今年も しずかに咲きました。この花は わたしの中で 仏様 お盆 (原爆)と結びついています。
昨日 少し 田舎のお袋さんと話をしましたが 8月6日の朝は 家の裏のそうず(水車)で牛骨を肥料にするために 搗いていたときに 『ピカッ』と光が走って その後に 音と風が来たそうです。近所の人が家に集まってきて 今のは なんじゃったんじゃろーか? と気味悪がったそうです。(飛行機でも落ちたんじゃろうかと思ったそうです)
その後 30分くらいして 空からまっ黒い雨がふってきて 角はなを黒い水がザーザー流れたそうです。後日の話だそうですが お寺に収容された被爆者の方に 国防婦人会として 救護に行って スプーンで食べ物を食べさせてあげようとしたそうですが 食べることのできる人はいなかったそうです。親父さんは 瓦礫の撤去作業とか 被爆してなくなった方々を荼毘にふす作業に出向いていたそうです。
やけどをされた 親戚の方が疎開されてきて 一週間くらい 床の間に寝ていたということも聞きました。
何日か経って 奥の深谷の山に 下刈りに行ったら 山のなかに 写真とかふすまの破れとか 爆風で飛ばされてきた生活の品々が いっぱい飛んできていたそうです。
この人は よくよく??です。
この被爆者の全面救済なしに戦後の安堵感は持てない思いでした。
ただ”これがなぜもっと早く行われなかったのか”の疑問が残ります。
”弱者の救済あっての国家の発展”だと思います。
広島の原爆記念館を是非訪れてみたいものです。
原爆、戦争、人間の愚かさ・・など考えさせられます。