小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「わかりやすさの本質」野沢和弘:著 生活人新書・NHK出版を読んで その3

2011-09-15 10:07:48 | 弱さへの思考

=のりしろ=

文章を短く区切り、それぞれの文章に重複した「のりしろ」の部分を設けると、ずっとわかりやすくなる。

本書には「『手をつなぐ』2002年10月号、全日本手をつなぐ育成会発行」に掲載された文章が再掲載されている。

それを読んでみたい。

「飛行機にのって東京にいって、東京都大阪の人たちとで交流会をしてきました。僕は、仕事の話をしました。そしていろんな意見がでました。話を聞いて、僕が一番おどろいたことは、会費の話です。みんなの会の会費が千円と一番高く、最低で百円と聞いて、おどろいてしまいました。」

この文章はいくつかの事実によって成り立っている。

①飛行機に乗った
②東京に行った
③東京と大阪の人が交流会をした
④僕は仕事の話しをした
⑤いろんな意見が出た
⑥僕が一番おどろいたのは会費の話
⑦みんなの会の会費が千円で一番高く、最低の会は百円
⑧それを聞いて僕はおどろいた

これを新聞記事文体にすると…

「飛行機で東京へ行き、東京都大阪の人で交流会をした。僕は仕事の話をした。いろんな意見が出たが、会費の話には一番驚いた。みんなの会が千円で一番高いが、最低の会は百円だった」

つまり、
飛行機に「乗った」ことは省略してもわかる。
「話を聞いて」と断らなくても前後の文脈でわかる。
二度も「おどろく」ことは必要ない。

でも、これが「のりしろ」である。確かに重複には違いない。しかし、1つの文章を流し読みするのではなく、1つ1つ丁寧に確認して、次の展開を理解するためには、「のりしろ」は重要な役割を果たしているのでは?

情報がすごいスピードで自分の周りを駆け巡る社会で暮らしている知的障害者にとっては、まさにそのようにしながら物事を理解しようと努力をしているのかもしれない。
彼らの文章や話し言葉の「のりしろ」には、そのような切実さを感じる。


知的障害者に限らず、私たちも、高速で駆け巡る情報のなかにいる。もっと、ものすごいスピードを感じていると想像してみる。すると、他者への関わり方は、変化するのではないだろうか。