管理人の権限を利用して、おしらせです。
日本評論社から『新・判例解説Watch』22号が刊行されました。
この中に、私の「任意組合の持分の譲渡による所得」が掲載されています。
御一読をいただければ幸いです。
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(以下は、あくまでも仮の講義ノートです。私の「川崎高津公法研究室」に掲載予定の「租税法講義ノート〔第3版〕」においては修正・変更もありえます。)
1.租税法律主義の意義
租税法律主義は、民主主義の根幹を成し、自由主義を経済的に担保する原則である。新井隆一教授によれば、租税法律主義は「私有財産制度の基礎に立つ個人の絶対的財産権に対する国の侵害を、個人の社会的・政治的・経済的自由を保障するために、法律に留保しようとする要請に基づいて生じたものである、ということができる。それゆえ、租税法律主義は、罪刑法定主義とともに、法における近世自由主義思想の一表現である、とされているのである」※。しかし、また、或る意味において、現実において非常に難しい問題を孕むこともある※※。
※新井隆一『租税法の基礎理論』〔第3版〕(1997年、日本評論社)56頁。北野弘久(黒川功補訂)『税法学原論』〔第7版〕(2016年、青林書院)69頁、73頁、水野忠恒『大系租税法』〔第2版〕(2018年、中央経済社)8頁も参照。
※※租税法律主義に関する最近の論考の例として、小山廣和「租税法律主義」日本財政法学会編『財政法講座1 財政法の基本問題』(2005年、勁草書房)157頁を参照。また、佐藤英明「租税法律主義と租税公平主義」金子宏編『租税法の基本問題』(2007年、有斐閣)55頁も参照。
憲法第84条は、租税法律主義を明定する。また、第30条において国民の納税義務が定められているが、同条にも「法律の定めるところにより」という文言があるように、両規定は表裏一体の関係にあると言いうる。ここで第30条を単に国民の納税義務を定める規定であると捉えるならば「宣言的・確認的意義」に留まり、法的には意味の乏しい規定であるということになってしまう※。
※新井・前掲書59頁。
この規定には、さらに積極的な意味が含まれている。新井教授は、次のように述べる。
「日本国憲法は、その近代憲法的な成果からみて、内容的には、人権宣言の部分と、国の統治機構に関する原則規定の部分から構成されているということができる。このような理解からすれば、この三〇条の規定が憲法におかれている積極的な意義は、それを、むしろ、国民の権利の面から解釈して、国民は、法律の定めるところによらなければ、納税の義務を負わない、つまり、法律の規定がない限り国民が租税を賦課されるということはない、ということになる。これこそまさに、租税法律主義の原則の内容にほかならないものなのである。すなわち、憲法三〇条のもう一つの意味というのは、租税法律主義の原則を、国民の権利の側面において把握し、法律(租税法)の規定の不存在を理由とする『不納税の権利』に根拠を与えるものであるということができるのである。」※
※新井・前掲書59頁。
また、租税法律主義は、第83条に定められる財政民主主義の一環でもある、と考えるべきである。このことは、規定の位置関係からも明らかであるし、財政民主主義の内容からしても当然である。財政民主主義と租税法律主義は、規律の程度に違いがあるとしても、質を異にするものではない。
第84条からも明らかであるように、新たな租税を国民に課し、または従来からの租税負担を変更するには、必ず国民、少なくとも国民を代表する機関である国会の承認を必要とする。その理由は、既に述べたように、私人の租税負担が、財産権に対する国からの一方的な侵害を意味するからであり、また、徴収手続に権力的要素が強く、私人の財産権のみならず人格権(名誉権)さらには人身の自由に対する侵害の危険性が高いからである。
そして、日本国憲法が資本主義体制を基本とし、財産権を保障することによって経済活動の自由を保障する以上、法的安定性および予測可能性を確保することが必要である。租税法律主義は、この法的安定性および予測可能性を租税の面において担保するための原則でもある※。
※水野・前掲書9頁を参照。
ここで租税負担の変更とは、増税(税率・税額の上昇)を意味することは当然であるが、減税(税率・税額の下降)をも意味する。減税が全ての国民の利益になるとは限らないからである。租税特別措置法により、各種の租税の減免が行われているが、特定の業種・階層などのみを対象とすることもあり、負担の平等などの観点から問題になることが多い※。
※なお、憲法第84条にいう「租税」の意義については別に考えなければならない。 「財政法講義ノート」〔第5版〕の「02 財政民主主義、租税法律主義」も参照されたい。
2.国税の租税法律主義と地方税の地方税条例主義
地方公共団体は、地方税法の定めるところに従って課税権を有し(地方税法第2条)、地方税の税目や課税対象などを条例により定めなければならない(同第3条第1項)。地方税条例主義がとられている訳である。それでは、地方税条例主義は、憲法上、何処に根拠を求めうるのか。
かつての通説は、憲法第84条にいう「租税」は直接的に地方税を含むものではないが、規定の趣旨が及ぶと考えた。従って、この説によると、地方税条例主義は租税法律主義の例外であるということになる。しかし、地方税を住民に賦課するのであれば、地方税は、当該地方公共団体の住民代表機関である議会が制定する条例に基づかなければならない。そうすると、この考え方によっても租税法律主義と基本的な趣旨は異ならない。そのため、地方公共団体の課税権は憲法第92条および第94条に由来し、憲法第84条もこのことを予定していると考える説が通説化しているようである。
もっとも、この説は大きく二つに分割される。第一に、憲法第84条が地方税についても適用されるという考え方である※。第二に、第84条は地方税に対して適用されないとする考え方である※※。
※例:碓井光明『要説地方税のしくみと法』(2001年、学陽書房)6頁、小林孝輔=芹沢斉編『基本法コンメンタール憲法』〔第四版〕(1997年、日本評論社)351頁[牧野忠則担当]。なお、芹沢斉・市川正人・阪口正二郎編『新基本法コンメンタール憲法』(2011年、日本評論社)450頁[小澤隆一担当]もこの考え方を採るのであろうか。
※※例:新井隆一『財政における憲法問題』(1965年、中央経済社)33頁、金子宏『租税法』〔第二十二版〕(2017年、弘文堂)92頁を参照。この他、北野弘久「本来的租税条例主義」日本財政法学会編『財政法講座1 財政法の基本問題』183頁、小山廣和「租税法律主義と租税(地方税)条例主義」同書203頁 、小林孝輔=芹沢斉編『基本法コンメンタール憲法』〔第五版〕(2006年、日本評論社)393頁[三木義一担当]、村上順=白藤博行=人見剛編『新基本法コンメンタール地方自治法』(2011年、日本評論社)266頁[前田雅子担当]を参照。
憲法第92条および第94条が抽象的な地方税立法権などの配分を行っていることを考慮するならば、第一の考え方は妥当と言い難い。しかし、抽象的な地方税立法権などの配分により、それらの行使にあたって地方公共団体にも憲法上の制約が及ぶことは当然であり、具体的な地方税立法権などについても同様であることからすれば、第二の考え方も不十分である。地方税条例主義を採用しても地方税について基本理念を定めた条文が欠落することにはならない。むしろ、憲法第92条および憲法第94条によって地方税立法権などが配分されることにより、地方公共団体にも第83条、第84条、第89条などの趣旨は及ぶものと理解しなければならない※。そうでなければ、何故に地方税立法権などが憲法によって配分されるのかがわからなくなる。
※拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3 地方財政の変貌と法』(2005年、勁草書房)34頁、38頁、39頁。なお、以上に関連して問題となるのが、法定外税の許容範囲である。
3.租税法律主義からの派生原則
租税法律主義からの派生原則として、あるいは、租税法律主義の具体的な内容としてあげられるものについては、見解が分かれる。もっとも、租税法律主義の派生原則として説明されていないものであっても、説明の便宜などによって別の箇所で扱われるのであって、本来であれば派生原則として理解されるべきものも存在する。ここでは、さしあたって金子宏教授の説※を基本として、それぞれの原則(主義)の内容、および関係する論点に触れておくこととする。
※金子・前掲書76頁。
①課税要件法定主義
罪刑法定主義にならって作られたもので、全ての課税要件、租税の賦課・徴収手続が法律によって規定されなければならないという原則である※。
※前述のように、地方税の場合は地方税条例主義がとられる。地方税法第2条・第3条を参照。
この原則については問題が多い。まず、法律と行政立法との関係である。法律の根拠がないのに政令や省令によって新たに課税要件に関する定めを置き、または変更することは認められない。政令や省令が法律に違反することも許されない。
もっとも、憲法は、第73条第6号において執行命令および委任命令の存在を認める。その意味においては、課税要件や賦課・徴収手続に関する規定について法律が政令・省令に委任することは許される。しかし、白紙委任のような一般的・包括的な委任は憲法第41条に反する。個別的かつ具体的な委任が求められているのである※。
※大阪高判昭和43年6月28日行裁例集19巻6号1130頁 、大阪地判平成21年1月30日判タ1298号140頁、大阪高判平成21年10月16日判タ1319号79頁を参照。なお、前掲大阪高判昭和43年6月28日に関する解説・批評として、北村喜宣「政令への委任の限界」金子宏=水野忠恒=中里実編『租税判例百選』〔第3版〕(1992年、有斐閣)8頁などがある。また、前掲大阪高判平成21年10月16日に関する解説・批評として、豊田孝二「使用人賞与の損金算入時期についての法人税法施行令134条の2の定めが租税法律主義に反しないとされた事例」速報判例解説編集委員会編『速報判例解説』(法学セミナー増刊)8号(2011年)265頁 などがある。
次に、税務行政において通達の役割は大きく、税務署も税理士も、法律ではなく通達により動いているほどである。また、法律の定める課税要件を通達が実質的に変更していることも多い。旧物品税法の下、パチンコ遊技機が長らく非課税とされていたが通達により課税されたという事件につき、最二小判昭和33年3月28日民集12巻4号624頁は、通達の内容が旧物品税法に適合していることなどを理由として課税処分を合法としたが、通達によって扱いが変更されたことこそが問題であるなどとして、批判が強い。たとえ従来の扱いが誤っていたとしても長期にわたってその扱いが継続した場合、一片の通達によって扱いが変更されることは、実質的に、通達によって法律の内容が変更されることを意味する場合があり、租税法律主義に反すると考えるべきであろう。
②租税法規不遡及の原則
新しい法律、または既存の法律の改正規定を施行する際に、施行日より前になされた行為への適用を認めることは、法的安定性や予測可能性の観点からすれば好ましくない。とくに、施行前の行為に対して不利益な効果を及ぼすことは、国民の権利・自由の保障の要請に真っ向から反することとなる。刑事法の領域においては、罪刑法定主義の一内容として、行為時には適法であった行為を事後の立法により処罰することは許されないとする刑罰不遡及の原則が存在し、憲法第39条にも明文で定められている。この趣旨を租税法の分野に取り入れたのが租税法規不遡及の原則であり、課税要件法定主義から発展または派生した原則と考えてよい。
しかし、租税法規不遡及の原則は、刑罰不遡及の原則と異なって日本国憲法において明文で定められていないこともあって解釈上の原則とも考えられ、次のように見解が分かれる。
第一説は、独立した派生原則として扱うか否かはともあれ、納税義務者の信頼保護、法的安定性や予見可能性の阻害を防ぐという意味で、憲法第84条および第30条に定められる租税法律主義の内容または派生原則として租税法規不遡及の原則を理解する※。
