ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

Georg Cremer, Armut in Deutschland (C. H. Beck)

2016年10月28日 21時56分30秒 | 本と雑誌

 今日、注文していた本が届きました。その中にあったのが、「ドイツにおける貧困(Armut in Deutschland)」と名付けられた本です。著者のGeorg Cremer氏はドイツカリタス会(カトリック社会福祉事業団)の事務総長(Generalsekretär)であるとのことです。

 手にしたばかりなのでまだほんの少ししか読んでいませんが、前書きは「ドイツで今行われている、貧困に関する議論は、貧困者の役に立っていない」という文章で始まっており、日本の話かと思いました。

 時間はかかるでしょうが、読み進めていきたいと思っています。

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留萌本線全廃の可能性、など

2016年10月26日 20時16分48秒 | 社会・経済

 昨日(2016年10月25日)の9時2分付で、朝日新聞社が「 JR、3線区廃止検討 バス転換など視野に」として報じていました(http://digital.asahi.com/articles/CMTW1610260100001.html)。今日付で、乗りものニュースのサイトにも「『北の国から』『鉄道員』の舞台、過去のものに? JR北海道、3線区廃止の場合」という記事が掲載されています(http://trafficnews.jp/post/59151/)。

 7月30日14時34分27秒付の「いよいよJR北海道の鉄道路線の大整理(?)が始まるか」において取り上げたように、JR北海道は鉄道事業の抜本的見直しを正式に表明しています。同社の場合、1980年代であれば第一次特定地方交通線に指定されたであろうというほどに輸送密度が低い路線が多く、とくに500人未満の路線として、留萌本線の全線(深川〜留萌〜増毛)、宗谷本線の名寄〜稚内、釧網本線の全線(網走〜東釧路)、根室本線の滝川〜富良野〜新得および釧路〜根室(花咲線と言われる区間)、日高本線の全線(苫小牧〜様似)、札沼線の北海道医療大学〜新十津川および石勝線の新夕張〜夕張(夕張支線)があげられています。私は、同記事において「500人未満の路線は廃止が前提とされるでしょう」と記しました。既に留萌本線の留萌〜増毛の廃止は決定事項でしたし、札沼線の北海道医療大学〜新十津川も運転本数が非常に少なく、留萌本線と輸送密度の低さを争うような状態であるとともに、浦臼〜新十津川に至っては今年のダイヤ改正で1日1往復となっており、公共交通機関としての存在意義を疑われかねない状態になっています。石勝線にあった楓駅(現在は信号場)を思い起こせば、廃止は時間の問題であると考えてよいでしょう。

 さて、10月、今回の主題です。やはりというべきか、上掲朝日新聞社報道では、札沼線の北海道医療大学〜新十津川、根室本線の富良野〜新得および留萌本線の深川〜留萌について、JR北海道がバス転換などを検討している旨が報じられています。ちなみに、石勝線の新夕張〜夕張(夕張支線)については、8月に一定の条件が付された上での廃止を夕張市が提案し、これを受けてJR北海道も正式に申し入れをしたとのことですから、事実上は廃止が決定されたこととなります(あとは時期の問題でしょう)。

 留萌本線は、既に廃止が決まっている留萌〜増毛を含めて全線の状況が芳しくなく、札沼線の末端区間は前述の通りです。根室本線については、石勝線の開通とともに滝川〜新得が実質的に幹線からローカル支線に転落したようなもので、やはり状況は悪いようです。釧路〜根室も輸送密度が低いのですが、こちらを廃止すると根室地方および釧路地方の交通体系に影響が出るでしょう。利用客が少ないからといって直ちに廃止する方向には向かえないはずです。ただ、輸送密度が2000人未満の路線についても、JR北海道は自ら単独で維持できないとしており、今後の動向が気になるところです。おそらく、少なくとも利用客の少ない駅の廃止は進められることでしょう(これまでにも行われてきましたが、いっそう進められるということです)。

