あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

PC用Wiiリモコン。

2006-12-05 20:05:18 | games
Wiiリモコンを、PCというかWindowsXPのポインティングデバイスにするデバイスドライバが作られたらしいです。意味わかんない場合はリンク先

SlashdotJ: Wiiリモコンがマウスになる「WiinRemote」登場

のムービーを見ると一目瞭然かも知れませんがわかんなかったらごめんなさい。
加速度センサーを使ってるらしいです。個人的にはWii持ってないので試せませんが。

デバイスドライバなんて書いたことがないのでそっち方面でどれくらい称賛される話かとかよくわからなかったり、加速度センサーって世の中にどれくらい普及してるものなのかとかもよくわからなかったりするのですが、結構おもしろそうなにおいがします。

直観的には、「加速度センサーの浮遊感とWindowsのGUIの細かさの相性は最悪」と言っていいと思うので、「WindowsXPをこのドライバでWiiリモコンで操作するのはかなり悪い冗談」と思うのですが、それなりなホームページを作ってOperaをKioskモードで自動起動するとこまでやっておけば、それだけでも、かなりそれっぽい(どれっぽい?)操作感なものができるような気がします。大昔のログインにあった、「8ビットパソコンに音響機器のエフェクタやらプロジェクタやら外部機器を繋げてゲームの『体感』を変化させる試みの記事」を思い出したりします。「できることが何か」、以外に、「どんな感じがするか」が重要である、というのはGUIの基本である「ルック&フィール」という言葉の後半が物語ってます。

Wii自体にできること(情報機器として)がまだ見えてないので、PCでWiiリモコンを使うことにどれくらい意味があるかまだ判然としないのですが、向こう2年ぐらいのスパンで、意味不明だったり無茶だったり案外役に立ったりおもしろかったりするフリーウェアがいろいろ開発されて、Wiiのゲームとか新たなチャンネルに公式非公式にフィードバックされたりとか、そんなことは起こりそうな予感がします。

あと、それに付随して、加速度センサーの認知度が上がったり、「使いものになる使い方」が思考されたり試行されたりするのは、かなりインパクトがある気がします。

次次世代ゲーム機はスティック型とかアームレット型とかアンクレットもセットとかでウェアラブルでモーションキャプチャーだったり、ディスプレイは、家庭用テレビのほかにゲームセンターとかのパブリックな空間も使えたりとか、あるいはHMDとか入力機からのフォースフィードバックだったりとか、もう、いまからは想像できないようなわけのわからないものになるかもとか想像したりします。

でもWiiリモコンの当面の課題は狭い家とか、牽引を期待されてると思われる、高学年世代の家庭の親の精神障壁かなぁ。半年後に、ゲームユーザーの見方というか心のあり方がどうなってるでしょう。


参照記事:
SlashdotJ: Wiiリモコンがマウスになる「WiinRemote」登場

Diska

網に入れば網に従え。

2006-12-05 14:03:19 | Weblog
BLOGやネットが人間の生活圏の一部とするならば、「ロボットとの共生」というのは既に現実になってるのかも知れない。
サーチエンジンから自動でBLOGエントリを作り出すアフィリエイトロボット。
文学や実際のメールからアカウントの存在を確認しにくるメールスパムロボット。
商業的な目的で我々は時間と計算量を奪われ、膨大な計算量のチューリングテストを経て、ロボット達は日に日に進化している。


ネットがロボットの生活圏なら、ネットではロボットの着ぐるみを纏うのが正しいのかも知れない。その着ぐるみは既に実装されてて、

・ウィルス対策ソフトや、メールスパムフィルタソフトだったり、
・ステルス性能を上げるためのωやдといった面や、定型の言い回しや言い替えといった没個性化アイテムだったり
・ステルス機能を発揮しないという意思表示のための定型アバター購入や意図的な誤字やキャラ作りだったり
・ネタ化、茶化し、スルー、といった生活習慣的防壁だったり
・現実の話題の意図的な切り離しといったマナーだったり
するんだろう。

ぼくがネットで何か書くときも、サーチボットの存在を意識せずにはいられなかったり、サーチボットがいるからこそネットで書いているという意識もある。
BLOGやe-mailを使っていて、ロボットに出会ったことのない人は恐らくどこにもおらず、ロボットと付き合ったり回避するために生活習慣を変更させられていない人は、もう、どこにも、いないのだ


あるいは、そんな茶番はネットに限った話ではなく、文化と呼ばれるものの本質なのかも知れない。
ロボットと付き合うのが好きだとか嫌いだとか、正しいとか間違ってるとか、美しいとか醜い、とかいう議論が既に間違っていて、ロボットは常にそこにあり、排除できるものではなく、付き合うのが得か損か、どうすれば機嫌を損ねないか、どうすれば身を守れるか、そんな考え方をする以外ないのかも知れない。
そして、そんな茶番はロボットに限った話ではないのかも知れない。


追記(2006/12/06):
ロボットが生成した「いかにもRSSフィードから生成したリンク集めた記事」に、ロボットが書いたと思われるトラックバックを発見。当然と言えば当然起こるべくして起こった日常茶飯事なんだろうけど、ちょっと気分が悪くなった。

KimI

抗えない魔性の音。

2006-12-03 09:51:08 | Sound Horizon
「Sound Horizonのじまんぐ」
は好きなのですが、
「じまんぐのSound Horizon」
が好きかと言われると、答えに窮するのです。

象徴的と思うのは、「じまんぐのせかい」(「楽園パレード」アンコール曲。DVD収録)。

 たえまない  ふりつづける くもんのひび
 きみのこころに なにをささげよう

 ぼくのこころは きみにとどくのか
 きみのあいのいろは なんなのか

音しかないので敢えて漢字化はしません。よく似た歌に「澪音の世界」というのがあるのですが(<妙な言い回し)、この部分は極端に内容が変わってます。
激しくRevoっぽくなく、激しくじまんぐっぽいです。
これが、Sound Horizonのコンサートを飾る定番曲になりつつあるみたいです。

何で、この歌詞になったんでしょう。
ほかのコンサートで演奏される時に、何と歌っているか、わたしは知らないのですが、この詩については、
「澪音の歌詞忘れたからアドリブしてるうちに、つい、普段思ってることが出ちゃった。てへ」
じゃなくて、
「歌詞忘れたのは事実だけど、最初からこれは言いたかった」
か、もう一歩踏み込んで、
「最初からこれが正式な歌詞。ライブであの詩は語りたくない。」
だったのかなぁ、とか思いはじめました。

なぜいまになってこんなことをわたしは思ったのでしょう。

「おりあわせ」というフレーズに「やられた!」と思ったら、堕ちた先の屋根裏が、思ったほどErich Zannのにおいがしなかったせいかも知れません。Anotherは聞いてないので知りません。
あるいは、「満ち足りた日常に潜む 遠くて近い狂気 Yield」、が、「ぼくらが繋がる歌 みんなのユニゾン Yield」となったのも。Revoさんじゃなく、SMGさんでもなく、じまんぐさんのライブ感の影響だったのかなぁ。とか妄想は走るのです。

正直なところ、「自殺者バンク」や「ヅゥーダーハレハレ」に寒気とか妄念とかは感じられませんし、もともとそのような意図はないのでしょう。

心に深い闇を飼ってない人の方がライブに集まりやすかったり成立しやすいんだろうなぁ。



Diska

アスガルドのセプター。

2006-12-01 08:22:56 | games
熱心なファンのZooskaさんがひどくがっかりされてたのに興味を引かれて(?)XBOX360のゲーム、「カルドセプトサーガ」を買って来ました。

>そう。テンポがやたら悪いのです。
と指摘されてるのですが、これは、個人的には気にならなかったです。というかよくわかりませんでした。
わたしみたいなヌルプレイヤー(ぬるい=ぬるま湯に浸ったようなへろへろプレイヤー)だと、XBOXでもボタン連打されるとドローしたカードがアイテムかクリーチャーか判別できないぐらいです。なので、もし操作が重くなってるとしたら、上級者優遇が緩和されたのでは、という印象を持ったりします。
相手プレイヤーの手札については元々のデザインが「完全情報と不完全情報」の間をプレイヤースキル(端的にいえば広いカード知識と、0.1秒のオーダーで絵柄で判別する慣れと、相手の手札に重み付けして記憶するだけの経験)が左右し過ぎてる感を持ってたので、いっそ全部オープンカードなモードがあってもいいと思ってるぐらいです。
戦闘シーンに関しても、何の補正が適用された戦闘結果なのか、慣れないカードが登場すると追い切れませんし。

XBOXLiveのインフラが安定稼動してるなら、それだけでサーガは価値があるんじゃないかと思います。とはいえ、オンライン1戦だけしたのですがトップの方が途中で回線切断とかしてましたけど。


と、いうところで、わたしが不満に思ったところなのですが、何より「テキストチャットがない」のが大ショックでした。ボイスチャットって一人暮らし(というか個室で防音環境がある)じゃない人にはつらいんじゃないでしょうか。「XBOXLive圏」の文化はよく知らないのですが、これはちょっとつらいです。

あと、まだストーリーが多分半分も終わってない時点の感想なのですが、イベントが、何というか「全体にアメリカンでNICKELODEONかCartoonNetwork風味」なのが抵抗感が強かったです。
単純に、英語である!というののほかに、ライバル達の「わりと歯に衣着せぬStrong Wordの音感が耳障り」というのが大きいです。
わたしのカルドセプト感はキャラクターに依存するところが強くて、セバスチャン&ポコポコの漫才(?)とか、ミランダさんの恨み言とか、ゼネス君の間抜け加減とか、2だとモロック博士とか、あと何より、これでもかと解説君してくれるゴリガン氏(「これが連鎖という物です!」)が好きだったのですが、その辺の文化とかニュアンスは全く継承されてない気がします。
リザードマン(?)のポンドンさんあたりのベタベタ感は、ちょっと残り香を感じたりもするのですが、うーん。ティコムンって、ポコポコからセバスチャンを抜いたようなオライリーから寄生植物だけ取り出したような感じ?
あ。ガミジンさんとかレオさんのベタベタさも好きですが。

「舞台の世界が違うから」、「そもそもアスガルド世界はカミサマからして一神教で個人主義な人だったから」という理解はまぁ、できるしもっともと思うのですが、うーん。カルドセプトって。
グローバル化=アメリカン(のティーン(のわりとお金持ち(のXBOX360ユーザー)))向け」というのは、ことXBOX360に限定して言えばベタベタに正しい気もするのですが、わたしは、単純に、支持できません。
日本人ですから。
一方で、ジャパニメーション好きと称するアメリカ人に、この世界観、キャラクター感に違和感を感じてもらえないなら、文化間のギャップに絶望感を抱かずにいられなかったりします。

ありふれた言葉で一言で言えば、

カルドセプトサーガは萌えていません」。

まぁ、いいです。ゲームはおもしろいですし。
キャラクターなんて飾りです。ボードゲームですし。
台詞消せるみたいですし。
アメリカンなのに慣れるかもしれませんし。
XBOXに日本人対応なんて求めちゃいけなかったんです。


関連URL:
CULDCEPT OFFICIAL SITE
Amazon: カルドセプトサーガ

Diska