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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

昨日のニュースを見て、武満徹「系図」が思い浮かんだ

2025年07月18日 07時00分00秒 | 音楽

 昨日(2025年7月17日)の午後、私のiPhoneにニュースが届いた。これはいつものことであるが、そのニュースの中の一つに目が留まり、すぐに武満徹の「系図」のフレーズが、断片的にではあるが思い浮かんだ。

 「系図」は管弦楽団と語りのための曲である。語り手によって谷川俊太郎の詩六篇が朗読されるのであるが、一聴すると、朗読と管弦楽の演奏とは無関係にも思えるような瞬間がある。勿論、そのようなことはないが、互いに独立しているようにも聞こえる、それでいて融合しているようにも感じられるという、不思議な印象を受けた。しかし、所々で、例えば変ニ長調でホルンが懐かしく思えるような旋律を奏でる。最後のほうでアコーディオンがフィーチャーされ、その効果に驚かされる。「弦楽のためのレクイエム」、「ノヴェンバー・ステップス」などの作品とは全く異なる、むしろ対極にあると言ってもよいような作風であるが、武満には「翼」のような曲もあるから、不思議なことでも何でもない。調性的ではあるが、絶えず転調を繰り返すような作品であり、その点においてドビュッシーの中期および後期の作品、例えば「映像第2集」の1曲目であるCloches à travers les feuillesに類似するのかもしれない。武満がドビュッシーの作品に親しみ、影響を受けたことは知られている。このことを見落としてはならない。また、無調はすぐに限界に達する。バルトークも晩年にはしっかりとした調性を感じられる作風に至った(例として、ヴァイオリン協奏曲第2番、管弦楽のための協奏曲、無伴奏ヴァイオリンソナタを想起されたい)。

 私が「系図」を知ったのは、1996年2月、武満徹が亡くなってからすぐに、NHKで追悼番組が放送された時である。この番組で「系図」を聴いた。初演は英語版であるが、番組では日本語版であった。日本初演は岩城宏之指揮のNHK交響楽団によるものであったが、それが番組で聴くことができたものであったか否かはわからない。いや、それはどうでもよい。すぐに「これは非常によい」と思った。歌ではなく、語りにしたことが好ましく感じられる。音楽によって言葉が犠牲になる場面が、とくにポップ系統では多いからである。言葉を無理にメロディーに乗せてしまうと、アクセント、速度、発音、息遣い、感情などが損なわれる。そのためであろうか、「系図」を耳にして、武満ほどに言葉を大事にする作曲家も多くないのではないかと問うてみた。言葉を無理に音楽へ引き寄せるのではなく、独自の空間に漂わせる。そう簡単にできることでもなかろう。

 また、この曲においては語り手を誰にするかという選択の問題もある。演技力も必要なのかもしれないが、それだけではわざとらしく聞こえるだけかもしれない。感受性なども必要であろうし、声質も重要であると考えられる。

 同年中に、追悼盤のCD「レクイエム」がフィリップス・レーベルとして発売された。このCDに収録されているのは、小澤征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラによるもので、アコーディオン奏者の御喜美江も参加している。私は、発売されてすぐに六本木WAVEで購入した。何度となく、CDを通しで聴いたが、その中でも「系図」を選ぶことは多かった。理由は語りである。時に切々と訴えかけ、それでいて感情を爆発させない。若者らしい複雑な心理の一端も表に出されている。一音一音を大切に発する。これらをバランスよく行うにはそれなりの力量なりこだわりなどが求められるかもしれない。

 これまで、私は一切「系図」を聴き返していない。しかし、頭の中に演奏が繰り返された。だからここまで書くことができた。

 「系図」の日本語版の初演で、またCD「レクイエム」に収録されている「系図」で、語り手を務めたのが遠野なぎこであった。

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テレビでソッリマさんの驚異的なソロを

2025年06月15日 23時50分00秒 | 音楽

 私にとって、日曜日の21時はNHK教育テレビ(Eテレ)のクラシック音楽館です。

 今日のクラシック音楽館では、私が幼い頃から馴染んでいたサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番が放送されたのですが、後半は、あのジョヴァンニ・ソッリマさんの演奏でした。今年の春、紀尾井ホールでのコンサートの録画です。

