管理人の権限を利用して、お知らせです。
地方自治総合研究所から刊行されている雑誌「自治総研」の最新号(2015年6月号)が刊行されました。
この中に、私の「2015(平成27)年度税制改正の概要と論点~地方税制の重要問題を中心に~」が掲載されています(76~102頁)。また、この雑誌は、地方自治総合研究所のサイトでもPDFファイルで見ることができますので、御覧いただけば幸いです。
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私は北海道に2回しか行ったことがなく、しかもその2回とも北海道大学で行われた学会に出るためであって、新千歳空港と札幌市を往復しただけのような状態でした。ついでのことなので、札幌市内を走る地下鉄の全線と路面電車全線には乗りましたが、その他の路線と言えば、千歳線の新千歳空港⇔白石、函館本線の白石⇔桑園、札沼線の桑園⇔新琴似を利用しただけです。
勿論、機会があれば鉄道を利用して北海道をまわってみたいとは思っていました。しかし、広大で、鉄道網を利用したくとも本数が少ないなどの問題があり、行けずじまいのままです。
そのような私が北海道の話を記してよいものかと考えたのですが、やはり、昨日、今日と報じられているところを見て、取り上げない訳にもいかないと思い、記します。
江差線の木古内⇔江差が廃止されたのは2014年5月のことですが、輸送密度の低い路線は多く、1980年代の国鉄分割民営化に際して設定された特定地方交通線の基準を仮に当てはめてみたらさらに廃止されそうな路線がいくつか出てきます。今日のテーマである留萌本線(深川⇔増毛)がその一つです。また、1月の土砂災害により鵡川⇔様似が不通となり、その後一部区間が再開したものの、再び不通となっている日高本線も、輸送密度が非常に低い路線です。
留萌本線の先行きについては、かなり暗い見通しが一部で主張されていました。書名を忘れてしまいましたが、何冊かの本で読み、「近々廃止が言われるかもしれない」という予想も立ちました。そして、昨日(6月27日)の6時30分付で、北海道新聞社が「留萌線の廃止検討 まず留萌―増毛、18年度までに JR、沿線自治体に意向」(http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0150361.html)として報じました。IDとパスワードを入力しないと全体を読むことができないので、今回は一部のみを読みました。また、毎日新聞社が、今日(6月28日)の9時55分付で「JR北海道:留萌線の廃止検討 沿線自治体と協議へ」(http://mainichi.jp/select/news/20150628k0000e020132000c.html)として報じています。
毎日新聞社の記事には、北海道内で輸送密度が500人未満となっている路線があげられています。2014年度の数字で、JR北海道再生推進会議によるものです。
1.札沼線 北海道医療大学⇔新十津川(47.6km) 81人
2.石勝線 新夕張⇔夕張(16.1km) 117人
3.留萌本線 全線(深川⇔増毛。66.8km) 142人
4.根室本線 滝川⇔新得(136.3km) 277人
5.日高本線 全線(苫小牧⇔様似) 298人
6.宗谷本線 名寄⇔稚内(183.2km) 405人
7.根室本線 釧路⇔根室(135.4km) 436人
8.釧網本線 全線(網走⇔東釧路。166.2km) 466人
留萌本線はワースト3位となっています。しかも全区間でこの数字です。たしかに、この数字では廃止が検討されてもおかしくありません。
また、札沼線(学園都市線という愛称があります)の場合は桑園⇔北海道医療大学の輸送密度が1万人を超えていますので、区間によって極端な差が出ています。最近、桑園⇔北海道医療大学が電化されたのに対し、北海道医療大学⇔新十津川は非電化のままであり、このうち、浦臼⇔新十津川は一日に3往復しかありません。
