ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2007年9月4日、日田市を歩く(3)

2014年03月28日 00時06分21秒 | 旅行記

 〔「待合室」に、2007年9月13日(第228回)、2007年9月20日(第229回)、2007年9月27日(第230回)、2007年12月6日(第241回)、2008年1月7日(第246回)、および2008年1月15日(第247回)掲載。2008年10月27日、統合および一部修正の上で、別室13として再掲載。2010年10月17日、別室12へ移行。2010年11月28日掲載終了。〕

 

 (以下は、第230回として2007年9月27日に掲載したものです。)

 元サテライト日田予定地を訪れてから、とりあえず日田駅のほうに戻ろうと思い、東のほうに向かって歩きました。バス停があることは知っていましたので、そこまで歩き、バスに乗ろうと思ったのです。日田市の友田地区には想夫恋(そうふれん)という焼きそば屋の本社があり、そのそばにバス停があるのです。そう言えば、想夫恋の支店は大分市の羽屋地区(上田町の近く)にあり、さらに東京の渋谷にもあったと聞いたことがありますが、今はどうなのでしょうか。

 バス停に着いて時刻表を確認したのですが、日田バスセンターまで行くバスに乗るためには、あと3時間以上も待たなければなりません。その1本しかないのです。福岡市の天神、北九州市の小倉、大分駅、さらに東京の渋谷や新宿のような場所であれば、1時間や2時間は待てますが、ここは日田市の友田地区です。周囲に時間をつぶせるようなところはあまりありません。元々、長い待ち時間や、行列の中に並ぶことをあまり好まない私にとって、そんな場所での3時間以上の待ち時間はつらいのです。

 一方、日田駅までは3キロメートルほどありますが、ほとんど平らで、しかも直線コースですから、十分に歩ける距離です。東京都内、福岡市内などであれば、このくらいの距離は歩いてしまうものです。たいして時間はかからないであろうと思い、歩いてみることとしました。ただ、曇ってきて、雨が降りそうです。

 国道386号線を歩き続けます。こんな案内板があります。日田温泉は、日田駅から近い三隅川(筑後川のことですが、日田市では三隅川と呼ばれます)の沿いにあり、平成の大合併の前から日田市の地域ですが、フィッシングパークと鯛生金山は旧中津江村の領域にあります(フィッシングパークについては自信がありませんが)。合併により、日田市の面積も非常に広大になりました。旧上津江村の地域までであれば、ここから50キロメートル以上離れているはずです。熊本県阿蘇郡小国町の地域にも届きます。旧中津江村から日田市の中心部まで車を走らせたことがありますが、それほど幅の広くない一般道路で、その時には2時間近くかかったはずです。このあたりから鯛生金山までの道のりは、東海道本線で東京から戸塚までの営業キロとほぼ同じなのです。時間がかかった訳です。

 顔に僅かな水滴がぶつかります。雨が降ってきたのです。もっとも、まだ傘をささなければならないほどの量ではありません。しばらく行くと、今度は小鹿田(おんた)や豆田町への案内標識があります。小鹿田、豆田町のいずれも、この「待合室」で取り上げました。小鹿田は焼物の里、豆田町はかつての天領時代の街並みを今に残す所です。日田市から小鹿田への入口、現在は中津市となっている旧山国町の守実温泉、耶馬渓を経由して中津駅まで走るバス路線がありますが、本数が少ないため、小鹿田には行きづらいでしょう(日田彦山線の大鶴駅か今山駅から歩いて行けるかもしれませんが、道路事情がよくなく、道筋も非常にわかりにくいので、一度車を走らせたことがある私はお勧めいたしません)。一方、豆田町は、日田駅の北側から淡窓を経由して歩いて行けます。ここまで歩いたので、どうせのことだから淡窓や豆田まで歩いてしまおうと思います。

 玉川町の交差点を抜け、さらに歩き続けます。しばらくして三叉路を直進し、日田駅前までの商店街を通ります。三本松二丁目の交差点そばに、白い壁の、どのようにしてもスーパーマーケットにしか見えない建物がありました。