 このブログで2回、彼のチェロ演奏について書きました。2023年4月22日同年5月3日の演奏を聴いたからです。その時にも思ったのですが、今日の録画を見ていて、やはり彼は本質的に作曲家にして即興演奏家だと感じました。ジャズのコンボで、例えばエリック・ドルフィーの「アウト・ゼア」のソロなんてとってもらったら面白いだろうな、と思いながら聴いていたのです。

 コンサートを見た時にはわからなかったのですが、テレビ放送で、彼がかなり汗をかきながら演奏していることがよくわかりました。チェロの胴や指板の上の汗がハッキリと映っていたからです。弓の毛が抜けるのはすぐにわかるのですが、汗は意外にわからない場合があるものです。

 

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6年かけて全部を聴くか

2025年06月10日 07時00分00秒 | 音楽

 6月7日に続けて、8日にも青葉台のフィリアホールに行きました。大学院生時代以来、何度もフィリアホールに足を運んでいますが、2日連続というのは今回が初めてです。

 何故に行ったのかと言えば、日本のクァルテット・インテグラが「ベートーヴェン・弦楽四重奏曲全曲演奏会Vol. 1」ということで、第1番ヘ長調、第16番ヘ長調、第10番変ホ長調「ハープ」を演奏するからです。この弦楽四重奏団、フィリアホールでのライヴ録音のCDも発表しています。

 交響曲などと異なり、弦楽四重奏は地味とも言えますし、聴く人を選ぶものと言えるでしょう。しかし、それだけに、交響曲のように陳腐化することが少なく、ショスタコーヴィチのように交響曲では表現できないこと(例えば本音)を作品に散りばめることもできます(例えばショスタコーヴィチの第8番、第12番、第13番、第15番)。作曲家のスタイルの変遷をたどるというのであれば、バルトークの弦楽四重奏曲全曲をあげてもよいかもしれません。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲も、彼の多様な側面を映し出す作品と言えるでしょう。

 クァルテット・インテグラは、2015年に桐朋学園(大学?)に在学していた学生たちによって結成されました。今年で10周年ということになりますが、音楽家としてはまだ若い人たちであるといえます。彼らがどのような表現をするのかに興味がありました。何せ、これから6年をかけてベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を演奏するというのです。ちなみに、ヴィオラ担当の山本一輝さんは青葉台周辺の出身だとのことです。

 生で聴いて、様々な意味での若さを感じました。曲の捉え方、音の勢い、などです。これから4人がどう成長していくのか、と期待しつつ、Vol. 6までの全てを聴きに行こうかと思っています(あとは、仕事のために行けないということがないように祈るばかりです)。

 CDも2枚買いました。いずれもバルトークの弦楽四重奏曲(2番と5番)が収録されています。もっと荒々しさがあってもよいかな、とは思いましたが、曲の理解の問題かもしれません。 

 弦楽四重奏は、厳密には違うかもしれませんがハイドンが始め、モーツァルトが育て、ベートーヴェンが完成させたジャンルとも言えます。とくにベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲(第12番から第16番まで)は、或る意味で彼の交響曲をも超えた領域に達していると評価してもよいものです。そうでなければ、最晩年のストラヴィンスキーが「これしか聴かない」という態度をとったでしょうか(私自身は、ベートーヴェン自身が会心の作と語ったと言われ、シューベルトも非常に高く評価し、レナード・バーンスタイン指揮のヴィーン・フィルハーモニカーによる弦楽合奏版も残した第14番嬰ハ短調をよく聴いています。ベートーヴェンが遺した作品で、私が聴いた中で、という条件は付くものの、最も好む曲です)。

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見に行けばよかったかな

2025年04月14日 00時00分00秒 | 音楽

 昨日(2025年4月13日)の21時からNHK教育テレビで放送された「クラシック音楽館」の前半(?)は、今年の3月にサントリー・ホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でした。カーチュン・ウォン指揮で、マーラーの交響曲第2番だったのです。私の知る限り、日フィルが「クラシック音楽館」で取り上げられることはほとんどなかったはずです。

 実は、昨年、「復活」が取り上げられることを知っており、見に行くかどうか迷ったのでした。この曲の第4楽章か第5楽章が、何回か東急ジルヴェスター・コンサートでカウントダウンの曲として演奏されていましたし、その部分は好きであったからです。

