朝日新聞夕刊で紹介されていたことがきっかけで、2月に吉野直子さんの「ハープ・リサイタル2〜ソナタ、組曲と変奏曲」(キングインターナショナル)を買いました。今年発売になったばかりのCDです。
ヒンデミットの「ハープのためのソナタ」(2014年12月13日に青葉台のフィリアホールで聴きました)が収録されていることも大きかったのですが、タイユフェールの「ハープのためのソナタ」も良い曲で、この2曲を聴きたくなるので通しで流します。
朝日新聞夕刊で紹介されていたことがきっかけで、2月に吉野直子さんの「ハープ・リサイタル2〜ソナタ、組曲と変奏曲」(キングインターナショナル)を買いました。今年発売になったばかりのCDです。
ヒンデミットの「ハープのためのソナタ」(2014年12月13日に青葉台のフィリアホールで聴きました)が収録されていることも大きかったのですが、タイユフェールの「ハープのためのソナタ」も良い曲で、この2曲を聴きたくなるので通しで流します。
管理人の権限を利用して、お知らせです。
大東法学(大東文化大学法政学会)の第68号が、今月発行されました。
この中に私の「交通政策基本法の制定過程と『交通権』—交通法研究序説」が掲載されています(315~343頁)。お読みいただければ幸いです(なお、こちらも近々、PDFで読めるようになるのではないかと思われます)。
管理人の権限を利用して、お知らせです。
大東文化大学法学研究所報の第37号が、今月発行されました。
この中に私の「『基本法学概論』(法律学科2年次生用クラス別授業)の現状と課題」が掲載されています(33~37頁)。お読みいただければ幸いです(近々、PDFで読めるようになるのではないかと思われます)。
国税として消費税などの消費課税が存在するが、地方公共団体にも消費課税が存在する。従来、地方税においても個別消費税が主流であり、しかも、国税としての消費税が導入された後にも、しばらくの間、地方税としての一般消費税は存在しなかった。しかし、地方分権の推進が謳われるようになり、また、地域福祉の拡充を図る必要が高まり、地方公共団体の自主財源を拡充することを求める意見が強くなった。そこで、1994(平成6)年度税制改正の際に一般消費税としての地方消費税が都道府県税として導入されることとなり、1997(平成9)年度から施行されている※。
※これと同時に、地方譲与税は廃止されている。なお、都道府県は、地方消費税の税収のうち、2分の1を市町村に交付することとされている。
地方消費税は消費税の付加税である。これは、一つには納税義務者の申告および納付の便宜に適うという点によるものであり、一つには徴税の便宜に適うという点によるものである。そこで、都道府県税ではあるが納税申告・確定・徴収に関する事務などを国(税務署および税関)に委託する形をとり、また、納税義務者の範囲、非課税や免税の扱いなどを消費税と同一にしている。そのため、都道府県は地方消費税について実質的に地方税立法権を認められておらず、地方税行政権を行使しえない、ということになる※。
※拙稿「地方消費税再考―地方税財政権の観点から―」税制研究55号(2009年)92頁、93頁も参照。
地方消費税の課税物件(地方税なので課税客体ともいう)は、「消費税法第二条第一項第九号に規定する課税資産の譲渡等」および「同法第二条第一項第十一号に規定する課税貨物」(地方税法第72条の78)の引き取りである。前者は国内取引、後者は輸入取引であるので、消費税の場合と意義および範囲が同一である。そして、前者に対する地方消費税が譲渡割、後者に対する地方消費税が貨物割と称される(同第72条の77第2号・第3号)。
譲渡割については、本来、納税義務者は都道府県知事に中間申告および納付を行い(地方税法第72条の87)、都道府県知事に確定申告および納付を行う(同第72条の88)。また、都道府県知事は更正・決定の権限を有する(同第72条の89)。しかし、地方税法附則第9条の4以下により、「当分の間」は納税申告、確定、徴収に関する事務などを国へ委託することとなっている※。
※「32 国税としての消費税の構造」において述べたように、2012(平成24)年8月10日、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律」および「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための地方税法及び地方交付税法の一部を改正する法律」が参議院本会議で可決され、成立した。これにより、消費税とともに地方消費税は、2014(平成26)年4月および2015(平成27)年10月の2段階で引き上げられることとなったのであるが、2014年4月からは地方消費税の税率が消費税額の約27%となる。換言すれば、「課税資産の譲渡等の対価の額」(消費税法第28条第1項)の1.7%である、ということになる。同様に、2015年10月からは地方消費税の税率が消費税額の約28%となる。換言すれば、「課税資産の譲渡等の対価の額」の2.2%である、ということになる。
なお、2014年11月18日に内閣総理大臣が2015年10月実施予定の税率引き上げを2017年4月1日に延期する旨を表明した。これは、消費税法等改正法附則第18条第3項および地方税法等改正法附則第19条に基づく判断による(これらの規定は平成27年度税制改正の際に削除された)。
以上のように、消費税および地方消費税について複雑な税率が設定されたことからしても、地方税法附則第9条の4以下の「当分の間」の規定は生き続けることになるであろう。地方税法本則の第72条の87以下の規定をそのまま実行するとなれば、納税義務者にとっても都道府県にとっても煩雑さが増すばかりであることが明らかである。地方分権の理念などに照らして正しいか誤っているかは別として、本則の第72条の87以下を改正し、貨物割と同様の規定とし、譲渡割についても恒久的に、国が納税申告、確定、徴収などに関する事務を行う(あるいは、国がこれらの事務の委託を恒久的に都道府県から受ける)とすべきであろう。「当分の間」は永久的に「当分の間」であり、曖昧な性格が持続するという意味において弊害が多い。
貨物割については、地方税法第72条の100により、国が消費税の賦課徴収の例によって消費税の賦課徴収と併せて行う。申告および納付についても、消費税の申告および納付の例によって消費税と併せて行う(同第72条の101、同第72条の103第1項)。これらは、譲渡割の場合とは異なり、「当分の間」の措置とはされていない。
地方消費税の根本的な問題の一つとして、課税地と最終消費地との不一致がある。一般消費税である以上、原材料の生産、製造、卸売および小売が別々の都道府県において行われうる。ここに消費を加えてもよい。そうなると、それぞれの段階について課税団体が異なりうることにもなる。このことから、地方消費税が仕向地主義、源泉地主義のいずれに立つのかについて議論がなされることとなる。
前述の通り、地方消費税は国税たる消費税の付加税としての性格を有する。しかし、消費税が仕向地主義に立つのに対し、地方消費税については様々な議論がなされており、現在も見解の一致をみない※。この議論は、現在は都道府県に認められていない税率決定権と深い関係がある。
※堀場勇夫「地方税としての消費税」税2008年8月号6頁は「地方消費税は仕向地主義をよりどころとしている」と述べるが、このような見解はあまり多くないようである。
持田信樹教授は、源泉地主義の下において都道府県に税率決定権を与えるならば「財貨・サービスの物流や企業の立地活動を攪乱する一方、流通の中間段階の所在する安易な税率引き上げ競争が発生して、付加価値税本来の正確な税額計算ができなくなる」ため、都道府県に税率決定権を与えるのであれば仕向地原則を採用することが望ましいと述べるが、税務行政上の困難があることも認める※。また、総務省の「地方消費税勉強会報告書」は、外国の税制を参考にして日本の地方消費税についても都道府県の税率決定権を認めることは理論上可能であるとする※※。
※持田信樹『地方分権の財政学』(2004年、東京大学出版会)106頁。
※※詳細は、棚瀬誠「地方団体による多段階型の付加価値税の税率決定について―地方消費税勉強会報告書―」税2007年9月号61頁。持田・前掲書109頁、127頁(カナダ・ケベック州売上税が扱われている)、同「税源委譲こそ『三位一体』の主人公」地方税2005年4月号8頁、堀場・前掲8頁も参照。
前述の問題を解決するため、都道府県間の清算が必要となる。
地方税法第72条の114第1項は、各都道府県が、当該都道府県に納付された譲渡割額に相当する額、および貨物割の納付額の合算額に相当する額から国に支払った貨物割の徴収事務費に相当する額を控除した額※を、都道府県ごとの消費に相当する額※※に応じて按分し、その按分した額を他の都道府県に支払うことを規定する。この按分額は、当該都道府県から他の都道府県に支払われるものと、他の都道府県から当該都道府県に支払われるものとの両方が存在することにあるが、これらは相殺することとされている(同第2項)。
※但し、地方税法附則第9条の15により、当分の間は「第72条の103第3項の規定により払い込まれた貨物割の納付額及び附則第9条の6第3項前段の規定により払い込まれた譲渡割の納付額から同項後段の規定により他の道府県に支払うべき金額を減額し、他の道府県から支払を受けるべき金額に相当する額を加算して得た額」とされている。
※※地方税法第72条の114第3項により、都道府県の小売年間販売額、およびこれ以外の消費に相当する額を指すとされている。
ジャズを聴きたくなった時によく選ぶCDは、幻の名盤とも言われたものです。
Walter Bishop Jr. Trio, Speak Low
