ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2003年8月23日、別府駅東口

2020年09月27日 20時46分35秒 | 旅行記

 今回は、私の「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」の第64回「別府駅東口の現状」(2003年8月30日〜9月5日)の再掲載です。掲載当時は大分大学教育福祉科学部助教授で、大分医科大学医学部医学科および別府大学文学部人間関係学科の非常勤講師も務めていたため、別府市は旅行先ではなかったのでした。そのため、カテゴリーを旅行記とするかどうかは迷いました。なお、以下の内容については修正などを加えておりませんので御注意ください(ダイエー別府店など、既になくなっている店もあります)。

 

 皆様は、別府(勿論、大分県別府市のことです)について、 どのようなイメージをお持ちでしょうか。おそらくは温泉という答えが最も多いと思われます。中には、競輪、サテライト日田問題、などというものも出てくるでしょう。それはともあれ、別府市は、日本でも温泉を基盤とする観光地としては最大の規模を誇る所でしょう。東日本であれば静岡県熱海市や神奈川県箱根町、西日本であれば大分県別府市が、大温泉地帯として有名です。

 箱根はともあれ、別府と熱海には、類似する点がいくつかあります。まずは地形です。熱海市も、山が海のすぐ近くにまで迫り、平地が少ないのですが、別府も同様です。国道10号線が海のそばを通り、そこから日豊本線のほうに向かうと、すぐに登り坂になります。さらに西へ向かうと、勾配がきつくなり、大分自動車道は山の中を通っています。そのため、同じ市内でも天候が違うということが度々生じます。

 もう一つ、別府と熱海の共通点は、観光地としては長期低落傾向にあるということです。熱海の場合は、東京に近いということもあって、バブル期には東京の通勤圏内になりました(それにしては、東京駅から100キロメートル以上離れているのですが)。しかし、別府の場合は、1980年前後から低落傾向が続いています。例えば、修学旅行客の動向を見ると、1980年代に入ってからは減少の一途をたどっています。一般の観光客もそうで、ワールドカップなどで一時的には増加したものの、根本的な解決には程遠く、最近も、ホテルの閉鎖などが相次いでいます。また、地価の下落率も大きく、中心地の北浜の下落率は、今年、熊本国税局管内で最大の幅を記録しました。

 別府駅東口です。首都圏や関西圏で高架駅は珍しくないのですが、大分県では別府駅と中津駅のみです(大分駅は、現在、高架化工事中。微妙なのは豊後竹田駅)。時期について詳細はわからなかったのですが、昭和42年、つまり1967年には、別府駅は高架化されていました。上の写真の手前側1番線に停車している普通列車(C57牽引)の写真が、手元の本に掲載されていますが、昭和42年8月6日撮影となっていました。おそらく、昭和42年か前年に高架化されたのでしょう(中津駅は、まだ高架化されていなかったようです)。

 この写真は、この夏、8月23日土曜日の昼に撮影したのですが、客待ちのタクシーは何台も見られたものの、肝心の人があまりいません。別府駅は、バス路線の関係なのか、いつも西口のほうにお客が多いようです。また、高架駅の中には、ファーストフード店、ダイエー、数件の食堂などがありますが、利用客はそれほど多くありません。

 先ほどの場所から、東側、つまり海側に歩きます。北浜の ほうに出る別府駅前通りです。この通りには、かつて、大分交通別大線の支線が通っていましたが、昭和30年代には廃止されています。なお、別大線は1972(昭和47)年に廃止されました。

 それほど多くの回数ではないのですが、私がこの通りを歩く時は、だいたい、このような感じです。観光地とは言え、閑散としていて寂しいものです。例外は、2000年12月9日です。この日は、サテライト日田設置反対デモが行われました。この時だけは、別府駅前通りは、日田市民、別府市民、そして報道関係者などであふれかえっていました〈サテライト日田(別府競輪場の場外車券売場)建設問題・第8編を参照〉。こんな皮肉な話もないものです。地元の温泉まつりですら、あの時ほど多くの人がいないのですから。ただ、不思議なことに、通りに10件近くあるパチンコ屋だけは、そこそこお客が入っています。

 この写真を御覧になって「何でこんな空き地を撮影してるんだ?」とお思いの方もおられるでしょう。実は、ここが近鉄百貨店の跡地なのです。私が大分大学に着任した1997年には既に閉店しており、建物だけが残っていました。そして、2000年には建物も壊されました。ここに場外馬券売場(だったと思います)を設置する構想などもあるようですが、実現に至っておりません。

