goo blog サービス終了のお知らせ 

ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2017(平成29)年もあと少しとなりました

2017年12月31日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ年末年始と言えば、講義などはないものの仕事はあるということで、ありがたいと思っております。皆様にとりまして、いかなる年であったでしょうか。

 毎年一度も欠かさず見ているジルヴェスターコンサート(テレビ東京系)のカウントダウンは展覧会の絵のオーケストラ版です。さすがに全曲ではなく、「キエフの大門」など一部だそうです。楽しみにしていましょう。

 今でも忘れられないのは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲がカウントダウンに使われた時です。この時はカウントダウンの曲を投票で選ぶというものでしたが、私は時機を逸したのでした。でも、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が選ばれたので楽しく聴けました(ちなみに、YouTubeでも見られます)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再掲載:若さ(続編)

2017年12月30日 01時01分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

(2008年9月20日付で、私のホームページに掲載した雑文を、ここに再び掲載いたします。)

 先日のことである。

 某所で様々な年代の人が集まる機会があった。ぼくもメンバーになっているから、その集まりに参加しなければならなかった。

 あれこれと話が進む。そのうち、メンバーのうちの誰かが近所の洋菓子屋へ行ってケーキの類を買ってきた。その日、30歳の誕生日を迎えた人がいたからである。

 その場にいた全員でケーキの類を食べ、誕生日を祝ったのであるが、ぼくには非常に気になることがあった。

 この人(どちらの性別であるかは忘れた)が「自分がもう30歳になってしまった」などと、驚きの中に失望が入ったような調子で語ったのである。

 それに続いて、先ほどとは別の性の人が「私もあと●●で30歳になるんですよ」と、それがあたかも自分にとってはショックであるかのように話した。●●の部分は、多分あと何ヶ月かとか何週間とか何日とかと言ったのだろうが、覚えていない。

 冗談か本気かは知らないが、冗談としても半分は本気であろうから、30歳になることがよほど何かの意味を持っていたのだろう。

 この二人の言葉が、ぼくには非常に気になったし、驚かされた。

 すぐ後に、ぼくはこう言いたかった。

 「おれが30歳になった時には、そんなことを考えている暇もなかったね。」

 本当に、講義の際に出す音量で口に出しそうになったが、言わなかった。雰囲気を壊したくはなかったからである。

 しかし、ぼくの口からもう少しで漏れ出しそうになった言葉は、ぼく自身の本当の気持ちである。反発も覚えたし、以前、「若さ」で記したことを瞬時に思い出した。

 よく考えてみると、たしかに、30歳になるということは、20代ではなくなるということである。20代から抜け出さざるをえなくなったことが、彼らにとってはよほどショックであるらしい。或る程度は悲しみもあるのだろうか。体感的には理解できないが、頭では理解できることである。

 でも、ぼくが見れば30歳なんて十分に若い。むしろ、これからが大事な時期である。30代になってたくさんのことを経験したりして、大きくなることができる。仕事にもよるが、30代は修行の時代であったり、飛躍の時代でもある。あるいは、20代が基礎的な能力をつける時期、30代が技量を発展させる時期ともいえるかもしれない。つい最近まで30代だったぼくは、その10年間にあれやこれやの事象に遭遇した。その意味では、大変ではあったが一番楽しい時期でもあった。

 いや、あるいは、とも考える。 もしかしたら、ぼくが鈍感なだけかもしれない。あるいは或る種のオブセッションに囚われているのかもしれない(それが何かはわかっているが、ここには記さない)が、そのオブセッションはぼくにとって必要なものでもある。

 10歳になったばかりの子どもが「もう10代になっちゃった」などと思うことはまずないと思うが、20歳になった人が「ああ、もう10代じゃなくなっちゃったよ」と思うことは、むしろ普通なのかもしれない。「若さ」で記した学生の件は、まさにこのパターンであろう。

 しかし、1年間浪人して大学に入り、1年生の時に20歳になったぼくには、20歳になったからと言って特別な感情などは一切浮かばなかった。せいぜい、「これでおれも選挙権を行使できるな」とか「これで、悪いことをやったらおれの名前が新聞やテレビなどに出ちゃうから気をつけないと」などと考えたくらいで、それも、誕生日から少し経ってからのことである。

