大助の駆けある記

日本共産党・木佐木大助の山口県議会通信

米国の友人から激励メッセージ

2010年06月12日 | 記事

Dvc00208 長門街宣中に、アメリカから帰国の際市田演説会に参加した、視覚障がいをもちながら米国で結婚し頑張っている友人からメッセージが届きましたので紹介します。

・・・・・・

 木佐木さんに初めてお会いしたのはもう30年以上も前のこと。そのころ木佐木さんはちょっとシャイなういういしい民青の学生さんでした。その後しばらくは、どのようにお過ごしか分りませんでしたが、奥様が議員になられたということでした。ちょうどそれはイギリスでマーガレット・サッチャーが首相になったころで、彼女の御主人は陰で彼女を支えていると聞いていたので、木佐木さんも奥さまを陰で支えていらっしゃるのだと思っていました。そして、私たちはそれぞれに年を重ね…5月30日の演説会!私は演説会というものに20年以上も参加したことがありませんでしたが、あの自信に満ち溢れたどうどうたる木佐木さんのスピーチを拝聴し感動いたしました。木佐木さんのお腹の中に貯めているエネルギーを我々はいただいた感じでした。

 市田さんのお話で、アーソーカと思ったのは政党助成金のお話です。私も投書の人のように政党助成金を受け取って、カンパのお願いを減らしてほしいと思っていました。市田さんのお話で、理由が分りなるほどねと思いました。

 さて、普天間問題。アメリカのメジャー放送局のテレビのニュースで私はたった1回しか聞いたことがありません。それほど関心がないのです。普天間だけでなく日本という国にアメリカは感心を持ちません。なぜなら日本政府はアメリカに逆らうことがないと知っているからです。だから、ここらで、日本は自分の足で立てる「independent」な国だとはっきり示してやることです。その点では私は共産党の主張に賛成です。でも、どうぞアメリカを眼の敵にすることは控えてください。アメリカは女性にとって、老人にとって、そして、障害者にとって「べたー」な国です。

 最後に木佐木さん、どうぞストレスをお腹に貯めないで。私の福祉系の友達で理想と現実の間で疲れきって精神的にだめになった人が何人かいます。どうぞそんなことがないように気をつけて選挙戦終盤を乗り切ってください。
 今度お会いしたとき本場のハグをお見せします。

・・・・・・

Dvc00358  とても嬉しいメッセージに元気をもらいました。
 ここでひとつ、私からの返信をさせてもらおうと思います。

 “アメリカを眼の敵”にしないで…とのことですが、ご安心ください。私たち日本共産党は反米というわけではわりません。

 共産党の志位和夫委員長は、5月の訪米でアメリカの連邦議会議員のみなさんと会談したとき、「共和党の創設者・リンカーンと共産主義の創設者マルクスの2人には交流があった」という話を紹介したところ、共通項が出てきて話がはずんだそうです。政治的に対立していても、人間として会談が成立していくわけです。
 また、わが党は、国民多数の支持を得て、日米安保条約を廃棄する展望を持っています。しかし“廃棄=米国と縁を切る”というわけではありません。今日の日米関係は、普天間問題に代表される米軍基地の負担、貿易自由化への圧力など、“対米従属”の色合いが非常に強く決して“対等・平等”な関係とはいえません。対話と交渉によって日米関係を前向きに転換、発展させ、軍事同盟ではなく友好条約を結び、アメリカと本当に対等・平等な関係を築いていきたいというのが私たちの考えです。
 詳しくは訪米報告(動画はこちら)を見ていただければ幸いです。

・・・・・・

 ちなみに、右上の写真は棚田百景にも選ばれた長門市油谷から日本海を臨んだもの。左下の写真は沈む夕日。本州西端の地から。見えませんが、西からグルッと回って東には…アメリカです。


