goo blog サービス終了のお知らせ 

ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

このような特別措置を恒久化してよいものか

2018年08月29日 00時11分55秒 | 社会・経済

 Yahoo! Japan Newsを見ていたら、「孫への教育資金贈与 非課税時限措置の恒久化 税制で文科省方針固める」という産経新聞社配信(8月28日8時付でYahoo! Japan Newsに掲載)の記事が目に飛び込んできました(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00000505-san-pol)。

 見出しを見た瞬間に「こんな制度を恒久化してよいのか?」と首を傾げました。税制による格差促進の典型例と考えられてもおかしくないからです。

 実際にはかなり複雑な制度ですが、簡単に記せば、祖父母が孫に教育資金を一括贈与した場合に、1年間に1500万円まで贈与税の非課税枠が認められるというものです。「26 贈与税」にも記しておきましたので、御参照ください(誤字があるため、また、平成30年度税制改正には対応できていないため、近日中に修正する予定です)。

 高齢者が皆富裕かと言えば、勿論、そのようなことはありません。むしろ経済格差が大きいと言えるでしょう。また、この制度を利用するには、直系尊属が信託会社との教育資金管理契約を締結することなどが要件となっており、実質上、信託銀行などの口座を持つ必要があります。このような要件を充足しうる家計が、果たしてどれだけ存在するでしょうか。

 高齢者が保有する資産を子孫に継続させるという観点からすれば、十分に理解できる政策ではあります。しかし、資産を保有していない、または保有できない家計にとっては、子孫に教育の機会を与えることができないということにもなります。経済格差の固定化が進んでいると指摘されて、それなりの年月が経過していることを忘れてはなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしらせです(2018年8月27日)

2018年08月27日 07時28分30秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 地方自治総合研究所から刊行されている雑誌「自治総研」の最新号(2018年8月号。通巻478号)が刊行されました。

 この中に、私の「地方税法等の一部を改正する法律 (平成30年3月31日法律第3号)」が掲載されています(33~54頁)。お読みいただければ幸いです。

 また、この雑誌は、地方自治総合研究所のサイトでもPDFファイルで見ることができますので、御覧いただけば幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年は……

2018年08月27日 00時07分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ早過ぎますが、今年を一言で表現するならば、というお題に、どのように答えればよいでしょうか。

 漢字一文字ならば「嘘」(これは、大変申し訳ないことに出典などがわからなくなってしまいましたが、何処かのサイトで読んだ話です。私も同感したのでお借りいたしました)でしょうか。

 漢字二文字ならば「過大」か「過剰」でしょう。気候の点でも、です。夏好きの私でも、この暑さは流石に……。何とか堪えています。あるいは「改竄」でしょうか。

 三文字ならば「水増し」でしょう。または「改ざん」です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立場にかかわらず、一読の価値あり!

2018年08月25日 22時40分10秒 | 本と雑誌

 今日、フィリアホールでの「奥泉光×矢野沙織カルテット 『ビビビ・ビ・バップな午後〜ジャズと小説と電脳空間』」を見るために青葉台へ行きました。ブックファーストに寄ってみたら、Harbor Business Online編『枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』(扶桑社刊)がありました。

 これは、今年の7月20日、枝野幸男議員による内閣不信任決議案「趣旨弁明演説」の全文を、おそらくはほぼそのまま収録したものです。2時間43分にも及んだというのは、少なくとも記録が残っている中(1972年以降)では最長であるとのことで、このことも驚くべき話ですが、それ以上に驚くべきなのは、長大な原稿を読み上げるのではなく、真のレジュメというべきか、主張したいことを箇条書きにしただけの、数枚のメモに基づいていたという事実です。

 さらに大きく、いや最も大きく驚くべきことは、日本の国会における演説の全部が、このように単行本(ブックレットほどの薄いものですが)として刊行されたことです。

 イギリス、アメリカ、フランスではありそうな話です。ブックレットよりは少し厚めのものですが、私は、大学院生時代、あのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)の演説集(ドイツ語)を購入し、何人かの自主ゼミで読みました。有名な「荒れ野の40年」も収録されていたからです(そうです、敢えてドイツ語で引用するとWer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind für die Gegenwart.という文章が登場する、あの演説です)。勿論、ヴァイツゼッカーの演説集は日本語訳でも刊行されています。