 それから10年経ち、大分大学教育学部の講師2年目という生活を送っていて、30歳の誕生日を迎えた。それでも、特別なことは何もない。元々、友達を含めて他人から誕生日を祝ってもらうという習慣などが、ぼくにはない。その必要もない。経験はあるが、それは数回しかない。

 満30歳となった1998(平成10)年7月5日の日曜日も、いつものように、当時は既に第二の自宅と化していた研究室へ行って仕事などをしている。本当に、特別なことは何もない。講義の準備やら何やらという仕事をしなければならなかったし、読書をしたりインターネットをしたりで、あれやこれやの情報を仕入れたり考えたりしていた。また、その頃は、ぼくが担当していた学生が教育実習に行っていたし、後に「地方目的税の法的課題」という論文を作成するきっかけとなる研究会に参加することになっていた。もっと重要なことがあった。当時は教育学部の改組問題で大変な状況になっていた。周囲にあれこれのことがあった。

 ぼくが30歳になったという実感を持ったのは、およそ4ヶ月ほど後、或る人と川崎駅付近で酒を飲んだ時のことだった。日記にも、12月になってからそのように書いている。しかし、それが何か特別な意味を持っていたのかと自問しても、肯定の答えが見つからない。多分、ただそう感じたというだけであろう。日記を書いていた時点では別の印象が浮かんでいたのかもしれないが、とうの昔に忘れている。

 今もぼくは、毎日のようにあれこれと考え事をしていて、東急目黒線・都営三田線の電車の中では読書を欠かさないし、「今度はこんなことをやってみたい」などと思い続けている。しばらく中断しているDTMもやりたいし、マスターしてみたいこともある。そして、様々なことに挑戦してみたいと思っている。

 考え事ができなくなるくらい、ぼくにとってつらいことはない。だから、常に前進するしかない。そのためには「もう20代前半を卒業だよ」とか「もう40代になっちまったよ」などとは考えない。自分の能力や性格に照らして、やれることをやるしかない。

 いつものとおり、何のまとまりもない駄文のままに終わることとなることをお許し願いたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

給与所得控除は「会社員にだけ恩恵がある」?? 馬鹿なことを書いている記事 

2017年12月29日 00時00分00秒 | 国際・政治

 切り抜いた記事の整理などを兼ねて、改めて日本経済新聞2017年11月22日(水)付朝刊4面13版に掲載された「自民税調、本格議論始動へ 官邸との調整に軸足 所得税や法人税改革 焦点」という記事を読んでみました。

 その中に「会社員にだけ恩恵がある『給与所得控除』の高額所得者の控除引き下げ」というフレーズがあります。

 読んだ瞬間に「何を馬鹿なことを書いているのだ?」、「日経でこれかよ」という気分になりました。もっとも、すぐ後に「所詮はこの程度なんだろうな」と思いました。

 敢えて、タイトルにも本文にも「馬鹿なこと」と記したのは、次に挙げる理由によります。

 第一に、給与所得控除は会社員にだけ適用されるものではありません。公務員にも適用されます。給与、給料、俸給など(名称は問いません)をもらっている者であれば適用されるのです。所得税法第28条第1項において「給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下この条において「給与等」という。)に係る所得をいう」と定義されている通りです。

 第二に、このブログでも何度か書いていますが、相も変わらず給与所得控除を何か特別措置のようなものであるかのように扱っていることです。しかも、日経記事のこの「恩恵」という表現は、朝日新聞の「減税措置」(「平成30年度税制改正に向けての二題」も参照)と同じような意味にしてそれよりもさらに悪い表現です(記事を書かれた方は給与所得者でないのかもしれません)。「流石だ」という気もしますが、大日本帝国憲法時代の人権の扱いを語る場ではないのです。それに、「恩恵」というのであれば、租税特別措置法や地方税法附則などに定められる多くの減免措置のほうが「恩恵」という表現に相応しいでしょう(その「恩恵」に最も与ることができない存在が給与所得者です)。相も変わらず新聞でも地下鉄の広告でも喧伝されている「ふるさと納税」は「恩恵」以外の何物でもありません。まさにこれこそ「恩恵」に相応しいものです。どうせのことであれば、日本の地方公共団体は「ふるさと納税」をもっと宣伝してタックスヘイブンのような存在を目指したらいかがでしょうか。