※金子・前掲書115頁、北野(黒川)・前掲書77頁、佐藤・前掲書56頁、64頁、田中二郎『租税法』〔第三版〕(1990年、有斐閣)105頁、清永敬次『税法』〔新装版〕(2013年、ミネルヴァ書房)24頁、水野・前掲書11頁、増田英敏『リーガルマインド租税法』 〔第4版〕(2011年、成文堂)38頁、257頁を参照。
また、谷口勢津夫『税法基本講義』〔第5版〕(2016年、弘文堂)30頁は、「法律に基づき民主的正当性を有する以上、法律によらない課税とは異なり、一般的・絶対的に禁止されるとは考えられない」としつつ、「そもそも租税法律主義の目的が納税者に不当な不利益をもたらす課税の阻止にあることを考慮すると、遡及立法のうち納税者に不利益な遡及適用を認めるものは、原則として許容されないという考え方は、成り立つであろう」と述べる。そして、谷口教授は、遡及立法が行われる場合であっても「比例原則(憲13条参照)の下では、遡及立法を定める必要性と、遡及課税によって損なわれる利益、との比較衡量が要請されるべきである」と述べる(同頁)。
もっとも、租税法規不遡及の原則はそれほど厳格なものではないという指摘もある※。たしかに、憲法に明文で定められている罪刑法定主義に比較すれば、厳格性は薄れるかもしれない。しかし、人身の自由と財産権との間に存在する性質の相違を考慮に入れるとしても、厳格性を緩めることには慎重である必要がある。むしろ、租税法規不遡及の原則が存在する根本的な理由は、租税法規、とくに租税実体法規が課税要件の形で国民の財産権に対する制約ないし侵害を規定するものであることに求められるべきである※※。
※三木義一「租税法における不遡及原則と期間税の法理」石島弘=木村弘之亮=玉國文敏=山下清兵衛編『納税者保護と法の支配(山田二郎先生喜寿記念)』(2007年、信山社)274頁。谷口・前掲書29頁も同旨であろう。
※※拙稿「租税特別措置法附則27条による同法31条の遡及適用が違憲無効と判断された事例」速報判例解説編集委員会編『速報判例解説』(法学セミナー増刊)3号(2008年)288頁。
第二説は、民主主義を理由として租税法規の遡及適用の範囲を広く認める※。この見解によると、仮に租税法規不遡及の原則が憲法上の原則たりうるとしても、民主主義の観点からこの原則は大きな制約を受け、例外の多い原則となる。従って、原則たりえないという結論に至ることもありうる。また、憲法上の原則でないとすると第三説に近い内容となる。
※碓井光明「租税法律の改正と経過措置・遡及禁止」ジュリスト946号(1989年)122頁〔同『要説地方税のしくみと法』(2002年、学陽書房)21頁も参照〕。また、宮原均「税法における遡及立法と憲法」法学新報104巻2・3号(1997年)95頁、高橋祐介「租税法律不遡及の原則についての一考察」総合税制研究11号(2003年)76頁も参照。
いずれにせよ、第二説に対しては、次のような批判が可能であろう。民主主義を理由として租税法規の遡及適用を広く認めるならば、租税法律主義のもう一つの根幹でもある自由主義を損なうことになりかねない。少なくとも、民主主義と自由主義との均衡を崩すことになりかねない。これは、憲法第29条、および第25条の自由権的側面に抵触する。
第三説は、租税法規の不遡及が租税法律主義の内容ではないとする※。従って、租税法規不遡及の原則は成立しない。この考え方は、憲法第30条の存在意義を失わせかねず、妥当とは到底言えない。
※図子善信「税務行政における遡及適用の課題」税63巻6号(2008年)5頁、15頁 。
租税法規不遡及の原則の内容や適用の有無が争われた判決は少なくないが、福岡地判平成20年1月29日判時2003号43頁※および東京地判平成20年2月14日訟務月報56巻2号197頁※※をきっかけにして、再び活発な議論がなされている。いずれも、「長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、同法その他所得税に関する法令の規定の適用については、当該損失の金額は生じなかつたものとみなす」として、譲渡所得と他の所得との損益通算(所得税法第69条)を認めないとする趣旨 に改められた租税特別措置法第31条が、平成16年3月に公布された法律第14号(租税特別措置法附則)第27条により「個人が平成十六年一月一日以後に行う同条第一項に規定する土地等又は建物等の譲渡について適用」されるとして、一種の遡及適用を定めたことが端緒となっている。
※この判決は、控訴審判決である福岡高判平成20年10月21日判時2035号20頁によって破棄された。原告が上告しなかったため、この福岡高等裁判所判決が確定している。しかし、学説においては前掲福岡地判平成20年1月29日を支持する見解が多いようである。
※※控訴審判決として東京高判平成21年3月11日訟務月報56巻2号176頁、上告審判決として最二小判平成23年9月30日集民237号519頁がある。
前掲福岡地判平成20年1月29日の詳細については省略し※、ここでは、上記の問題について一応の決着をつけた最一小判平成23年9月22日民集65巻6号2756頁※※を取り上げる。
※拙稿・前掲速報判例解説3号288頁、および注に掲記された文献を参照。
※※一審判決は千葉地判平成20年5月16日民集65巻6号2869頁、控訴審判決は東京高判平成20年12月4日民集65巻5号2891頁である。
この最高裁判所第一小法廷判決においては、「所得税の納税義務は暦年の終了時に成立するものであり(国税通則法15条2項1号)、措置法31条の改正等を内容とする改正法が施行された平成16年4月1日の時点においては同年分の所得税の納税義務はいまだ成立していないから、本件損益通算廃止に係る上記改正後の同条の規定を同年1月1日から同年3月31日までの間にされた長期譲渡に適用しても、所得税の納税義務自体が事後的に変更されることにはならない」と述べつつも、「長期譲渡は既存の租税法規の内容を前提としてされるのが通常と考えられ、また、所得税が1暦年に累積する個々の所得を基礎として課税されるものであることに鑑みると、改正法施行前にされた上記長期譲渡について暦年途中の改正法施行により変更された上記規定を適用することは、これにより、所得税の課税関係における納税者の租税法規上の地位が変更され、課税関係における法的安定に影響が及び得るものというべきである」と述べられる。所得税が暦年課税に服することを過度に強調する嫌いは否めないが、この部分に関しては妥当な判断を下していると見ることが可能であろう。
その上で、前掲最大判平成18年3月1日民集60巻2号587頁を参照しつつ、次のように述べられる。
「憲法84条は、課税要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に定められるべきことを規定するものであるが、これにより課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当であ」り、(最大判昭和53年7月12日民集32巻5号946頁を参照して)「法律で一旦定められた財産権の内容が事後の法律により変更されることによって法的安定に影響が及び得る場合における当該変更の憲法適合性については、当該財産権の性質、その内容を変更する程度及びこれを変更することによって保護される公益の性質などの諸事情を総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによって判断すべきものであ」り、「暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用によって納税者の租税法規上の地位が変更され、課税関係における法的安定に影響が及び得る場合においても、これと同様に解すべきものである」から「暦年途中で施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適用を定めた本件改正附則が憲法84条の趣旨に反するか否かについては、上記の諸事情を総合的に勘案した上で、このような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断するのが相当と解すべきである」。
やや長きにわたって引用したが、ここに「租税法規不遡及の原則がそれほど厳格でなく、比較的広い例外を認めうるものである」という趣旨の思考が垣間見える、と評価することができるのではないであろうか。
そして、租税特別措置法租税特別措置法第31条が同法附則第27条により一種の遡及適用がなされたことについては、次のように述べられる。
「上記改正は、長期譲渡所得の金額の計算において所得が生じた場合には分離課税がされる一方で、損失が生じた場合には損益通算がされることによる不均衡を解消し、適正な租税負担の要請に応え得るようにするとともに、長期譲渡所得に係る所得税の税率の引下げ等とあいまって、使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促進し、土地市場を活性化させて、我が国の経済に深刻な影響を及ぼしていた長期間にわたる不動産価格の下落(資産デフレ)の進行に歯止めをかけることを立法目的として立案され、これらを一体として早急に実施することが予定されたものであったと解される。また、本件改正附則において本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を平成16年の暦年当初から適用することとされたのは、その適用の始期を遅らせた場合、損益通算による租税負担の軽減を目的として土地等又は建物等を安価で売却する駆け込み売却が多数行われ、上記立法目的を阻害するおそれがあったため、これを防止する目的によるものであったと解されるところ、平成16年分以降の所得税に係る本件損益通算廃止の方針を決定した与党の平成16年度税制改正大綱の内容が新聞で報道された直後から、資産運用コンサルタント、不動産会社、税理士事務所等によって平成15年中の不動産の売却の勧奨が行われるなどしていたことをも考慮すると、上記のおそれは具体的なものであったというべきである。そうすると、長期間にわたる不動産価格の下落により既に我が国の経済に深刻な影響が生じていた状況の下において、本件改正附則が本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を暦年当初から適用することとしたことは、具体的な公益上の要請に基づくものであったということができる」。その一方、「このような要請に基づく法改正により事後的に変更されるのは(中略)納税者の納税義務それ自体ではなく、特定の譲渡に係る損失により暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位にとどまるものである。納税者にこの地位に基づく上記期待に沿った結果が実際に生ずるか否かは、当該譲渡後の暦年終了時までの所得等のいかんによるものであって、当該譲渡が暦年当初に近い時期のものであるほどその地位は不確定な性格を帯びるものといわざるを得ない」。結局、納税義務者にとっては「損益通算による租税負担の軽減に係る期待に沿った結果を得ることができなくなるものの、それ以上に一旦成立した納税義務を加重されるなどの不利益を受けるものではない」から「納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものと解するのが相当である。したがって、本件改正附則が、憲法84条の趣旨に反するものということはできない」。
以上の判断については、様々な批判をなしうるところと考えられる。たとえば、判旨は平成16年度税制改正大綱の内容が新聞で報道された事実を重視しているが、実際のところ、この大綱が取りまとめられたのは平成15年12月17日であり、その翌日に報道されたとは言うものの、日刊紙では日本経済新聞のみであり(しかもごく小さなスペースの記事であったという)、あとは住宅関係の雑誌で取り上げられた程度であるという。これでは、国民のどの範囲までが知りえたかについて疑問が生ずるであろう。いくら業者側が駆け込み売却を煽るとしても、それほど売却需要を見込めたのか。
そればかりか、この判決は、あたかも与党の大綱が法律と同じ程度の存在であるかのように捉えている。これはどのように考えてもおかしい。大綱は、それがいかに実際上の影響力を発揮するとしても、党などの政策方針に過ぎない。しかも、この大綱に示された内容が正式に閣議決定されたのは平成16年1月になってからのことであり、改正法律案が内閣から国会に提出されたのは同年2月のことである。最高裁判所は国会を軽視しており、とくに立法過程、国会での審議、さらに野党の存在を軽視しているのではないか、という疑念すら起こりうる。
別の観点からすれば、遡及立法を行うこと自体、立法権が自らの任務を放棄することをも意味しうる。場合によっては立法権の自殺という事態にもつながりかねない。
また、この判決は「租税法規は、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量的判断に基づき定立されるものであり、納税者の上記地位もこのような政策的、技術的な判断を踏まえた裁量的判断に基づき設けられた性格を有する」と述べているが、納税義務者の地位があまりにも軽く見られている点は重大な問題であろう。これでは納税義務者が租税法律関係において何らの権利も自由も持たない、とは言わないまでも、納税義務者の地位は広範な立法裁量の下に置かれ、従属的な地位に甘んじなければならない、ということになり、憲法第30条および同第84条の意味が失われかねない。
結論として、前掲最一小判平成23年9月22日は、実質的に租税法規不遡及の原則を無にしかねないほどに例外の範囲を広く認めるものと考えられ、妥当ではないと解すべきであろう。
③課税要件明確主義
法律(その下における政令・省令の場合も含む)における課税要件および賦課・徴収の手続に関する規定は、なるべく一義的かつ明確でなければならない。このため、租税行政庁に自由裁量を認めることは原則として許されず、不確定概念の使用も慎重でなければならない。もっとも、実際のところ、不確定概念の使用はやむをえない場合もあり、必要な場合すらある。しかし、不確定概念の多用を指摘する声もある。不確定概念と裁量は、一応区別しうるが、実際にはどちらに該当するかが判別困難である場合も存在する。
秋田地判昭和54年4月27日行裁例集30巻4号891頁および仙台高秋田支判昭和57年7月23日行裁例集33巻7号1616頁は、秋田市国民健康保険税条例において課税要件を定めていた規定が一義的明確性を欠くので憲法第84条に違反すると判断した。一方、東京地判平成2年3月26日判時1344号115頁は、消費税法における「事業」、「事業者」、および「対価」について「社会通念に従って解釈すればその通常の意味内容が容易に確定できる」と述べている。
④合法性の原則
租税法は強行法規である。課税要件が充たされているならば、租税行政庁には租税を減免する自由、さらに徴収しない自由はない。不正が生じるおそれがあるし、納税者間の平等を損なうおそれがあるからである。従って、租税行政庁は、法律で定められた通りに税額を徴収しなければならない。納税者との間で和解や契約をなすことはできないのである。但し、実際には類似する現象もあるが、課税要件事実の認定に留まるならば違法ではない。
この原則に対しては制約があると言われる。第一に、納税者に有利な行政先例法が存在する場合には、租税行政庁はこれに拘束される※。第二に、納税者に有利な解釈・適用が一般になされ、是正措置もとられていない場合には、合理的な理由がないのに特定の納税者を不利益に扱ってはならない(判例も同旨)※※。第三に、信義誠実の原則(禁反言の原則)が認められるべきである。但し、判例は消極的な態度を示している。
※但し、「課税要件法定主義」の箇所を参照。
※※但し、「05 租税法の解釈と実質課税の原則」を参照。
⑤手続的保障原則
租税の賦課・徴収が公権力の行使であることは当然であるが、これが適正な手続で行われなければならず、これに対する争訟は公正な手続によって解決されなければならない。この原則は憲法第31条からも導かれうる。この原則に基づくものとして、青色申告に対する更正処分・青色申告承認取消処分の理由付記、執行機関と審査機関との分離などがある(審査機関として国税不服審判所がある)。日本における租税行政手続は、国税通則法や国税犯則取締法などの法律に基づいているが、行政手続法は適用を除外されており、納税義務者の権利保護について十分な配慮がなされているとは言い難い面が多いこともあって、課題を残している。また、先進諸国において納税者権利憲章が制定されている例が多いが、日本には存在せず、税務当局も非常に消極的である。
(以下は、あくまでも仮の講義ノートです。私の「川崎高津公法研究室」に掲載予定の「租税法講義ノート〔第3版〕」においては修正・変更もありえます。)
課税要件(Steuertatbestand)は租税要件などともいい、租税債権債務関係を成立または消滅させるために法律(または条例)により定められる要件を指す※。
※詳細は、新井隆一『租税法の基礎理論』〔第三版〕(1997年、日本評論社)44頁を参照。また、北野弘久編『現代税法事典』〔第2版〕(1992年、中央経済社)30頁[北野弘久担当]も参考になる。
課税要件が明確にされることにより、初めて私人の納税義務が具体的に定まることとなる。ここで概観しておく※。
※清永敬次『税法』〔新装版〕(2013年、ミネルヴァ書房)65頁は、課税要件として納税義務者、課税物件、帰属、課税標準および税率の5つをあげる。しかし、理解を深めるためには本文に記した7つが必要である。
(1)課税主体
課税権者ともいい、租税債権者ともいう。国、地方公共団体(都道府県、市町村および特別区)のことである。課税権の行使のうち、内容の定立は立法権に該当し、執行は行政権に該当することとなる。
もっとも、課税主体についてはとくにあげる必要がない場合が多い。清永敬次教授は、「理論的には、課税・徴収権者たる国又は地方公共団体の存在が納税義務成立の要件の一つに含められるべきであろう。しかし、これらの存在は当然のこととして一般に前提されているのであるから、納税義務の成立要件としての課税要件を問題とするときは、この点を除いて考えて差支えない」と述べる※。一般的にはその通りであるが、課税主体が存在しなければ、納税義務が発生するはずもない。
※清永・前掲書68頁。
なお、徴収に際しては、法律または条例により、一定の範囲の私人に委任されることもある。所得税などにおける源泉徴収、地方税における特別徴収が該当する。
(2)納税義務者
納税義務者とは、租税法律関係において租税債務を負担する者をいう。
財政学において、納税義務者は租税主体の一種とされる※。
※例として、神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)166頁 。なお、租税主体と課税主体とを混同しないよう、注意を要する。
租税主体には、納税義務者の他に担税者という概念が含まれる。担税者は、経済活動において実際に租税を負担する者のことである。
同じ租税主体という上位概念に含まれるとは言え、納税義務者と担税者とは、明確に区別する必要がある。
第一に、納税義務者は、法律上の概念であり、法律によって租税を負担し、申告などを行う者とされているのであって、実際に租税を負担するか否かとは別の次元の事柄である。
第二に、納税義務者と担税者は、税目によって同一である場合と異なる場合とがあり、とくに、直接税と間接税とを区別する基準にもなる※。
※直接税と間接税との区別については、「01 租税と租税法」において述べた。
所得税などの場合は、担税者が同時に納税義務者でもある。これに対し、消費税や酒税などの間接消費税の場合、担税者は消費者であるのに対し、納税義務者は事業者や製造者である。
自然人および法人が納税義務などの各種の義務を担う主体とされていることは明らかである。民法その他の法律によって法人格が認められるからである。これに対し、権利能力のない社団・財団は、法人格が認められないのであるから納税義務者ともなりえないと考えることもできるが、それでは租税負担の公正を期することができないため、租税法においては、権利能力のない社団・財団 (「人格のない社団等」という表現が用いられる)についても法人とみなされる場合が多い※。
※但し、租税法においてみなし規定が存在しない場合であっても、権利能力なき社団・財団が納税義務などの義務を負うべきであると解されることがある。例えば、労働者音楽協会(労音)について、東京高判昭和47年6月28日行裁例集23巻6・7号426頁などは、旧入場税の納税義務者であるという趣旨を述べている。同じような趣旨の判決は多い。
なお、所得税における源泉徴収義務、有価証券取引税、住民税、ゴルフ場利用税、特別地方消費税などにおける特別徴収義務の場合には、納税義務者が自ら負担をなすのではなく、納税義務者から租税を徴収した上で国や地方公共団体に納付する義務を負う者が存在する(地方税法第1条第1項第10号は「特別徴収義務者」という)。このような者は納税義務者ではなく、徴収納付義務を負うに過ぎないが、国税通則法第2条第5号および国税徴収法第2条第6号は、徴収納付義務を負う者を含めて納税者としており、納税義務者と共通の取り扱いをすることがある※。
※徴収納付義務者が納付義務を怠ったときには、国税通則法第36条、第37条、第40条、国税徴収法第47条などにより、滞納処分を受ける。また、国税通則法第67条、第68条第3項により、加算税を課される。さらに、所得税法第240条によって刑罰を科されることもある。これらは、納税義務者の場合とあまり変わらないこととなる。
納税義務者は、直接税と間接税との相違、住所または居所の所在、課税物件の源泉の所在地、などによって幾つかの種類に分かれる。ここでは、金子宏教授の論説に従い、概説を試みる(但し、連帯納税義務者や第二次納税義務者、そして税理士についての解説は省略する)。
直接税については、無制限納税義務者と制限納税義務者とに分けうる。
無制限納税義務者は、日本に住所または居所を有し、日本の課税権に服す者をいう。課税物件の源泉が国内にあるか国外にあるかを問わない。従って、無制限納税義務者に帰属する課税物件の全てについて納税義務が存在することとなる。所得税法にいう居住者(第2条第1項第3号・第4号、第5条第1項、第7条第1項第1号・第2号)、法人税法にいう内国法人(第2条第3号、第4条第1項。第5条。但し、第4条第3項により、公共法人は納税義務を負わない)が該当する。
これに対し、制限納税義務者は、日本に財産や事業を有するが住所または居所を有しない者をいう。従って、財産や事業を有する範囲内において、言い換えれば国内に源泉のある課税物件についてのみ納税義務が存在することとなる。所得税法にいう非居住者(第2条第1項第5号、第5条第2項、第7条第1項第3号)、法人税法にいう外国法人(第2条第4号、第4条第2項、第9条、第10条)が該当する。
間接税については、正規の納税義務者と拡張的納税義務者とに分けうる。正規の納税義務者とは、課税物件の流通や消費が通常行われる過程において、国内において製造され移出される課税物件については、消費税の場合は事業者、酒税法などの場合は製造者、保税地域※から引き取られる課税物件については引取者が該当する。これに対し、拡張的納税義務者とは、通常の過程を経ないで流通し、あるいは消費される課税物件について、製造者または引取者以外の者であるがそれらとみなされて納税義務者とされる者をいう(酒税法第6条など)。
※保税地域は、関税法第29条に規定される。外国貨物を置き、または、外国貨物の加工や製造・展示などをすることができるものとして、財務大臣が指定し、または税関長が許可したものをいう。該当するものとして、保税倉庫、指定保税地域、保税上屋、保税工場、保税展示場がある。以上は、園部逸夫=大森政輔編『新行政法辞典』(1999年、ぎょうせい)997頁による。
(3)課税物件(Steuerobjekt)
課税対象、課税客体ともいう。課税の対象となる物、行為または事実をいう。所得税などにおける所得、事業税における個人または法人の事業収益、固定資産税などにおける土地や固定資産など特定の財産、消費税などにおける課税資産の譲渡や外国貨物の引き取り、酒税などにおける酒類などの消費物件、ゴルフ場利用税などにおける消費行為、などが課税物件の例である。
(4)課税標準
課税標準とは、課税物件を数量的に確定するための基準であり、所有・収益などの存在および内容の確認に基づき、価格・金額・数量・品質により表現される。例えば、所得税の場合は「総所得金額」などであり(所得税法第22条第1項)、消費税の場合は「課税資産の譲渡等の対価の額」である(消費税法第28条第1項)。
(5)税率
税額を計算するため、課税標準に対して適用される比率のことである。課税標準が金額や価額により定められている場合(例、所得税、消費税)には、税率は百分率などによって定められる。これに対し、課税標準が数量により定められる場合(例、酒税、たばこ税、軽油引取税)には、課税標準の一単位について一定の金額として定められる。
また、課税標準が金額や価額により定められている場合には、比例税率、累進税率のいずれかが採用されることとなる。
比例税率は、y=axのaとして表現されるように、税率が常に一定の割合であるものであり、固定資産税や消費税などで採用される。納税義務者の担税力を直接的に考慮しない場合であり、応益負担原則に結びつきやすい。
これに対し、累進税率は、金額や価額の増加に伴って税率が上昇するように定められるものであり、所得税、相続税などで採用される。納税義務者の担税力を直接的に考慮する場合であり、応能負担原則に結びつきやすい。
そして、累進税率は単純累進税率と超過累進税率とに分けられる。単純累進税率は、課税標準が大きくなると単純に全体に対して高い税率が適用されるというものであるが、これではかえって不公平が生じやすいため、課税標準を多段階に区分した上で段階ごとに逓次に高い税率を適用する超過累進課税を採用する。
なお、地方税法においては、標準税率および制限税率という用語が存在する。
標準税率は、地方税法第1条第1項第5号に定められるものであり、地方公共団体にとっての目安(基準)となる税率のことである。総務大臣が普通地方交付税の額を定める際に、基礎財政収入額の算定の基礎として用いる※。
※消費課税における標準税率とは意味が全く異なるので注意されたい。消費課税の場合、標準税率の他に軽減税率、ゼロ税率、割増税率、非課税、不課税(課税除外)などとの対比で用いられる。すなわち、標準税率とは、法律において原則的に適用されるものとして規定される税率である。
これに対し、制限税率は、地方税法に定められた上限以下の税率により課税しなければならないものをいう。
また、地方税法には登場しない用語であるが、税率が一定である場合を一定税率といい、税率が地方公共団体の裁量に任されている場合を任意税率という。地方税法において任意税率が規定される租税には、課税するか否かも裁量に委ねられるものが多い。
▲注意しなければならないのが、実効税率という用語である。これは多義的に用いられており、文脈による見極めを必要とするものである。
第一の意味として、納税義務者に様々な税制優遇措置などが適用されなかったと仮定した場合の所得などの課税標準に対する実質的な税負担の割合を指すことがある※。
※石村耕治編『税金のすべてがわかる現代税法入門塾』〔第8版〕(2016年、清文社)36頁[石村耕治・阿部徳幸担当]。
第二の意味として、法人に対する実効税率の意味で用いられる。この場合には、
〔法人税率×(1+住民税率)+事業税率〕÷(1+事業税率)=実効税率
という計算式で得られる税率である※。
※石村編・前掲書36頁[石村・阿部]。
第三の意味として、名目税率または表面税率に対する概念として用いられる。すなわち、法人税の表面税率が40%であるとして、各種控除等がなされた結果、実際には30%しか課税されないという場合に、実効税率という言葉が用いられることがある※。第一の意味とは全く逆であることに注意されたい。
※代田純『日本国債の膨張と崩壊』(2017年、文眞堂)21頁。
(6)租税所属関係
納税義務者が、特定の租税につき、いずれの課税権者に対して納税義務を負うかに関する事柄である。すなわち、租税所属関係とは、納税義務者と課税主体との関係で説明しうる事項である。
(7)租税帰属関係
課税物件が納税義務者に帰属する関係のことである。清永敬次教授は「帰属の関係は、各租税に応じて種々の仕方で形成されることになる」として、「例えば、所得税、法人税においては納税義務者が課税物件たる所得を『取得する』ことにより、相続税、贈与税においては相続財産等を『取得する』ことにより、印紙税においては課税文書を『作成する』ことにより、それぞれ納税義務者と課税物件との関係が形成されることになる」と説明する※。
※清永・前掲書70頁。
このように、租税帰属関係は法律によって示されているのであるが、具体的な事例においては、租税帰属関係が問題となることが多い。また、所得税および法人税に関する実質所得者課税の原則は、租税帰属関係に絡む問題である。
(以下は、あくまでも仮の講義ノートです。私の「川崎高津公法研究室」に掲載予定の「租税法講義ノート〔第3版〕」においては修正・変更もありえます。)
古今東西、世に様々な国々が現れ、また消滅してきたが、形はともあれ、租税と無縁の国家はほとんど存在しない。仮に存在したとしても僅かであろう。小規模の国家であれば、国民から租税を徴収せずとも運営をすることが可能であるかもしれないが、国家は一般的に、何らかの形で租税を徴収する。
「生まれてから死ぬまで(場合によっては死んだ後にも)、税は私たちの生活に深く関係します。実際、消費税、所得税など、生活の場に応じて様々な税を納め、あるいは、負担させられています。また、莫大な財政赤字、長引く景気低迷にも、税法は大きな影響を与えるものです。こうした税法の構造を概観し、さらに学習や研究を深めるための橋渡しをするのが、この講義の目的です」。
私が講義を担当する大東文化大学法学部の「税法」(「税法A」および「税法B」)のシラバスの冒頭を引用した。「場合によって死んだ後にも」という部分は大げさかもしれないが、相続などを考えれば、本人はともあれ遺族が関係するという点において、外れてはいないであろう。もとより、「生まれてから死ぬまで」の部分はまさにこの通りである。「人生いろいろ」であり、人によって関係する租税は異なるが、何らかの形で所得税、住民税(「道府県民税」および「市町村民税」)、消費税、地方消費税、酒税、事業税、固定資産税などの納税義務者または担税者※※となるのである。租税を納める、支払うという側面だけではない。国、都道府県、市町村の収入となった租税は、予算によって支出の内容が決定され、我々国民の生活に、何らかの形で還元される。たとえば、道路、信号、上下水道、社会保障、などとしてである。
※納税義務者、担税者の意味については、後の回において説明する。ここでは、とりあえず、このような言葉があるということのみを押さえて置いて欲しい。
さて、これから、このような租税に関する法、すなわち租税法の講義を進めていくのであるが、現行の日本の法規のいずれを参照しても、租税の定義を示す規定は存在しない。日本国憲法を例に取ると、第30条に納税の義務が規定されるとともに、第84条および第30条に租税法律主義が規定されている※。第84条には租税という言葉が登場するが、定義はなされていない。このことは、法律などについても同様で、租税法とされる法律のいずれを参照しても、租税の定義はなされていない。
※憲法学における通説的な見解は、第84条のみをあげるようである。しかし、租税法学においては、租税法律主義の根拠に関して見解が分かれ、第84条および第30条を根拠とする見解が多い。租税法律主義は、単に国家財政運営上の原則に留まらないものである、と解されるべきである。従って、第84条と第30条の双方を根拠とする見解のほうが妥当であろう。この点については、拙稿「租税法律主義の射程距離(1)―旭川市国民保険条例訴訟大法廷判決の検討を中心に―」税務弘報54巻12号(2006年9月号)129頁注1、同「租税特別措置法附則27条による同法31条の遡及適用が違憲無効と判断された事例」速報判例解説編集委員会編『速報判例解説』(法学セミナー増刊)3号(2008年)288頁も参照。
一方、租税法学や財政学などの教科書を参照すると、たいてい、租税の定義に関する記述がある。もっとも、定義づけはそれほど容易なことではない。そればかりか、定義の実用性を疑う見解も存在する。おそらく、「あまり実益がないから」、あるいは「難解な記述となるから」ということもできる。 たしかに、谷口勢津夫教授が指摘するように「個々の税目については、その意義および内容が法律や条例で定められる」から「租税の定義をめぐって、法律や条例の解釈上問題が生じることはない」※。しかし、実際には、租税に限らず、我々が国家や地方公共団体に納める(支払う)金銭などの債務は多いし、租税と言いながらそれ以外のもの、例えば負担金と区別し難いものも存在する。また、租税とは異なるはずの社会保険料などについても、租税と同様の問題が生じる場合も存在する。
※谷口勢津夫『税法基本講義』〔第5版〕(2016年、弘文堂)7頁。
そこで、本章では、租税とはいかなるものであり、租税法とはいかなるものであるのか、ということについて、なるべく身近な例をあげながら話を進めていく※。
※以下、租税の法的定義などについてほぼ同じ趣旨を、拙稿・前掲税務弘報論文135頁においても述べている。
1.租税の法的定義 既に述べたように、日本においては、租税についての法的定義がなされていない。
もっとも、国税通則法第2条第1号および国税徴収法第2条第1号は「国税」を「国が課する税のうち関税、とん税及び特別とん税以外のものをいう」と定義し、国税徴収法第2条第2号は「地方税」を「地方税法(昭和25年法律第226号)第1条第1項第14号(用語)に規定する地方団体の徴収金(都、特別区及び全部事務組合のこれに相当する徴収金を含む。)をいう」と定義する。これらは、国税通則法、国税徴収法のそれぞれの適用に必要な範囲を決めるための定義であり、租税そのものの定義でないことは明らかである。
しかし、 公租公課として、国家(および地方公共団体)が国民から徴収する財貨(金銭など)は、租税ばかりでなく、負担金、手数料などの形式をとる場合もある。従って、或る程度、租税のメルクマールを明らかにしておく必要がある。
租税の法的定義を行った例として有名なものは、1919年に制定されたドイツ(ヴァイマール共和国期)のReichsabgabenordnung(一般的にライヒ租税通則法と訳す。直訳ではライヒ公課法となる) である。同法の第1条第1項は、「租税とは、特別の給付に対する反対給付ではなく、給付義務につき法律が定める要件に該当するすべての者に対し、収入を得る目的をもって公法上の団体が課する一回かぎり又は継続的な金銭給付をいう。関税はこれに該当するが、行政行為を特別に請求することに対する手数料及び負担金(受益者負担)は、これに該当しない」と規定する※。
※訳は、田中二郎『租税法』〔第三版〕(1990年、有斐閣)1頁による。
また、1977年に制定されたドイツ(連邦共和国)の租税通則法(公課法。Abgabenordnung)第3条第1項は、「租税とは、特別の給付に対する反対給付ではなく、法律が給付義務について定める要件に該当する者に対し、公法上の団体によって収入を得るためにのみ課される金銭給付をいう。収入を得ることは付随的目的たりうる 」と規定する※。
※この条文の訳は、私自身によるものである。
日本においては、上記の定義(とくにライヒ租税通則法第1条第1項)を基として、法律学などにおいて様々な定義がなされている。若干の例をあげておく。
「租税とは、国又は地方公共団体が、その課税権に基づき、特定の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財力調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付である」※。
「国(または地方公共団体)が、国の主権に服する者から、公的・一般的収入の目的をもって、法律(または条例)に定める要件を充足する事実があり、金銭的給付義務が確定するときに、強制的に、収納する金銭的給付である」※※。
「国家が、特別の給付に対する反対給付としてではなく、公共サービスを提供するための資金を調達する目的で、法律の定めに基づいて私人に課する金銭給付である」※※※。
※田中・前掲書1頁。
※※新井隆一『租税法の基礎理論』〔第三版〕(1997年、日本評論社)2頁。
※※※金子宏『租税法』〔第二十二版〕(2017年、弘文堂)8頁。
以上は学説による定義であるが、最高裁判所も判決の理由において租税の定義を述べている。まず、大嶋訴訟として有名な最大判昭和60年3月27日民集39巻2号247頁は「租税は、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもつて、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付である」と述べる。これは、上記の諸定義と同じ趣旨と考えてよいであろう。
また、旭川市国民健康保険条例訴訟として有名な最大判平成18年3月1日民集60巻2号587頁も「国又は地方公共団体が、課税権に基づき、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、特別の給付に対する反対給付としてでなく、一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は、その形式のいかんにかかわらず、憲法84条に規定する租税に当たるというべきである」と述べる。これも、上記の諸定義と同じ趣旨と考えてよい。
2.租税のメルクマール
先に掲げた諸定義には、一定の共通する内容が含まれている。しかし、統一的な定義がなされている訳ではない。
もっとも、これは日本だけの現象ではない。租税の定義を実定法において示すドイツの例は、むしろ、世界的にも珍しいほうである。おそらく、憲法上の争点となりうることを含め、実益の点などを考慮したのであろう。そして、日本においては、ドイツとは逆に、租税を法的に定義することには実益がないという考え方のほうが一般的であるかもしれない※。
※教科書によっては、租税の定義を示していないものもある。その例として、三木義一編著『よくわかる税法入門』〔第7版〕(2013年、有斐閣)がある。
たしかに、通常の場合は、先に示した谷口教授の指摘にあるように、法律によって国税および地方税とされているものを租税とする形式的思考法が簡便でもあるし、それで事足りることが多い。
また、北野弘久博士は、租税の定義について根本的な疑義を述べる。北野博士は、租税について「法認識論のレベル」における定義と「法実践論のレベル」における定義とが区別される必要がある旨を指摘し、その上で、「従来の租税概念は、明治憲法のもとでのそれを、日本国憲法のもとにおいても無批判的に踏襲してきたものであ」り、「明治憲法のもとでと同じレベルで日本国憲法のもとでの税財政に関する法概念・法理論を構築することは学問的には誤謬である」と批判する※。
※北野弘久(黒川功補訂)『税法学原論』〔第7版〕(2016年、青林書院)18頁。北野弘久編『現代税法講義』〔五訂版〕(2009年、法律文化社)4頁[北野弘久担当]も参照。
甲斐素直教授も、先に示した田中二郎博士による定義を引用しつつ「これが税法学の対象となる租税の定義を述べているに」留まり、憲法第84条と「まったく結びつきをもっていない」と批判する※。
※甲斐素直「租税法律主義における租税概念の外延について」日本法学60巻3号(1994年)132頁。なお、同論文では憲法学の学説についても批判が展開されている。
これまでの租税法学や憲法学などにおける租税の定義に、不十分な点があることは否定できない。とくに、租税法学と憲法学との間には、決して短くない距離がある※。このため、さらに検討を重ねる必要性は高い。ただ、形式的思考法によっては、租税とそれ以外の公課とを上手く区別できないこともあるし、租税法律主義の射程距離を画定する際などには困難を生じる。
※拙稿・前掲税務弘報論文137頁。拙稿「日本国憲法における『租税』の概念と租税法律主義との関連についての試論」税制研究56号(2009年)137頁も参照。
私は、実定法において租税を定義する実益はあるものと考える。とりわけ、憲法において定義を示す必要性はあると考える。この点に関連して、税理士の山本守之氏が、国税徴収法第2条における定義を「定義の実益だけを考えて規定している例である」とした上で、憲法第84条が租税法律主義の根拠規定となっているために「実定法において租税を定義する必要はあるように思われる」と述べており、参考になる※。
※山本守之『租税法の基礎理論』〔新版〕(2008年、税務経理協会)4頁。
上述の諸定義には、若干の差異があるように読み取りうる。これは、後に述べる租税観、さらに言うならば国家観の相違によると考えられる部分もあるが、多くは表現上の問題である。これらの定義に共通する部分を見出せば、租税のメルクマールを明らかにすることができよう。
租税のメルクマールについては、次のように整理することができる※。
※この整理は、主に佐藤進=伊東弘文『入門租税論』〔改訂版〕(1994年、三嶺書房)1頁による。また、より一般的に、肥後和夫編『財政学要論』〔第4版〕(1993年、有斐閣)115頁[西村紀三郎担当]、片桐正俊編『財政学―転換期の日本財政―』(1997年、東洋経済新報社)209頁[長沼進一担当]、吉田克己『現代租税論の展開』(2005年、八千代出版)9頁、宮入興一編著『現代日本租税論』(2006年、税務経理協会)1頁[松井吉三担当]、神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)149頁、星野泉=小野島真編『現代財政論』(2007年、学陽書房)55頁[小野島真担当]、室山義正『財政学』(2008年、ミネルヴァ書房)205頁も参照。なお、拙稿・前掲税務弘報論文135頁も参照。
(1)強制性
租税は、根本的に公権力を背景とした強制性を備える、とされる。しかし、これだけでは手数料や負担金と区別し難い。
(2)無償性
ここにいう無償性とは、何らかの対価としての性格、または反対給付としての性格が認められないことをいう。
手数料は、国家などによる何らかの特定の給付に対する反対給付である※。また、負担金は、例えば宅地開発のように、開発などによって利益―手数料の場合よりも、より一般的な利益―を受ける者に対し、その利益に着目して課されるものである。従って、手数料および負担金の場合には無償性が認められないことになる※※。
※例えば、公園の入場料などを考えること。但し、地方自治法第231条の3第2項、地方税法第67条、同第72条の67などに規定される督促手数料に注意する必要がある。
※※この点をとくに強調するのが、神野・前掲書164頁である。
これに対し、租税には無償性が認められる。例えば、所得税の申告を期限までに行い、法律に定められたとおりに申告をしても、それによって選挙権の行使に特典が認められる、などというようなことはない。青色申告については若干の優遇措置が認められるが、これは政策的なものであるし、国政全般について何らかの反対給付が得られる訳でもないし、そもそも国からの何らかのサーヴィスに対する直接的な対価という意味を有する訳でもない。
しかし、無償性についても問題がある。前掲最大判平成18年3月1日および前掲最三小判平成18年3月28日の根本的な難点は、かような部分にあるのかもしれない※。
※拙稿・前掲税制研究56号139頁。拙稿「条例における介護保険料の定め」日本財政法学会編『地方財務判例質疑応答集』(加除式、初回2017年、ぎょうせい)2314頁も参照。
第一点は、既に示した北野教授の根本的な疑義に関わる。大日本帝国憲法第62条は、第1項において「新ニ租税を課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ」としつつ、第2項において「但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス」と定めていた。このような規定であれば、無償性は当然のこととして承認されるであろう。しかし、日本国憲法第84条には大日本帝国憲法第62条第2項のような明文が存在しない。従って、日本国憲法第84条は、無償性を有する公課のみを租税と扱うものとすべき説の根拠にならないのではなかろうか。
第二点は、反対給付または対価性の意味ないし範囲の不明確性であり、無償性の意味との関連において無視しえない問題である。ここでは、たとえば目的税を考えてみるとよい。
本来、目的税は行政側の利益提供に対する反対給付として位置づけられるものではない。しかし、実際には受益者負担論的(または原因者負担的)な観点から、何らかの対価性を有するものと考えられることが少なくないようである※。そうであるならば、反対給付ないし対価性は、手数料のように直接的な租税負担との対応を必要としないことになる※※。。しかし、これでは租税たる目的税とその他の公課との区別が曖昧になり、「何らかの行政目的が存在する場合に、強制的に徴収する必要があれば税の名を借り、柔軟な対応をすべき場合は負担金や分担金といった形式を選択するとの便宜的な運用が行われてきた」と評価されるのもやむをえない※※※。。実際に、自動車取得税・入猟税・水利地益税などのように、負担金との区別がつきにくいものもあるし、都市計画税のように曖昧な性格を有するものもある。
※消費税の福祉目的税化の議論はその典型であろう。
※※増田英敏『リーガルマインド租税法』〔第4版〕(2013年、成文堂)227頁は「租税の非対価性は直接的な対応関係がないという意味で用いられている」と指摘する。
※※※伊川正樹「地方目的税の今後の可能性―『本来的目的税』の提言を基礎として―」日本租税理論学会編『地方自治と税財政制度(租税理論研究叢書16)』(2006年、法律文化社)37頁。
なお、ヴァーグナー(Adolf Wagner)は租税に「一般的報償性」を認めたが、ノイマルク(Fritz Neumark)により批判された。
(3)道具的性格
租税は、第一次的に国家の資金調達を目的とするものである。かつてはこれがメルクマールとして強調されていた。国家自身が財貨などを得る場合が多いからである。
しかし、国家が租税を徴収しつつも、その徴収額を第三者に譲渡することもある。その代表例として、地方譲与税、地方交付税、補助金をあげることができる。
また、経済政策、景気政策などの手段に用いられることもある。前掲最大判昭和60年3月27日も指摘するように、租税には所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整などの機能があることも認められる※。先にあげた地方譲与税、地方交付税や補助金などは、このような機能を担うものとして捉えられるであろう。また、最近では自動車取得税などにおいて、環境政策の一環として用いられることがある。
※この趣旨は、最三小判平成4年12月15日民集46巻9号2829頁(酒類販売免許制訴訟)において引用されている。
(4)一連の租税の調達過程における課税の一方的性格
これは、徴税手続などにおける権力的要素などを指す。
現在、通説は租税を私人の法定債務であると考える。私もこの説を支持するのであるが、これは税額や税率が法定されているという実体法的観点に着目したものであり、租税の徴収という手続法的観点からすれば、申告納税という方法が多くの租税において採られているものの、更正、推計課税、さらに税務調査など、権力的な側面が強いことも否めない。
(5)法律の根拠
近代立憲主義において、私有財産の不可侵は重要な原則である。この原則は現代立憲主義において若干の修正を受けたが、日本国憲法は、私有財産制度の存在を前提とし、私有財産の保護を規定する。しかし、租税は、上述のように、国民から強制的に、直接的な反対給付を伴うことなく徴収されるものである。従って、課税権の行使は、国民の財産権に対する一方的な侵害にあたる。そのために、恣意的な課税権の発動がなされてはならない。
また、本来ならば租税こそが国家の資金調達の最終手段でなければならないが、近年は公債に依存する傾向が大きい。日本は代表的であり、先進国の中でも最悪の水準である。
但し、ここで注意しなければならないことがある。
上記における租税の定義は租税法学あるいは財政学におけるものであり、行政の観点からのものとも言いうる。租税、手数料、負担金などは、それぞれ根拠法規を異にするし、取扱も異なる。しかし、日本国憲法第84条における「租税」の意義については、別に考えなければならない。この点は、租税法の講義というより、むしろ憲法や財政法の講義において扱うべきものであるため、ここでは詳しく取り上げないこととする※。
※拙稿・前掲税務弘報54巻12号137頁、同・前掲税制研究56号136頁を参照。
3.租税の分類
日本の実定法が定める租税には様々なものが存在する。これらは、勿論、無秩序に、あるいは相互に無関係に存在するのではなく、一定の体系性を有する。ここで、租税の分類などを概観する。
(1)国税と地方税
国税は、国が租税主体として賦課・徴収する租税のことである。所得税、法人税、消費税、相続税・贈与税、酒税、関税などが該当する。国税の場合は、単一の法典ではなく、国税通則法や国税徴収法、国税犯則取締法などの一般的な法典と、所得税法、法人税法など、個別の法典により規律される。これはドイツにならった方式である。
また、所得税法、法人税法などの個別法典に規定される原則を、様々な政策のために修正する特別措置をまとめた法律がある。租税特別措置法である。この法律に定められる特別措置は、主に非課税や租税負担の軽減のためのものであり、一般的に特別措置というとこの種のものを指すが、租税負担を加重する特別措置も存在する。また、単なる租税負担の加重とは意味を異にするが、国際的租税回避を防止するための規定として、租税特別措置法第40条の4および同第66条の6がある。これらも租税を軽減するための特別措置ではない。なお、租税特別措置は租税特別措置法に定められるのが一般的であるが、所得税法や法人税法などの一般法に規定されることも多い。
地方税は、都道府県および市町村(併せて普通地方公共団体)ならびに特別区が租税主体として賦課・徴収する租税のことであり、さらに都道府県税(地方税法では道府県税という)と市町村税とに分かれる。個人住民税、法人住民税、個人事業税、法人事業税、固定資産税、都市計画税、地方消費税などが該当する。地方税の場合は、国税と異なり、租税手続を含めて地方税法という単一の法典により規律される。これはアメリカやフランスと同じ形式である。
日本においては、国税のほうが全体に占める収入の割合が多く、また、主要な税源も国税のほうに配分されている。このため、実際の事務量などは地方公共団体全体のほうが多いにもかかわらず、租税収入は国のほうが多いという問題がある。
なお、既に述べたように地方交付税および地方譲与税が存在する。
地方交付税は、国税のうち、所得税、法人税、酒税、消費税およびたばこ税の、それぞれ一定割合を、国が地方自治体に交付するものである。従って、地方交付税という名称ではあるが、国から地方公共団体への交付金であって、租税ではない。詳細については地方交付税法を参照されたい。
また、地方譲与税は、国税ではあるが、その収入の一定割合を地方自治体に譲与するものであり、その目的が法律に定められているものである。
(2)内国税と関税
関税は、国税のうち、外国からの輸入貨物に課されるものである。これ以外が内国税である。内国税と関税とでは、扱う行政組織が異なる。内国税を扱うのは国税庁・国税局・税務署であり、関税を扱うのは税関である。また、関税については、関税法および関税定率法、さらに国際条約が適用されており、原則として、国税通則法、国税徴収法、国税犯則取締法の適用が排除される。
(3)直接税と間接税
伝統的な学説によると、直接税と間接税は、それぞれ、次のように定義されてきた。
まず、直接税とは、納税義務者と担税者が同一であることを立法者が予定する租税をいう。これに該当するとされるのが所得税、法人税、相続税、固定資産税などである。
これに対し、間接税とは、納税義務者と担税者とが異なり、納税義務者が租税負担を別の者(担税者)に転嫁することを立法者が予定する租税をいう。これに該当するとされるのが消費税、地方消費税、酒税、たばこ税、揮発油税、関税などである。
上記のような定義について、故木下和夫教授は「一般的にはわかりやすいが、厳密に定義していくときには非常にあいまいな区分になってしまうという性格を持っている」と述べる※。
※木下和夫「租税構造の理論と課題」木下和夫編著『租税構造の理論と課題(21世紀を支える税制の論理第1巻)』〔改訂版〕(2011年、税務経理協会)7頁。
直接税と間接税との区別は、一般的に転嫁の有無を基準にするものとして説明されてきた。直接税、間接税のそれぞれについて上記のように理解するならば、転嫁を基準にせざるをえない。しかし、実際には、直接税であるから転嫁がなされない、あるいは、間接税であるから必ず転嫁がなされる、ということにはならない。市場においては、当事者の力関係などにより、転嫁の有無が決定されるから、間接税であっても租税負担が転嫁されないという場合が存在するのである。これに対し、法人税は直接税であり、納税義務者と担税者が同一であるとされるが、実際には、法人が取引活動などをなす際に、法人税負担分を価格に上乗せし、相手方に実際の負担を転嫁するという現象が存在する。
故木下和夫教授は、次のように述べる。
「転嫁の大きさの程度によっては、例えば消費税において完全に転嫁されれば間接税になるが、消費税が市場の状況によって全く転嫁されないときには直接税(つまり事業者課税)になってしまうことになる。あるいは、所得税を例にとってみても、被雇用者の所得税のほとんどが源泉徴収の方法によって勤務先の事業主が納税するが、その税負担は被雇用者が負うというのであれば、個人所得税の大部分は直接税ではなくて間接税なのか、ということになる。直間比率は、あいまいな定義に基づく租税の分類基準であるために、厳密な議論をする場合には混乱をひきおこすことになる。
現代では、このような状況をふまえて、直接税、間接税の分類基準はむしろ形式的かつ直観的なものであり、課税当局の行政上の分類として用いられているにすぎないというべきであろう。」※
※木下・前掲書7頁。
金子宏教授は、直接税とされる固定資産税を例にとり、固定資産の所有者が固定資産税の分を地代や家賃に含めて借地人や借家人に転嫁するという現象、すなわち、固定資産税の実質的な負担を所有者ではなく、借地人や借家人がなすという現象が存在することを指摘し、「最近では、むしろ、所得や財産など担税力(租税を負担する能力のこと)の直接の標識と考えられるものを対象として課される租税を直接税と呼び、消費や取引など担税力を間接的に推定させる事実を対象として課される租税を間接税と呼ぶことが多い」と述べる※。
※金子・前掲書13頁。
固定資産税(都市計画税が課されている市町村においては都市計画税も含めて)の転嫁について記すならば、固定資産の所有者が借地人や借家人に税額(少なくともその一部)を転嫁しなければ、固定資産を維持し難いという場合も少なくないであろう。同様のことは不動産所得税についても指摘しうるので、その限りにおいて所得税も転嫁されうることになる。もっとも、固定資産税や不動産所得税の場合、固定資産の所有者に転嫁の意識があるか否かについては、議論の余地もあろう。それに、転嫁云々を言い出すならば、譲渡所得税などについても認めざるをえないのではなかろうか。
また、神野直彦教授は「直接税と間接税は、租税負担の転嫁の有無を基準とした分類だと考えてよい」としつつ※、実際の転嫁の有無を判断することが難しいという事実を指摘する。その上で「法人税が転嫁されていることを実証する研究が続々と現れている」としていくつかの研究を紹介し、「法人税の転嫁を肯定する議論が、常識になっているといってもよい」、「シュタインがいうように、転嫁は不可知論の領域に属するといったほうがよいかもしれない」、「転嫁の有無を分類基準とする直接税と間接税の区別は、きわめて曖昧な租税の分類基準となる。そのため直接税と間接税の区別は、実際の転嫁の有無でなく、立法上の規定に委ねられるようになっている。つまり、法律上、納税者が負担することを予定している租税が直接税であり、納税者が負担しないで、取引相手が負担することを予定している租税が間接税、と理解されている」と述べる※※。
※神野・前掲書172頁。
※※神野・前掲書177頁。結果的に、私の説明と同じ趣旨である。
以上と異なる説明をなすのが吉田浩教授である。吉田教授は、納税義務者と担税者との異同による直接税と間接税との区別について「これではサラリーマンの給与からの源泉徴収による所得税を直接税と説明することができない」として「最近の説明では直接税は『税負担者の個別事情を考慮できる税』、間接税は『税負担者の個別事情を考慮できない税』とも説明されている」と述べる※。表現は異なるが、後に示す北野博士の説明と同旨である。
※畑農鋭矢・林正義・吉田浩『財政学をつかむ』(2008年、有斐閣)204頁。源泉徴収による所得税については、故木下教授も「被雇用者の所得税のほとんどが源泉徴収の方法によって勤務先の事業主が納税するが、その税負担は被雇用者が負うというのであれば、個人所得税の大部分は直接税ではなくて間接税なのか、ということになる」と指摘する(木下・前掲7頁)。
租税負担の転嫁の可能性は、財政学の観点に立った場合の議論であると言うべきである。勿論、法律学においても、立法政策などを考慮に入れるならば、転嫁の可能性の有無は重要であるが、法律学の観点に立った場合には、租税法律関係に着目すべきであろう。北野弘久博士は「直接税の場合には、税法上は納税義務者と担税者とが一致することが予定されているために、ほんとうの納税者である担税者も租税法律関係の当事者としての法的地位を取得することが予定されている。逆に、間接税の場合には、ほんとうの納税者である担税者は、租税法律関係の当事者としての法的地位が与えられず、法形式的にも租税法律関係から排除されることが予定されていることを意味する」と述べる※。
※北野編・前掲書7頁[北野]。
(4)人税と物税
人税とは主体税ともいい、主に人的な側面に着目して課されるものであり、所得税、相続税などが該当する。これに対し、物税とは客体税ともいい、主に物的な側面に着目して課されるものであり、消費税や固定資産税などが該当する。
(5)収得税・財産税・消費税・流通税 これは、担税力の標識および課税物件の相違を基準とした区別である。
収得税は、収入に着目して課される租税であり、直接的に所得を対象とする所得税(法人税、住民税なども含まれる)と、人が所有する生産手段から得られる収益を対象とする収益税(事業税や鉱産税など)とに分かれる。なお、相続税および贈与税は、所得税の補完税として考えるならば収得税であるが、次に説明する財産税(資産課税)と捉える説も存在する※。
※北野編・前掲書は、所得税のうち、譲渡所得および山林所得を「所得課税法」の項目においてではなく、「資産課税法」の項目において扱う。
財産税は、財産の所有に着目して課される租税であり、人の財産の全体や純資産を対象とする一般財産税と、特定の種類の財産を対象とする個別財産税とに分かれる。日本においては、一般財産税として、1946(昭和21)年に導入された財産税、および1950(昭和25)年に導入された富裕税が存在したが、いずれも廃止されている。相続税および贈与税は、財産税とすれば一般財産税に含まれることとなる※。これに対し、個別財産税には、地価税、固定資産税、自動車税などがあり、重要な地位を占めている。
※金子・前掲書14頁は「相続税および贈与税については、それが所得税の補完税であるのか、それとも財産税の一種であるのかをめぐって、争いがある」と述べ、「相続ないし贈与を原因とする財産の取得に対して課される租税であると考えると、前者の考え方に帰着し、相続ないし贈与を原因として取得した財産に対する租税と考えると、後者の考え方に帰着する」と指摘する。
消費税は、物品やサービスを購入し、消費することに着目して課される租税である。ゴルフ場利用税や入湯税のように、消費行為そのものに課されるのが直接消費税であり、製造業者や小売人により納付された租税が販売価格に含められて消費者などに転嫁されることが予定されるものが間接消費税である。例として、消費税、酒税、たばこ税などをあげうる。
さらに、間接消費税は、課税対象に応じて個別消費税と一般消費税とに分かれ、課税段階に応じて単段階消費税と多段階消費税に分かれる。このため、理念的には単段階個別消費税、多段階個別消費税、単段階一般消費税、多段階一般消費税の四種が存在しうることとなるが、日本の税制には、現在、多段階個別消費税と単段階一般消費税は存在しない※。
※消費税については、第七部において詳細を扱う。
個別消費税は、課税対象が特定の物品またはサービスに限定されるというものであり、酒税、たばこ税などが該当する。これに対し、一般消費税は、課税対象が原則として全ての物品およびサービスであるというもの、すなわち、課税対象が原則として限定されないものをいう。消費税および地方消費税が該当する。
また、単段階消費税は、一つの取引段階のみで課税を行うものであり、酒税、たばこ税などが該当する。これに対し、多段階消費税とは、複数の取引段階で課税を行うものであり、消費税および地方消費税が該当する。 流通税は、権利の取得や移転など、取引に関する様々な事実行為や法律行為を対象として課される租税である。登録免許税、印紙税、不動産取得税などが該当する。
(6)普通税と目的税
普通税とは、収入の使途を特定の経費に充てることを予定せずに課される租税である。近代立憲国家においては普通税が原則とされている。これはノン・アフェクタシオンの原則と言われるものであり、財政法第14条、会計法第2条および地方自治法第210条にいう総計予算主義の要請でもある。
これに対し、目的税とは、当初から収入の使途を特定の経費に宛てることを予定して課される租税である。法律によって支出目的が規定されているため、例外として扱われる。
しかし、最近では、支出目的の限定という面に着目し、目的税が応益原則に資することが強調され、再評価の機運も見られる。また、地方分権に伴う課税自主権の強化の一環として、法定外目的税の活用例が増えている。
たしかに、目的税により、税収の使途の明確化が期待できる部分があることは否定できないのであるが、次に示すような問題があり、法定外普通税を含めて懸念を抱かざるをえない。
第一に、目的税を多用するならば「財政の統一的運営を困難に」し※、財政の硬直化を招きやすくなる※※。特定財源についても同様のことを指摘しうる。
※金子・前掲書18頁。
※※金子・前掲書18頁、拙稿「地方目的税の法的課題」『地方税の法的課題(日税研論集46号)』(2001年、日本税務研究センター)284頁。なお、碓井光明『要説地方税のしくみと法』(2001年、学陽書房)37頁、伊川・前掲35頁を参照。
第二に、議会の予算審議権・議決権の範囲を狭め、結局は国民主権、地方自治における団体自治・住民自治の原則に反する結果につながりかねない※。
※拙稿・前掲日税研論集46号285頁。なお、碓井・前掲書38頁、宮入編著・前掲書31頁[松井吉三担当]、同書134頁[松井]も参照。
第三に、本来、地方税は住民生活の基盤整備という目的を有するはずであるが、第一次地方分権改革による法定外普通税・法定外目的税の制定の動向はこの目的と異なる方向に進んでおり、結局は課税しやすいところに課税するという傾向が見受けられる。東京都の宿泊税はその典型であり、東京都に居住し、都内の宿泊施設を利用する住民はもとより、課税団体である地方公共団体の域外に居住する住民や企業など、参政権がなく、当該地方公共団体の住民税の納税義務者でもない者を宿泊税の納税義務者としている※。地方自治法第10条第2項に規定される負担分任の原則から逸脱していることは否めず、第二の点と同様に国民主権・民主主義の観点からは問題とせざるをえないし、租税体系に歪みを生じさせる危険性が高いことも否定できない※※。
※「ホテル等」は、東京都宿泊税条例第6条第1項により、特別徴収義務者とされる。なお、ここにいう「ホテル等」は、同第2条において「旅館業法(昭和23年法律第138号)第3条第1項の許可を受けて行う同法第2条第2項又は第3項の営業に係る施設」と定義される。
※※東京市町村自治調査会『課税自主権と法定外税調査研究報告書』(2004年3月)178頁。これは、大分大学教育福祉科学部助教授であった私へのインタビューをまとめた記事である。同書179頁には増田英敏教授へのインタビューをまとめた記事も掲載されているので、参照されたい。
4.租税法学の理論上の体系
論者によって内容や順番が異なることも多いが、概ね、次のようになっている。なお、多くの教科書においては、とくにシャウプ勧告に焦点を当て、近代国家になってからの日本の租税の歴史を扱うのであるが、この講義においては省略し、後に必要な部分について若干触れるに留める※。
※元々、租税法は行政法各論において扱われた分野であり、租税法学として独立してはいるが現在でも行政法の一分野であることに変わりがないため、体系については行政法学と共通する部分が多い。
(1)租税法の基本原則
租税の意義、租税法律主義、租税法の解釈、課税上の原則など、租税法の全体に共通する原則を扱う。租税法総則、または租税法の基礎理論とも言われる。この部分のみに関する解説書もあるほどで、理論的な難題も少なくない。
(2)租税実体法
所得税法、法人税法、消費税法などの個別租税法について、課税要件などを扱う。多くの体系書が租税実体法に膨大な頁数を充て、租税法の中心的な存在となっているとともに、一般国民にとっても最も関心の高い分野であろう。個別の租税実体法に関する概説書なども多く出版されている。
(3)租税手続法
根本的には、行政法学における行政手続法と同じものである。納税義務が成立してから具体的に租税が納付されるまでの手続である。例えば、申告納税は、納税義務者が納めるべき税額を納税義務者自らが確定し、申告して納付するが、場合によっては税務署に認められず、納税義務者が修正申告をするか、税務署が更正処分を行う。滞納処分に至る場合もある。こうした一連の過程を扱う。
見方によっては、租税処罰法や租税争訟法も租税手続法に入るのであるが、これらは事後手続であるため、租税手続法とは別に扱われる。この点も行政手続法と同じである。但し、租税手続については行政手続法が適用されず、国税通則法や国税徴収法などが適用される場合が多い。
(4)租税争訟法
行政法学における行政争訟法と根本的には同じである。更正処分や滞納処分などを受けた納税義務者が救済を受けるための手続を扱う。租税法の場合は、行政不服審査前置主義が採用され、しかも行政不服審査法ではなく、国税通則法の規定が適用される。そのため、税務署長に対する異議申立て、国税不服審判所への審査請求を経てから、裁判所に訴訟を提起することとなる。なお、租税訴訟に関する特別法は存在しないので、行政事件訴訟法などが適用される。
(5)租税処罰法(罰則法)
行政法学における行政刑法と根本的には同じである。個々の租税の確定や徴収、納付に直接的に関連する犯罪と、それに対する制裁(刑罰などの処罰)を扱う。
中心となるのは脱税犯である。これは、次のように細分される。
逋脱犯(狭義の脱税犯):納税義務者または徴収納付義務者が、偽りその他不正の手段により、租税を免れ、またはその還付を受けたことを構成要件とする犯罪である。帳簿書類への虚偽記入、二重帳簿の作成などの手段によることが多いが、単純な無申告や過少申告であっても逋脱犯に該当する場合がありうる。課税主体の租税債権を直接的に侵害する犯罪と位置づけられる。
間接脱税犯:外国貨物の密輸入や酒類の密造など、一般的に法律により禁止されている行為を行った場合が該当する。
不納付犯:徴収納付義務者が、徴収し納付すべき租税を納付しない、という事実を構成要件とするものである。
滞納処分脱犯:滞納処分の執行を免れる目的により、財産の隠蔽や損壊、その他租税債権者の利益を害する行為が該当する。
脱税犯とは別に、租税危害犯の概念が存在する。これは、課税主体の租税債権を直接的に侵害するものではないが、租税確定権や租税徴収権の行使を妨げるために可罰的であるとされる行為を犯罪とするものであり、主なものは次の通りである。
虚偽申告犯:文字通り、納税申告書に虚偽の記載をすることが構成要件とされる犯罪である。
単純無申告犯:正当な理由がないにもかかわらず、納税申告書を提出期限内に提出しないことが構成要件とされる犯罪である。但し、偽りその他不正な行為と結びついている場合には、単純無申告犯ではなく、逋脱犯とされる。
不徴収犯:源泉徴収などの徴収納付義務者が、納税義務者から徴収すべき租税を徴収しない場合をいう。罰則として、所得税法第242条第3号がある。
検査拒否犯:これは、次のような行為を構成要件とする犯罪である。
①税務職員の行う質問に対して答弁をしない、
②税務職員の行う質問に対して偽りの答弁をする、
③税務職員の行う検査を拒否する、
④税務職員の行う検査を妨げる、
⑤税務職員の行う検査を忌避する、
⑥質問・検査の際に偽りの記載がなされた帳簿書類を提出する。
今日(2018年3月23日)、JR北海道と夕張市が、石勝線夕張支線の廃止について合意しました。朝日新聞社が、今日の20時42分付で「石勝線夕張支線、来年4月に廃止 JR北と夕張市が合意」として報じています(https://digital.asahi.com/articles/ASL3R4VL5L3RIIPE01J.html)。
このブログでも何度か話題にしているように、JR北海道は単独で維持困難であるとした13線区について存続か廃止かを検討している訳ですが、夕張市は石勝線夕張支線の廃止を提案していました。合意により、13線区の中で最初に廃止が決まったこととなります。
今後、JR北海道は20年間にわたり、代替バスの運行を支援する、そのために7億5000万円ほどを拠出する、などということのようです。そして、今月中にJR北海道が廃線届を国土交通省に提出し、2019年4月1日付で石勝線夕張支線を廃止する予定となっています。
他の線区の動向も気になるところです。
もう一つ、色違いのビートルがあります。
一言でビートルと言いますが、実はいくつかの種類があります。モロゾフのビートルは、タイプ1と言われるものをミニカーにしたものですが、プロトタイプはVW1200でしょうか、それともVW1302でしょうか。
ドイツでは1978年に生産終了となりましたが、メキシコで製造が続けられており、完全終了となったのは2003年のことです。これだけ長い期間にわたって製造され、また多くの台数が製造されたのはビートルだけです。
1990年代も終わりに近づいた頃、ニュー・ビートルが登場しました。タイプ1の後掲という訳ではないらしいのですが、雰囲気はよく似ていました。私も、5代目ゴルフを買う時に試しにニュー・ビートルに乗ってみましたが、運転しづらそうであったためにやめました。
そして、2011年、ザ・ビートルが発表されました。タイプ1を精悍にしたような、それでいてしっかりと受け継いでいるようなデザインです。車幅が1.8メートル程となってしまったのは仕方のないところでしょうか。
今日3月17日はJRグループのダイヤ改正日です。
大幅減便改正となったJR九州が話題となっており、大分県でも批判などが飛び交っている状況です。
先程、日豊本線の佐伯〜延岡のダイヤを見ました。この区間は、特急の本数こそ10往復以上が確保されているものの、普通列車の本数が極端に少なく、佐伯〜宗太郎で3往復、市棚〜延岡で4往復、しかも朝夕のみという状態で、日中は10時間以上も空いていました。
本日、普通列車のダイヤを見ると、さらに減便されていました。札沼線の浦臼〜新十津川の1往復よりは多いのですが、仮にも本線を名乗る路線としては少なすぎます。いくら特急が走ると言っても、です。特急は、佐伯を出ると延岡まで止まりません(逆も同じです)。
まず佐伯駅です。下りの普通列車は次のようになっています。
6時18分(2761M。延岡行き。JR九州のサイトには「グリーン車自由席」、「普通車自由席」とも書かれていたので、特急用の車両を使うのかもしれません)
16時57分(1361M。重岡行き)
19時4分(4657M。亀川始発の重岡行き)
昨日までは延岡行きが3本ありましたが、ついに1本に減りました。重岡駅は大分県佐伯市にある駅ですから、宮崎県に向かう普通列車は1本しかないということになります。そればかりでなく、重岡駅の次にある、秘境駅の一つとして有名な宗太郎駅も大分県佐伯市にありますから、駅としての存在意義が従来以上に問われかねないところでしょう。
また、この10年弱の間、佐伯〜延岡の普通列車には1両編成のディーゼルカーが充てられていましたが、列車番号からして再び電車に変えられたのでしょうか。
次に延岡駅です。上りの普通列車は次のようになっています。
6時10分(2760M。南延岡始発の佐伯行き)
19時33分(2762M。佐伯行き。特急も含めて、これが上りの最終列車)
昨日までは佐伯、大分方面に向かうのが3本、宮崎県最北・最東の駅である市棚駅までが1本でしたが、トータルで2本に減ってしまいました。
以上から、重岡〜延岡の普通列車は下り1本、上り2本しかないということになります。宗太郎駅の時刻表は、次のようなものです。
下り(延岡方面):6時47分(2761M。延岡行き)
上り(佐伯方面):6時39分(佐伯行き)/20時8分(2762M。佐伯行き)
市棚、北川、日向長井および北延岡の各駅についても同じようなものです。特急はこれらの駅に止まりませんので度外視すれば、普通列車は1.5往復しかない訳です。通学のために列車に乗ると言っても、このダイヤでは利用しづらいのではないでしょうか(もっとも、県境越えのニーズはほとんどないでしょうが)。
大分大学に勤めていた時に、何度か佐伯市や延岡市に行きましたし、日豊本線の佐伯〜延岡を利用したこともあります。重岡駅が映画「なごり雪」の撮影に使われたことは結構知られており、同駅にもそれを記念するような看板が立てられていましたが(今はありません)、日中に1本も走らないのでは見に行きたくとも行けないというところでしょう。自家用車かレンタカーしか手段がないのです。私も重岡駅を訪れましたが、特急は止まらず、普通列車は日中になく、佐伯駅辺りからの路線バスも1日3本くらいしかないということで、自家用車を運転しました。
この区間は、現在でこそ大分県佐伯市と宮崎県延岡市を通るのですが、平成の大合併まで、直見駅と直川駅は直川村に、重岡駅と宗太郎駅は宇目町に、市棚駅、北川駅および日向長井駅は北川町にありました。北川町はどうか知りませんが、直川村と宇目町は過疎地域に指定されていたはずです。当然、人口も少なく、その上、典型的な自動車(自家用車)社会です。重岡駅と宗太郎駅の付近には民家があまりありません(そのように記憶しています)。県境越えの経済的交流もあまりないようなので、佐伯〜延岡が閑散区間になるのは仕方がないとも言えます。
それだけに、この区間の普通列車の意義、そして各駅の存在意義が問われるところでしょう。とくに宗太郎駅は、利用客数が一日平均で1人を下回っているそうで、こうなっては駅として存在する意味がほとんどないと言えます(ちなみに、この駅の辺りには路線バスもありません)。
駅の無人化だけでなく、廃止なども課題になっているというところでしょうか。
モロゾフと言えば神戸のお菓子屋さんですが、今年は期間限定でビートルが付いてきました。
妻が渋谷の東急百貨店東横店で買ってきてくれたお菓子に、いわばおまけとして入っていたものです。
VW(フォルクスワーゲン)といえばビートル、という方も少なくないでしょう。私もその一人です。この車くらい、どのような色でも似合う形を持っているものは他にないでしょう。
等々力の目黒通り沿いにあったビートル専門店に、一度だけ入って実物を見たことがあります。その店は、いつの間にか閉店してしまいました。
ちなみに、同じ目黒通りをさらに進み、鷹番一丁目交差点を過ぎると、ビートルのファンの間では有名なFLAT4があります。さらに進むと、東急バス目黒営業所の近くにVW目黒があります。
もっとも、私が小学生であった頃に初代ゴルフがデビューし、2代目ゴルフが大ヒットしたこともあって、学部生時代にはゴルフを運転してみたいと思っていました。月日は流れ、2005年に5代目ゴルフGLiを購入しました。非常に運転しやすい上に、2リットルの排気量にしては燃費が非常によく、ブレーキの利きも非常によく、おまけに全く故障もしなかったということで気に入り、8年近くも所持し、運転していました。現在はポロを持っています。そろそろ5年になろうとしています。
実質的に経営破綻状態とも言われるJR北海道の話題を、このブログでも何度か取り上げています。これまでは、同社が単独での維持を困難と判断した在来線の存廃について記してきましたが、JR北海道が抱える問題は、実のところ北海道新幹線にもあります。考えようによってはそちらのほうが問題として大きいかもしれません。
先週のことですが、3月8日10時9分付で、朝日新聞社のサイトに「青函トンネル30年、老いと戦う」という記事が掲載されました(https://digital.asahi.com/articles/CMTW1803080100001.html)。
昨日(3月13日)は、青函トンネル開業30周年という日でした。「もうそんなに時間が経ったのか」とも思いましたが、この青函トンネルがJR北海道の今後にとって厄介な問題になる(否、既に厄介な問題ではあるはず)とも考えられました。
構想は古くからありましたが、1954年の青函連絡船洞爺丸沈没事故が建設のきっかけとなりました。着工は1964年、貫通は1985年です。当初から新幹線車両の走行が想定されていましたが、実際には在来線(海峡線)のために長らく使用されてきました。北海道新幹線の車両が運行され始めたのは2016年3月であり、貫通から30年以上、開業からでも28年が経過しています。
どこまで本当かどうかわかりませんが、1980年代の大蔵省主計局には昭和三大馬鹿査定なる言葉があり、戦艦大和および武蔵(これでひとまとまり)、伊勢湾干拓とともに青函トンネルが含まれていました。当時は昭和三大馬鹿査定という表現またはその意味するところが批判されたそうですが、30年も経過してみると、少なくとも青函トンネルについて昭和三大馬鹿査定という表現は正しかったのかもしれない、と評価される方もおられるでしょう。それどころか、JR北海道にとっても、そして日本国民にとっても「負動産」のようなものとなる可能性は否定できません。
理由は簡単です。多くの人が建設だけに関心を持ち、維持・管理に関心を持たないのです。予算には関心を持つが決算には関心を持たない、という日本の悪弊の典型とも言えます。
何でもよいのですが、或る物を建設しなければ、維持・管理の必要もないので費用も不要です。しかし、建設してしまえば、維持・管理が必要ですから費用が必要です。下手をすれば建設費用より維持費用のほうが多くなるかもしれません。長短はあれ、ほとんどの物には寿命があります。
青函トンネルも、残念ながらこの部類に入るかもしれません。つまり、建設してしまったばかりに、維持・管理のための莫大な費用と手間がかかる訳です。
既に記したように、開業から30年が経過しています。貫通してからということであれば33年が経過しています。従って、着工年を考慮すれば40年、50年が経過している部分もあります。そもそも、設計は1950年代か1960年代のものでしょう(もしかしたら設計に修正された部分があるかもしれません)。
設計の年代を脇に置くとしても、過酷な環境です。海底トンネルであるため、湧水から逃れることはできません。上記朝日新聞社記事には「岩盤から毎分20トンもの水が間断なく湧き出ており、北海道側と青森県側の複数のポンプでくみ上げている。ポンプに冷却水を送る配管約1100メートルはさびがひどくなり、全て取り換えた」と書かれています。湧水にどの程度の塩分が含まれているかは書かれていませんが、濃度によっては、塩害として配管に相当のダメージを与えることでしょう(あとは配管の材質などに左右されます)。
上記朝日新聞社記事には「JR北や国はこれまで設備更新などに300億円のお金を投じてきた」と書かれています。記事のスペースなどの関係もあってなのか、これ以上のことは書かれていませんが、少なくとも開業から今まで300億円ということでしょう。1年平均で約1億円の費用が必要であるということになります。但し、トンネルも減価償却資産であるということを念頭に置いてください。実際には年数の経過とともに維持費用が増える、と考えるのが妥当なところです。
しかも、2016年から北海道新幹線が運行されています。最高速度が140キロと制限されているのですが、それでもかつての海峡線よりは速いでしょう。さらに最高速度が引き上げられるかもしれませんが、いずれにしても、最高速度が上げられるほど、線路の規格は高くなります。例えばレールの規格です。新幹線のレールは1メートルあたり60キログラムというものです。在来線のレールは1メートルあたり50キログラムや40キログラムという場合が多く、それより低い物もあります。重くなればなるほど、列車の運行速度を上げることもできる訳ですが、それだけ費用もかかります。
当たり前のことですが、速度を高めるためにはレールの品質だけを高めても意味がありません。地盤が強固である必要もあります。他に信号など、様々な施設が必要となります。ただではできません。安価に済ませることができればよいのですが、そういう訳にはいきません。高速道路も新幹線も同じようなもので、スピードを求めるには上物(自動車、鉄道車両)も下物(道路、軌条)も上質なものでなければならないのです。そうなれば、費用が高くなるに決まっています。まして、年数が経過すれば、です。トンネルであれば風圧なども考慮に入れなければなりません。
もう一つ、現在の青函トンネルでは貨物輸送も行わなければならず、そのためには三線軌条とせざるをえません。これも厄介な問題です。新幹線の軌間は1435ミリメートルですが在来線の軌間は1067ミリメートルです。新幹線では貨物輸送を行えないので、在来線の規格を残さざるをえません。コストが高くなることは自明です。
青函トンネルを高速度で走行するためのコスト、貨物運送をするためのコスト、そして構造物自体を維持するためのコスト。これらがJR北海道の背に負わされるのです。1988年に青函トンネルの区間には300万人程の輸送人員があったということですが、時間の経過とともに減って200万人を割り、2016年度になってようやく200万人台を回復したとのことです。今後の伸びはあまり見込めないでしょう。
そればかりでなく、今の政策、世論などを総合すれば、JR北海道が赤字を計上している在来線の廃止を進めることはできるとしても、北海道新幹線の廃止を行うことはできないでしょう。JR北海道には、常に、自社の意思のみではどうにもならない重しが課せられていることになります。
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私自身のことを振り返ってもそうですが、「あの時、こうしておけばよかった」よりも「こんなことをしなければよかった」ということのほうが多いのです。逆のことを言っていた馬鹿なCM(そういう理論を唱えた学者がいたそうです)がありましたが、「あの時、こうしておけばよかった」よりも「あの時、こんなことをしなければよかった」のほうが、後悔の度合いは高いのです。徳川家康は「及ばざるは過ぎたるに勝れり」と言ったとか言わないとか。