私が生まれ育った川崎市には、中原区に東海道新幹線が通っているものの、駅はありません。武蔵小杉駅がすぐそばにあるのに、まさしく通っているだけです。また、中原区、高津区、宮前区および麻生(あさお)区は、リニア新幹線のルートにもなっているのですが、やはり駅ができる予定はありません。新幹線が通る政令指定都市で、駅がないというのは川崎市だけです。しかし、駅を作れという運動は聞いたことがありません。
どうでもいい話はここでやめて、本題に入りましょう。
2017年12月18日(月)付の朝日新聞朝刊4面13版●に「360° 我が町に新幹線 再び熱 全5ルート確定『次の計画決めるのでは』」という記事が掲載されていました。これを読んで、すぐに「国鉄赤字ローカル線の二の舞になるのではないか」と考えてしまいました。何せ、二の舞が大好きで、「二度あることは三度ある」が好きな国民性です。
折しも、このブログに12月17日(日)0時52分31秒付で「JR九州の減量ダイヤ改正」という記事を載せました。そこではあまり強調しなかったのですが、九州新幹線でも減便する方向性が採られています(「さくら」と「つばめ」を合わせて6本とのことです)。また、新玉名駅のように、駅そのものは有人駅でもホームに駅員がいないという駅もあります。それ以上に在来線の状況がよくなく、JR九州の全駅の過半数が既に無人駅ですが、いっそう増えることとなるようです。
北海道新幹線の営業状況も芳しくないと聞きます。もっとも、こちらは部分開業ですから何とも言えませんが、青函トンネルを含む区間で貨物運輸も行わなければならない関係で東京駅から新函館北斗駅まで4時間を切ることができなかったことは大きいようです。この4時間というのが、新幹線か飛行機かを選択するのに重要なポイントであるとも言われており、4時間を超えると新幹線に勝ち目はないらしいのです。私自身も、京阪神地区へ行くなら新幹線を選びますが、福岡へ行くとなれば飛行機を選びます。
本題に戻りましょう。全国新幹線鉄道整備法が制定されたのは1970(昭和45)年のことです。その6年前、つまり1964(昭和39)年に東海道新幹線が開業しますが、国鉄が赤字に転落したのもその年でした。当時の鉄建公団が建設を担当した赤字ローカル線を国鉄が引受けさせられたりするなど、様々な問題があり、1970年代になると、鉄道敷設法において予定線とされた路線の建設が、予算などの関係で滞るようになります。先送りも大好きな日本国民の特性は、こういうところで生かされ、結局、巨費を注ぎ込みながらも建設中止という、或る意味で最悪の結果を各地で生んでしまいました。
それから何十年も経つと、当時の記憶は薄れるのでしょうか。このところ、計画に留まっている新幹線路線の整備路線への格上げを求める動きが顕在化しています。今年の春に、北陸新幹線の京都〜新大阪が決まって整備新幹線の全ルートが確定したことが大きいようです。
上記朝日新聞朝刊記事に登場するのが四国新幹線です。勿論、四国島内だけを走るのではありません。大体、大阪市から四国を通って大分市までというルートのようです。明石海峡大橋および大鳴門橋も、実は四国新幹線のルートの一部であり、大鳴門橋は新幹線の走行が可能であるように建設されていますが、明石海峡大橋は道路専用橋梁です(当初は新幹線の走行も想定されていたそうですが、変更されました)。
四国新幹線の整備路線格上げを求める署名は12万人分程が集まったそうですが、地方公共団体はともあれ、住民はどれほど欲しているのでしょうか。JR四国は積極的な態度を示しているようです。状況からして理解できますが、自動車からどれだけのシェアを奪い返せるか、疑問が残ります。地域柄、京阪神地区との連絡については優位に立てる可能性もありますが、首都圏との連絡となると難しいでしょう。
また、促進運動を見ていると、歴史は形を変えながら繰り返すのかもしれない、と思われてきます。国鉄赤字ローカル線についても、我田引水ならぬ我田引鉄と言われる現象があり、少なからぬ地方公共団体が建設促進の旗を高く掲げました。しかし、人口、貨物量などからして期待できる程のものではなかった上にモータリゼイションが急速に進むなどの社会情勢があり、建設にストップがかかるのは当然の流れでした。新幹線計画についても同様でしょう。
四国新幹線の終点(?)とも想定される大分県には、東九州新幹線計画もあります。概ね、小倉駅から鹿児島中央駅までというルートのようで、日豊本線の線増と考えてもよいでしょう。国鉄時代には、東海道新幹線も山陽新幹線も在来線である東海道本線、山陽本線の線増として扱われており、別路線とは考えられていなかったのでした。