 しかし、日本で、これまで国会における演説が単行本になったことがあったのでしょうか。後で何本かがまとめられて刊行されることはあるかもしれませんが、時間もそれ程経過していないのに一本の演説が一冊の本になるということは、おそらく例がなかったことでしょう。

 購入して、帰りの電車の中で読んでいました。2時間43分という時間が必要であった。このように評価してよいものです。過剰でも不足でもなく、複数にわたりながら根本では共通するような諸問題を手際よく、しかも深く取り上げ、批判しているところには感心しました。変な喩えになって申し訳ないのですが、何処をどのように切っても鮮血が吹き上がってくるような印象すら受けます。

 先頃閉会した第196回国会については、憲政史上最悪の国会(議会)であるという評価も少なくありません。枝野氏自身も演説においてこのように評価しています(本書における田中信一郎准教授の解説も必読です)。実際に、3月以降、具体的なことは記しませんが文書やデータの改竄が当たり前のようになされ、隠される、はぐらかされる、など、無茶苦茶としか表現しようがない実情が明らかにされました。作成してから1年以内に廃棄するのであれば、何のために日誌を作っているのかわかりませんし、最初から作らないほうが合理的です。今の日本の状況からすれば、今の政権がどうして情報公開法は直ちに廃止する法律案を提出しないのかがわからないくらいです(これは私の考えであって、枝野氏はこのようなことを言っておりません。あしからず)。文書も情報もいい加減に扱われ、とにかく捨てられる。それが日本です。また、7月の西日本豪雨については、初動対応が遅れたという批判もやむをえないところでしょう(このことは枝野演説も触れています)。枝野氏は、あの赤坂●●亭(敢えて詳しく書く必要もないでしょう)についてもしっかりと言及した上で、初動対応などについて批判しています。

 そして、国会議員が職務として何を行うべきなのか、立法府、立法機関の役割とは何かを、枝野演説は明言しています。ここは私が安易に引用してはならないところですので、演説そのものをお読み下さい。

 政治的な立場、思想上の相違などを問わず、一度は読んでみるべき演説です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

養老鉄道へ譲渡  東急最古参の7700系

2018年08月23日 22時56分20秒 | 写真

 8月22日7時44分付で、岐阜新聞社が「養老線、老朽化の車両更新へ 来年2月以降運行」として報じていました(https://www.gifu-np.co.jp/news/20180822/20180822-67464.html)。

 記事にあるイメージ図を見て、すぐに東京急行電鉄7700系とわかりました。読んでみると、養老線管理機構などが7700系を15両購入し、養老線用に改造した上で2019年2月より同線を走らせるとのことです。 

 (2018年2月、雪が谷大塚駅1番線。蒲田行き。)

 7700系と言えば、現在は池上線および東急多摩川線で運用されている車両ですが、元はと言えば日本で最初のオールステンレスカー、初代7000系です。1962年から、当時の帝都高速度交通営団の日比谷線との相互乗り入れのために製造されました。私が小学生の頃までは東横線の急行用としても大活躍しましたが、田園都市線の溝の口〜長津田の開業祝賀電車として運転されたことでも知られています。1980年代、初代7000系の一部がVVVF制御、冷房車に改造されて7700系となったのでした。当初は大井町線で運用されていましたが、1989年に目蒲線で運用されるようになり、1990年代に池上線および東急多摩川線で運行されるようになりました。

 (2018年3月、戸越銀座駅2番線。五反田行き。) 

 最初に製造されてから50年以上が経過していますが、車体は老朽化していないようですし、足回りは1980年代に更新されていますので、あと30年程は使えるという見込みがなされています。ちなみに、7700系の一部は十和田観光電鉄に譲渡されています(同線の廃線とともに廃車となりました)。

 今年度、7700系は東急線から引退することが決まっています。池上線および東急多摩川線での営業運転が見られるのもあと僅かということになりますが、養老鉄道での活躍も期待したいところです。

