ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2000年2月5日、太宰府天満宮

2020年08月10日 00時33分40秒 | 旅行記

 私が最初に太宰府天満宮に行ったのは、2000年2月5日(土曜日)のことです。

 7ヶ月ぶりの福岡行き、しかも、車をパルサーJ1JからウイングロードXに変えてからは初めてということもあり、まずは太宰府天満宮へ行こうと思い、朝早く自宅を出ました。実は、それまで太宰府天満宮に行ったことがなかったのです。太宰府市は何度も通っていたのですが、場所がわからなかったのです。

 大分大学に就職してから、私は法律学科の代表を務めていました。このように記すと偉そうに見えるかもしれませんが、実は法律学の担当者が私しかいないため、自動的に代表となっただけのことです。色々な事情もあって、2000年3月に法律学科は消滅します。1月、私は法律学科の最後の学生2人の卒業論文指導をしていました。真夜中まで取り組んでいたため、大変だったはずなのですが、辛いとかというようなマイナスの感情はなく、楽しい思い出として残っています。

 大分自動車道を鳥栖まで走り、そこからは九州自動車道で太宰府インターチェンジまで走ります。そこで一般道に入ります。少々わかりにくい道のりでしたが、太宰府天満宮に到着しました。

 受験シーズンだったせいか、高校生の集団を何度となく見ました。大型の観光バスを連ねてやって来るのです。市街地の道路は狭いので、少し離れた所にある駐車場から歩きます。西鉄太宰府駅からでもすぐに着きます。

 太宰府天満宮は、言うまでもなく、菅原道真を祀った神社です。おそらく、彼が大宰権帥として左遷された時、都府楼(大宰府)にいたと思われますが、それはここから離れた所にあります。

 なお、「だざいふ」は、歴史的には大宰府と記しますが、現在の市名は太宰府です。 たしか、この日、他にも数枚の写真を撮っているはずですが、3枚しか見つかりません。

 太宰府天満宮には、その後も大分大学時代、そして大東文化大学に移ってからは西南学院大学および福岡大学での集中講義を担当する度に行きました。宇佐神宮、そして太宰府天満宮が、九州の中で私が気に入っている所です。

 写真では晴れているのですが、この日の午後、福岡では曇り後雨となりました。そして、車を太宰府の駐車場に停めたまま、西鉄電車で天神(西鉄福岡)へ行きました(西鉄電車に乗ったのも、この日が初めてだったと思います)。理由は簡単で、天神付近が激しく渋滞するからです。そして、IMSなどをまわり、太宰府に戻り、佐賀市へ出て(日記には「船橋と厚木と町田を足して3で割ったような市街地」と記しています)、久留米、日田をまわって帰りました。

 天瀬高塚インターチェンジから大分自動車道を走り、ラジオを大分放送に入れてみたら「アニメマインド」という番組が流れてきました(既に終了しています)。実は、この番組に当時の法律学科にいた学生が出演していました。最初だけ聞いたのですが、その学生が少しだけ卒業論文のことを話していました。本名ではなく、愛称(芸名というほどのものではない)で出演していたのですが、すぐにわかりました。と言っても、声だけだとわからなかったかもしれません。生の声とマイクを通した声とで相当に変わる場合があるからです。

 最後は、太宰府天満宮と全く関係のないことを記しました。撮影時期の関係で法律学科のことを思い出したからです。


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