さて、留萌本線です。記事では「留萌線」となっておりますが、ここでは「留萌本線」と記しておきます。この路線は、四国を除くJRグループの各本線では筑豊本線に次いで短い路線であり、2倍以上の距離を有していた羽幌線が廃止されてからは、支線もない地方交通線で、本線とは名ばかりの存在となりました。現在、深川駅の時刻表を見ると、留萌本線の下り列車は一日に8本で、このうち増毛行きが6本、留萌行きが2本となっています(なお、普通列車しか走らないのですが通過する駅もあります)。このようになったのは、沿線の過疎化と深川留萌自動車道のためでしょうか。なお、留萌本線には列車交換を行うことができる駅が(起点の深川を除けば)峠下と留萌しかありません。
詳しいことはわからないのですが、留萌本線の中では末端区間となる留萌⇔増毛の利用客が特に少ないようで、この区間を2018年度までに先行して廃止するというのがJR北海道の意向です。この区間は、これまでにも雪崩、大雪などが原因で度々不通となっており、落石などに対する安全対策も行き届いていないようです。2012年にはこの区間で脱線事故も発生したのですが、抜本的な対策をとるためには50億円が必要とのことで、JR北海道としては拠出できない額であるということなのでしょう。たしかに、乗降客が少ないのに多額の費用をかけてもあまり意味がありません。
これまで、JR北海道では利用者の少ない、あるいは皆無の駅を次々に廃止してきました。留萌本線では、1990年に桜庭駅が廃止され、1995年に浜中海水浴場駅(臨時駅)が廃止され、2006年に東幌糠駅が廃止されています。しかし、駅の廃止、ワンマン運転化、本数の削減、列車交換施設の廃止など、合理化を進めても、留萌本線の状況は良くなりません。JR北海道全体を見ても、2015年度3月期決算で営業赤字が過去最大になっています。これでは、留萌本線の廃止もやむをえない状況でしょう。
しかも、問題は留萌本線に留まりません。上に示した路線、とくに現在は日高本線の行方が気になるところです。
昨日(6月25日)の日本経済新聞の6月25日付夕刊14面4版に「法科大学院の募集停止 中京大、来年度から」という記事が出ていたので、それを取り上げようかと思って書き始めたところ、今月16日に国学院大学が法科大学院の募集を2016年度以降に停止するという発表をしていました(「法科大学院に関するお知らせ」)。法学部で非常勤講師をしている私ですが、完全に見落としていました。同大学は、補助金の「基準額算定率」に基づくランキングでEランクとされていました。また、2014年に行われた司法試験で、国学院大学の法科大学院は合格者数4名で46位(桐蔭横浜大学、大東文化大学および鹿児島大学と同順位)、合格率は6.3%で、5月29日付の朝日新聞朝刊38面14版「法科大学院 サバイバル」の「昨年度の司法試験で合格率が1割未満の法科大学院」という図表に登場します。
一方、中京大学ですが、日経の夕刊では完全なベタ記事で、相当に気をつけていないと見落とすようなものでした。また、今日付の朝日新聞名古屋本社版朝刊27面14版にも「中京大、法科大学院募集停止」という記事が掲載されていますが、こちらも完全なベタ記事です(位置の関係で、こちらのほうが探しやすいのですが)。中京大学は、5月29日付朝日新聞朝刊の図表に登場していません。また、2014年の司法試験で、中京大学の法科大学院は合格者数3人で50位、合格率は13.0%でした。同じ順位となったのが名城大学、獨協大学、青山学院大学、東北学院大学、静岡大学、琉球大学、京都産業大学、香川大学、関東学院大学ですが、獨協大学、東北学院大学、静岡大学、京都産業大学、香川大学および関東学院大学は、既に募集停止をしているか募集停止を発表しているところです。
何度も出している「基礎額算定率」を、再び出しておきます。既に募集停止を公表している大学については取り消し線を付しました。
