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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

「これはどうなんだ?」という話

2025年04月17日 11時30分00秒 | 受験・学校

 Yahoo! Japan Newsで知ったのですが、毎日新聞社が2025年4月15日21時50分付で「武蔵野東学園、卒業生らに7億円を請求 在学中に理事長を刑事告訴」(https://mainichi.jp/articles/20250415/k00/00m/040/258000c)として報じていました。

 この記事の表現を借りると「理事長を刑事告訴するなどした卒業生らに対する損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こしたと発表した。請求額は7億2572万円で、今後増額する予定としている。保護者向け連絡アプリでも同じ内容を配信した」とのことです。

 記事そのものは短いのですが、背景にはかなり複雑な、と評価してよい話があります。「複雑な」というのは、事実の概要だけでなく、何をどこまで書いてよいのかという点を含みます。

 そして、この記事に誘導される形で武蔵野東学園のサイトを見たのですが、「これはどうなんだ?」と思いました。4月15日付の、理事学園長および理事事務長の名義による文書が掲載されているのですが、単に「損害賠償請求訴訟提起のお知らせ」とでもしておけばよいのに、わざわざ被告の肩書きまで記しています。請求額が総額で7億2572万円で、「今後、損害賠償額は追加されて増額される予定」、「現理事⾧の損害賠償額3,300万円を含む」と書かれているところも「どうなんだ?」なのですが、全員でないとは言え被告の氏名や肩書きなども書かれているのです。私が驚いたのが、この被告の氏名などが書かれている部分で、執拗さを感じますし、「普通、こんなことまで書かないだろう?」と思いました。「現理事⾧を謝罪文を強要したと告訴、(中略)当然に結果は不起訴」とまで書かれていますから。この学園の問題を報じ続けた毎日新聞社が被告になっていない点も不思議ですが、単に事実を報じているだけでは名誉毀損にも何にもならないから、ということでしょうか。

 ちなみに、不起訴処分になったからといって無罪であるという訳ではありません。犯罪の嫌疑なしとして不起訴処分になる場合もあれば、犯罪事実は認められるものの、起訴して公判に持ち込む必要性が認められないから不起訴処分になる場合もあります。

 損害賠償請求額の根拠は、今後裁判で証されるでしょうが、どのような根拠で積算されたのかが気になります。ふと、「訴権の濫用ではないのか?」という疑念が浮かびました。仮にこういう訴訟が無条件に許されるのであれば、口封じのためなら何をやってもよいということにつながりかねません。

 しかも、毎日新聞社が2025年3月18日の5時付で「武蔵野東学園、新入生の保護者に『口封じ』 誓約書提出を要求」(https://mainichi.jp/articles/20250317/k00/00m/040/287000c?inb=ys)として報じたところによると、武蔵野東学園は「運営する学校の新入生の保護者に対し、学園に関する情報を外部に漏らさないよう求める誓約書を提出することを求めていた。(中略)違反した場合は損害賠償を求めるとしている」、「25年2月には理事長に反発した武蔵野東高等専修学校の生徒が退学処分を受けたことも発覚。後に学園が処分を取り消すなど、混乱が広がっている」とのことです。この退学処分についても毎日新聞社が報じており、2月4日21時46分付の「理事長を告訴した生徒の退学処分撤回 和解成立で 武蔵野東学園」(https://mainichi.jp/articles/20250204/k00/00m/040/317000c)によると、退学処分とした生徒の側から地位保全の仮処分の申立を受けた東京地方裁判所立川支部が和解を促したようで(残念ながら記事は有料なので、会員でない私は全文を読めません)、学校は退学処分を取り消した(または撤回した)とのことです。退学処分を取り消しておきながら、その処分の対象となった生徒(卒業されたようです)に対して損害賠償請求訴訟を提起するというのは、「一体何を考えているんだ?」という話になります。裁判上の和解は判決と同様の効力を持ちますから、損害賠償請求訴訟の提起は和解を踏みにじるものですし、一事不再理の原則にも反するでしょう。