 JR法を参照しなければならないかもしれませんが、上下分離方式なども検討されるかもしれません。ただ、財政力の弱い地方自治体が負担に耐えられるかという疑問は残ります(そもそも、上下分離方式を採用すると固定資産税による収入が途絶えることとなります)。1980年代であれば第三セクター化することが真っ先に考えられたところですが、その後の実態を見れば選択肢から外れるのが自然なところです。輸送密度が2000人未満の路線としては宗谷本線(但し、名寄〜稚内は500人未満)、釧網本線などがあり、長大な路線、貨物輸送に欠かせない路線があるため、簡単に廃止とは行きません。とくに北海道の場合、冬の輸送を念頭に置かなければならないのです。

 今年、北海道は台風に見舞われて大きな被害を受けました。JR北海道の路線も同様です。元々、三島会社の一つとして経営基盤が脆弱だとされていただけに、 台風による被害は同社の経営を直撃したと考えられ、営業路線網の見直しは加速されるのではないかとも予想されます。

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10月17日の講義時に配布したプリントから 当たり馬券払戻金課税事件

2016年10月20日 00時00分00秒 | 法律学

 9月25日10時55分07秒付で投稿した「この最高裁判所判決の意味、おわかりになるでしょうか?」に続き、月曜日に私が担当している講義で配布したプリントの中身です(一部、体裁を変えています)。今回は一時所得と雑所得との区別に関する判決で、日本経済新聞や朝日新聞でも大きく取り上げられたものを、私なりにまとめてみました。ちなみに、私は競馬、競輪、競艇、オートレースを一切やりません(サテライト日田問題にも取り組みましたが、やる気にならなかったのでした。おそらく、ゲームセンターでのメダルゲームを何回もやったことがあるからでしょう)。

 一応、「当たり馬券払戻金課税事件」としましたが、「外れ馬券課税事件」とでも名付けたほうがよいかもしれません。

 事案:大阪府内に住むX(被告人)は給与所得者であった。Xは、JRA(日本中央競馬会)が主催する競馬の馬券(勝馬投票券)を、JRAが提供するA-PATというサービスおよび有料競馬予想ソフトを用いて馬券の購入および払戻金の受取等を行っており(判旨も参照)、平成17年から平成21年までの5年間、多額の利益を得ていたが、正当な理由がないのに、平成19年分から平成21年分までの所得税確定申告書を法定申告期限日までに所轄税務署長に提出しなかったとして、起訴された。

 公訴事実の要旨においては、平成19年分総所得金額が3億7420万132円(所得税額が1億4562万9100円)、平成20年分総所得金額が6億9694万8779円(所得税額が2億7488万1500円)、平成21年分の総所得金額が3億8836万3205円(所得税額が1億5123万500円)とされている(これに対する裁判所の判断は、各判決の判旨を参照すること)。

 本件の主要な争点は、馬券の払戻金に係る所得の性質である。一審の段階において、検察官は、馬券の払戻金にかかる所得は一時所得であって、所得税法第34条第2項にいう「その年中の一時所得に係る総収入金額からその収入を得るために支出した金額(その収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額に限る。)」として控除すべき金額は当たり馬券の購入金額のみであると主張した。これに対し、X側の弁護人は、本件の払戻金に係る所得は雑所得であって、外れ馬券を含めて1年間における馬券の購入金額が控除の対象になると主張した。

 〈1〉大阪地判平成25年5月23日刑集69巻2号470頁(懲役2か月、執行猶予2年)の判旨(主要な争点に関する部分のみ。下線は引用者による。)