反戦水兵・宮内謙吉を訪ねて

2010年06月11日 | 記事

Dvc00109_3  かねてから機会あれば必ずと、密かに思っていた島根県境、萩市田万川町の江崎に辿り着きました。
 今から76年前の1934年、野蛮な天皇制権力の弾圧によって山口刑務所で獄死、32才の生涯を閉じた宮内さんは、この田万川町江崎の出身です。旧制萩中学校卒業後、私の故郷でもある呉軍港の海兵団に志願して入隊。看護兵でした。
 1932年2月、日本海軍史上初めて現役水兵むけに発行された日本共産党の新聞「聳ゆるマスト」の創刊号からの読者となり、やがて日本共産党員候補として闘いました。
 しかし、天皇制権力の弾圧は中国大陸侵略本格化とともに狂暴をきわめ、宮内謙吉三等看護兵曹は駆逐艦「白雲」乗組み中の32年11月、日本共産党員の石飛二等機関兵曹とともに検挙。非転向を貫いた彼らは、「聳ゆるマスト」は廃刊に追い込まれたものの、呉軍港の海軍病院(私の通学路でした)や海軍工廠、軍艦に組織されていた100部以上の「赤旗」読者網を守り抜きました。
 その後、宮内謙吉さんは軍法会議を経て海軍追放、山口刑務所へ移送後、獄死。反戦平和の旗を掲げて4年、過酷な暗黒時代に暁光と輝いた「日本共産党員候補」であるが故の獄死です。

・・・・・・

 私は、この宮内謙吉同志が通った江崎駅前で、日本共産党のタスキと幟旗掲げて公然と演説できる喜びと日本共産党員としての誇りをあらためて感じています。

・・・・

 そういえば、侵略戦争に突き進むため治安維持法を最高刑・死刑に改悪したのは、陸軍機密費を持参金に首相なった田中義一陸軍大将、萩市の中心部に大きな銅像がたっている人物。それから時代は飛んで平成21年、昨年の総選挙で退場が決まった後になって、2億5000万円もの内閣官房機密費を持って出ていったのも、この田中義一さんの系譜に連なるご当地選出の自民党最後の官房長官でした。
 目前に迫った参院選、自民党のポスターのスローガン、未だに「誇りある国へ」と刻んでいますが、誇りある生き方、政治のあり方が根本から問われる闘い、こんな政党に負けるわけにいきません。

Dvc00110_3
・・・・

 この日は、萩のケーブルテレビの取材を皮切りに、五十嵐ひとみさんから「木佐木さんのお腹には、みなさんの願いがいっぱい詰まっています」との前弁・ツッコミ受けながらの行動。参院選と6月議会を目前にして大わらわ、ポスター貼りだしのあと一町五反の田植えと格闘する宮内きんじ萩市議(写真のトラクターから手を振っています)とも合流しました。


鳩山辞任表明から一週間

2010年06月09日 | 記事

Dvc00100  鳩山辞任表明から一週間、菅連立政権発足から2日目の9日、県内主要都市部での街宣終えて島根県境、念願の山口市阿東町に入りました。4月の合併市議選で体を張って頑張った西村芳和・元阿東町議が元気に迎え入れてくれました。

 市議選で、西村さんに投票した人も入れなかった人も、「引き続き住民が主人公の立場で頑張ります」「モノ言えぬ党と候補者でいいのか」との訴えに、「共産党、今度はガンバレ」「力が足らなくて申し訳なかった」など、次々と激励が寄せられました。

 写真はこの阿東町で、チェーンソー・アートで世界グランプリ第2位を獲得したお宅を訪問した時のものです。

・・・・・・

 この山間部の阿東まで、マスコミの若手記者さんが追っかけ取材。先日発足した菅内閣について感想を求められました。以下はその要旨です。

・・・・・

「鳩山政権は、普天間、暮らし、『政治とカネ』の問題で国民の期待を裏切り、退陣に追い込まれたわけですが、菅さんの内閣にはその反省と問題の打開の方向がまったく見えません。米軍普天間基地問題では、いの一番に米国に電話をかけ、沖縄・名護市辺野古に新基地を押し付ける日米合意を堅持し推進することを表明しました。

 『政治とカネ』の問題でも、民主党の枝野幸男・新幹事長が7日の会見で、『小沢さんが幹事長を辞めたことにより一定の政治的なけじめがつけられた』などと言って、疑惑の真相究明に背を向ける発言をしています。これでどうして『クリーンな政治』と言えるでしょうか。国民はだまされません。