 今回は、学校法人のgovernanceを考えるための良い題材になると考えたので、取り上げることとしました。

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だいぶ前から指摘されていることだと思いましたが

2025年04月17日 01時00分00秒 | 受験・学校

 インターネットでは一昨日(2025年4月15日)に報じられて、早速コメントなどが多く出されているようですが、昨日(2025年4月16日)付の朝日新聞朝刊3面13版S◎●に「一部私大の授業『義務教育のようだ』 財務省『助成見直しを』」という記事が掲載されていました。

 短い記事ではあるのですが、少しばかり引用すると「財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で主張した。定員割れに陥っている私大の授業例として、四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形との違い(英語)などを挙げた」とのことです。そこから、認証評価制度の見直し、さらに私大助成額の見直しなどが主張された、という内容につながります。

 私は、この記事をYahoo! Japan Newsで最初にみました。早速、多くの方がコメントをよせていますが、あまり読んでいません。

 むしろ、すぐに「これ、もう20年以上前からネタになってんじゃんか!?」と思いました。記事の見出しも経済雑誌の名称も忘れてしまいましたが、まだ私が大分大学教育福祉科学部の講師か助教授であった時に読んだ記事で、大学での英語の授業でbe動詞の活用を教えているとか何とかと書かれていたのでした。要するに大学とはかけ離れた授業がなされているという訳です。『分数ができない大学生』という本がベストセラーになったのも、私が大分大学に勤務していた時でした。

 本や雑誌の話だけではありません。具体的なことを記すのは控えますが、酒の席で、某地方公共団体の議会の議員さんから「あそこの大学だったら、中学生レベルの授業をしなけりゃダメだよ」と言われたこともあったのでした。しかも、それを実感することが何度かあったという、悲しいおまけまでついてきます。

 そもそも、大学で「授業」という表現に引っかかる方もおられるでしょう。私自身が長らくそうでした。大分大学時代に私が運営していたツリー型掲示板で、大学の「講義」ではなく「授業」と書かれたり話されたりすることに、何度か違和感を覚えたことを書きましたし、御意見もうかがいました。実は今でも引っかかっています。しかし、「講義」ではなく「授業」と言われるようになったのは、私自身を含めて「講義」とは言えないレベルなので「授業」と言われるようになったのかもしれません。

 また、文部科学省も、2013年度に、英語の授業が中学校レベルであり、しかも単位認定が行われているという大学があるということで改善要求をしています。このブログでも2014年2月12日23時50分48秒付で「大学でbe動詞の授業~~しかし、実態は、少なからずこのようなもの~~」で扱いましたし、その後も「偶然、見かけた記事ですが(続)」で扱っています。いかに根が深い問題なのでしょうか。義務教育の意味は何なのか、義務教育において扱われるべき内容の範囲はどこまでなのか、など、検証が必要でしょう。

 こうなると、小学校で英語を教える意味がどこまであるのかも疑わしくなってきます。

 小学校や中学校でも、留年制度とでは言わなくとも、単位制を採用したらいかがでしょうか。習熟度云々を声高に叫ぶのなら、単位制、または類似のものを導入するのも一考に値するのではないかと考えています。

 ※※※※※※※※※※

 be動詞の話でいつも思うのは、何故にbe動詞はかくも不規則な活用をするのかということです。「それこそ調べろよ!」と書かれたりすることはわかっています。しかし、私はただの法学者であって、言語学者ではありません。それに、インド・ヨーロッパ語族においてbe動詞に相当する動詞、例えばドイツ語のsein、フランス語のêtreは、いずれも不規則な変化(活用)をします。日本語でも、変格活用などという、不規則な変化をする動詞があることはおわかりでしょう。私が興味なり関心なりを持つのは、歴史的な経緯です。語源はどこにあるのか、と言い換えるほうがよいかもしれません。よく使われる動詞ほど不規則性が高いものであったりすることはすぐに理解できます。しかし、それで片付くものなのでしょうか。

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2025年度の「税法A」、「税法B」、「法学特殊講義2A」および「法学特殊講義2B」の教科書について

2025年04月04日 22時50分00秒 | 受験・学校

 大東文化大学のシラバスを参照していただければわかるように、タイトルに示した科目の教科書は石村耕治編「税金のすべてがわかる現代税法入門塾」〔第12版〕(清文社、2024年)です。

 今年3月に板橋校舎内の書店が閉店したため、他の書店(例、池袋のジュンク堂書店、神保町の東京堂書店、東京駅そばの丸善丸の内本店など)で探すか、インターネットで注文して購入してください。