 ⑴「所得税法34条1項は、一時所得について、『利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの』と規定する。すなわち、一時所得は、一時的かつ偶発的に生じた所得である点にその特色があるといえる。したがって、所得発生の基盤となる一定の源泉から繰り返し収得されるものは一時所得ではなく、逆にそのような所得源泉を有しない臨時的な所得は一時所得と解するのが相当である。そして、そのような意味における所得源泉性を認め得るか否かは、当該所得の基礎に源泉性を認めるに足りる程度の継続性、恒常性があるか否かが基準となるものと解するのが相当である。所得の基礎が所得源泉となり得ない臨時的、不規則的なものの場合、たとえこれが若干連続してもその一時所得としての性質に何ら変わるところはない。しかし、一回的な行為として見た場合所得源泉とは認め難いものであっても、これが強度に連続することによって、その所得が質的に変化して上記の継続性、恒常性を獲得し、所得源泉性を有することとなる場合があることは否定できない。そして、このような所得源泉性を有するか否かについては、結局、所得発生の蓋然性という観点から所得の基礎となる行為の規模(回数、数量、金額等)、態様その他の具体的状況に照らして判断することになる。

 ⑵「競馬の勝馬投票は、一般的には、趣味、嗜好、娯楽等の要素が強いものであり、馬券の購入費用は一種の楽しみ賃に該当し、馬券の購入は、所得の処分行為ないし消費としての性質を有するといえ(中略)、一般的には、馬券購入による払戻金の獲得は多分に偶発的である」と言え、「馬券の購入を継続して行ったとしても、一般的には、上記のとおり馬券購入が払戻金獲得に結び付くかは偶然に左右されることに加え、馬券購入者は投票ごとにその都度の判断に基づいて買い目を選択し馬券を購入しているといえることからすれば、各馬券購入行為の間に継続性又は回帰性があるとは認められず、繰り返し馬券を購入したとしてもその払戻金に係る所得が質的に変化しているとはいい難い」から、「原則として、馬券購入行為については、所得源泉としての継続性、恒常性が認められず、当該行為から生じた所得は一時所得に該当する」。

 ⑶Xは「平成16年から平成21年にかけて、全競馬場の新馬戦及び障害レースを除く全てのレースにおいて馬券を購入した。競馬開催日1日当たり数百から多いときには1000を超える買い目について馬券を購入し、その購入金額は1日1000万円以上に上ることがほとんどであり、その結果、平成19年度から平成21年度の3年間で馬券購入金額は合計28億円を超えて」おり、「特定のレースにおいて特定の買い目を当てることによって利益を出すのではなく、(中略)A-PAT及び本件ソフトを用いることにより、ほぼ全てのレースにおいて無差別に、専ら回収率に着目して過去の競馬データの分析結果から導き出された一定の条件に合致するものとして機械的に選択された馬券を網羅的に購入することで、長期的観点から全体として利益を得ようと考え、実際にもそのような方法により馬券を購入し、現に5年間にわたって毎年多額の利益を得てきた」。このことは「本件ソフトのデータやA-PATに係る銀行取引履歴の形で記録されており、本件馬券購入行為が大量かつ継続的、機械的なものであったことは客観性を帯びた事実である」から、Xの「本件馬券購入行為は、その態様からすれば、競馬を娯楽として楽しむためではなく、むしろ利益を得るための資産運用の一種として行われたものと理解することができ」る。すなわち、Xの「本件馬券購入行為は、一般的な馬券購入行為と異なり、その回数、金額が極めて多数、多額に達しており、その態様も機械的、網羅的なものであり、かつ、過去の競馬データの詳細な分析結果等に基づく、利益を得ることに特化したものであって、実際にも多額の利益を生じさせている。また、そのような本件馬券購入行為の形態は客観性を有している。そして、本件馬券購入行為は娯楽の域にとどまるものとはいい難」く、「本件馬券購入行為は、一連の行為として見れば恒常的に所得を生じさせ得るものであって、その払戻金については、その所得が質的に変化して源泉性を認めるに足りる程度の継続性、恒常性を獲得したものということができるから、所得源泉性を有するものと認めるのが相当である」。従って、Xの「本件馬券購入行為から生じた所得は、(中略)一時所得にも該当しないことから、雑所得に分類される」。

