ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2006年9月10日、柳川を歩く(3)

2016年06月15日 00時00分00秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」第206回「柳川を歩く(4)」として2007年2月26日から3月13日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。〕

 今回は福岡県柳川市にある日吉神社の様子を紹介します。西鉄柳川駅から北原白秋記念館まで歩いている途中、たまたま立ち寄ったのですが、これほど多くの動物が飼われている神社もそう多くはないであろう、という意味で興味深いところでした。

 日吉神社は、おそらく全国各地にあるはずです。そのうちの、福岡県柳川市にある日吉神社です。柳川市役所、柳川郵便局の近くにあります。西鉄柳川駅から歩いて30分以上かかりました (もっとも、目的地を目指してまっすぐ歩いている訳ではありませんが)。

 この神社を訪れたのは2006年9月10日、ちょうど、西南学院大学法学部で集中講義「税法」を担当している時のことで、中休みの日でした。その数日前に慶事がありました。福岡の中心、天神でも、百貨店などで大きな垂れ幕が掲げられました(私が見たのは大丸福岡天神店のものでした)。

 せっかくのことですから、私も記帳してきました。おそらく、関係者の方は驚かれたことでしょう。川崎市に住んでいる人間が、柳川の神社で記帳しているのですから。

 そう言えば、大分大学教育福祉科学部の講師時代に、愛子内親王殿下の御生誕の際に、大分合同新聞社からコメントを求められたことを思い出します。このコメントは、2001年12月2日2001年12月2日付大分合同新聞朝刊4面「“コウノトリ景気”に期待 『県内各界の声』」という記事に掲載されました。私を含めて6人のコメントが掲載されているのですが、私以外はお偉方だったので、身分不相応ではないかと驚いたのでした。その時の発言内容は、かつてこのホームページに掲載していたのですが、ここに再掲しておきます。 「おめでとうございます。テロや狂牛病などによる暗いムードから国民を解き放ってくれる明るい出来事であり、心からお祝いを申し上げたい。ただ、国や政府が経済対策など政治の失策から国民の目をそらすために利用するようなことがあれば問題。国民は慶賀ムードに流されず、冷静に現実を見ることを忘れてはならない。」

 日吉神社そのものの由来ではないのですが、上のような案内板がありました。関ヶ原の戦いに関係があり、柳川城内に勧請することによって造られたそうです。現在、柳川城址の主要な部分は柳城中学校および柳川高校の敷地となっています。ちなみに、柳川城は蒲池氏によって築城されたとされていますが、その時期は不明です。その後、龍造寺氏の居城となりました。このあたりの経緯については、柳川市のホームページを参照していただければ幸いです。

神社には、池なのか水路なのかよく覚えていないのですが、鴨が泳いでいます。

 巣箱、という訳ではないでしょうが、木で作られた家型の箱が置かれていて、御丁寧に橋までかけられています。ここの水鳥はほとんどが白色でした。それにしても、このような池などには必ずと言ってよいほど鴨がいるものです。

 「皇太子殿下御成婚奉祝記念」ということで、「見猿、言わ猿、聞か猿」の像です。年号が書かれていないのでよくわからないのですが、「皇太子殿下」は現在の皇太子殿下ではなく、今上天皇陛下のことではないかと思われます。

ここは動物園でないはずですが、どういう訳か、フラミンゴが飼われていました。まさか、どなたかが神社に奉納されたということではないでしょうが。

 鶏も何羽か飼われていました。種類はよくわかりませんが、矮鶏らしいものもいました。何のために飼われているのかはわかりません。 私の小学生時代には、川崎市中原区でも鶏や豚などを飼っている農家がありましたが、いつの間にかなくなりました。今、川崎市内で鶏や豚などを飼っている農家はどのくらいあるのでしょうか。

柵越しなのではっきりとしないのがもどかしいような。朝だったら例の鳴き声を出すのでしょうか。この時は鳴いていなかったと記憶しています。

 兎も飼われていました。小学生の頃、ほんの数ヶ月でしたが兎を飼っていたことがありましたので、懐かしくなりました。おそらく、飼育用の種類か、それに近いものでであると思われます。兎も神社に縁の深いものなのでしょうか。

 

 ビーグル犬が歩き回っていました。おとなしい犬で、子どもたちと一緒に遊んでいるのかそうでないのかよくわからないような動きをとっていました。首輪がついているので飼い犬であることは明らかですが、この神社の犬なのでしょうか。

 よく考えると、ビーグル犬は兎狩りのための犬ですが、この神社では柵越しとは言え共存しています。

 一番驚いたのは、羊が飼われていたことでした。こちらがカメラを向けても、おとなしくこちらを見ているだけでしたが、あまり関心はないのでしょう。それにしても、本当に、何のために飼われているのでしょうか。

こちらが、日吉神社の由来を示した案内板です。

日吉神社を出て、さらに柳川市街地を歩き続けます。また、機会を改めて。


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