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津山市で私立大学の公立化を求める声

2025年02月19日 00時00分00秒 | 受験・学校

 ここ15年程でしょうか、私立大学の公立化が行われるようになっています(厳密に言えば公立大学法人化ですが、便宜上、公立化と表現します)。例えば、2009年に高知工科大学(高知県香美市)、2010年に名桜大学(沖縄県名護市)、2014年に長岡造形大学(新潟県長岡市)、2017年に長野大学(長野県上田市)が公立化しています。これら4大学は元々が公設民営方式で設立されたものですが、2016年に成美大学が公立化されて誕生した福知山公立大学(このブログでも取り上げています)は公設民営方式で設立されたものではありません。

 さて、今回は岡山県津山市の話です。同市に美作(みまさか)大学という私立大学があります。学部は生活科学部のみで、この学部の中に食物学科、児童学科および社会福祉学科が設置されています。一方、大学院として生活科学研究科(修士課程のみ。食物学科に対応するようです)および人間発達学研科(修士課程のみ。児童学科に対応するようです)が設置されていますが、何故か社会福祉学科に対応する大学院の研究科がありません。また、短期大学部も設置されています。

 美作大学の公式サイトには2024年3月6日付の「社会福祉士国家試験、合格率93.3%」という記事が掲載されており、2023年度の社会福祉士国家試験の合格率が、中国地方、四国地方および九州地方の私立大学25校中で8年連続第1位と宣伝されています。ちなみに、全国の大学159校中第28位、全国の私立大学129校中第12位とも書かれていますが、全国の大学159校、全国の私立大学129校の具体的な意味は書かれていません。生活科学部社会福祉学科社会福祉士養成課程の記事なので、社会福祉関係の学部や学科を設置する大学のことでしょうか。

 岡山県北部では唯一の私立大学である美作大学ですが、2023年12月7日付で「美作大学短期大学部の学生募集停止について(2025年度以降)」を公表しています。そのため、短期大学部の学生募集は2024年度入学生をもって終わるということになります。募集停止の理由などについては「18歳人口の減少と四年制大学志向など近年の社会状況の変化に伴い、志願者が減少し、短期大学部は定員を充足できない状況が続いております。そのような状況の下、本法人は短期大学部の今後について慎重に検討を重ねてまいりました。その結果、2024年4月入学生の受け入れをもって短期大学部の学生募集を停止することといたしました」と書かれています。

 しかし、事態は短期大学部の募集停止では済まされない状況になっています。私自身も大学の教員ですから他人事ではありえません。そのために関心を寄せざるをえません。

 おそらく、志願者の減少は大学にも及んでいるはずです。少々わかりにくいですが、学科ごと、入試方式別のの募集人員と受験者数、合格者数を見ると、一部で定員割れが生じています。そのためでしょう、津山市が美作大学の「公立化を検討する方針を明らかにした」と、朝日新聞社が報じています。同社のサイトに、2025年2月18日18時付で「美作大の公立化、岡山県津山市が検討へ 『地方創生の核に』」(https://digital.asahi.com/articles/AST2K43GMT2KPPZB004M.html)という記事が掲載されていました。

 さすがに美作大学のサイトには掲載されていませんし、学校法人美作学園のサイトにも書かれていないのですが、2024年1月に、美作学園は公立化の検討を津山市に対して要望していたようです。また、美作大学の同窓会や後援会も公立化を求める署名活動も行われており、2024年8月におよそ29000筆の署名を津山市に提出しています(ちなみに、2025年2月1日における津山市の人口は、住民基本台帳ベースで94924人です)。さらに、岡山経済同友会津山部会、津山市医師会、津山市連合町内会も、美作大学の存続あるいは公立化の検討を求めて、津山市に要望書を提出しているとのことです。

 これらを受ける形で、ということでしょうか。津山市は2025年度一般会計当初予算(案)で関連費用として1600万円を計上した、とのことです。どのくらいの数かはともあれ、存続あるいは公立化の声はありますから、津山市も調査に乗り出そうという訳でしょう。上記朝日新聞社記事によれば、津山市は美作大学の存続を「地方創生の核」と位置づけているようです。たしかに、美作大学の学部構成を見ると、大学での教育や研究が津山市やその周辺の市町村に貢献しうると判断できるかもしれません。