 ⑷「所得税基本通達34-1は、一時所得の例示として、『競馬の馬券の払戻金、競輪の車券の払戻金等』を挙げているが、通達は、行政機関の長が所管の諸機関及び職員に対して行う命令ないし示達であり(国家行政組織法14条2項)、国民に対する拘束力を有する法規範ではない。したがって、通達の定めは、裁判所の行う法律解釈に際し、当該法令についての行政による解釈としてその参考とはなり得るが、それ以上の影響力を持つものではない」。また、「上記所得税基本通達が発出された当時、本件馬券購入行為のような形態の馬券購入は、そもそも想定されていなかったものと考えられる」こと、「所得税基本通達においても、その前文には『……この通達の具体的な適用に当たっては、法令の規定の趣旨、制度の背景のみならず条理、社会通念をも勘案しつつ、個々の具体的事案に妥当する処理を図るよう努められたい。』と規定されている。すなわち、本件馬券購入行為の払戻金に係る所得についても、その具体的な馬券購入方法等を考慮することなく、上記通達の例示を根拠として画一的にこれを一時所得として処理することは、必ずしも上記通達前文の趣旨に沿うものとはいえないのであって、具体的事案の内容等を検討した上で実質的にそれに見合った所得分類を判断することが求められているというべきである」。

 ⑸Xによる「本件馬券購入方法は、(中略)新馬戦及び障害レースを除いた全レースについて、被告人が過去約10年間の競馬データを回収率に着目して分析した結果に基づいて設定した一定の条件により抽出された馬券を機械的、網羅的に購入することによって、長期的に見て全体として利益を上げるというものであったから、本件においては、外れ馬券を含めた全馬券の購入費用は、当たり馬券による払戻金を得るための投下資本に当たるのであって、外れ馬券の購入費用と払戻金との間には費用収益の対応関係があるというべきである。もっとも、外れ馬券の購入費用は、特定の当たり馬券の払戻金と対応関係にあるというものではないから、『その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用の額』として必要経費に該当する」。また、「本件各年分における本件ソフトや競馬データ等の利用料金も、上記外れ馬券と同様の理由から、必要経費に当たるというべきである」から、「本件馬券購入行為による所得計算に当たっては、年間の当たり馬券の払戻金から、その年の外れ馬券の購入費用を含めた全馬券の購入費用及び本件ソフトや競馬データ等の利用料金が『必要経費』として控除されることになる。」

 ⑹裁判所が認定した総所得金額:所得税額。

 平成19年分:1億730万円8817円:3887万2700円。

 平成20年分:3260万8629円:914万5500円。

 平成21年分:2024万6010円:398万3700円。

 〈2〉大阪高判平成26年5月9日判時2269号125頁(検察官の控訴を棄却)の判旨(主要な争点に関する部分のみ。下線は引用者による。)

 ⑴一時所得と雑所得は、所得税法第23条から第33条に定められた8種類の所得分類に該当しない所得であり、「そのような所得のうち、一時所得が『営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得』で『労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの』であるのに対し、これに該当しないもの、すなわち『営利を目的とする継続的行為から生じた所得』や『労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有するもの』などは雑所得となる」。

 ⑵所得税法の「沿革沿革から見ても、一時所得は、利子所得等の所得分類に該当しない補充的な所得分類であり、一時的、偶発的に生じた所得である点に特色があるといえる。もっとも、原判決がいう所得源泉性がどのような概念かは上記判断要素によってもなお不明確である上、一時所得や雑所得をも課税対象とした現行の所得税法の下で、これを一時所得かどうかの判断基準として用いるのには疑問がある。また、原判決は、一回的な行為として見た場合所得源泉とは認め難いものであっても、強度に連続することによって所得が質的に変化して(所得の基礎に源泉性を認めるに足りる程度の)継続性、恒常性を獲得すれば、所得源泉性を有する場合がある旨説示するのであるが(9頁)、結局、所得源泉という概念から継続的所得という要件が導かれるわけではなく、どのような場合に所得が質的に変化して所得源泉性が認められるのかは明らかでなく、それ自体に判断基準としての有用性を見いだせない」から、「一時所得に当たるかどうかは、所得税法34条1項の文言に従い、同項の冒頭に列挙された利子所得から譲渡所得までの所得類型以外の所得のうち、『営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得』で『労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの』かどうかを判断すれば足り、前者については、所得源泉性などという概念を媒介とすることなく、行為の態様、規模その他の具体的状況に照らして、『営利を目的とする継続的行為から生じた所得』かどうかを判断するのが相当である。」