【基礎額算定率】
A(90%)
早稲田大学(45%加算)、一橋大学(40%加算)、東京大学(35%加算)、京都大学(30%加算)、慶應義塾大学(30%加算)、北海道大学(15%加算)、大阪大学(15%加算)、上智大学(10%加算)、名古屋大学(5%加算)、学習院大学(5%加算)、中央大学(3%加算)、東北大学(1%加算)、筑波大学(加算無し)
B(80%)
神戸大学(20%加算)、創価大学(15%加算)、成蹊大学(5%加算)、愛知大学(5%加算)、千葉大学(5%加算)、九州大学(加算無し)、横浜国立大学(加算無し)
C(70%)
同志社大学(35%加算)、岡山大学(24%加算)、琉球大学(15%加算)、立教大学(10%加算)、甲南大学(5%加算)
D(60%)
立命館大学(7.5%加算)、金沢大学(5%加算)、明治大学(5%加算)、広島大学(5%加算)、関西大学(5%加算)、関西学院大学(5%加算)、西南学院大学(5%加算)、青山学院大学(4%加算)、静岡大学(加算無し)、熊本大学(加算無し)、法政大学(加算無し)、神奈川大学(加算無し)、中京大学(加算無し)、南山大学(加算無し)、近畿大学(加算無し)、日本大学(改革案提案無し/加算無し)、山梨学院大学(改革案提案無し/加算無し)、東洋大学(改革案提案無し/加算無し)、名城大学(改革案提案無し/加算無し)、福岡大学(改革案提案無し/加算無し)
E(50%)
北海学園大学(加算無し)、京都産業大学(加算無し)、國學院大學(改革案提案無し/加算無し)、駒澤大学(改革案提案無し/加算無し)、専修大学(改革案提案無し/加算無し)、桐蔭横浜大学(改革案提案無し/加算無し)、愛知学院大学(改革案提案無し/加算無し)
また、これまで法科大学院の募集停止を公表した大学も記しておきます(既に廃止となっているところもあります。また、公表順ではありません)。
東北地方:東北学院大学
関東地方:白鷗大学、大宮法科大学院大学(桐蔭横浜大学に統合)、獨協大学、駿河台大学、大東文化大学、東海大学、東洋大学、明治学院大学、国学院大学、関東学院大学、神奈川大学
中部地方:新潟大学、信州大学、山梨学院大学、静岡大学、愛知学院大学、中京大学
近畿地方:京都産業大学、龍谷大学、大阪学院大学、神戸学院大学、姫路獨協大学
中国地方:島根大学、広島修道大学
四国地方:香川大学
九州地方:久留米大学、熊本大学、鹿児島大学
先程、日経平均株価がITバブル期の高値(20833円、2000年)を突破したという速報が入りました。
これで景気が回復していることが明らかである、アベノミクスは正しい、という論調が強まりそうですが、そのように単純な評価が妥当であるかどうかには疑問が残ります。円安基調が続いているからです。
一時的には良い調子なのかもしれませんが、国債の格付け、国・地方を通じた債務の高さなどを考慮に入れるならば、今の日本の「安売りセール」が長い目で見れば損失をもたらすとしか言えないのではないでしょうか。2000年代当初のいざなみ景気と似たような状況になるかもしれません。
通貨が安くなって経済が長期的によくなったという国は、あまり聞いたことがありません。逆に、通貨安で通貨危機や経済危機を迎えた国なら、いくらでもあげられます。最近(?)の例なら、韓国、タイ、マレーシア、ロシアといったところがすぐに思い浮かびます。通貨が強いほうが望ましいのは、とくに日本のようにあらゆる資源を輸入に頼っている国であれば当然のことでしょう。通貨安で多くの国富が逃げ出すということは、覚悟しておかなければなりません。少なからぬ日本企業が買収される可能性すらあります。
昨日、たまたま入った書店で、古川元久『財政破綻に備える 今なすべきこと』(ディスカヴァー携書146)を買いました。このディスカヴァー携書は、最近の新書にしては良質なものが多いので、私も何冊か購入しました。今回買った本もそうです。限られたスペースに様々な論拠が具体的な数値などとともにあげられており、説得力のある本です。一読をおすすめします。