 そう言えば、養老鉄道は、2007年9月30日までは近鉄の路線であった養老線を引き継いだ会社で、現在も近鉄グループの一員です。しかし、従来から走っていた近鉄の車両を置き換えるのは、新車でもなければ近鉄の車両でもなく、東急の車両を購入したのです。この点は、同じく近鉄グループで、2007年9月30日までは近鉄の路線であった伊賀線を引き継いだ伊賀鉄道と同様です。伊賀鉄道も、従来の車両を置き換えるために東急1000系を購入し、これに統一してしまいました(伊賀鉄道では200系となっています)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敢えて記しておきます 二題

2018年08月22日 11時26分05秒 | 国際・政治

 何処の話ということは書きませんが、お読みになればおわかりでしょう。但し、少なくとも日本の国・地方を問わず、また、政党、政策などの違いを問わず、至る所に見られる話であり、特定する必要はありません。

 以上をお断りしておいた上で、記しておきます。

 私は、このブログの「公職者の『後継指名』 選挙制度を無視していないか?」(2013年9月4日7時39分1秒付)において、次のように記しました(太字は、ここに再掲する際に施したものです)。

 「個人として誰を応援しようと思おうが勝手なことで、何人であっても、たとえ親であっても子であっても干渉することはできません。しかし、国民主権国家あるいは民主主義国家において、公職に就いている者が、まさにその立場を利用して「後継者」を指名したり応援したりすることは、おかしな話ではないでしょうか。私には、少しばかり地位を濫用しているように見えます。選挙制度を無視した、あるいは冒涜しており、国民・住民を馬鹿にした発言である、と表現してもよいでしょう。」

 「日本の地方自治で、いつまでどこまで『お世継ぎ』的な思考が生き残っているのか、興味深いところではあります。政治史や政治思想の研究対象として格好の題材かもしれません。しかし、現代社会において、『後継者』は、在位中の者によって一方的に(あるいは相思相愛的に)指名される者ではないでしょう。選挙によって選出された者が、結果的に『後継者』となるにすぎないのです。

 民主主義を声高に唱えている、あるいは唱えていた者が、根本のところで民主主義を否定しかねないことを行う。矛盾と言うべきか逆説と言うべきか。或る意味では仕方のないことかもしれません。しかし、釈然としないのです。

 ★★★★★★★★★★

 もう一つ、前とは全く関係のない話題です。

 障害者雇用について、国の省庁や地方公共団体が水増しをしているという報道が相次いでいます。「民間にも義務付けておいて何をやっているのか」と呆れてしまいます。とくに、行政監察局が置かれている省が水増しをやっている訳ですから、お話にも洒落にもなりません。

 こんな調子であるから、行政監察を担当する機関が第三者機関でないことに批判が寄せられるのです。時折、第三者「的」機関などと言われることもありますが、「的」というごまかし(あるいはそれに近い)言葉に惑わされてはいけません。日本語では、「的」という字が用いられると「そのものに似た姿ではあるがそのものではない」、「もどき」というような意味合いが表されます。

 勿論、純然たる第三者機関だからよいという訳でもありません。外部監査でも機能不全に陥るのが今の日本です。ただ、内部よりも外部のほうが厳しい見方をとるということも事実です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地方創生とは何?」と思われる方は必読

2018年08月21日 09時54分40秒 | 国際・政治

 ここ何年か、地方分権という言葉はどこか脇へ追いやられ、地方創生という、わかったようなわからないような言葉が喧伝されています。しかし、地方創生の正体、と記すと大げさですが、地方創生の姿が見えてこないという方も少なくないものと思われます。

 このように記す私もその一人で、そもそも何を目指している政策なのかが不明確なまま、あたかも重ね塗りのように手段が積み重ねられているだけのように見えるのです。

 そのような中で、私も地方自治や地方税財政を研究している訳ですが、昨日、朝日新聞社のWEBRONZAを見ていたら、首都大学東京教授の山下祐介氏による「地方創生が日本を壊す? なぜ出生力回復が目指せなくなったのか? 地方創生の失敗どころではない深刻な事態」という8月18日付の記事(http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018081100007.html)を見つけました。