 ⑶「『営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得』の要件は、利子所得等の所得分類に当たらない補充的な所得分類の中で、一時所得と雑所得を区分するものとなっており、『営利を目的とする継続的行為』については、発生する所得が一時的、偶発的な所得であることを否定するに足りる程度のものが求められるといえるが、前記の沿革を踏まえても、上記の要件が以前から課税対象であった継続的、恒常的な所得と一時所得を峻別するものとは考え難い」。また、「『営利を目的とする継続的行為』の判断は、同要件の内容自体からして、行為の本来の性質だけではなく、行われる回数や頻度等の反復性及び規模に関する事情を当然に考慮に入れるべきであり、ある1回の行為から生じた所得が行為の性質等に照らして一時所得と解される場合であっても、その行為が一定期間に頻繁に繰り返されることなどによって営利目的性及び継続性が認められれば、異なる所得に区分されることを肯定すべきである」。

 ⑷Xの「本件馬券購入行為の態様は、競馬予想ソフト等を利用して、回収率に着目し、一定の基準を充足する出走馬についてPAT口座の残高から算出される掛金で馬券を自動購入するよう設定し、条件に合致する馬券を、機械的に選択して網羅的に大量購入することを反復継続し、長い期間を通じて全体として利益を得ようとするものである。その規模は、数年間にわたり、1日に数百万あるいは数千万円単位で、新馬戦等を除く全競馬場の全レースを対象に、基準を充足する馬券を購入し続けるというもので、平成19 年分から平成21年分の3年間で、28億円以上の馬券を購入し、30億円以上の払戻金を得るという、極めて大きな規模のものであった。これらの事実は、被告人の本件馬券購入行為について、その購入及び払戻しの履歴が記録化されていることから、(中略)その全体を一連の行為としてとらえるべきであり、その払戻金による所得は、『営利を目的とする継続的行為から生じた所得』に当たり、一時所得ではなく雑所得であると解するのが相当である」。

 〈3〉最三小判平成27年3月10日刑集69巻2号434頁(検察官の上告を棄却)の判旨

 ⑴「所得税法上、営利を目的とする継続的行為から生じた所得は、一時所得ではなく雑所得に区分されるところ、営利を目的とする継続的行為から生じた所得であるか否かは、文理に照らし、行為の期間、回数、頻度その他の態様、利益発生の規模、期間その他の状況等の事情を総合考慮して判断するのが相当である」。

 ⑵「所得税法の沿革を見ても、およそ営利を目的とする継続的行為から生じた所得に関し、所得や行為の本来の性質を本質的な考慮要素として判断すべきであるという解釈がされていたとは認められない上、いずれの所得区分に該当するかを判断するに当たっては、所得の種類に応じた課税を定めている所得税法の趣旨、目的に照らし、所得及びそれを生じた行為の具体的な態様も考察すべきであるから、当たり馬券の払戻金の本来的な性質が一時的、偶発的な所得であるとの一事から営利を目的とする継続的行為から生じた所得には当たらないと解釈すべきではない。また、画一的な課税事務の便宜等をもって一時所得に当たるか雑所得に当たるかを決するのは相当でない」。

 ⑶「雑所得については、所得税法37条1項の必要経費に当たる費用は同法35条2項2号により収入金額から控除される。本件においては、外れ馬券を含む一連の馬券の購入が一体の経済活動の実態を有するのであるから、当たり馬券の購入代金の費用だけでなく、外れ馬券を含む全ての馬券の購入代金の費用が当たり馬券の払戻金という収入に対応するということができ、本件外れ馬券の購入代金は同法37条1項の必要経費に当たると解するのが相当である」。