さらに、記事には山形新幹線と秋田新幹線が登場します。どちらもミニ新幹線と言われていますが、実はどちらも正式には新幹線ではなく、在来線です。山形新幹線の福島駅から新庄駅までは奥羽本線、秋田新幹線の盛岡駅から大曲駅までは田沢湖線、大曲駅から秋田駅は奥羽本線です。しかも田沢湖線は地方交通線であり、輸送量が多い訳ではないのです。今でも山形新幹線と秋田新幹線の営業区間には「?」がつきますが、「新庄駅から大曲駅までを新幹線の区間として秋田まで延伸し、田沢湖線は在来線で残したほうが、まだよかったのではないか」と考えるのは浅すぎるでしょうか。両新幹線のために奥羽本線がズタズタに引き裂かれ、東日本大震災を受けての迂回運輸(とくに貨物)に支障が出たという話もよく耳にするのです。
その山形新幹線と秋田新幹線については、ミニ新幹線ではなく、フル規格の新幹線を目指そうという動きが、山形県と秋田県にあるようです。山形新幹線をフル規格化した上で奥羽新幹線として秋田駅まで伸ばし、さらに羽越新幹線の実現を目指そうということのようです。
しかし、夢は夢、現実は現実です。やはり整備新幹線の工事だけでも予算が足りないようです。北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線長崎ルートの工事に3兆円以上が必要だというのですが、毎年度の予算は700億円台だというのです。これも鉄道敷設法施行時とあまり変わらない状況です。よく「バラマキ予算」と言いますが、言い換えれば「広く薄く」の予算で、メリハリが全くありません。今年度の予算では調査費が2億8000万円ほどとなっていますが、人口減少社会に新幹線を建設し、開業させるだけの意味がどれほどあるのでしょうか。
書名などを忘れてしまいましたが、私は東京への一極集中を論じた本を何冊か購入しており、その中の1冊に、一極集中の原因の一つが新幹線であると論じたものがあるのを覚えています。高速道路についてもストロー現象が指摘されますが、それと同じようなものが新幹線についても存在するというのです。どこまで当たっているかはわかりませんが、理解できる話ではあります。たしかに、交通が便利になれば、あちらこちらに支社・支店を置かず、東京にある本社から出向けばよい訳です。日帰りが可能であれば、わざわざ東京以外の地域に支社・支店を置く必要もなくなるでしょう。ビジネスだけでなく、観光についても、どこへ行っても判で押したような観光地へ行くならば、東京のほうが面白いということになりかねません(いや、多少はそうなっているでしょう)。
12月11日(月)に、新幹線の台車に亀裂が入って台車枠が破断寸前に至っていたにもかかわらず、異常がわかってからも運行を続けていたという事件がありました。よくインシデントという言葉が使われていますが、incidentには偶発事件という意味もあれば事変という意味もあります。accidentよりは小さいのですが、脱線事故などというaccidentにつながって死傷者が出なかったのが幸いです。新幹線の車両は在来線の車両より高速で走り、一日あたりの走行距離も長い(一年当たりでも同じでしょう)ということもあって寿命が短く、しかも高額です。線路などの施設も、在来線より高額となります。それだけのコストをかけるには、多くの乗客が見込まれるのでなければなりません。いや、見込みでは甘くなるので蓋然性というくらいの表現が適切でしょう。地元の何とかという(端から見れば意味不明の)感情論は最も危険であって、避けなければならないのです。さもなければ、開業しても利用者が少なくて「お荷物」どころかゴミになりかねないと言えるでしょう。そうでなくとも、人口減少が進んでいく日本社会です。整備新幹線に格上げされたリニア新幹線にしても、莫大な費用などをかけてどれだけの有意義な路線になるのか、見通しは不透明であるとしか言えません。
地元の政治家や地方公共団体は未来に向けて資産を形成したいということで新幹線の整備を叫ぶのでしょう。しかし、将来の世代にとっては、朝日新聞の不定期連載の表現を借りるなら不動産ならぬ「負動産」と同じようなもので、持っていても負担になるだけなので処分したいが、そうしたくても処分できない負債になりかねません。まあ、親が作った負債を子が返すというのは、或る意味で最大の親孝行であるとも言えますから、今の世代は採算など一切考えず、やりたいことをやるのが正解なのかもしれません。