 また、美作学園の歴史はかなり古く、100年を超えています。1915年に津山高等裁縫学校が設立されており、1951年に美作短期大学が、1967年に美作女子大学が開学しています。1978年に美作短期大学が美作女子大学短期大学部となり、2003年美作女子大学が共学化の上で美作大学に改称されています。津山市に根付いた私立学校であるということでしょう。

 津山市が予算に費用を計上したということは、同市が美作大学の公立化に積極的であると考えることもできるでしょう。上記朝日新聞社記事によると、津山市長は「高等教育機関を存続させる意味合いでは公立化は効果的、現実的な選択ではないか」という趣旨の発言をしていますし、津山市は2025年度に「公立化した場合の長期的な収支見通しや地域ニーズなどについて調査、分析を行い、大学運営の専門家や教育関係者らによる有識者会議を立ち上げる方針。専門的、客観的な見地から評価してもらう」とのことです。

 ただ、検討は慎重に行われるべきでしょう。最初の段落で記したように、私立大学の公立化については実例がいくつもあります。しかし、事情は個別的でしょう。公設民営方式で設立されたのであれば公立化は比較的容易であると思われるのですが、美作大学は公設民営の大学ではありません。また、地域の人口、学部・学科のニーズなど、考慮すべき要素は複数にのぼります。さらに言えば、公立化によって受験生の学力水準が上がり、志願倍率が上昇することも見込まれるかもしれませんが、それがいつまで続くのか、という問題もあるでしょう。津山市の財政に重大な影響が及ぶ可能性も検証しなければなりません。

 もう一つ、気になることがあります。

 美作学園には、美作大学だけでなく、岡山県美作高等学校および美作大学附属幼稚園があります。高校と幼稚園は美作学園が引き続き運営するのでしょうか。おそらく、同学園が引き続いて経営するのでしょう。ただ、幼稚園のほうは、美作大学生活科学科児童学科の教育や研究と密接な関係を持っているはずです。大学の公立化によって大学と幼稚園との関係に何らかの影響が出るのでしょうか。

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この問題は鬼門?? 

2025年02月13日 00時00分00秒 | 受験・学校

 2025年1月29日0時50分0秒付で「この問題は鬼門?」という記事を載せました。

 その問題を、ここに再現しておきます。

 

 Ⅰ.P市は、パチンコ屋およびラブホテルを建築するには市長の同意を必要とするという内容の条文を盛り込んだ条例を制定し、施行している。業者Qは、P市内にパチンコ屋を開業しようとして、R県公安委員会から営業許可を得て、また、P市建築主事から建築確認を得て、P市長の同意を得ないままにパチンコ店の建物の建築を開始した。P市長は業者Qに対して建設中止命令を発したが、業者Qは建設を続行している。さて、P市は、業者に対して行政上の強制執行をなしうるか。なしえないとしたら、いかなる措置を執ることが可能か。学説や判例の動向に留意しつつ、論じなさい。

 参照 行政代執行法より 

 第1条 行政上の義務の履行確保に関しては、別に法律で定めるものを除いては、この法律の定めるところによる。

 第2条 法律(法律の委任に基く命令、規則及び条例を含む。以下同じ。)により直接に命ぜられ、又は法律に基き行政庁により命ぜられた行為(他人が代つてなすことのできる行為に限る。)について義務者がこれを履行しない場合、他の手段によつてその履行を確保することが困難であり、且つその不履行を放置することが著しく公益に反すると認められるときは、当該行政庁は、自ら義務者のなすべき行為をなし、又は第三者をしてこれをなさしめ、その費用を義務者から徴収することができる。

 

 類似の問題もよく出すのですが、その度に「条文を読めていない」と思っています。この問題を選択して解答する学生が多いのですが、ほとんどできていないというのが実情です。正確に計算した訳でもないのですが、8割から9割は不合格答案であるというのが実感です。

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「■■には、▲▲である」?