 (大谷剛彦裁判官の意見は省略する。)

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六法の参照は非常に大事 今年も

2016年10月19日 20時28分27秒 | 法律学

 昨年の10月19日に「六法の参照は非常に大事」という記事を掲載しました。ちょうど1年を経過して、再び同じ主題の投稿です。

 今年度(2016年度)も、大東文化大学の法学研究所の講義「行政法」を担当しています。昨年度と同様、私自身が教材を作成し、過去問の解説も記しています。

 (ホームページに載せている「行政法講義ノート」の手直しも進めなければ……)

 私が大東文化大学法学部および国学院大学法学部の講義を担当しているからなのか、別の理由によるのかは不明ですが、講義をしている間に何度となく学生のほうを見ると、六法を開いている学生は非常に少なく、50人から100人ほどいる教室でも片手で数えられるほどしかいません。さすがに法学研究所の講義では皆が六法を開き、線を引いたり書き込んだりしています。今年の8月27日から9月24日まで、毎土曜日に担当した、筑波大学ビジネス科学研究科法曹専攻の「地方自治法」でも、受講生は皆六法を開いていました(中にはパソコンで見ていた人もいたようです)。

 法科大学院についてあれこれと言われますが、少なくとも私が担当した限りでは(大東と筑波)、学部生よりも態度はできていました。六法を開き、参照するのが当たり前なのです。

 しかし、学部ではこうなりません。持ってきているのに開かない学生も少なくないので、何のために持ってきているのかと不思議でなりません。持ってこない学生も多く、「それでよく法学部(法律学科など)の学生だなんて言えるね」と言いたくなりますし、実際に言ったこともあります。さらには公務員試験だの資格試験だのと言い出す人もいるので、笑ってしまいます。「普段から開く習慣を付けていないのに、どうやって勉強するのだ?」と。

 法律学に取り組む際に、まずは条文から入るのが当然のことなのに、六法を開かない学生が法学部に多いのは何故でしょう。

 法科大学院ができてから、学部で司法試験受験のための勉強をする人が激減したことが、背景にあるのでしょうか。別の理由によるものでしょうか。

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二子新地駅付近の甍

2016年10月17日 01時03分37秒 | まち歩き

二子新地駅の近くにある喫茶店です。

オープンしたての頃に何度か入りました。コーヒーも美味しく、古い民家を移築しただけに趣もあります。また入ってみたいと思うのですが、歩いた時には営業時間外でした。

意外に知られていないようですが、二子新地駅と高津駅の付近には良い喫茶店がいくつかあります。

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序奏は素晴らしい

2016年10月09日 00時00分18秒 | 本と雑誌

 川崎市出身にして不世出のサックス奏者、坂本九の親戚でもある阿部薫。その妻であった鈴木いづみ。1949年に伊東市で生まれ、1986年、自宅で首吊り自殺をした小説家。

 彼女の作品は、何故かわからないがヴィレッジ・ヴァンガードでよく見かけていた。『阿部薫1949〜1978』を出版した文遊社が『鈴木いづみ1949〜1986』、さらには『鈴木いづみコレクション』を刊行していて、ぼくはあちらこちらのヴィレヴァンで立ち読みしていたのだ(でも、二子玉川で見かけた記憶がない)。

 ぼくが阿部薫の残した録音をいくつか聞いていたせいかもしれないが、鈴木いづみの作品のうち、五木寛之が特に絶賛していた「いつだってティータイム」の序奏は、何年経とうが忘れられない。阿部薫の死を予想していたかのような文章である。

 「速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。細く長くか太く短くか、いずれにしても使い切ってしまえば死ぬよりほかにない。どのくらいのはやさで生きるか?」