かなり前から、6月27日に補講を行うことをお伝えしておりましたが、昨日の午後に時間割が発表されました。
補講は、6月27日の3限(12時50分~14時20分)に5201教室で行います。
通常の講義とは異なる教室ですので、注意して下さい。
今回も2003年6月28日に撮影した写真を掲載します。
北九州市小倉北区にある、北九州市の代表駅と言える小倉駅から、同市小倉南区にある企救丘(きくがおか)駅までの北九州モノレールです。正式には北九州高速鉄道小倉線というのですが、北九州モノレールと言われるのが一般的です。
写真の車両は1000形で、この路線が開業した1985年から現在まで30年にわたって運用されています。ワンマン運転で、私が利用した時にはATO装置による自動運転が行われていましたが、現在はATC装置を利用した手動運転に変わっています。
西鉄北方線の代替という意味も有するモノレールですが、開業からしばらくの間、小倉駅に乗り入れることができず、現在の平和通駅が当初の小倉駅でした。そのため、JR小倉駅から離れてしまい、乗客が乗り換えるには徒歩連絡を強いられる環境となり、長らく赤字が続いていました。JR小倉駅に乗り入れるようになったのは1998年のことです。
JRの改札口や駅ビルの通路からモノレールのホームと電車が見えるという特徴的な構造で、一度見れば忘れられない光景です。また、この構造のためか、屋根が低く、圧迫感を覚えます。
平成筑豊鉄道は、旧国鉄の赤字ローカル線であった伊田線(直方~田川伊田)、田川線(行橋~田川伊田)および糸田線(金田~田川後藤寺)を引き受けた路線です。実際には国鉄からではなく、JR九州から引き継がれました。1989年秋のことです。それ以来、2009年度まで、第三セクター用の気動車であるLE-DC(富士重工製)の一つ、100形を運行してきました。
今回は、その100形の写真です。2003年6月28日、大分駅から特急に乗り、行橋駅で降り、田川線に乗ろうとしているところです。
田川線の起点にして日豊本線との接続駅である行橋駅で撮影しました。高架駅の片隅で、日豊本線の上りホーム(小倉方面)の南側が切り欠かれており、そこが平成筑豊鉄道のホームです。
この列車に乗り、直方を目指しますが、到着したのは金田行きでした。伊田線の途中にある駅なので、最初は「変だな」とも思ったのですが、車両基地は金田駅の構内にあります。また、金田駅で糸田線と接続します。
田川線は単線ですが、伊田線は石炭輸送のために複線化されています。日本各地に旧国鉄ローカル線から転換された第三セクター(などの)路線がありますが、全線複線は伊田線だけです。
私が乗ったのが金田行きであったため、ここで直方行きに乗り換えます。
古い写真で申し訳ないのですが、12年前に撮影した写真を載せておきます。折尾駅の筑豊本線(若松線)のホームで撮影したものです。
〔今回は、「待合室」の第86回(2004年2月8日夜から14日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過いたしましたので、若干の修正を施しました。〕
仕事が一段落したので、気晴らしに、電車でどこかへ行こうと思い、豊肥本線敷戸駅から大分駅へ出て、日豊本線の下り電車に乗りました。2003年に入線した817系の佐伯行き普通電車に乗ります。大分駅からは単線区間となり、牧、高城を過ぎます。高城までは大分市の中部といってよい場所です(大分中央郵便局の管轄ですし、市内局番もその扱いです)。乙津川を越えると、大分市の東部に入ります。その最初の駅が、特急停車駅でもある鶴崎駅です。
上の写真が、南側にある鶴崎駅の建物です。特急が停車する駅にしては小規模ですが、寝台特急彗星号とドリームにちりん号以外の全部の特急列車が停車します。もっとも、そのようになったのは最近のことで、以前はごく一部の列車以外は通過していました。2004年1月の時点で、大分市内の駅では大分駅とこの鶴崎駅だけ、そして、大分県内の日豊本線では数少ない、常時駅員配置駅でした。大分県内にある日豊本線の駅では、他に、中津、柳ヶ浦、宇佐、杵築、亀川、別府、臼杵、佐伯の各駅だけが常時駅員配置駅でした。なお、2015年6月現在、鶴崎駅は業務委託駅です。
実は、この鶴崎という地域は、1954(昭和29)年から1963(昭和38)年まで鶴崎市でした。この鶴崎駅周辺を始め、今の松岡地区、明治地区、川添地区などが鶴崎市の領域でした。つまり、大分スタジアム(通称ビッグアイ)は、旧鶴崎市の領域にある、ということになります。大分東郵便局の管轄であるため、大分駅などの中心部と郵便番号が異なりますし、電話の市内局番も異なります(鶴崎地区のほうが若い番号です)。
駅のすぐ前で見かけたものです。大分市教育委員会による説明板です。
鶴崎と言えば、最も有名なのは鶴崎踊でしょう。これは国の無形文化財にも指定されています。上の写真でもおわかりのように、盆踊りの一種なのですが、大分市の観光案内などには必ず登場するほどのものなのです。残念ながら、私は一度も見たことがないのですが、聞いた話によると、非常に優美であり、艶っぽいのだそうです。
駅前にある鶴崎踊の像です。8月の終わりになると、テレビやラジオなどでも鶴崎踊が取り上げられます。大分自動車道を鳥栖から進み、大分市に入る地点に立てられている「大分市」の看板も、このように、和服の女性が踊っているという絵がデザインのベースになっています。
しかし、こんなことを書いてきたとは言え、私が最初に鶴崎地区を通った時、上の写真でも奥のほうに煙突が見えるように、工場地帯というイメージがすぐに湧きました。実際、海側(写真では奥のほう)を走っていると、工場などが多いのです(鶴崎駅からも工場地帯への引き込み線が通っていました。但し、当時も使用されていたのか既に廃止されていたのかはわかりません)。そのすぐそばに住宅地が広がっています。何とも妙な気がしてきました。
市町村合併でかつての中心部が寂れるという話があります。大分県内に限定すると、鶴崎はその代表ではないでしょうか。上の写真は、駅前のロータリーを撮影したものなのですが、いかに土曜日の昼とは言え、人通りが少ないのが気がかりです。奥のほうの左から右のほうに国道197号線が通っており、それに沿って商店街などが広がっているのですが、閑散としています。
写真の手前から道をまっすぐ進み、乙津川を越えて森町に入ると、急に商店が多くなり、人通りも増えてきます。郊外のほうが発展しているのです。私も、森町には時折遊びに行くのですが、鶴崎駅周辺は通り過ぎるだけです。駐車場がないからです。
これまでにも、鶴崎駅周辺を何度か歩きました。2003年の秋には、私のゼミ生たちと、大分の料理鳥天(鶏肉のてんぷら)の元祖という店「キッチンいこい」にも行きました。元々は大分駅に近い府内町にあった店で、鶴崎のその店は支店か何かだったそうですが、現在は鶴崎のみにあります。
最初に掲載した時にはこう記したのですが、2014年1月下旬に「キッチンいこい」は閉店しました。大分大学教育福祉科学部に在職していた1997年4月から2004年3月まで、私は、大分市内の至る所に行っては色々な店に入って食事をしましたが、この店は私の中での大分市内美味い店10選に入っていました(ほとんどが郊外にありました)。ゼミ生から教えてもらったのですが、安くて美味しく、しかも相当にヴォリュームがありました。何故か、ゼミ生の知り合いという教育福祉科学部の卒業生がアルバイトをしていて、我々全員にコーヒーやアイスクリームのサービスをしてくれました。あまりのボリュームであったため、私は、大学に戻って午後の講義をするのが少々つらく、22時になってようやく空腹感を覚えました。当時のゼミ生たちの中には、次の日の朝食時まで食欲が湧かなかったという人もいました。