 山下教授は、この記事を「国を方向付ける政策が、その目的と手段を違えているのは大変不幸なことである」という文で始めます。

 ここだけ読んで、「あれではないか?」、「まさにこれだろう!」と考える方も多いでしょう。山下教授は「平成26年9月に始まった地方創生。すでにもう4年が経とうとしているが、この地方創生がまさにそれだ」という答えを出しています。

 そして、地方創生は、元々「日本の止まらない人口減少に立ち向かうためだった。そしてもっとも出生力の低い東京に若い人々が集まっているのを問題視して、東京一極集中を阻止する――地方創生とはそういうものだった」と振り返りつつ、「いまや地方創生は、地方の仕事づくり事業になってしまっている」、「あるいはまた、地方移住が地方創生の代名詞のようにもなっている」と指摘します。つまり、約4年という短い間に政策の基軸が変えられていることを鋭く見通されているのです。

 また、終わりに近い部分で「東京一極集中の正体」についても記されています。ただ、私は、この部分について漠然とした疑問を抱いています。

 あまりここで引用ばかりしている訳にもいきませんので、記事のほうをお読みください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西武新宿線南大塚駅にて

2018年08月18日 23時54分25秒 | 写真

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二子一丁目に

2018年08月17日 08時22分00秒 | まち歩き

 最近は三業地という表現をあまり聞かなくなりましたが、川崎市では新丸子や二子新地がそうでした。

 新丸子のほうには、まだ三業地の痕跡が残っているとも言えますが、二子新地のほうはと言えば、駅名にその名残がある程度です(地名としては二子、瀬田、諏訪)。この何年かで新たに飲み屋などが増えていますが、これは多摩川の対岸、二子玉川(世田谷区玉川)の影響であると考えられます。

 さて、その二子新地ですが、最近もマンションなどが増えているとは言え、木造の家屋が多い所です。国道246号は片側2車線の道路ですが、その脇道はいずれも狭く、しかも入り組んでいます。車で通ることができない道路も少なくありません。徒歩か自転車でまわってみるべき場所です。

 私は、時々、二子新地駅周辺を歩きます。気晴らしのための散歩なのですが、今でも小さな発見をすることがあり、楽しんでいます。たいていは旧大山街道から東側、二子新地駅から二子二丁目、瀬田、諏訪、二子三丁目と歩いて二子四丁目、五丁目と歩いて行くのですが、先日、二子一丁目の旧大山街道より西側を歩いてみました。

 うちから国道246号に出て、東急バス高津営業所、トナミ運輸川崎営業所、佐川急便世田谷営業所(名称と異なり、川崎市高津区溝口にあります)の前を通り、少し脇に入ってサンジェルマンの工場の跡に建てられた大型マンションのそばを通ります。マンションの反対側は木造の家屋、アパートが並んでおり、何とも不思議な所だと思いながら歩いていると……

 料亭がありました。二子新地におそらく一軒だけ残っている店です。高津区に生まれ育った私ですが、この辺りのことをあまりよく知らないため、驚きました。夜なのでよくわからなかったのですが、敷地も建物もそれなりに広く大きそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR北海道の車両老朽化問題

2018年08月06日 18時28分29秒 | 社会・経済

 札沼線の一部区間(北海道医療大学〜新十津川)、石勝線夕張支線、留萌本線などの廃止が確定的になりつつあるなど、非常に厳しい経営難の状況にあるJR北海道ですが、車両の老朽化問題も深刻です。2016年度のダイヤ改正で大幅な減便が行われたのも老朽化問題が大きな一因であり、改善の見込みは全く立たないようです。8月4日の11時32分付で北海道新聞社が「JR北海道、普通列車用の気動車更新見送り 資金確保見通せず」(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/215441?pu)として報じていますが、同社のサイトではログインをしなければ全文を読むことができないので、Yahoo! Japan Newsに8月6日11時24分付で掲載された「JR北海道、車両更新見送り 一般気動車 資金確保めど立たず」(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00010001-doshin-hok)という記事によりつつ、進めていきます。