 結局行かなかったのは、私の中でマーラーの交響曲と言えば第9番、第10番(第1楽章のみが完成しており、それしか聴いたことがありません)、第5番、「大地の歌」(本来であればこれが第9番のはずでした)であるということが理由です。

 でも、見に行けばよかったかな、と思いました。アルト独唱の第4楽章と、後半で声楽が入る第5楽章がよかったからです。それに、テレビで見ているのでは様々な生活上の雑音が入ったりします。時にはテレビの音が聞こえなくなったりするのですから。

 このブログにも書きましたが、2024年5月から6月まで、カーチュン・ウォン指揮の日フィルのコンサートに3回も行きました。ウォンさんの指揮は、演奏者の立場ではどうかわかりませんが、観客の立場からすれば、見ているだけで「こういう曲なんだ」、「この曲をこういう風に演奏するんだ」ということがわかりやすいですのです。マーラーの交響曲第9番で、ウォンさんの指揮ブロムシュテットさんの指揮の両方を見て、あまりに対照的であったことに驚かされたくらいです。

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アルト・サクソフォンでバッハのシャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番第5曲)とは

2025年01月25日 23時45分00秒 | 音楽

 今日(2025年1月25日)の午後2時から、青葉台のフィリアホールで、サクソフォン奏者の須川展也さんのリサイタルが開かれました。

 クラシックからジャズ、ラテンまで、楽しいコンサートでした。ジャズのコンサートやライブには何度も行っていますし、LPやCDも買ったりしたので、ジャズのサックスの音は慣れているのです。しかし、クラシックのサクソフォンのコンサートは今回が初めてのことでしたので、とくに音の違いには驚かされました。プログラムには書かれていなかった、J.S.バッハの管弦楽組曲第3番のアリア(ハ長調に移されてG線上のアリアとして有名ですが、原曲はニ長調です)でのソプラノ・サクソフォンの音の豊かで美しいこと……。

 そのアリアの前、タイトルに示したシャコンヌを、須川さんのみの演奏で聴きました。可能な限り、原曲に忠実に演奏されました。今から16年か17年前に有楽町のラ・フォルネ・ジュルネで聴いたオーケストラ(?)の演奏は、冒頭をただ一斉に和音でノッペリと奏でただけ、その後も盛り上がりに欠けたような演奏でしたし、ピアノ版やギター版でも同様でしたので、須川さんの独奏のほうが無伴奏ヴァイオリンに忠実であったことにも驚かされました。

 ただ、原曲では数箇所、16分音符で音の移動の激しいアルペジオの部分があります。ヴァイオリニストでも、全てアルペジオで弾き通す人もいれば、重音で弾く人もいるのです。サクソフォンではアルペジオで吹き通されたので、「凄いな」と感じましたが、同時に「曲芸みたいだ」とも思いました。ヴァイオリンなら息継ぎの必要などないので一気に弾き通されるのですが、サクソフォンではそうもいかず、休符とまでは言えない息継ぎの部分が必要ですし、低音部、中音部、高音部のそれぞれで音の質が違ってしまいます。相当の難曲でしょう。

 コンサートの休憩時間中に、2019年1月1日に渋谷の工事現場(おそらく現在の渋谷スクランブルスクエア)で演奏した清水靖晃&サキソフォネッツを思い出しました。彼らなら、シャコンヌをどう演奏するのでしょう。

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今年はライヴヴュー

2024年12月17日 23時59分23秒 | 音楽

 東急の電車では渋谷のオーチャードホールで開かれる東急ジルヴェスター・コンサートの広告をよく見かけます。

 私は、テレビ生中継が最初に行われた時から欠かさず見ていますが(というより、年末のテレビ番組はこれしか関心がありません)、今年はライヴで、とはいかなかったものの、ライヴヴューイングで22時から、妻と一緒に楽しむこととしています。カウントダウンの曲は気に入らないけど、まあ仕方のないことです。

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現役最高齢指揮者によるブルックナーの交響曲第9番

2024年11月04日 00時00分00秒 | 音楽

 2024年11月3日の21時からNHK教育テレビで「クラシック音楽館」が放送されました。

 現役最高齢(おそらく史上最高齢)の指揮者であるヘルベルト・ブロムシュテット氏が指揮するバンベルク交響楽団が、オーストリアの聖フローリアン修道院で2024年7月11日に演奏したもので、曲はブルックナーの交響曲第9番です。これはかなりの御膳立てであり、しかも演奏が良いと来ています。2022年10月15日に渋谷は神南のNHKホールで氏の指揮を生で見ていたので、その時のことを思い出しながらテレビを見ていました。

 番組のホームページにも「辞世の交響曲」とあるのですが、この表現はいかがなものでしょうか。確かに最後の交響曲で、しかも未完なのですが、ブルックナー自身が作曲の最初の段階で、この交響曲第9番が最後の作品になるとして自覚していたのでしょうか。あるいは、作曲を進めるにつれて何処かの段階で最後の作品となることを意識したのかもしれませんが……。

 ただ、ブルックナーがベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調を意識していたのは事実のようです。楽曲の構成も似ています。ベートーヴェンの交響曲第9番は、第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を置いていますが、ブルックナーの交響曲第9番も同様です。勿論、違いもあります。第3楽章の調性は、ベートーヴェンのほうが変ロ長調なのに対し、ブルックナーのほうはホ長調で、同じホ長調の第7番を想起させる瞬間があります(実際に、第7番の第1楽章のフレーズが使われているようです)。私が最初にブルックナーの交響曲第9番をCDで聴いて特に惹かれたのが第3楽章で、トランペットでH(長音)→Cis(短音)→E(短音2回)と演奏される部分に或る種の驚きを感じたのです。

 完成したのが第3楽章までのため、コンサートでもCDでも第3楽章で終わることが多いようです。しかし、途中まで書かれている第4楽章を補筆した人もおり、第4楽章まで演奏するという例もあるようです(私は聴いたことがありません)。

 未完成の曲を補筆するなどして完成形に仕上げようとする試みは少なくありません。かのシューベルトの交響曲第7番ロ短調についても、途中で放棄されたと思われる第3楽章を補い、全く書かれていなかった第4楽章に至っては「ロザムンデ」から持ってきたものをアレンジするということがなされたりしたとのことです。しかし、第1楽章(ロ短調)と第2楽章(奇しくも、ブルックナーの交響曲第9番第3楽章と同じくホ長調!)だけでも十分な完成度を持っています。だからこそ、LP時代にはベートーヴェンの交響曲第5番とカップリングがなされたのでしょう。同じことはブルックナーの交響曲第9番やマーラーの交響曲第10番(完成したのは第1楽章のみ)にも言えます。無理に他人が完成させることが良いのかどうかは、完成度などを見て考える必要があるでしょう。

 番組では2016年の来日公演も取り上げられました。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」で、指揮は勿論ブロムシュテット氏、演奏はバンベルク交響楽団で、愛知県芸術劇場コンサートホールでの録画であるとのことです。

 ベートーヴェンの交響曲というと第5番と第9番が双璧で、次に第7番が人気なのでしょう。しかし、ともにヘ長調で書かれている第6番と第8番の存在を忘れてはいけません。第6番は、ベートーヴェン自身が全体、さらに全楽章にもそれぞれ標題を付けていることから、第5番よりも愛着を感じていたのではないかと思うことがあります。このように記す私は、小学生時代に第6番を知るや、第6番ばかりLPで聴いていたことがありました。また、第8番は、作曲者自身が初演の際に第7番より第8番のほうがよく書けているのにどうして第7番が受けるのかというような趣旨の発言をしていたということを何かの本で読みました。私も同じように考えています。

 ※※※※※※※※※※

 全然関係のない話。横浜DeNAベイスターズが日本シリーズ4勝2敗で、26年ぶりの日本一となりました。「最大の下剋上」などと言われていますが、ここ数年のベイスターズには底力がありますから、優勝してもおかしくありません。そのことは、クライマックスシリーズで阪神に3連勝した時に強く感じました。日本シリーズでは地元横浜で2連敗したものの、そこから4連勝しました。前の日本一の時にも役者は揃っていましたが、今年もそうでした。優勝するチームというのはそういうものです。

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坂本龍一の作曲のバックボーンは

2024年06月03日 00時00分00秒 | 音楽

 2024年6月2日、池袋の東京芸術劇場に行きました。

 日本フィルハーモニー交響楽団の第255回芸劇シリーズ、「作曲家坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」が開かれたためです。昨年亡くなった坂本龍一さんの作品を中心にしたプログラムで、次の通りです。