私が購入したのはHQCDのM2CB-1179です。1曲目のSometimes I'm Happyから「これはいいぞ!」という気分になれます。一聴の価値あり、そして長く手元に置いておけます。
(以下は「待合室」第492回として、2012年8月25日から同年9月6日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)
豊橋駅に隣接する新豊橋駅から、豊橋鉄道渥美線を利用し、渥美半島のほぼ中央にある田原市の三河田原駅まで行きました。何と言っても元東急7200系の1800系に乗れたことがうれしかったのですが、これについては第481回「豊橋鉄道で懐かしい顔に会った」で取り上げております(ブログに再掲載しております。http://lapis-platz.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/7200_1d32.html、http://lapis-platz.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/7200_e782.html、およびhttp://lapis-platz.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/7200_d39e.html を御覧下さい)。また、三河田原駅周辺についても、近いうちに取り上げたいと考えています。
終点の三河田原駅から豊橋鉄道渥美線で新豊橋に戻りました。ここで豊橋駅前の様子を少しばかり見ておこうと思います。
愛知県は尾張と三河に大別されます。名古屋市は尾張のほうにあり、豊橋は三河の代表的な都市です。江戸時代には吉田といい、東海道の宿場町として栄えました。豊橋と名を改められたのは明治時代になってからのことです。現在は中核市(地方自治法第252条の22以下)の一つとなっています。フォルクスワーゲン・ジャパンの本社があることでも有名です。
上の写真では、道路の中央に線路が敷かれていることがおわかりになるでしょう。ここには路面電車が走っています。豊橋鉄道東田本線で、豊橋駅前から市内の赤岩口、運動公園前までの路線です。
東海地方には、ここ豊橋の他、名古屋市、岡崎市、岐阜市などに路面電車が走っていました。名古屋市電など、多くの路面電車は20世紀中に廃止されましたが、名鉄岐阜市内線・田神線・美濃町線は2005年まで走っていました。現在は豊橋市のみで見ることができます。
しかも、東田本線は、20世紀も終わりに近い1998年に、ほんの僅かの距離ではありますが延長しています。上の写真は駅前駅という名称の駅、というより停留所ですが、この駅が移転したことにより、150メートルほど距離が伸びた、ということです。もっとも、1973年、この先の市民病院前までの区間が廃止されています。
茶色の車体の路面電車は、名鉄から譲り受けたモ780形の782号です。VVVF制御車で、名鉄時代は岐阜市内線と揖斐線(2005年廃止。こちらは鉄道線)で運用されていました。
名鉄の600V線区であった岐阜市内線、田神線、美濃町線、そして揖斐線が廃止されて、それらの線区で運用されていた車両の多くが、名鉄系列の豊橋鉄道、やはり名鉄系列であった福井鉄道へ移っています。豊橋鉄道には、モ780形の他、モ800形が譲渡されました。
今回は「名古屋市営地下鉄・名古屋鉄道(その3)」と銘打っているのですが、上の写真はJR東海の車両です。前回にも記しましたが、豊橋駅から平井信号場(JR飯田線の下地駅と小坂井駅との間、名鉄名古屋本線の豊橋駅と伊奈駅との間)までは、JR東海と名鉄が線路を共用しています。豊橋駅では、1番線と2番線がJR飯田線、3番線が名鉄名古屋本線となっています。
飯田線は豊橋から、長野県の辰野駅までの路線です。実はまだ利用したことがないのですが、今回は乗らないこととしました。
213系のクモハ213形5000番台です。211系によく似ていますが、扉の数が異なるなど、全く別の形式です。元々は関西本線の名古屋駅から亀山駅までの間で運用されていましたが、飯田線専用であった119系に代わり、飯田線で運用されています。
なお、名鉄との共用区間である豊橋駅~平井信号場には、船町駅と下地駅があります。飯田線の普通電車はこの両駅に停車しますが(一部通過するものもあります)、名鉄名古屋本線の電車は両駅に停まりません。
さて、豊橋駅3番線から特急に乗り、名鉄岐阜駅を目指します。上の車両は「パノラマsuper」の愛称で親しまれている1000系の仲間です。おそらく1200系か1230系であると思うのですが、名鉄の車両には正面に車体番号が書かれていない場合も多いので、見ただけでは系列がわからないことも少なくありません。1200系、1230系、1800系は、いずれも正面の形が同じなので、側面を見て確認するのが手っ取り早いということになります。