 JR北海道にも電化区間はありますが、それは北海道新幹線全線、函館本線の函館〜新函館北斗、小樽〜旭川、千歳線全線、室蘭本線の室蘭〜沼ノ端、札沼線の桑園〜北海道医療大学、海峡線の全線、宗谷本線の旭川〜北旭川だけです(漏れがあるかもしれません)。また、宗谷本線の電化区間は、単に旭川駅構内にあった旭川運転所が同駅高架化事業に伴って北旭川駅付近に移転したためのものであり、基本的には回送電車しか走りません。従って、この区間の普通列車は気動車であるということになります。

 以前購入した新書で(タイトルを覚えていません)、JR北海道がジョイフルトレインなどを積極的に導入したことについて評価する内容を読みましたが、結果的に誤っていたと評価せざるをえないでしょう。当時もそのような評価が存在したのではないかと思うのですが、あまり見たことがありません。同じようなことはJR九州の「ななつ星」にも言えると思うのですが、いかがでしょうか。ともあれ、JR北海道については、ジョイフルトレインなどを優先してローカル運送用車両を更新してこなかったツケがまわってきたということでしょう。あるいは、路線の整理をもっと早くから進めるべきであったとも言えます。

 国鉄のほぼ最後と言える頃に、キハ54形500番台が北海道地区に導入されました。これは、北海道の脆弱な経営基盤を見越したものであり、今考えても見事なものです。また、JR北海道は、札幌地区の輸送強化などを目的として電車や気動車(函館本線用のキハ201系、主に札沼線用であったキハ141系)を増備しました(キハ141系は客車からの改造)。しかし、他の地区のローカル輸送用としてはキハ150形くらいです。日高本線用のキハ130形は設計ミスと言えるようなもので10年程で廃車となり、キハ160形も1両だけしか製造されず、既に廃車となっています。

 こうして、キハ40系が多く残ってしまいました。126両です。キハ40系は1977年から1982年まで製造された気動車で、車体の重さとエンジン出力の釣り合いが取れておらず、非力な車両でした(私も九州で何度かキハ40系に乗っていますが、エンジン音が大きいのに鈍足で、それ程急ではない勾配でも力不足は明白でした)。国鉄時代の気動車は、当時ですら既に時代遅れのディーゼルエンジンを積んでいるものが多く、キハ40系についても、多少はエンジンの性能が改善されているものの根本的な向上につながっていません。後に改造されたりもしていますが、年数は確実に経過していました。

 勿論、北海道に導入されたキハ40系の車両については、寒冷地対策が施されています。機関の換装なども行われています。しかし、寄る年波には勝てません。まして自然条件の厳しさがあります。最も古ければ40年くらいの車齢ですから、本来であればとっくに更新されていておかしくないのです。

 この他、先に記したキハ54形500番台も、道北、道東のローカル輸送に貢献してきたとは言え、また、キハ40系よりは格段の性能向上を果たしたとは言え、製造されてから既に30年が経過しています。

 上記北海道新聞社記事によると、JR北海道が保有する「一般輸送用」気動車は205両で、このうち、車齢が29年以下であるものは41両しかありません。キハ40系以外に形式は示されていないのですが、30年超である164両の中にはキハ40系、キハ54形500番台が入るのは間違いありません。また、キハ141系も入るものと思われます。元はと言えば1970年代に製造された50系客車を改造したものですから、客車時代から通算すれば40年前後となります。車齢が40年を超えるものが北海道に11両あるというのですが、キハ40系とキハ141系でしょうか。

 実は、JR北海道も新車を準備しています。H100形といい、従来の液体式気動車とは異なる電気式気動車です。既に2両が試験走行をしているのですが、増備の目処が立ちません。お金の問題です。

 7月27日に、国土交通省はJR北海道に対して、2年間(2019年度および2020年度)で400億円程度の支援を行うことを表明しました。しかし、これで車両更新を何処まで行うことができるかはわかりません。車両だけを更新する訳に行かないのは当然であるためです。

 今後の動向にも左右されるとは言え、JR北海道の少なからぬ路線が廃止に至ることについては蓋然性を増したと言えるでしょう。合理化などのために減便を選択するとしても、その程度などによっては(今の札沼線末端区間の一日1往復というように)公共交通機関としての使命を放棄すること以外の何物でもなく、ならばすっぱりと廃止するほうがよいのです。後腐れもなくなるからです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする