験談から
「平和に見える今の日本でも、虐待や誘拐など、人を傷つける事件が起きる。過去の戦争も、生命を脅かすという点で、本質は同じだと思うんです。子どもたちが健やかに育ち、他人の痛みを想像できるように。その役に立ちたい」
〈信仰体験 いま想う 戦後73年〉より