方向幕が回転している間に撮影したので、行き先が日本最大の無人駅である豊明になっています。こんな特急電車の運行はないはずです。そもそも、特急は豊明を通過します。
方向幕が鳴海の位置にある時に撮影しました。この特急電車は名鉄岐阜行きですので、まだ回り続けます。ちなみに、鳴海には一部の特急が停車します。
豊橋を発車すると、国府(「こう」と読みます)、東岡崎、知立、神宮前、金山、名鉄名古屋、国府宮(「こうのみや」と読みます)、名鉄一宮、新木曽川、笠松、名鉄岐阜の順に止まります。
終点の名鉄岐阜駅で降りました。ここで駅の周辺を歩き、写真を撮ろうと思ったのですが、連休中とは思えないほど、駅前には人の姿が見当たりません。いや、少々大げさかもしれませんが、岐阜市の中心街が廃れているという話はどうやら本当のようです。有名な柳ケ瀬まで歩いてみようかとも思ったのですが、それ以前に、名鉄岐阜駅の駅ビルに入っているLOFTの1階を見ると、驚くほどに客の数が少ないのです。片手で数えられるくらいでしょうか。単純に「客がいない」と言ってもよく、首都圏のLOFTでは考えられないくらいです。私は東急ハンズのほうによく入るのでLOFTを利用することはほとんどありませんが、それでもここまで「客がいない」LOFTは見たことがありません(と言っても、渋谷と二子玉川と福岡天神くらいしか知りませんが)。ちなみに、2005年に駅名が新岐阜から名鉄岐阜に改められますが、まだ新岐阜駅であった時代にはダイエーがあったそうです。また、名鉄岐阜駅のそばにパルコもあったそうですが、閉店しています。
市内中心部を歩く気が失せてしまいました。柳ケ瀬などを周るのは機会を改めてから、ということにして、各務原(かかみがはら)線に乗ります。
名鉄岐阜駅は名鉄名古屋本線と各務原線の終点ですが、名古屋本線は高架、各務原線は地上で、改札口は全く別です。名古屋本線の側には多くの乗降客が見受けられますが、各務原線のほうは少ないようです。大手私鉄で最も輸送密度が低いのは名鉄であるという事実は後で知りましたが、今回、名鉄の名古屋本線、三河線、豊田線、各務原線、犬山線、小牧線を利用してみて、少しばかりではありますが納得しました。
6番線に犬山行きが停車しています。これに乗ることとしました。またも系列がわからないのですが、2両編成ですので、6800系か3100系か、というところでしょう。奥に停車しているのは2代目の5000系です。
各務原線は名鉄岐阜から新鵜沼までの路線ですが、犬山線の犬山まで走る系統が多いようです。
5000系が停車している場所には7番線のホームがありました。2005年まで、この駅から田神線を経由して美濃町線に直通する電車が走っていたのです。路面電車が各務原線を走っていた訳で、美濃町線と田神線を走る車両は全て複電圧車でした。各務原線が1500V線区であるのに対し、美濃町線と田神線が600V線区であったためです。
それにしても、よくぞ複電圧車など、コストが高い車両を投入してまで美濃町線と田神線、そして岐阜市内線を運行したものだと思います。映像で見ただけですが、岐阜市内線や美濃町線の電停の多くは、道路の上にあるというのに安全地帯が設けられておらず、利用者は危険にさらされていました。おまけに、本来ならば道路交通法で自動車の軌道乗り入れは禁止されているはずなのに、岐阜県内では自動車が軌道を通行することが容認されていました。さらに加えるならば、田神線は単線、美濃町線の大部分も単線で、タブレット交換をしていました。岐阜市も岐阜県警察も、長らく路面電車には敵対的であったと言われており、それが安全地帯の未設置や自動車の軌道走行の許容につながっています。その中で何十年も岐阜市内線、美濃町線および田神線を運行してきたのです。
2代目5000系を撮影しました。ステンレス製の車体で新品に見えますが、実は1000系の余剰車を改造した車両です。名鉄には廃車となる車両の機器を流用して製造された車両が少なくありませんが、2代目5000系もその一つです。正面のスタイルが東急3000系や都営6300形に似ています。
各務原線に乗りました。新鵜沼から犬山線に入り、かつては道路の上をパノラマカーや特急北アルプスなどが走ることで有名であった犬山橋を越えると、岐阜県から愛知県に入ります。犬山遊園駅を過ぎると、犬山駅に到着します。
上の写真は、この犬山から新可児を経由して御嵩までの路線である広見線での運用についている5700系か5300系です。通勤用車両でありながら2扉で転換クロスシートを備えています。豪華とも言えますが、名鉄は自家用車との競争を常に念頭に置いており、6000系が登場するまでほとんどの通勤用車両が5700系や5300系と同じような仕様でした。見方を変えれば、通勤用車両でありながら2扉でよいのですから、いかに輸送密度が低いかということを車両が証明しているようなものであるとも言えます。
