ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年3月6日、つきみ野駅

2020年01月20日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第475回:「東急田園都市線途中下車(21) つきみ野駅」(2012年3月6日撮影、2012年4月24日〜5月1日掲載)

 いずれも、写真撮影日は2012年3月27日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。

 

 現在、東急で最長の路線が田園都市線ですが、その区間は何度も変更されています。大井町線であった大井町~溝の口が田園都市線と改称されたのは1963(昭和38)年10月11日のことで、1966(昭和41)年4月1日に溝の口~長津田が開業し、田園都市線は大井町~長津田の路線となります。しかし、これで終わりません。その後は次のように変化します。

 1968(昭和43)年4月1日:長津田~つくし野が開業。田園都市線は大井町~つくし野となる。

 1972(昭和47)年4月1日:つくし野~すずかけ台が開業。田園都市線は大井町~すずかけ台となる。

 1976(昭和51)年10月15日:すずかけ台~つきみ野が開業。田園都市線は大井町~つきみ野となる。

 1977(昭和52)年4月7日:渋谷~二子玉川園が新玉川線として開業。

 1979(昭和54)年8月12日:大井町~二子玉川園(当時)が大井町線となる。これにより、田園都市線は二子玉川園~つきみ野となる。

 1984(昭和59)年4月9日:つきみ野~中央林間が開業。これにより、田園都市線が全通し、二子玉川園~中央林間となる。

 2000(平成12)年8月6日:新玉川線を田園都市線に統合する。これにより、田園都市線は渋谷~中央林間となる。

 このように見ると、長津田~中央林間の開業にかなりの時間が必要とされたことがわかります。そして、同区間内の各駅は、南町田を除いて全て終着駅であった経歴を持っていることも明らかです。

 第20弾はあざみ野駅で、その段階で横浜市青葉区にある藤が丘および青葉台が残っているのですが、第21弾となる今回はこの2駅を通過し、さらに町田市内にあるつくし野、すずかけ台および南町田も通過し、大和市に入って最初の駅、つきみ野駅を取り上げます。

 つきみ野駅です。つくし野と間違えそうな名前ですが、つくし野の駅ナンバリングはDT23、長津田の次で町田市にあるのに対し、つきみ野の駅ナンバリングはDT26、終点である中央林間の一つ手前で大和市にあります。

 この駅の所在地は神奈川県大和市つきみ野五丁目ですが、勿論、古くからある地名ではありません。建設当時、辺りには月見草がたくさん咲いていたそうで、そこから「つきみ野」と名付けられました。

 つきみ野駅は急行も準急も通過し、しかも田園都市線で最も乗降客の少ない駅ですが、それにしては立派な駅舎です。東急の各駅の中でも、とくに屋根に特徴があります。高さはそれほどでもないのですが、幅が広いのです。改札口、および自動券売機コーナーと比較すると、大きさがわかります。

 前に記したように、この駅は1976年10月15日に開業しました。それから1984年4月8日まで、およそ7年半の間は田園都市線の終着駅でした。私が最初にこの駅を利用した時期をよく覚えていないのですが、1980年以降であったと記憶しています。中学生時代であったはずです(1984年に高校に入学しています)。当時、この駅は一つしかホームがなく、電車の本数も両数も少なく、まだほとんど開けていないような所でした。現在の2番線が、開業時に使われていたホームです。

 駅舎の下にホームがありますので、掘割の構造になっています。上の写真は、2枚目とは逆の、中央林間駅の方向をとらえたものです。この先で地下に入ります。周辺には多くの住宅が建ち並ぶようになりました。

 駅舎の前は広場となっています。田園都市線では幾つかの駅で見られますが、バス停などが置かれていないのは珍しいと言えます。長津田~中央林間という区間の中間駅は、第二の田園調布を狙っていたような印象を受けるのですが、とくにこの駅はその傾向が強くうかがわれます。しかし、実際には田園調布とは似ても似つかないような街になっています。

 奥のほうにバスターミナルがあります。田園都市線の長津田~中央林間には東急バスの路線がなく(何年か前まで長津田駅前には通っていましたが)、神奈川中央交通の営業領域となっています。

 駅前には商店があまりありません。その代わり、少し離れた所にロードサイド型の商業施設が並びます。これは南町田駅周辺と共通しています。つきみ野駅の裏のほうに八王子街道が通っており、下鶴間交差点付近まで、そのような店舗が並んでいます。また、この交差点から中央林間駅方面に進むとイオンつきみ野店があります。

 つきみ野駅前を通るこの道路は、幅の広いほうですが、国道246号線には出ないようです。県立大和高校やイオンつきみ野店に向かうことができますが、どちらも駅からは離れています。しかし、この辺りは自動車社会なのでしょう。通行量も多いようです。もっとも、地形の関係で、車では走りにくい道路もあります。

駅の裏側、八王子街道のほうへ出てみようと思いました。右側が駅です。左側は東急ドエルつきみ野ビレジで、何棟かの建物からなっています。

 つきみ野駅の駅舎を裏側から撮影してみました。特徴のある屋根はこちら側からでもよくわかります。

 掘割式の駅で、ちょうど電車が止まっている2番線が、開業時からのホームです。現在は上りホームとなっています。右の電車は東武の50050系で、ここから埼玉県の久喜駅か南栗橋駅まで走ることがあります。2003年、当時の営団半蔵門線の水天宮前~押上が開通し、東武伊勢崎線・日光線との相互乗り入れが始まったのですが、10年ほど前まで、まさかここに東武の電車が走るようになるとは思ってもいなかったのです。

 田園都市線の場合、原則として全ての電車が東京メトロ半蔵門線に直通します。東京では相互乗り入れが当たり前のようになっていますが、田園都市線・半蔵門線ほど徹底した路線は他にありません。 これに近いのが東急目黒線と京王新線でしょうか。ただ、京王新線は複々線区間の一部に付けられた通称にすぎません。

 駅ナンバリングの導入に伴い、駅名標も変えられています。基本的なデザインは変わっていないのですが、東急各線に共通していた赤から、路線ごとに割り当てられた色に変えられています。田園都市線はライトグリーンです(5000系の側面の帯にも採用されています)。

 また、もう一つ、目立つ変更点があります。駅ナンバリング導入前の駅名標では、中央の上のほうは大きな文字は駅名の平仮名表記で、下のほうに正式の駅名が書かれていました。これに対し、駅ナンバリングの導入後は、中央の上のほうに大きな文字で正式の駅名を示し、下のほうに平仮名表記を示しています。

 つまり、以前の駅名標では中央の上のほうにある大きな文字が「つきみの」で、正式の駅名である「つきみ野」は下のほうに書かれていたのですが、現在は逆転しています。上の写真を御覧下さい。

 田園都市線の車窓からも見えるヤマダ電機大和店です。青葉台駅付近の国道246号線には2つも店舗がありますが、その2つよりもこの大和店のほうが先に営業を始めたのではないかと思われます。少なくとも、かつてドイト青葉台店であったNew青葉店よりも前から営業しています。

 その隣のコメダ珈琲店は愛知県を地盤とするチェーン店ですが、最近では関東地方にも積極的に進出しています。田園都市線の沿線では江田、長津田にもあり、また、こどもの国駅の近くにもあります。川崎市では武蔵中原駅付近と向ヶ丘遊園駅前にあります。私は武蔵中原の店にしか入ったことがないのですが、ヴォリュームに驚かされました。中原街道と南武沿線道路との交差点のそばにあり、以前はガソリンスタンドでした。

 そういえば、最近はガソリンスタンドが少なくなっておりまして、私が住んでいる溝口でも数年前に1店が営業をやめ、長らく空き地となっていました。また、私の実家の近所(但し、最も近い場所ではありません)にあったガソリンスタンドも、いつの間にか営業をやめ、2月にはコンビニエンスストアになっていました。

 脇道にそれましたが、この八王子街道の沿いに、大規模店などの商業施設が並んでいます。右のほうへ進むと下鶴間交差点、さらに国道246号線との目黒交差点で、横浜市瀬谷区に入ります。逆に左のほうへ進むと、国道16号線に合流して相模大野駅のそばを通り、相模原市に入ります。

 今回もCanon EOS Kiss X5を使ってみました。まだまだ使いこなせていません。

 そして残る駅は、あざみ野、藤が丘、青葉台、つくし野、すずかけ台、南町田、中央林間です。今年中に全て取り上げたいと考えています。


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