2025年02月04日 00時00分00秒 | 受験・学校

 学内の或る仕事で、タイトルに示したような表現を見つけました。

 ここにそのまま記す訳にはいかないので、大きく形を変えますが、例えば次のような表現は皆様に通じるでしょうか。

 「東京には、日本の首都である。」

 ここは純粋に、日本語の問題として考えてください。なお、私は国語の専門家ではないので、格助詞、係助詞などの表現を使用しません(そもそも、使用して説明できるほどの力はないのです)。

 「 」内の文章は、たったの一文字のために、意味が通じないものとなっています。

 そう、「東京には」の「に」があるためです。

 例えば、「東京には皇居がある。」、「東京には首相官邸がある。」という表現であれば、意味は通じます。

 書き手は「東京は、日本の首都である。」という意味のつもりで「東京には、日本の首都である。」と記したのかもしれませんが、助詞を適切に使わなかったために、意味をなさない文章を作成したのです。試しに英語などに訳してみてください。「東京は、日本の首都である。」であるならば"Tokyo is the capital of Japan."(英語)、"Tokyo ist die Hauptstadt von Japan."(ドイツ語)、"Tokyo est la capitale du Japon."(フランス語)、などと訳すことができます。これに対し、「東京には、日本の首都である。」を英語などに訳すとなれば、どのようになるのでしょうか。どなたか、御教示ください。

 (余談ですが、東京はドイツ語でTokioと書かれるのが一般的であるようです。また、フランス語版のWikipediaには"Tokyo est de facto la capitale du Japon"と書かれています。de factoは「事実上の」という意味のラテン語です。)

 国語の使い手は文法など気にしないことが多いでしょう。口語であればそれでもよいかもしれません。しかし、文章となれば話は別です。書き手が「てにをは」を適切に使わなければ、読み手に渡されるのは意味の通じない文章です。助詞の適切な選択は日本語使用者の宿命であるということを、自戒の念を込めて記しておきます。

 ※※※※※※※※※※

 東京のことを書いたので、余談のさらに余談を書いておきます。

 よく、日本の皇室に関する報道で「ロイヤルファミリー」というおかしな表現が使われます。国際的には全く通じません。

 そもそも、天皇を英語で表現するならばKingではなくEmpreorです。つまり、王ではなく皇帝なのです。2025年2月4日0時現在、世界に王国はいくつかあれど、帝国は日本だけです。従って、日本は立憲君主国であると表現するのが正しいことになります。何故、憲法学などの教科書はこの事実を、最初に、しかも明確に記さないのでしょうか?

 昨年か一昨年か、私は田園都市線渋谷駅で観光客に「皇居に行くにはこの電車(東京メトロ半蔵門線)に乗ればよいのか」という趣旨を英語で尋ねられたことを思い出したので、記しておきましょう。皇居を英語で表現するならばImperial Palaceです。英語版のWikipediaにはTokyo imperial Palaceという項目があります。ドイツ語版のWikidepiaならばKaiserpalast Tokioで、フランス語版のWikipediaならばPalais impérial de Tokyoです。いずれも、「王の宮殿」ではなく「皇帝の宮殿」です。もっとも、国王と皇帝との違いが何かと問われるならば、答えることは難しく、歴史的起源(emperorはラテン語のimperatorに由来します)はともあれ、現在では大きな違いはないとも言えるかもしれません。 

 いずれにせよ、せめて、日本の報道機関には「インペリアル・ファミリー」という表現を使用してほしいものです。

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この問題は鬼門?

2025年01月29日 00時50分00秒 | 受験・学校

 2月に追試があるので、現段階においてあまり詳しく書けませんが、私が担当する講義の期末試験でよく出題するものがあります。

 その度に正答率のあまりの低さに驚かされるのですが、今年もそうでした。前期も後期も、です。

 これは鬼門なのでしょうか? 期末試験に鬼門も何もないと思うのですが。

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18÷0=0 ? どういう答えだ?