実は名鉄広見線も存廃問題に揺れています。現在、同線の運行は犬山~新可児と新可児~御嵩に分かれており、新可児~御嵩のほうが廃止される可能性もあるのです。この区間の途中にある明智駅から八百津線が分岐していましたが、八百津線が2001年に廃止され、それが広見線の新可児~御嵩の利用者の減少にもつながっているようです。また、2001年には、八百津線の他、谷汲線(黒野~谷汲)、竹鼻線の一部(江吉良~大須)および揖斐線の一部(黒野~本揖斐)も廃止され、JR高山本線に乗り入れる特急北アルプスも廃止されました。
かつて、2001年か2005年まで、名鉄の路線総延長は近鉄に次いで2位でした。しかし、現在は東武が2位であり、名鉄は3位となっています。これは、そもそも名古屋鉄道が多くの閑散路線を抱えていたという事情に端を発し、21世紀に入ってから次々に路線が廃止されたことによるものです。2004年には三河線の猿投~西中金と碧南~吉良吉田が廃止され、2005年には岐阜市内線、田神線、美濃町線および揖斐線が全廃され、2008年にモンキーパークモノレール線が廃止されています。現在も、上に記した広見線の新可児~御嵩の他、蒲郡線(蒲郡~吉良吉田)、西尾線の一部(西尾~吉良吉田)についても存廃問題が生じています。
名鉄は、これまでにもいくつもの路線を廃止しています。たとえば1964年には岩倉支線(岩倉~小牧)、1965年に一宮線(岩倉~東一宮)、1973年には挙母線(大樹寺~上挙母)が廃止されています。1999年に美濃町線の新関~美濃町が廃止されてから、廃止が加速されたと見ることも可能でしょう。
名古屋市営地下鉄の7000形が犬山駅に停車していました。平安通~上飯田のわずか800メートルほどという、公営の地下鉄では最も営業距離が短い上飯田線の車両で、名鉄小牧線に乗り入れ、この犬山駅まで走ります。名鉄にも小牧線および上飯田線用の300系がありますが、今回は撮影していません(見ることができなかったのでした)。
犬山駅で、再びポケットモンスター映画15周年のステッカーが貼られた2200系を見ました。豊橋駅で見たのと同じ編成のようです。犬山線は名鉄のドル箱と言うべき路線でもありますので、名古屋本線などへの直通電車も多く運転されています。また、名古屋市営地下鉄鶴舞線からの直通電車も到着します。
名鉄小牧線は上飯田から犬山までの路線ですが、名古屋市営地下鉄上飯田線の平安通から上飯田を経て名鉄小牧線の味鋺(あじま)までは上飯田連絡線株式会社が施設を保有する第三種鉄道事業者で、平安通から上飯田までは名古屋市交通局が第二種鉄道事業者、上飯田から味鋺までは名古屋鉄道が第二種鉄道事業者となっています。また、上飯田線については名古屋市交通局が名鉄に業務を委託しているため、上飯田での乗務員交代はありません。
上飯田線が開業したのは2003年です。それまで、小牧線はこの犬山駅以外で他の路線との接続がなく、とくに上飯田駅は、名古屋市内の始発駅であるにもかかわらず、地下鉄の駅からも離れた所にあったため、不便な路線でした。このようになったのは1971年からで、実に30年以上、孤立したようなターミナルであった訳です。岩倉支線が廃止されていなければ、小牧線の名古屋市中心部へのアクセス機能がもう少し高かったでしょう。時代を読み誤ったのか、別の理由によるのかは不明ですが、問題の残る選択であったことは確かです。そして、小牧線の利便性の悪さは、小牧市にある桃花台ニュータウンにも影響を及ぼしました。桃花台新交通桃花台線が廃止されたことの原因の一つが小牧線にあった、とも言えるのです。
長らく名鉄が小牧線の起点を上飯田としていた理由はよくわかりませんが、他の大手私鉄であったら延長計画を立てたりしていたのではないかと思います。上飯田から、JR中央本線、名鉄瀬戸線、名古屋市営地下鉄名城線の乗換駅である大曽根までは、それほど離れている訳ではありません。名城線で、大曽根は平安通の次の駅です。現在も孤立路線として残る瀬戸線と接続させることを名鉄が考えていなかったとすると、その理由がわかりません。実現できるかどうかは別として、計画、あるいはその前の構想くらいは立てていなかったのでしょうか。
そして、上飯田線が開業したとはいえ、小牧線のアクセスが劇的に良くなった、とは言い難いのも事実です。平安通という駅での接続が中途半端であるように思えます。本来なら大曽根までの路線とすべきであったことでしょう。また、上飯田から平安通までは1キロメートルに達しないのですが、名古屋市交通局の路線となっているので、この区間だけ別の会社の運賃が上乗せされる形となります。名古屋市営地下鉄の初乗りは200円です。平安通で名城線へ乗り換える客が多いのであれば、それほど問題にはなりませんが、抵抗感がないとも言えません。さらに記すならば、上飯田線・小牧線と名城線とでは線路の幅が異なり、集電方式まで異なるので、直通運転ができません。そのため、栄、金山方面などに向かうには、乗り換えが必要です。