 また、写真の右上のほうに、かすかですが「コスモピア」が見えます。北浜の交差点付近にある、トキハ別府店に隣接する商業施設です。実は、このコスモピアは第三セクターが運営していたのですが、1990年代初頭に経営が破綻し、地元の百貨店であるトキハに譲渡されました。

 坂を下ってすぐのところに、やよい商店街があります。土曜日の昼間、御覧のように、歩いている人はほとんどいません。平日の夕方などもそうです。以前聞いた話では、別府国際観光港の埠頭が北浜付近から現在地(別府大学駅のほうが近い)に移転したことが影響しているとのことでしたが、車社会の進展でこうした商店街が衰退した、と考えるのが自然でしょう。ここもシャッター通りで、何件もの店がシャッターを閉めていました。また、営業してはいるのですが、店の中が見えにくいなど、いかにも入りにくそうな店も見受けられます。私も、商店街の何処かで昼食をとろうとしたのですが、中がよく見えないので入りづらく、結局、入るのをやめました。改善を訴えたいところです。

 問題のある写真かもしれませんが、別府市中心街の現状を紹介するため、あえて掲載します。大分県内各地の中心街では、よく見られる光景です。

 一般的に、道路網の発達と自家用車の普及により、中心街は寂れる一方で、郊外のスーパーマーケットにお客が流れています。ただ、別府市を周ってみても、国道10号線沿いなどに郊外型のスーパーマーケットやディスカウントショップがあるものの、それほどお客が多い訳ではありません。大分市や挾間町にみられるような大規模な店舗は、別府市に存在しません。おそらく、少なからぬ買い物客が大分市に流れているものと思われます。実際、別府在住の学生などに尋ねると、普段の買い物はともあれ、衣服や本などであれば大分市内で買うし、遊びに行くのも大分市内の中央町や郊外の大規模店舗などがあげられます。

 おそらく、別府で公営カジノ構想が真剣に議論されているのも、こうした商店街の現状に由来するのでしょう。

 また、別府駅前通りを北浜のほうに歩きます。坂を下りきり、もう少しで北浜の交差点という所に、ソルパセオ銀座という商店街があります。ここもアーケードです。大分県内に限ったことではないのかもしれませんが、少なくとも県内で、アーケード商店街は衰退する傾向にあります。中津市新博多町もそうですし、臼杵市の商店街もそうでした(現在はわかりませんが、数年前の臼杵市のアーケード商店街は惨憺たるもので、空いている店が10件に満たず、しかも、お客が入っている店舗はさらに少なかったのです)。佐伯市のアーケード商店街も寂れていました。大分市の竹町商店街もアーケードになっていて、ここも衰退しています。幼い頃、私が生まれ育った川崎市の某所(溝口ではありません)の駅前もアーケード商店街でしたが、今はかなり廃れています。大分市中央町商店街は、結構人通りが多いのですが、それでも、衰退傾向にあることは否定できません。そう言えば、直方駅前のアーケード商店街も寂れていました。九州のアーケード商店街で活気があるのは、小倉の魚町と熊本の上通、下通くらいでしょうか(鹿児島の天文館や長崎の浜町はどうでしょうか)。

 アーケードに限らず、中心街の衰退は大分県内の至る所にみられます。私が実際に歩いた経験から言えば、大分県内でとくに衰退が著しいと思われるのは、別府の他、中津、臼杵、津久見、佐伯、竹田です(津久見市と竹田市は過疎地域に指定されています)。

 上の写真は、デジタルカメラの望遠機能を使い、道路の反対側から撮影したものです。最初見た時には「珍しく人通りが多いぞ!」と思ったのですが……。

 ソルパセオ銀座に入ってみると、人が多いように見えたのは錯覚でした。この写真でも、奥のほうには人通りが多いように見えますが、実際は違います。通りの真中に、写真にあるように商品が並べられていることが多く、これが錯覚を起こす原因にもなっています。

 大分県内では大分市に次ぐ人口規模(約12万人)で、大分県では唯一、市町村合併をせずに単独で残ることが決まっている別府市ですが、人口も減少しており、温泉などの観光面でも、湯布院などに水をあけられています。今回は、こうした現状の一環を取り上げました。


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