2024年06月25日 07時00分00秒 | 受験・学校

 たまたま、Yahoo! Japan Newsで見つけた記事で、ねとらぼというサイトには「18÷0=? 小3の算数プリントが不可解な出題で物議『割れませんよね?』『“答えなし”では?』」(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2406/24/news076.html)として掲載されています。

 思わず「嘘だろ!?」と叫びたくなりました。数学では、0で割ってはならないという鉄則があります。試しに電卓でどのような数でもよいので0で割ってみてください。エラーが出るはずです。そのこともあって、鉄則を知らない小学校の教員がいること自体が信じられないのです。

 上記記事によると、ある小学校の3年生用のプリントで「18÷0=」という計算問題が出たそうで、児童は「こたえなし」と解答しました。これが正解です。

 ところが、採点の結果は不正解でした。採点した教員がいうには「正解は0」で、その説明は単に「0で割ったら0」であったそうです(上記記事によります)。

 これでは先が思いやられますよ。

 ただ、私の経験からこの児童および保護者にお伝えしておきましょう。小学校なんてそういう部分があったりするものなのだ、と。進学などに関係のない、または無関心な教員は、いい加減なことを教えたりするのかもしれません。そうであっては困るのですが……。

 話を算数に戻しましょう。割る数と割られる数は違います。まさか、そのようなこともわからないのかな?

 0で割ってはいけないということについては、様々な説明方法があるようです。私が納得した説明は、YouTubeの「数学を数楽に」というサイトでなされていました。逆数を使う背理法による証明です。

 例えば、5を2で割るということは、5に2分の1をかけるということと同じです。5÷2=5×1/2=5/2=2.5という訳です。

 または、5を3分の1で割るということは、5に3をかけるということと同じです。5÷1/3=5×3=15です。

 逆数とは、例えば5という数字があったとすると、その数との積、つまり掛け算の答えが1になる数のことです。例えば、5の逆数は5分の1であり、2分の1の逆数は2です。

 ここで、仮に0で割ることができるとしますと、5÷0=5×0/5=1が成立するということですが、0/5(5分の0)は0ですから、5÷0=5×0/5=1は成立しません。仮定が誤っている訳です。

 今回問題となった「18÷0=」について、Xなどでは学習指導要領の範囲を超えるなどの指摘もあったそうです。いや、或る意味では的外れでしょう。むしろ、小学校の段階でしっかり教えるべき内容ではないでしょうか。

 だいぶ前に見たテレビ番組か何かで、英国の小学校では一次方程式を使って計算を勉強するという内容を見た記憶があります。例えば、2+A=5というような式を使うのです。「なるほど」と思いました。この方法であれば、どうして0で割ってはいけないかについても勉強することができるはずです。こういうことは、ソロバンで学ぶことができません。

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期末試験の答案などについて

2023年12月22日 14時15分00秒 | 受験・学校

 1月の後半には期末試験、という大学も多いでしょう。そこで、過去に私が記したことへのリンクを示しておきます。なお、レポートについても妥当します。

 https://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/e/ffa21de58e583fece7480e19f39d3ce2

 https://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/e/e74927f8d1caa0425845970d0a652af9?fm=entry_awp

 https://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/e/e724eae889b77bf2805c524070418431

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割引の意味がわからない 本当のことか?

2023年09月22日 00時21分20秒 | 受験・学校

 たまたま見つけた記事です。Business Journalに、2023年9月20日の18時10分付で「『千円の2割引き』解けず…大学生の数学の学力低下が深刻、実社会で被る不利益も」という記事(https://biz-journal.jp/2023/09/post_359411.html)が掲載されていました。

 目を疑いました。次のように書かれていたからです。

 「少し前に大学の非常勤講師をしていたという人がX(旧Twitter)上に投稿した内容が一部で話題を呼んだ。それによれば、ある大学で学生の学力把握のために初回講義で簡単なプレテストを実施したところ、『1000円の2割引きはいくらですか』という問いに答えられない学生が多数いたというのだ。解答のなかには、『1000−2=998円』『1000÷2=500円』といった驚くべき誤答もあったとのこと。このほか『時速4kmで2時間進むと、何km進みますか』という問題では、多くの学生が『はじきを忘れたので、解けません』として答えられなかったという。

 これではまともに生活できないのではないかな、と思いました。

 夕方、近所のスーパーマーケットに行き、値引きシールが貼られるのを待ち、貼られたものを買う。こういうようなことをしていれば、2割引、20%引きの意味くらいわかるだろう。そういう生活をしたことのない、或る意味でうらやましい人なのかな。

 記事を読んでいて、少しピントが外れているような気もすると考えたのは私だけでしょうか。数学、算数の問題というより、生活体験の問題であるような気もするからです。

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