ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2006年9月10日、柳川を歩く(2)

2016年06月14日 00時00分00秒 | 旅行記

 今回は、私のサイトに設けていた「待合室」の第201回「柳川を歩く(2)」(2007年1月22日~同月29日)、および第202回「柳川を歩く(3)」(2007年1月29日~2月7日)の再掲載です。但し、第201回のデータが消失しているので、文章は第202回のみ、写真は第201回および第202回の再掲載となります。

 2006年9月10日、 西鉄柳川駅から柳川市役所のほうに向かって歩いています。目指すは北原白秋の生家なのですが、タクシーもバスもレンタカーも使わず、歩いて行くというのはよいものです。ただ、初めての街を歩くというのは、色々なことを考えると少々無謀に近いのかもしれませんが。

 西鉄柳川駅から歩き始めてまもなく、いかにも水郷という街並みが我々を出迎えてくれます。本来はここで文章も添えなければなりませんが、既に記したように、第201回「柳川を歩く(2)」の文章データが消失しておりますのでしばらく写真だけが続きます。

 

 

 

 

 

 

 

  西鉄柳川駅付近からのメイン道路です。この裏の通りを歩いたりこの通りを歩いたりしています。日曜日の昼間だからなのか、それとも別の理由なのか、閉まっている店が多く、人通りも少ないのです。ここが柳川市の商業の中心なのかどうかはわからないのですが、中心街空洞化、あるいは、中心街に限らず、商店街空洞化というべき現象なのかもしれません。九州では各地で見られます。2004年3月下旬に大分を離れ、同年から2012年までは、1年に1回、福岡に行く程度なのでしたが(但し、2007年には2回行きました)、2006年9月には飯塚駅周辺、田川後藤寺駅周辺、直方駅周辺、黒崎駅周辺も歩いておりまして、商店街の深刻な状況を改めて実感しました。

水郷柳川らしく、民家の裏側にもこのように水流があります。

 

また裏通りを歩きます。西方寺を通ります。

 まだ目的地には遠いのですが、柳川市役所の近くにまで来たようです。ここで水辺の散歩道を歩いてもよし、柳川市役所のほうに出てもよし、ということで、私は柳川市役所のほうへ歩いていきました。

 憲法学の判例で有名な伝習館高校の前を通り(ちなみに、この高校の卒業生の一人が北原白秋です)、柳川市役所の前を通ります。日吉神社の近くではないかと記憶していますが、違うかもしれません。

 機会を改めて、日吉神社の様子を取り上げます。


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