 指揮:カーチュン・ウォン

 監修:小沼純一

 前半

 ドビュッシー:「夜想曲」(合唱:東京音楽大学)

 坂本龍一:「箏とオーケストラのための協奏曲」(箏:遠藤千晶)

 後半

 坂本龍一:「The Last Emperor」(映画「ラストエンペラー」より)

 武満徹:「組曲『波の盆』」より「フィナーレ」

 坂本龍一:「地中海のテーマ」(ピアノ:中野翔太、合唱:東京音楽大学。1992年バルセロナ五輪大会開会式音楽)

 アンコール

 坂本龍一:「AQUA」

 一言で記せば、非常に興味深い内容でした。私がイエロー・マジック・オーケストラの1978年から1981年までの音楽に馴染んでいたからでしょう。

 坂本さんがドビュッシーの影響を受けたという話はよく語られるところです。しかし、最近、その話が拡大されているように思えます。彼がグレン・グールドに惹かれていたということも知られていますから、当然、グールドによるバッハの曲の演奏も坂本さんに少なからぬ影響を与えているはずです。曲によっては、ドビュッシーよりもグールドの演奏を通じたバッハなどの演奏の影響のほうが大きいように思えます。

 また、世代的にジャズの影響を受けていることは間違いなく、それは今回の「地中海のテーマ」においてよく表されていました。1960年代後半から1970年代前半までのフリー・ジャズ、とくに山下洋輔トリオを思い起こさせるような部分があったのです。ピアノとパーカッションのアブストラクトで、かつ強力な演奏はフリー・ジャズの影響でしょう(クセナキスなども考えられますが)。何故か見落とされがちですが、坂本さんは「千のナイフ」よりも前に土取利行さんとのコラボレーションで「ディスアポイントメント-ハテルマ」を発表されていますし、(録音などが残っているかどうかは不明ですが)川崎市川崎区が生んだあの不世出のサックス奏者、阿部薫(坂本九の甥)とも共演していました。ちなみに、坂本さん自身によるフリー・ジャズ的な、あるいは現代音楽的なピアノは、デイヴィッド・シルヴィアンの「Secrets of the Beehive」に収録されている「Mother and Child」で聴けます(「Camphor」でもリマスター版として聴けます)。

 今回のコンサートで特に興味深かったのが「箏とオーケストラのための協奏曲」でした。2010年に初演されていますが、今回が実に14年ぶりの演奏であるとのことでした。

 この協奏曲を聴くと、坂本さんの音楽的バックボーンがかなり広範なものであるということが推察されます。とくに、第3楽章の「firmament(夏)」は、ミニマル・ミュージックやドローンの色彩が濃く、スティーヴ・ライヒ、ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、あるいはブライアン・イーノからの影響がうかがえます。聴きながらすぐに思い出したのが、細野晴臣さんの言葉でした。彼は、YMOの或る時期に坂本さんが現代音楽などを次々にメンバーに紹介したという趣旨を語っていたのです(細野晴臣さんと北中正和さんの『The Endress Talking』をお読みください)。また、第4楽章の「autumn(秋)」では、チャイコフスキーか、他のロシアの作曲家の作品からの影響と思える低音が響き渡りました。

 和楽器とオーケストラといえば、武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」が代表的ですが、この曲の場合は尺八と薩摩琵琶です。一方、箏ということでは高橋悠治さんの作品に何曲かあるようです。また、坂本さんと高橋悠治さんは何度か共演していますし(「千のナイフ」に収録されている「グラスホッパーズ」など)、坂本さんのキャリアなどを見る限り、高橋悠治さんからの影響を見落とすことはできないでしょう。

 今回のコンサートのプログラムで、小沼さんは、坂本さんが「学生のころ、武満徹批判をするビラを配ったというようなエピソード」に言及されています。間章の影響だったのかなどと邪推しますが(間章著作集に、激烈な武満徹批判の文章が掲載されています)、実は或る種の若気の至りだったそうですし、高橋悠治さんとの共著『長電話』でも「純粋な作曲家は武満徹くらいなのかもしれない」という趣旨の発言をしています(高橋悠治さんの発言かもしれません。記憶が曖昧です)。YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に収録されている「キャスタリア」は武満作品からの影響を受けているという話は、YMOファンなら聞いたことがあるでしょう。武満徹さんもドビュッシーからの影響を受けていますし、映画音楽の分野でも優れた作品を残しました(今回はテレビドラマの音楽ですが)。