 残念ながら、この緊張感が「いつだってティータイム」では続かない。他のエッセイや小説を立ち読みしても、この短文だけが浮き上がってしまい、買う気にはなれなかった。引用した文は、彼女の作品の中で、あまりに鋭利すぎる。或る意味ではリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき(Also sprach Zarathustra)」とも似ている。

 いや、鈴木いづみに限定する必要はない。人生をこれだけの短さで表現できる人が、他にどれだけ存在するのだろうか。

 それなのに、今月1日、青葉台で『鈴木いづみプレミアム・コレクション』を購入した。この、わずか2行の序奏のために、10年前から知っていた本を、迷った上で購入した。

 彼女が阿部薫の先行きを何処まで予感していたかはわからない。阿部と同じ年にこの世を去った間章のほうが、終末を的確に見通していたのかもしれない。それはともあれ、短い結婚生活、そして離婚してからも何故か阿部薫と同居していたらしい鈴木いづみは、どこかで阿部の、そして自らの終末を目にしていたのかもしれない。そうであるとすれば、人生の速度についての指摘は彼女自身に対するものであったとも考えられる。

 阿部薫に限らず、ジャズなどの音楽家には短命な者が多い。ぼくが「いつだってティータイム」の序奏を読む度に思い出すのは、まるで演奏スタイルが異なるけれども、ジャコ・パストリアスである。彼の伝記の作者、そして訳者が「いつだってティータイム」を知っていたとは思えないが、仮に知っていたら、伝記の冒頭は鈴木いづみの輝かしきイントロダクションで冒頭を飾るか、コーダで引用してしっかりと決めたことであろう。

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日本経済新聞東北経済版掲載記事へのコメント

2016年10月08日 20時47分58秒 | 社会・経済

 2016年10月6日(木曜日)の日本経済新聞朝刊の35面(東北経済)に、「秋田・湯沢市 破綻三セクに損失補塡 疑問や批判 相次ぐ」という記事が掲載されています。

 この中に、元最高裁判所裁判官の方とともに、私(大東文化大学法学部教授)のコメントが掲載されています。昔から、そして今も、第三セクターは様々な問題を起こしていますが、そのうちの一つに対するものです。

 お読みいただければ幸いです。

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さいか屋川崎店(旧)の跡

2016年10月05日 00時00分00秒 | まち歩き

川崎駅付近へ行く用事があったので、さいか屋川崎店の跡を撮影してみました。

 JR川崎駅東口から、京浜急行本線の高架越しに見える、さいか屋川崎店の跡(建物)です。2015年5月に閉店しました。これで、川崎駅東口から百貨店が完全になくなったこととなります。

 と、ここまで記して、改めてさいか屋の公式サイトを見ると、さいか屋川崎店は現在も営業しています。但し、場所は全く違い、日進町1番地の日航ホテルビルの3階です。大幅な縮小ですが、川崎には留まりました。本社も川崎区に置かれています。なお、2014年4月11日10時18分44秒付で「川崎駅東口のさいか屋が来年5月に閉店する、と聞いて」という記事を投稿しましたので、お読みいただければ幸いです。

 角度を変えて、銀柳街の近くから撮影してみました。

 さいか屋川崎店は小川町1番地にありました。川崎駅東口から新川通へ向かう道路を進むとすぐの場所です。さいか屋からまた東へ進むと、すぐにチネチッタ通りがあります。私が幼かった頃は映画街などといわれていました。映画館の他、パチンコ屋やゲームセンターが多かった場所です。

  バス通りには、今でも「さいか屋前」というバス停があります。臨港バス(川崎鶴見臨港バス)の路線のみ利用できます。向かい側が小川町で、私が歩いているのは砂子です。

このバス停は、いつまで「さいか屋前」の名前であり続けるのでしょうか。

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秋の溝口緑地

2016年10月04日 01時46分01秒 | まち歩き

 

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高津図書館の裏で

2016年10月03日 10時33分13秒 | まち歩き

秋にも様々な花が咲きます。

高津図書館の金木犀のそばです。

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