Dvc00096_2  さらに暮らしの問題でも、法人税減税、消費税増税の方向が、次々打ち出されていますし、民意を反映する比例代表の80削減も再び公然と言われ始めました。

 これでは、鳩山さん小沢さんをカーテンの向こうに隠しただけで、これまでの政治とまったく中身は変わりません。問われているのは、「国民の立場に立ってアメリカや大企業にモノが言えるかどうか」です。ここに堂々とモノを言わない限り、暮らしも経済もよくなりません。平和の問題でも打開の方向を見いだせません。


自ら風をおこして頑張る党…私も入党します

2010年06月07日 | 記事

Sany0157  下関から演説会に参加した女性が、西部地区委員会を訪ねて来られ、カンパと手紙を寄せられました。そして翌日には入党されました。その手紙を紹介します。

・・・・・・

 5月30日午後、山口市民会館での日本共産党の市田書記局長さんの講演会に参加しました。日曜討論会後に山口入りしたとのこと、お疲れの様子もみせず、日本共産党の綱領に基づいて頑張れる党について、病んでいる日本の処方箋について、本当にわかりやすくやさしい声でおだやかで笑いの中にも頷かされる聴衆。暮らしと経済の問題についても、政治を前に進めるためには共産党をのばすしかない、追い風はない、妨害してくるから、山口県はチャンス、広げられるは条件いっぱいある、視野を広げていきましょう、と国民の願いをかなえるのは共産党が伸びるしかない、などしっかり頭の中に入りました。

 政治をかえたいと思っていたが、何がどうなっているのかわからぬままもんもんとしていた気持ちがスッキリしました。参院選が7月と目の前にせまっている、市田さんの話を聞いて展望と確心がもてました。

 講演終って握手とハグをさせてもらって幸せでした。
 テレビに映る顔よりハンサム、ステキな笑顔。いっぺんにファンになっちゃいました。
難しい事は、わからないのですが、医療にたずさわる私としては高すぎる医療費、子供の医療ヒ無料化、命の大切さを叫んでできる事から有権者広げていこうと…。

 “鉄はあついうちに打て”の言葉あり、感激受けた当日、つたない文面になりましたが市田さんのご健康祈ってペンを置きます。


困った時には共産党…「今度は私達が」

2010年06月06日 | 記事

昨日、帰りの列車に乗り遅れたことを貴重な教訓に、今日は下関から車を飛ばして周南市の新南陽入り。ここでも中村ふみ子市議はじめ中村靖元市議以下10名近くが、民放TVクルーと一緒に待ち構えていました。その中にはお世話になった故渡辺孝三元市議の奥さんの姿も。3ヶ所で元気いっぱい訴えた後、山口市内で開かれた県革新懇総会へ。

Dvc00089  30周年迎えた総会で「私と革新懇」というテーマで挨拶をさせていただきました。革新懇が発足した30年前は、ちょうど私が日本共産党の専従になった頃で、「私の共産党人生は革新懇の産湯に漬かって育ちました」と語り、平和と暮らし、民主主義を守るためにも参院選を全力で頑張る決意を述べさせていただきました。

 夕方に取っ返して再び周南市へ。藤井直子市議と連れだって地元紙の「日刊新周南」を訪問しました。スタッフ一同大歓迎してくれ、急遽ケーブルテレビの収録も。噛みながらも楽しい取材と懇談になりました。

 が、「これで終り」とさせない所が藤井市議の凄みで、「木佐木さん党の仲間を増やしに行きません?」とニッコリ。喜んでご一緒しました。

 訪問先は、この五月の連休中に生活相談で知り合った38歳になるご夫婦です。聞けば、派遣切りで現代版蟹工船のような状況に陥れられた際、たまたま目にした藤井さんの議会便りを頼りに相談に来た人でした。

 「どうしていいのかワラをもつかむ思いで相談に行って助けてもらった。二人で生きる希望まで貰いました。今度は自分達が共産党に入ってお役に立ちたい」と、スラスラと入党申し込み書を記入される姿に、二人で飛び上がって喜びました。……ドスンと音がしましたが…。