 所得の基本形を知っていれば、給与所得控除が給与所得者にとっての必要経費そのもの、とまでは言えないとしても必要経費の代用品のようなものであることくらい、すぐにわかりそうなものです。具体的なものを示すのが困難であるとは言え、給与所得者でも、給与収入を得るために必要な出費(経費)があるということは、観念的にではあれ指摘できるはずです。

 所得税法に定められる10種類の所得には、純粋に必要経費が認められないものがあります。利子所得です。これは収入=所得となっています。また、配当所得も同様です。但し、必要経費の代わりと言いうるかどうかは疑問ですが負債の利子を収入から控除することが認められます。

 必要経費とは言い難いが収入を得るために必要な支出もあります。例えば譲渡所得の場合、資産の譲渡による収入から、その資産を取得するために支出した費用(取得費)および譲渡に要した費用(譲渡費としておきます)の合計額を控除し、さらに特別控除額を控除します(所得税法第33条第3項)。このうち、特別控除額は「恩恵」に近いものですが、取得費および譲渡費は必要経費に相当するものです。これに近いのが一時所得です(同第34条第1項および第2項を参照してください)。取得費および譲渡費を「減税措置」だの「恩恵」だのと理解する人はいないでしょう。

 新聞記事にはわかりやすさが求められることくらい、こちらにもわかります。しかし、だからといって給与所得控除を「恩恵」などとするのは正確さを欠くこと甚だしいのです。むしろ、ただ給与所得控除と記して余計な説明を加えないほうがはるかによいでしょう。

 そもそも、給与所得控除という名称がよくありません。これでは所得控除(同第72条以下)とどう違うのかと思われてしまいます。講義の際に私が何度も「給与所得控除は所得控除ではない」、「給与所得控除と所得控除は違う」と説明せざるをえないので、より適切な名称はないかと考えています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしらせです(2017年12月28日)

2017年12月28日 17時16分35秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、おしらせです。

 ぎょうせいから、日本財政法学会編『地方財務判例質疑応答集』(加除式)が刊行されました(https://shop.gyosei.jp/products/detail/9558)。

 私も担当させていただきました。

 加除式である故に特殊で、一般の書店や図書館では購入または参照が難しいかもしれませんが、御一読を賜れば幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東急田園都市線の新車2020系(2121F)

2017年12月28日 00時00分00秒 | 写真

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武日光線栃木駅にて

2017年12月26日 00時00分00秒 | 写真

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方税の入門書として

2017年12月25日 22時34分33秒 | 本と雑誌

 日本経済新聞朝刊の広告で知り、12月22日に青葉台で買ってきました。

 山形富夫『税務の基礎からエッセンスまで 主要地方税ハンドブック』(2017年12月、清文社)

 国税と異なり、地方税については入門書などがあまりありません。その意味でもおすすめです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝、何となく

2017年12月22日 08時00分00秒 | 写真

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また新幹線? 国鉄赤字ローカル線の二の舞になるのでは?

2017年12月20日 02時06分44秒 | 社会・経済

 私が生まれ育った川崎市には、中原区に東海道新幹線が通っているものの、駅はありません。武蔵小杉駅がすぐそばにあるのに、まさしく通っているだけです。また、中原区、高津区、宮前区および麻生(あさお)区は、リニア新幹線のルートにもなっているのですが、やはり駅ができる予定はありません。新幹線が通る政令指定都市で、駅がないというのは川崎市だけです。しかし、駅を作れという運動は聞いたことがありません。

 どうでもいい話はここでやめて、本題に入りましょう。

 2017年12月18日(月)付の朝日新聞朝刊4面13版●に「360° 我が町に新幹線 再び熱 全5ルート確定『次の計画決めるのでは』」という記事が掲載されていました。これを読んで、すぐに「国鉄赤字ローカル線の二の舞になるのではないか」と考えてしまいました。何せ、二の舞が大好きで、「二度あることは三度ある」が好きな国民性です。