2代目3500系が停車しています。1993年に登場したVVVF制御車で、3扉のロングシートとなっています。準急の中部国際空港行きとなっていますので、ここから犬山線、名古屋本線、常滑線、空港線を走り抜けるということです。
さて、ここから名古屋に戻ります。犬山線のほうが速いかもしれませんが、今回は小牧線を使い、平安通に出て、名城線に乗り換え、栄に向かうこととしました。小牧駅から小牧原駅にかけて残っている桃花台新交通線桃花台線の跡を見たい、という気持ちもあったためです。
(以下は、「待合室」第491回として、2012年8月18日から同月25日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)
名古屋市の中心部で宿泊し、朝を迎えました。利用したホテルは、地下鉄の丸の内駅と伏見駅の間にあり、どちらから歩いても近い場所です。ただ、丸の内駅の場合、桜通線を利用するには便利ですが、鶴舞線に乗るにはやや不便な構造です。そこで、伏見駅から鶴舞線に乗り、終点の赤池で降りてみることとしました。
鶴舞線は、名古屋市西区にある上小田井駅から日進市にある赤池駅までの路線です。上小田井から名鉄犬山線に、赤池から名鉄豊田線に乗り入れます。沿線には大学が多いようです。
上の写真は、名古屋市交通局に所属する3050形です。鶴舞線が全通して名鉄犬山線との直通運転を開始した1993年に登場しました。VVVF制御車で、桜通線の6000形と基本設計を同じくしているとのことですが、運転台の位置が違っているためか、全く違う車両のような印象を受けます。
赤池駅から先は名鉄豊田線となります。鶴舞線には赤池止まりの電車もありますが、多くは名鉄豊田線に直通し、豊田市まで走ります。正確に記すならば、名鉄豊田線は赤池から、豊田市の一つ手前の梅坪駅までの路線で、梅坪から豊田市までは名鉄三河線です。
赤池駅の改札を出て、外に出てみました。典型的な郊外のニュータウンの駅という印象を受けました。その中で、上の写真にある幟が珍しく、興味深いものであったため、撮影してみました。
背景などは全くわかりませんが、行政指導を求める内容が書かれた幟は珍しいと思われます。私が見かけるのは、たいてい、「●●反対!」という類のものです。それに、表立って行政指導を地方公共団体に求めることも、ほとんどないはずです。
名鉄豊田線に乗るため、赤池駅に戻ります。上小田井行きの3050形が2番線・3番線に停車していました。
名鉄豊田線の電車に乗ります。もっとも、実際に乗ったのは名古屋市交通局の3000形か3050形でした。ニュータウンなのか否かなのかわからないような風景の中を、かなりの高速で走り抜けます。北海道の千歳線を思い起こさせるような風景もありました。それ以上に気になったのは、車両が悪いのか路盤が悪いのかわからないのですが、揺れが激しかったことです。
梅坪から三河線に入り、豊田市に到着します。さすがはトヨタ自動車の本拠地で、首都圏で言えば多摩センター駅周辺か立川駅周辺の雰囲気に似ています(聖蹟桜ヶ丘駅周辺にも似ているかもしれません)。とにかくビルが目立ち、郊外型の施設も目立ちます。豊田線や三河線の電車に乗ると、車窓が急に変わるのです。
豊田市という市名は、トヨタ自動車に由来するそうで、本来は、豊田市の次の駅の上挙母(うわごろも)が示すように挙母(ころも)と言いました。実際に、市制が敷かれた際には挙母市という名称でしたが、1959年に豊田市と改められています。
企業などの名称に由来する地名は、日本では少なくありません。駅名も同様で、鶴見線の駅の多くは企業名か企業人の氏名に由来しています。東京であれば王子駅と恵比寿駅が代表です。しかし、さすがに地方公共団体の名称となるとほとんどありません。企業名に由来するのは、現在のところ豊田市のみで、他に宗教(法人)に由来する天理市があるくらいです。
豊田市で名鉄三河線のワンマン運転2両編成と乗り換えました。三河線は、長らく西中金から吉良吉田までの路線でしたが、西中金~猿投(さなげ)と碧南~吉良吉田が廃止されています。また、名古屋本線との乗換駅である知立で系統が分断されており、知立~猿投が山線、知立~碧南中央が海線とも言われています。
しばらくして、知立に着き、名古屋本線に乗り換えます。上の写真は、犬山線に乗り入れる新鵜沼行きの普通電車として運用される6000系の2両編成です。1976年にデビューした6000系は、名鉄では古参となってしまいました。当時、名鉄には2扉車ばかりで3扉車がほとんどなく、オイルショック後にはラッシュ時を中心に輸送力不足となったために東急から3700系を購入して急場をしのいだという逸話もありました。首都圏や京阪神地区ではほとんど考えられないことです。
また、名鉄は大手私鉄ですが、編成の短さが非常に目に付きます。私は、これまで、大手私鉄の主要な路線には全て乗っていますが、本線でも2両編成がよく走るというのは名鉄名古屋本線と西鉄天神大牟田線くらいしか思いつきません。しかも、西鉄天神大牟田線の場合は甘木線との直通運転を行うワンマン運転の2両編成であり、宮の陣~大牟田で走っていますが、西鉄福岡(天神)~宮の陣では最も短いものでも4両編成です。名鉄名古屋本線の場合は、名鉄名古屋駅を通る電車であれば4両編成が多いようですが、2両編成もあるとのことです。