 2時間ほどのコンサートでしたが、色々なことを考えていました。

 ※※※※※※※※※※

 実は、カーチュン・ウォンさんが指揮する日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ったのは、今回で3回目です。最初が5月10日(サントリーホール)、次が5月26日(サントリーホール)、そして6月2日(東京芸術劇場)でした。

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再び、マーラーの交響曲第9番を生演奏で聴く

2024年05月11日 00時00分00秒 | 音楽

 2024年5月10日の夕方、六本木駅の近くで夕食をとってからサントリーホールに向かいました。日本フィルハーモニー交響楽団の第760回東京定期演奏会のためです。

 演奏曲目はグスターフ・マーラーの交響曲第9番で、指揮は首席指揮者のカーチュン・ウォン氏です。このブログにも記したように、私は2022年10月15日、ヘルベルト・ブロムシュテット氏が指揮するNHK交響楽団による演奏をNHKホールで聴いています同年11月6日にはNHKのEテレの「クラシック音楽館」でも放送されました。勿論、私は見ました)。そして、2023年11月9日に記したように、ウォン氏の指揮の下で日本フィルハーモニー交響楽団がマーラーの交響曲第9番を演奏するという話を仕入れており、たしか2023年の12月に予約を入れました。

 指揮者も違う。交響楽団も違う。会場も違う。私がこれまで買ってきたCDでも、マーラーの交響曲第9番は全く違います。期待と不安が入り乱れました。

 私はサントリーホールに入り、2階席の右側、ヴィオラやコントラバスを見下ろせるような位置に座り、聴きました。

 開演前は不安のほうが高まりました。日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートではプレトークがあるのですが、正直なところ、今回のプレトークは不要であるとしか言えなかったのです。今日の演奏曲と全く関係のない、今後の日フィルのコンサートの予定に関する話ばかりで、ハッキリ言えばどうでもよい内容でした。肝心のマーラーの交響曲第9番については最後にほんの数秒で終わったのではないでしょうか。NHK-FMのクラシック番組以外の音楽番組などで聞かれるような無駄話は(最近は何処かの店で流されているものを聞かされる程度であるためによくわかりませんが、昔のFM東京の音楽番組は特にひどく、ライヴ・アンダー・ザ・スカイの中継は15分くらい無駄なしゃべりで中身に入らなかったことをよく覚えています)、やめて欲しいものです。日本フィルハーモニー交響楽団には、真剣に再検討をお願い申し上げます。

 さて、19時を過ぎて開演ということで、第1楽章(Andante Comodo)が始まった途端に、2022年10月15日と2024年5月10日とでは全く違うという印象を受けました。「会場の違いか」、「私が座った席のせいか」とも思いましたが、それだけではないでしょう。

  2022年10月15日のほうは、事情によって氏が着席して指揮をしていたためか、淡々と進むような様子でした。演奏は淡々としていなかったのですが、2024年5月10日ほど管楽器の音量が大きくなかったような気もしました。ブロムシュテット氏とウォン氏とでは指揮のスタイルが全く違うので、演奏も違うのでしょう。

  2024年5月10日のほうは、第1楽章から第3楽章までは音量も大きく、速く進んでいきました。第2楽章および第3楽章は、ブロムシュテット氏指揮の演奏よりもウォン氏指揮の演奏のほうが、かなり荒々しかったという印象です。但し、第2楽章はIm Tempo eines gemächlichen Läntlers. Etwas täppisch und sehr derb、第3楽章はRondo-Burleske: Allegro assai, Sehr trotzigとなっているので、荒々しいくらいでよいのでしょう。