 折しも、このブログに12月17日(日)0時52分31秒付で「JR九州の減量ダイヤ改正」という記事を載せました。そこではあまり強調しなかったのですが、九州新幹線でも減便する方向性が採られています(「さくら」と「つばめ」を合わせて6本とのことです)。また、新玉名駅のように、駅そのものは有人駅でもホームに駅員がいないという駅もあります。それ以上に在来線の状況がよくなく、JR九州の全駅の過半数が既に無人駅ですが、いっそう増えることとなるようです。

 北海道新幹線の営業状況も芳しくないと聞きます。もっとも、こちらは部分開業ですから何とも言えませんが、青函トンネルを含む区間で貨物運輸も行わなければならない関係で東京駅から新函館北斗駅まで4時間を切ることができなかったことは大きいようです。この4時間というのが、新幹線か飛行機かを選択するのに重要なポイントであるとも言われており、4時間を超えると新幹線に勝ち目はないらしいのです。私自身も、京阪神地区へ行くなら新幹線を選びますが、福岡へ行くとなれば飛行機を選びます。

 本題に戻りましょう。全国新幹線鉄道整備法が制定されたのは1970(昭和45)年のことです。その6年前、つまり1964(昭和39)年に東海道新幹線が開業しますが、国鉄が赤字に転落したのもその年でした。当時の鉄建公団が建設を担当した赤字ローカル線を国鉄が引受けさせられたりするなど、様々な問題があり、1970年代になると、鉄道敷設法において予定線とされた路線の建設が、予算などの関係で滞るようになります。先送りも大好きな日本国民の特性は、こういうところで生かされ、結局、巨費を注ぎ込みながらも建設中止という、或る意味で最悪の結果を各地で生んでしまいました。

 それから何十年も経つと、当時の記憶は薄れるのでしょうか。このところ、計画に留まっている新幹線路線の整備路線への格上げを求める動きが顕在化しています。今年の春に、北陸新幹線の京都〜新大阪が決まって整備新幹線の全ルートが確定したことが大きいようです。

 上記朝日新聞朝刊記事に登場するのが四国新幹線です。勿論、四国島内だけを走るのではありません。大体、大阪市から四国を通って大分市までというルートのようです。明石海峡大橋および大鳴門橋も、実は四国新幹線のルートの一部であり、大鳴門橋は新幹線の走行が可能であるように建設されていますが、明石海峡大橋は道路専用橋梁です(当初は新幹線の走行も想定されていたそうですが、変更されました)。

 四国新幹線の整備路線格上げを求める署名は12万人分程が集まったそうですが、地方公共団体はともあれ、住民はどれほど欲しているのでしょうか。JR四国は積極的な態度を示しているようです。状況からして理解できますが、自動車からどれだけのシェアを奪い返せるか、疑問が残ります。地域柄、京阪神地区との連絡については優位に立てる可能性もありますが、首都圏との連絡となると難しいでしょう。

 また、促進運動を見ていると、歴史は形を変えながら繰り返すのかもしれない、と思われてきます。国鉄赤字ローカル線についても、我田引水ならぬ我田引鉄と言われる現象があり、少なからぬ地方公共団体が建設促進の旗を高く掲げました。しかし、人口、貨物量などからして期待できる程のものではなかった上にモータリゼイションが急速に進むなどの社会情勢があり、建設にストップがかかるのは当然の流れでした。新幹線計画についても同様でしょう。

 四国新幹線の終点(?)とも想定される大分県には、東九州新幹線計画もあります。概ね、小倉駅から鹿児島中央駅までというルートのようで、日豊本線の線増と考えてもよいでしょう。国鉄時代には、東海道新幹線も山陽新幹線も在来線である東海道本線、山陽本線の線増として扱われており、別路線とは考えられていなかったのでした。

 さらに、記事には山形新幹線と秋田新幹線が登場します。どちらもミニ新幹線と言われていますが、実はどちらも正式には新幹線ではなく、在来線です。山形新幹線の福島駅から新庄駅までは奥羽本線、秋田新幹線の盛岡駅から大曲駅までは田沢湖線、大曲駅から秋田駅は奥羽本線です。しかも田沢湖線は地方交通線であり、輸送量が多い訳ではないのです。今でも山形新幹線と秋田新幹線の営業区間には「?」がつきますが、「新庄駅から大曲駅までを新幹線の区間として秋田まで延伸し、田沢湖線は在来線で残したほうが、まだよかったのではないか」と考えるのは浅すぎるでしょうか。両新幹線のために奥羽本線がズタズタに引き裂かれ、東日本大震災を受けての迂回運輸(とくに貨物)に支障が出たという話もよく耳にするのです。

