「1度は負けても、次に勝てばいい。今日負けても、明日勝てばいい。100戦して99回負けたとしても、最後に勝てば勝利なのです」
池田先生
あまりに多くの人々が、他人と自分を比べ、他の誰かのような人生を歩みたいと願っているように感じます。自分の意志を大切にして、自分自身に生き切るのが、人生で何より大事なことではないでしょうか。
世の中を少しでも良くするために、“自分にしかできない何かで貢献できた”“私は私のベストを尽くせた”と言える満足感と喜びさえあればいい。その貢献を他の人に知ってもらったり、評価してもらったりする必要はありません。「自分は自分の仕事をした」と自分自身が思えることに、本当の充実があり、幸福があるのだと思います。
時間はかかりましたが、私の場合は、生きている間に努力の結果が表れたので幸運でした。ですが、たとえ自身の人生の中で結果が出なかったとしても、未来にいつか花開くと信じて、下り坂の中でも研究を続けてきました。
そうした信念で、目標を立てて、自分のベストを尽くす。達成できたら次の目標を立てて、また頑張る。この繰り返し、努力の過程こそ重要なのだと考えます。
私は移民で、英語も完璧ではありません。ネイチャー誌で論文を発表するような優秀な研究者に囲まれ、“私なんて小さな存在だ”と思ってしまうような時もありました。“私は脇役だから、立派な研究者を支えられればいい”と、目標を低く設定することもできたかもしれません。でも、私はそうしませんでした。
自分には、自分にしかできないことがあると信じてほしい。自身を決して卑下せず、その才能を最大限に発揮できるよう、そして、常に新しい自分を発見し続けられるよう、主体的に挑戦を続けてほしい。特に若い世代に、こうした思いが伝われば幸いです。
「人生、思い通りにいかないことは多い。だが早咲き、遅咲きの違いはあれ、高みを目指して挑み続ける人は、あらゆる経験を価値に変え、『勝利の花』を開花させていける。『努力の道』に遠回りはない」
名字の言より
「病気をした人は、その分、人のことを思いやれる。慈愛が深まる。病気は、いろいろなことを教えてくれる。死を見つめたり、生きる意味を考えたり、人生のかけがえのなさが見えてくるものだ」
池田先生の言葉
万物に「時」がある。
善きにつけ悪しきにつけ、
誰人も「時」のリズムから
逃れることはできない。
できるのは、今いかなる「時」かを
自覚することである。
人生も、信心も、
すべて限りある時間との
壮絶な戦いである。
いかに立派そうに決意を語り、
大言壮語しようが、瞬間、瞬間、
時間をどう使い、何をしているかに、
その人の生き方や
真剣さが表れるものだ。
「如来」とは、
「如々として来る」というごとく、
瞬間瞬間の躍動の生命をも意味する。
一切が、瞬間で決まっていく。
この瞬間瞬間を最高に充実させて、
すべてをいい方向に、
いい方向にと向け、活かし、
前進していく力が信心である。
時間をつくろう、動こう、友に会おう、
と必死に努力することは、
そのまま仏道修行です。
その一念が人間革命に繫がり、
自身の境涯を変革していくからです。
また、そうやって
こじ開けた時間だからこそ、
相手の労苦も分かり、
一言の励まし、一軒の家庭指導が、
相手の心を動かすのです。
本当に賢明な人は、
どんな状況でも価値を創造する。
いわんや仏法では
「心は工なる画師の如し」と説く。
「心」は名画家のごとく、
一切を自在に描き出していく。
したがって、人生そのものが、
「心」の描く「名画」である。
「心」が創り上げる芸術である。