 「もしかしたら、第2楽章および第3楽章の荒々しさはかなりの意図が込められていたのではないか」と思ったのは、第4楽章(Sehr langsam und noch zurückhaltend)に入ってすぐのことでした。落差という表現をとってもよいくらいに、極端なくらいに違うのです。第4楽章は弦楽器が中心であり、速度もかなり遅くとられていました。2022年10月15日よりも遅かったのではないでしょうか。他の方はどうであるのかわかりませんが、私は、マーラーの交響曲第9番といえば第4楽章を好み、この変ニ長調の最終楽章のみを聴くこともあるくらいですし、第4楽章を基準に判断しますので、2024年5月10日の第4楽章は良かったと思いました。何小節目かは覚えていませんが(実家に置いてあるはずのミニスコアを持参すればよかったと後悔しました)、私が「ここだ!」と思う所があり、その部分のテンポが絶妙でした。軽いリタルダントがなされた後にDes、C、Bと弾かれる部分で、一種の「ため」のようなものが必要と考えられるところです。

 第4楽章の最後は、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラおよびチェロだけで演奏されます。そして、指示通りに消え入るように終わりましたが、やはりかなり長い余韻がありました。その後、割れんばかりの拍手が起こり、それが鳴り止まなかったのでした。10分以上は続いたでしょうか。何しろ、指揮者が3回、指揮台に登場して挨拶し、楽団員が退席する間も拍手が鳴っており、全員がステージから去っても鳴り続き、最後にはウォン氏、今回のソロ・コンサートマスターの田野倉雅秋氏、そしてもう一方の女性の演奏者(ハープ奏者の松井久子氏ではなかったしょうか)の3人のみが再びステージに現れました。演奏が終わったということで多くの方がスマートフォンで撮影をしており(開演前に、終演後であればステージを撮影してもよいとアナウンスされていたので)、私も3枚撮影しました。ただ、ここに載せるべきではないでしょう。載せてもよいのであれば載せますが、許可はいただけないでしょうし、私から許可を申し出るつもりもありません。

 そう言えば、2022年10月15日の時も拍手はなかなか鳴り止まなかったことを思い出しました。私も立って拍手したのです。そして2024年5月10日も。

 この交響曲が演奏されたら、アンコールの演奏は要りません。下手な選曲では雰囲気をぶち壊しますし、余程の人でなければアンコールの曲を選べないでしょう。生涯最後に聴いた曲がマーラーの交響曲第9番であってもよいほどなのですから。そのようなことを考えながら、六本木一丁目駅から南北線・目黒線、大井町線、田園都市線を乗り継ぎ、うちに帰りました。

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六本木のサテンドールが2024年6月末日をもって閉店!

2024年05月03日 00時00分00秒 | 音楽

 このブログに「六本木のサテンドールが2020年12月末日をもって閉店!」という記事を載せたのは2020年11月21日のことでした。

 その後、実際には貸切専門で営業を続けている旨がサテンドールのサイトに示されており、2021年2月17日に「ライブレストラン営業再開の御案内」が同サイトに掲載されました(現在は閲覧不能)。その後、実際に営業を再開しましたが、昨日(2024年5月2日)の朝に、何となくサイトを開いたら、先月に「六本木 サテンドール 閉店のお知らせ」という文書が掲載されていたことを知りました。

 閉店の理由は「諸般の事情」としか書かれていません。ただ、COVID-19以前よりライヴは少なくなっていたようですし、苦しい状況が続いていたのでしょうか。すぐ近くの六本木五丁目再開発計画と何らかの関係があるのかなとも思いましたが、おそらく違うでしょう。

 サテンドールは1974年に神戸市の北野町で開業したそうで、1976年に六本木に移転したようです(六本木サテンドールのロゴにはsince 1976と書かれています)。私がスイングジャーナルを読んでいた1980年代には銀座にもサテンドールがあり(銀座のほうが先に開店したのかもしれませんが、詳しいことはわかりません)、ライヴスケジュールが掲載されていたことを覚えています。銀座のほうに行ったことはないのですが、いつの間にか六本木のみになっていました。何度か移転しているようで、私が知る限りでは六本木四丁目の俳優座劇場の真裏、同じく六本木四丁目で東京ミッドタウンの近く、そして六本木六丁目の現在地です。このうち、現在地だけ入ったことがありません(すぐそばを何度か通っているので場所は知っています)。

 2020年の時には事業を受け継ぐ会社があったということでしょうが、今回はどうでしょうか。再復活はないかもしれません。ただ、サテンドールが続けられるとしても、六本木にこだわる必要はないという気もします。

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