オショロコマの森ブログ5

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北見市で地震雲を撮影5日後に大地震発生

2015-03-12 18:55:51 | 北見市の出来事・行事など
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北見市で地震雲を撮影5日後に大地震発生




2003-9-21 (日)  晴れ

朝10時 妻と北見市三輪のメッセにあるドンブリもの食堂の中卯で親子ドンブリのブランチを食べた。車にもどろうとしたとき、きっと地震雲とおもわれる異様な雲を発見した。デジカメで何枚も撮影した。南東の方向、青空に水平に走る長い筋雲で一瞬ドキッとするほど印象的な雲であった。雲は移動することなく同じ場所にとどまり、30分ほどで急にわからなくなった。 近々きっと大地震がくるぞ、これは間違いなく地震雲だ、などとおおいにふざけ話をしながら置戸方面にキノコ採りにでかけたのであった。



2003-9-26 (金) 夜来の雨が止み 曇り

朝4時55分 強い地震があった。激しい揺れで目が覚めたが、地震が終わってまた寝入ってしまった。 近年稀にみるそうとう強い地震であったが北見では 震度5.2弱であった。

しばらくして北海道日高の海岸の町、浦河で歯科医をしている長男から電話があり。地震のせいで家中めちゃくちゃになった、津波をおそれ 全員が高台に避難したりで大変であったと連絡があった。全員無事でなにより。 浦河は北海道ではもっとも震度が強く 震度6強であったようだ。これまでも北海道ではしばしば見られてきたいわゆる十勝沖地震であった。十勝川河口でサケ釣りをしていた2人が津波にさらわれ犠牲になった。

その後 しばらく小規模な余震が続いた。

そういえば 先日、午前10時に三輪町メッセのところで地震雲とおもわれる雲を撮影していたのを思い出した。南東の方向の空一帯にこれまで見たことも無い異様な形状の雲であった。5日後にこんな大地震がくるとは。十勝沖地震の震源は正に北見の南東の方向にある。

今回の 十勝沖地震 M8クラスの本振発生に先立って プレートのもぐりこみ先を振源とする深発地震が頻発し、その回数が増加していたという。そのことが地震雲を発生させたに違いないと考えた。地震発生時、地殻の激しい衝突で電磁波が生じ、それが空中の気体分子をイオン化させる。大気中に増加したイオンが水蒸気の凝結核となって一気に雲の成長をうながし普段みられないような異常な形状の雲(地震雲)が発生するという。

しかしたまたま偶然にできた変わった雲の可能性も否定できないことは言うまでもない。

北海道新聞北見支社が私の撮影した地震雲のうわさを聞き電話がきた。



2003-9-27 (土)  雨 のち 曇り

休日。

私の地震雲の写真が道新オホーツク版に大きく出ていた。








今回の2003年十勝沖地震については詳細な記録が残っていますのでご参考までに記録しておきます。

・ 発生:2003年(平成15年)9月26日(金)午前4時50分07秒(日本時間)
・ 震源:北海道襟裳岬東南東沖80km  北緯41度46.7分、東経144度4.7分、深さ45km。 震源は1952年の巨大地震とほぼ同じ
・ 地震の規模:Mj8.0、Mw8.0(気象庁)、Mw8.3(アメリカ地質調査所)
気象庁はこの地震を平成15年(2003年)十勝沖地震と命名した。
この地震の震源付近では1952年3月4日にもM8.2の十勝沖地震が発生している。

北見市は 震度5弱

北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達した。この津波で、北海道では豊頃町の十勝川河口でサケ釣りをしていた釣り人の男性2名が津波にさらわれ行方不明となり、うち1名の遺体が2005年4月に発見された。また北海道(十勝川など)では、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。津波による死者・行方不明者の他には今回の地震による犠牲者はいない。
なお、地震発生前日の朝から釣りに行ったまま28日夜になっても帰宅してこなかった帯広市の男性についても捜索対象となったが、後に無事に帰宅していたことが判明した。男性は29日に自分が捜索の対象になっているのをラジオで知り、出掛けていた知床半島から同日午後8時半に帰宅したという。

この地震で政府は地震が発生した当日に官邸内に対策室を設置し、また北海道庁は陸上自衛隊第5師団に災害派遣を要請するなどして対応した。北海道東部(道東)の各地方都市を結ぶ鉄道・道路・橋梁が各地で多数破損したため、一時道東地方の交通は全面ストップし、その後、主要道路の通行止め解除には数日、完全な復旧には数か月を要した。また町村道のような末端の生活道路の補修には数年を要した。

鉄道に関しては、根室本線直別駅構内を走行中の特急まりも(8両編成)の先頭から2両目の車両が脱線し、乗客39名のうち1名が軽傷を負った、また、同本線の路盤・橋梁・信号施設、駅舎なども破損などの被害が生じ、ダイヤが正常に戻ったのは翌月8日に入ってからであった。

また港湾施設の被害は大きく、釧路港などでは液状化現象が多数発生した。釧路空港は管制塔の天井部分が壊れるなどして管制業務が出来なくなったため閉鎖された。ライフラインでは、厚真町の苫東厚真火力発電所4号機(出力70万kw)が地震により自動停止して発電や送電設備に影響が出、日高・十勝地方を中心に、釧路市と周辺6町の約2万4300世帯などが停電した。

また、地震直後及び2日後に苫小牧市にある出光興産北海道製油所で2基の石油タンクの火災があった。これは、震源からやってきて苫小牧市周辺の堆積平野で増幅された長周期地震動の周期と、石油タンクの固有周期が一致し、石油タンクの内容物が共振するスロッシングと呼ばれる現象が発生し、浮き蓋の上に溢れ出した重油やナフサが浮き蓋と側壁の接触との摩擦で発生した火花に触れて引火することによって引き起こされた。地震後、このような巨大地震によってもたらされる長周期地震動による大規模構造物の被害が注目された。


十勝沖地震は これまで何度も起きており 記録に残るものでは 1843年、 1915年、 1952年、そして今回の 2003年に発生しており それぞれかなりの被害が記録されている。特に 1952-3-4 のものでは 地震の規模は M8.2 で 北海道や東北北部で 揺れや津波により 28名死亡 5名行方不明、287人が重軽傷を負った。 家屋被害は 全壊815棟、一部損壊 6395棟、 流失91棟、 浸水328棟、焼失20棟、非住居被害1621棟。 このほか 船舶被害451隻。 といった記録が残っている。 

その後 2008-9-11 にも M7.1 の十勝沖地震が発生しており、そろそろ 大規模な次の十勝沖地震がくるころかな。 みなさん、地震雲に注意。

この記事の地震雲撮影のくだりは当時の私の日記をもとに作製しました。



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