知立から特急に乗りました。終点の豊橋に着き、撮影したのが上の写真です。特急用の2200系で、中部国際空港開業に合わせ、空港線に直通する特急のために製造された車両です。ミュースカイという愛称のある2000系とほぼ同時に、2005年に登場しました。2000系は全車が特別車(特急料金を必要とする)ですが、2200系は一般席の車両も連結されています。
私が乗った編成は、ポケットモンスター映画15周年のステッカーが貼られたものでした。東京でも見かけないようなものでしたが、すぐに、全日空の筆頭株主が名鉄であることを思い出しました。
名鉄は、大手私鉄の中でも変わっている点が多い、というのが私の印象あるいは感想です。編成の短さもそうですが、この名古屋本線の営業区間も、非常に変わっているのです。
名古屋本線は豊橋~名鉄岐阜の路線ですが、このうちの豊橋~平井信号場(伊奈駅の手前にある信号場)はJR飯田線と線路を共用しており、この区間の途中にある船町駅と下地駅に、名鉄の電車は停車しません。豊橋駅も、飯田線と同じホームを利用しているような感じとなっており(番線は別です)、改札も共通です。
上に記した事情のため、名古屋本線の普通電車は豊橋~伊奈を走りません。従って、豊橋~伊奈を走るのは快速特急、特急および急行のみとなっています。伊奈には(一部の時間帯を除いて)急行しか停まりませんので、日中は30分に1本という間隔となります。これはかなり不便であるように思われるのですが、どうなのでしょうか。
名鉄名古屋本線とJR東海道本線は完全に競合しており、激しい競争を繰り広げているはずです。しかし、JR東海は利便性を高めるなどして名鉄から乗客を奪っており、とくに名古屋~岐阜では、名鉄名古屋本線の線形が悪いこともあってJR東海が優位に立っています。そのJR東海と名古屋鉄道が、このように線路を共用するというのも、歴史的な流れがあるとは言え、不思議な話でもあります。
(以下は「待合室」第490回として、2012年8月11日から同月18日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)
2012年の5月2日午後から4日まで、名古屋に滞在しました。それまで、名古屋市を訪れたことがなかったので、機会をうかがっていました。これまで、新幹線で、あるいは車で、名古屋を通ったことは何度もあるのですが、通過するだけでした。これではいけないと思い、連休を利用して、東京駅から東海道新幹線に乗り、名古屋駅で降りることとしました。そして、名古屋市営地下鉄の全線と名古屋鉄道の本線などに乗り、写真、動画の撮影を楽しんできました。
今回は、5月2日に撮影した写真を掲載します。いずれも名古屋市営地下鉄の路線の写真となります。
名古屋市は、日本で3番目に地下鉄が開業した都市です。東京メトロの銀座線と大阪市営地下鉄の御堂筋線は第二次世界大戦より前に開業していますが、その他の路線は全て戦後の開通です。名古屋市では、まず東山線が開業しています。当初からカルダン駆動の車両が活躍しており、吊り掛け駆動の車両は運用されていません。
現在の東山線は高畑から名古屋、栄、千種を経由して藤が丘までの路線で、第三軌条方式を採用しています。建設費の負担を減らすためなのか、建築限界が厳しく設定されているようで、銀座線の車両と比べても小型であることが特徴です。そのせいもあってかなり激しい混雑となります。
上の写真は藤が丘で撮影しました。地上区間の少ない名古屋市営地下鉄ですが、東山線の一社駅と上社駅の間から藤が丘駅までは高架区間となっています。
上の写真の右側が5050形で、1992年に登場したVVVF制御車です。左側は5000形で、1980年に試作車が登場し、1982年から量産車が投入されています。東山線で初めての冷房車ですが、撮影日の時点で既に廃車となっている編成もあり、2015年に全廃となりました。東山線にホームドアが設置されることが、廃車の理由の一つともなっています。
5050形の6両編成は、藤が丘工場のほうに向かって走りました。後に高畑行きとなって、向こう側のホームに到着します。
5000形の高畑行きが発車しました。線路と線路との間に第三軌条があるのがよくわかります。この第三軌条から集電して走るという訳です。台車に集電靴があるので、走行中に何度もカチッというような音が鳴ります。
第三軌条方式は地下鉄で見られる集電方式ですが、日本では主に古い路線で採用されています。最も多いのが大阪市営地下鉄で、御堂筋線、谷町線、四つ橋線、中央線、そして千日前線が第三軌条方式です。この他、東京の銀座線と丸ノ内線、横浜市営地下鉄ブルーライン(1号線および3号線の総称)、札幌市営地下鉄南北線、そして名古屋市営地下鉄の東山線と名城線と名港線が第三軌条方式です。
また、東京メトロを除く大手私鉄で第三軌条方式を採用する唯一の例が近鉄けいはんな線です。これは大阪市営地下鉄中央線との直通運転を行うためです。
なお、第三軌条の場合の電圧は、東京と名古屋が直流600V、その他が直流750Vです。また、中央案内軌条式を採用する札幌市営地下鉄南北線を除き、レールの幅が全て標準軌の1435mmとなっています。
藤が丘から東山線に乗り、本山で名城線に乗り換えました。上の写真は、本山か新瑞橋で撮影しました。名城線と名港線で使用される2000形で、1989年に登場しています。
方向幕に「右回り」と書かれています。山手線や大阪環状線では外回り、内回りと言われますが、名城線ではこの表現ではなく、右回り、左回りという言い方を使います。日本では珍しいのですが、実はこちらのほうがわかりやすいとも評価されています。
名城線は、名古屋市営地下鉄の2号線と4号線から構成されます。本来、大曽根から栄を経由して金山を通り、名港線の終点である名古屋港までが2号線であり、金山から新瑞橋を経由して大曽根までは4号線です。実際、長い間、名城線は大曽根⇔栄⇔金山⇔名古屋港であり、その他の区間は4号線と呼ばれていました。しかし、4号線の名古屋大学⇔新瑞橋が開業して環状線が完成し、環状運転を行うということで、2号線の大曽根⇔栄⇔金山と4号線の大曽根⇔新瑞橋⇔金山が一体化されて名城線、2号線の金山⇔名古屋港が名港線となりました。
なお、名城線、名港線のいずれも、営業運転区間に地上区間はありません。
新瑞橋で桜通線に乗り換え、終点の徳重まで乗りました。ホームドアが設置されています。上の写真は6000形で、同線ではこの6000形と6050形が運用されています。桜通線の全駅は島式ホームで、常に進行方向右側の扉が開くため、6000形および6050形の運転席も右側に置かれています。
ホームの先端には運転士用のモニターがあります。桜通線ではワンマン運転が行われているためです。
他の路線との直通運転はありませんが、桜通線は第三軌条方式ではなく、架線集電方式を採用しています。レールの幅も1067mmです。これらは鶴舞線に合わせたものとなっています。
今回の写真では唯一、名古屋鉄道の車両が登場します。100系です。鶴舞線の丸の内駅で撮影しました。行先が名鉄犬山線の柏森駅となっています。
鶴舞線は上小田井⇔赤池の路線で、上小田井から名鉄犬山線に、赤池から名鉄豊田線に直通運転します。赤池は日進市にある駅で、名古屋市営地下鉄では唯一、名古屋市にない駅ということになります。
最後に、東山線に戻り、西の起点である高畑駅で撮影したN1000形です。2007年に登場しており、5000形を置き換える形となっています。利用客の多い東山線ですが、時間帯のためなのか、名古屋から高畑までは比較的空いていました。
戸越銀座駅が模様替えしていました。なかなか面白いデザインです。
こちらは大崎広小路、五反田方面の2番線につながる駅舎です。最初見た時には何処の店かと思いました。駅名の上にあるシンボルマークは日本の老舗の紋あるいは社章に似ていますし、御丁寧に暖簾がかけられています。ちなみに、この駅は商店街の途中にあります。
奥のほうに写っているホームの屋根に御注目を。
こちらは旗の台、雪が谷大塚、蒲田方面の1番線につながる駅舎です。暖簾がかけられているのは2番線側と同じですが、デザインは洋風というところでしょうか。
2番線のホームの屋根と壁は木目調です。いや、これは不正確な表現です。東急では「木になるリニューアル」としており、本物の木材が使われています。ちなみに木は多摩原産とのことです。
こちらは1番線のホームです。支線の小駅に、随分と粋なことをするものです。
2002年から田園都市線で活躍している5000系には、混雑対策として、10両編成中の4号車、5号車および8号車に6扉車が組み込まれていました(そうでない編成もあります)。しかし、ホームドア設置を進めるため、ということで、2016年1月から、6扉車が4扉車に置き換えられています。現在、6扉車が残るのは2編成くらいです(正確に把握している訳ではありません)。そのうちの1編成から、6扉車を撮影してみました。5108Fの8号車、サハ5808です。
この6扉車も、今年中には消滅するかもしれません。かなり速いペースで置き換えられているためです。ただ、既に全駅でホームドアが採用されている目黒線とは比較にならないとしても、東横線や大井町線と比べるならば、田園都市線でのホームドア設置は遅れています。たとえば、東横線では渋谷駅、代官山駅、中目黒駅、学芸大学駅、都立大学駅、田園調布駅、新丸子駅、武蔵小杉駅、元住吉駅、大倉山駅、反町駅および横浜駅に、大井町線では大井町駅、緑が丘駅、尾山台駅、溝の口駅に、ホームドアが設置されています。これに対し、田園都市線では宮前平駅のみです。6扉車の全廃で加速される可能性はあります。