 この建物には見覚えがありました。日田市だけでなく、大分市、佐伯市、中津市などで何度も見ている色と形の建物です。「もしや、寿屋の跡では?」と思ったのですが、現在は違う店舗が入っています。壁を見ていてもわかりませんから、空を見上げます。すると、写真の通り、やはりかつての寿屋でした。マークと文字は消されているはずなのですが、跡がはっきり残っています。

 寿屋は、大分県の佐伯市を発祥の地とし、後には熊本市を本拠地としたスーパーマーケットでした。熊本県や大分県などに多くの店舗を構えていたのですが、今世紀に入ってからまもなく、経営が破綻し、全ての店舗が閉鎖されました。その後、別の資本系列の店舗になった所などもありましたが、譲渡先がなかなか決まらず、閉鎖状態が続き、建物の傷みが進んだという店舗もありました。果たして、佐伯市大手前の寿屋の建物はどうなったのでしょうか。

 寿屋の建物に現在入っている店舗です。木に隠されていますが「黒潮市場」という看板が見えます。また、100円均一ショップのダイソーも入っています。建物の中に入っていないので、どのくらいの客入りなのかはよくわかりません。

 実は、4年ぶりに日田市に行き、一番驚いたのが高層マンションの存在でした。福岡市内であれば、このくらいの規模のマンションは当たり前のように存在しますし、首都圏ではもはや高層マンションと言わないかもしれません。しかし、日田市では、ホテルなどでなければ、これほど大きな建物はなかったのです。駅前のスーパーマーケット、サンリブやダイエーの建物も、ここまで高くありません。マンションの裏にも、現在建設中のマンションがあります。

 日田駅から友田まで乗ったタクシーの運転手さんが話してくれたところによると、最近、日田市にもこういうマンションが次々に建てられているということでした。地理的に見ると、日田市は大分県内にあるとはいえ、大分市から90キロメートルほど離れていますし、中津市からでも50キロメートルくらい離れているはずです。福岡県に近いとはいえ、久留米市からでも40キロメートルほど離れています。こうした点が、マンション建設の背景にあるのでしょうか。よくわからないのですが。この地域は大分県西部の中心地でもありますから、県内企業をはじめとして、少なからぬ企業が支店などを置いています。

 さらに歩きます。奥のほうに見える信号を直進すると、日田駅まではもうすぐです。左折すれば、久大本線の下を通って淡窓、田島のほうへ行けます。

 このあたりに、かつて岩田屋がありました。福岡市中央区天神二丁目に本店がある、百貨店の岩田屋です。本店のほうは、かつて天神交差点にありましたが、現在は天神西通りのほう、警固神社の西側に移転しています。その支店が日田市にあったのです。私も何度か入ったことがあり、日田の焼酎を買ったことがあります。

 大分県は、百貨店(デパートメントストア)という部分で見れば日本で最も例外的な都道府県でしょう。県庁所在地である大分市に、地元資本の百貨店、トキハしかないからです。他の都道府県庁所在地であれば、百貨店は最低でも2つはあります。福岡市であれば岩田屋、井筒屋、三越、大丸というようにです(博多リバレインの場所には玉屋という百貨店もありました)。しかし、大分市には、トキハ以外の百貨店が進出したことはありません。大分県の場合、トキハ以外の百貨店は日田市、別府市などでなければ見つけることができなかったのです。しかし、詳しいことを覚えていないのですが、岩田屋日田店は2002年あたりに閉鎖されました。別府市には近鉄百貨店があったのですが、私が大分市に住み始めた頃には既に閉店となっていて、建物も解体されました。そのため、大分県には、大分市の府内町と稙田、別府市の北浜にあるトキハだけが、百貨店の店舗として存在しています。

 「たしか、この辺りだったよなあ」と思いながら、通りを見回しました。そして、建設中のマンションが、その岩田屋の場所だったことがわかりました。交差点で交差する南北方向の道路を見て思い出したのです。

 交差点を左折し、久大本線のガード下を通り、淡窓、豆田へ行こうとしています。ここが、岩田屋日田店があった場所で、現在は分譲マンションが建設中です。かつての岩田屋が何階建てだったのか覚えていないのですが、岩田屋時代より高い建物かもしれません。

 「日田駅周辺も変わったなあ」と思いながら、淡窓、豆田へ向かって歩いていきました。また天気が回復し、盆地特有の暑さでかなりの汗を出しながら。


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