あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

12月24日(月)のつぶやき その2

2012-12-25 03:51:05 | fromTwitter

かといってバイオリンというのも違和感があるんだな。ビオラよりはヴィオラが自然に見えるのは多分小学校でヴィオラを話題にする機会がバイオリンより少ないから。


最近のGoogleはバイオリンで検索してもヴァイオリンがヒットしたりするのでどっちが多く使われるかとかは不明。技はあるような気がするけど、そもそもtweet一つがあちこちでロボットに検索されて結果が別のロボットに検索されたりしてるのが日常だし。


ジュブナイルだと「貴様が生まれてくるという噂一つのために国中の罪もない赤子が無意味に屠られたのを知らぬわけではあるまい」とか言われて追い詰められそうなものだけどそういう気の利いた悪魔は出てこなかった気がする。出てきても「退け」で済ませちゃう辺りがさすがに2000年古い。


そもそもなんでAquaKanaの先頭にドットを付ける必要があったんだ。


バイナリエディタとか久しく触ってないなあ。od -xとかもおっくう。


いっそXcodeの使い方1から覚えてcで書いた方が早いのか。


Gimp2.8.2OSXの問題は、今の理解だと起動時にGimpがOSにフォント要求してAquaKanaをOSにオススメされてAquaKanaをもらいに行ったらそんなのないよって隠されちゃってGimpが挫折して落ちてる。


なのでGimpがフォント要求する時に具体的にあれをくれと指定する、OSがオススメする優先度を替える、という2パターンのどっちかが解法っぽいけど前提知識が足りな過ぎる。特に他に影響が出ないようにとか考え出すとバグ取りじゃなく仕様決めの話に展開する予感があったり。


「Gimpが動く言語を変える」とか「AquaKana.ttcをどうとかする」というのはOSがオススメするフォントの優先度を変える方向なんだと理解。


Gimpがフォント要求する時に「『何に』どういうメッセージを送ってるか」が多分最重要。


ヴァナの星芒祭が今年いっぱいでアストルティアのが25日までなのは「Happy Holidays」と「メリークリスマス」の違いなのに違いない。 #FF11 #DQ10

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星芒祭は「メリースターライト」か。ヴァナで聞いたことあったかな? 例によって「/tellか/pしてください」とか言われるのかな? #FF11



12月24日(月)のつぶやき その1

2012-12-25 03:51:04 | fromTwitter

MacOSX起動してgimp入れてみるが動かず。google見たらLANGが悪いとか。MacまださっぱりわからないけどOSXのアプリって階層持ったディレクトリにaliasつけたような形してるのね。gimpなんかbash起動スクリプトがviでいじれるし目から鱗状態。


Macで懸案だったマウスはMSのドライバちゃんと設定したら加速度が納得いくものになってだいぶ快適に。IM起動が106キーの全角半角に割り当てられてないのとcut&pasteがWindowsKey+x/vなのでまだ常用はきつい。


あとはホイールのスクロール操作が逆になったことか。


メール環境はどうするのがいいやらさっぱりだなぁ。POP3依存してるのが時代にそぐわないのか。


エラー眺めた感じではメニューバーの日本語フォントがつかめなくて落ちてるのかなぁ。基礎知識が足りない。


Gimpのソースまであたるのはおっくうだなぁ。


最低でもイマドキのXでフォント要求するプログラム書いてみないと何がなんだかわからなそうというところまでわかった。


GIMP for MacOSXは結局本家じゃなく本家からリンクされてるサイトの方のビルドが動いた。リンク先のサイトではMountainLion/Lion/SnowLeopard32bitとビルドが分かれてたからそれも影響ありそう。


GIMPforMacOSX(10.7)起動して日本語フォントも(.AquaKanaじゃないのは)使えているけど日本語IMEが効かなくてカット&ペーストしてくるしかなさそうだな。このままはちょっときつい。


父と母が何でもなく出てくる夢を見た。あるいは死んでるのはぼくだったかも知れないな。8つぐらいの頃から。


いやそれより起きたらこんな時間なのに若干の違和感が。


キリスト教って天に召される云々は言うけど地獄はどうなってるんだったかいまいち記憶にないな。ほっといても物理的に死にやすくて死ぬことはわりとどうでもいい時代向けの話なのか。逆に死が意識から遠ざけられて生きる方も満たされてて審判の日に復活するとかいうオカルト世代向けの話なのか。


多分どっちもあるんだろな。明治から昭和にかけて書かれた、江戸末期を舞台にした英雄譚を研究者がまとめて平成に入ってマンガ同人誌として売り出したような物だと思うし。


フタを開けたら生きてたっていうとシュレーディンガーの猫を連想したり。見に行ったら開いてたんだっけ?


してみると通信環境がない時代の外国の情勢なんかも似てる。光速ってのが越えられない速度とすれば、馬が光速で走ってた時代もあるのかもしれない。


箱の中のネコが生きてるか、もだけど出てきたネコが箱に入れたネコと同じかどうかって話題はないのかな?特に死んだあとにフタ閉じたら状態がわからなくなるとかいう時には。


「私を倒しても第二第三のブラックゴースト(他)が」ってセリフやシチュエーションの原典は、復活したイエスだったという説はどうだろうか。案外宗教的にも比喩的にもハズしてない気がする。どっちかというとクリスマスじゃなくイースター向けである気もする。


箱のネコも救世主もサマリア人もTATARIも、対峙してるものが前と同じか、次に出てきたのが同じか、次に出てくるのが同じか見分けはつかないんだな。同一性を外見に求めるとRacismとかろくでもない物に流れるんだ。ネコはどうだか知らないけど。


思考が混沌としてきた。現実に戻らないと夕食を食べそこなう。


終末セールで買ったimage-lineのSakuraをGaragebandで鳴らしてみる。このヴァイオリンは音量の出方に(恐らくは物理ヴァイオリン的な)クセがあるけど安定して使えそう。最近はFL漬けだったけど、audio unit対応という要素も気になってくるなあ。


正直ヴァイオリンという表記には中二的な印象を持っている。多分小学校教科書でもヴァイオリンと書いてあるないし書いてある時代があったと思うんだけど「赤字楔型ブラシでKhiとか書くと日本的に見えるアメリカ人」並みに中二的に感じる。