 その山形新幹線と秋田新幹線については、ミニ新幹線ではなく、フル規格の新幹線を目指そうという動きが、山形県と秋田県にあるようです。山形新幹線をフル規格化した上で奥羽新幹線として秋田駅まで伸ばし、さらに羽越新幹線の実現を目指そうということのようです。

 しかし、夢は夢、現実は現実です。やはり整備新幹線の工事だけでも予算が足りないようです。北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線長崎ルートの工事に3兆円以上が必要だというのですが、毎年度の予算は700億円台だというのです。これも鉄道敷設法施行時とあまり変わらない状況です。よく「バラマキ予算」と言いますが、言い換えれば「広く薄く」の予算で、メリハリが全くありません。今年度の予算では調査費が2億8000万円ほどとなっていますが、人口減少社会に新幹線を建設し、開業させるだけの意味がどれほどあるのでしょうか。

 書名などを忘れてしまいましたが、私は東京への一極集中を論じた本を何冊か購入しており、その中の1冊に、一極集中の原因の一つが新幹線であると論じたものがあるのを覚えています。高速道路についてもストロー現象が指摘されますが、それと同じようなものが新幹線についても存在するというのです。どこまで当たっているかはわかりませんが、理解できる話ではあります。たしかに、交通が便利になれば、あちらこちらに支社・支店を置かず、東京にある本社から出向けばよい訳です。日帰りが可能であれば、わざわざ東京以外の地域に支社・支店を置く必要もなくなるでしょう。ビジネスだけでなく、観光についても、どこへ行っても判で押したような観光地へ行くならば、東京のほうが面白いということになりかねません(いや、多少はそうなっているでしょう)。

 12月11日(月)に、新幹線の台車に亀裂が入って台車枠が破断寸前に至っていたにもかかわらず、異常がわかってからも運行を続けていたという事件がありました。よくインシデントという言葉が使われていますが、incidentには偶発事件という意味もあれば事変という意味もあります。accidentよりは小さいのですが、脱線事故などというaccidentにつながって死傷者が出なかったのが幸いです。新幹線の車両は在来線の車両より高速で走り、一日あたりの走行距離も長い(一年当たりでも同じでしょう)ということもあって寿命が短く、しかも高額です。線路などの施設も、在来線より高額となります。それだけのコストをかけるには、多くの乗客が見込まれるのでなければなりません。いや、見込みでは甘くなるので蓋然性というくらいの表現が適切でしょう。地元の何とかという(端から見れば意味不明の)感情論は最も危険であって、避けなければならないのです。さもなければ、開業しても利用者が少なくて「お荷物」どころかゴミになりかねないと言えるでしょう。そうでなくとも、人口減少が進んでいく日本社会です。整備新幹線に格上げされたリニア新幹線にしても、莫大な費用などをかけてどれだけの有意義な路線になるのか、見通しは不透明であるとしか言えません。

 地元の政治家や地方公共団体は未来に向けて資産を形成したいということで新幹線の整備を叫ぶのでしょう。しかし、将来の世代にとっては、朝日新聞の不定期連載の表現を借りるなら不動産ならぬ「負動産」と同じようなもので、持っていても負担になるだけなので処分したいが、そうしたくても処分できない負債になりかねません。まあ、親が作った負債を子が返すというのは、或る意味で最大の親孝行であるとも言えますから、今の世代は採算など一切考えず、やりたいことをやるのが正解なのかもしれません。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR九州の減量ダイヤ改正

2017年12月17日 00時52分31秒 | 社会・経済

 何度も書いていることではありますが、私は1997年4月から2004年3月まで大分大学教育学部に講師および助教授として勤務しており、2004年から2012年まで西南学院大学および福岡大学での集中講義を担当しました。大分大学時代には月に何度か豊肥本線のディーゼルカーや日豊本線の電車に乗りましたし、集中講義のために福岡に滞在していた時には地下鉄、西鉄、JR九州の路線によく乗りました。そのため、九州の鉄道路線の動向には強い関心を持っています。

 2016年10月、JR九州は東京証券取引所第1部に上場しました。いわゆる三島会社では唯一であり、JR四国およびJR北海道よりは基盤が固いとも言えるのでしょうが、それは本業と言える鉄道事業によるものではありません。むしろ、鉄道事業の赤字は続いています。そのような中で、JR九州が減量ダイヤ改正を行う意向であることが、毎日新聞社により報じられました。12月15日21時20分付の「<JR九州>ダイヤ改正で運転117本減 事業効率化を図る」(https://mainichi.jp/articles/20171216/k00/00m/020/120000c)です。

 3月と言えばJRグループのダイヤ改正が行われる月ですが、2018年のダイヤ改正は3月17日に行われる予定です。JR九州は、その改正によって全路線の運転本数を3118本から3011本に減らし(3.7%減となります)、平日における1日あたりの運転距離を185,000㎞から172,000㎞に減らします(7%減です)。これは1987年にJR九州が誕生してから最大となる減少であり、新幹線も、在来線の特急も、快速も普通も本数が削減されたり区間が短縮されたりします。

 とくに本数削減が目立つのは鹿児島本線の大牟田〜荒尾で、136本から90本になるようです。また、肥薩線の人吉〜吉松は10本から6本に減るといいます。現在は5往復ですので3往復に減るということになります。日豊本線の佐伯〜市棚も普通列車が3往復しかありませんが、こちらは特急が何往復か走っています(但し、佐伯駅以外の駅には止まりません)。肥薩線の人吉〜吉松には特急が走っていないので、ダイヤ改正によって営業列車は純粋に3往復しかないということとなります。また、肥薩線の吉松〜隼人(さらに日豊本線を経由して鹿児島中央まで)には「はやとの風」という観光列車が走っていますが、これを不定期化するようです。

 私も大分市に7年間住んでいましたので、九州のほぼ全域が自動車社会であることは承知しています。乏しい経験からしか記せませんが、それでも福岡県内、佐賀県内、長崎県内および大分県内の全鉄道路線を利用したことがありますので、自家用車がなくとも首都圏でのように生活できると私が感じるのは、福岡市営地下鉄空港線および箱崎線の沿線、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)〜西鉄二日市(もう少し頑張れば筑紫まで、または太宰府線の太宰府まで)、長崎電気軌道の路面電車が走る一帯、熊本市電が走る一帯、という程度でしょうか。

 そのため、この記事に限らず、同類の記事に書かれている沿線自治体の関係者の意見・コメントを読んでも、白々しいというか、「今更何を言っているのだ?」という思いが強く出てきます。例えば、吉松駅がある鹿児島県湧水町の担当者のコメントとして「高齢者や観光客にとって利便性が悪くなる。地域の交流人口の増加を目指そうとしているのに痛手だ」という意見が掲載されていますが、それは何時からのことかと尋ねたくなります。高齢者はともあれ、観光客については、沿線自治体はむしろ高速道路、国道、県道などの整備を声高に主張してきたのではなかったのでしょうか。九州に限られた話でもないのですが、少なからぬ観光地は、自家用車で向かうことを前提として整備されてきたような節があります。

 観光地に限りません。都市についても同様と言えるでしょう。

 JR九州にも問題がない訳ではないでしょう。収益を呼ぶと思われてきたようなものであっても、見直さなければならないものがあるはずです。たとえば、豪華寝台列車と位置づけられている「ななつ星in九州」は、鉄道事業の収益、鉄道の利便性などにどれだけ貢献しているのでしょうか。登場時点では大きな話題を呼んでも、利用できる客が限定されているのであれば、成長をそれ程見込むことはできないでしょう。また、JR九州と言えば水戸岡鋭治氏のデザインによる車両(鹿児島本線の特急「つばめ」で有名だった787系、博多〜大分・佐伯の特急「ソニック」用の883系など)が有名ですが、こうした車両もどこまで鉄道事業に貢献してきたのか、冷静な検証が必要でしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする