気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●投資の世界の入口/ニューヨークでのデート2(通り過ぎた思い出)

2005-03-27 23:59:45 | 投資の世界の入口
ニューヨークDOWは3000ドルを超えた時期だったと思います。米国30年債利回りは8%をはさんだ動き。ドイツでは鉄鋼の労働組合がもめていたような気がします。
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この日ともう一日の二日間オーちゃんと会いました。一回は落語家の林家菊次郎さんがやっているラーメン屋「めんちゃんこ亭」、別の日はふらふら歩いて近くの地中海料理やさんに入りました。何食べたかは覚えていないけれど、地中海料理とは珍しいなといった記憶が残っており、夕方6時ごろでお店の準備が完全には整ってなかったと思います。めんちゃんこ亭で、オーちゃんが「でっちゃん、友達に紹介するからね、、?いいでしょ?」と訊かれました。馬鹿なでっちゃんは「いいよ」と言いましたが、彼女の意図はわかっていませんでした。括弧書きで(彼氏として)という言葉が含まれていたんだと思います。めんちゃんこ亭は、仲間の溜まり場のようで先輩と友人の二人がいました。ニコニコ微笑まれたのも、そういう意味だったんだと思います。

そのあと洋服やさんに行きました。彼女はかわいいスカートを買いました。彼女のホテルの近くまで歩いて送りました。途中、会社の同期のシステム部門の新卒者が自転車ですれ違い、「あっ日本人のあいつだな」と気づいて通り過ぎていきました。翌日、彼女はお腹が痛いといっていました。今になって思い出しましたが、なんとなくでっちゃんは不機嫌になりかってに淋しくなった覚えがあります。 いずれにしても、この頃でっちゃんは会社のことで元気がなく、彼女はでっちゃんとは今まで以上に深いあいだにはなれず、がっかりしたと思います。しばらく連絡はなく、帰国後も少し経って連絡をでっちゃんからしたと思います。そしてしばらくして「彼氏がいる」と言われました。
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●投資の世界の入口/ニューヨークでのデート

2005-03-27 00:33:32 | 投資の世界の入口
当時、僕は仕事で悩んでいました。いや仕事という領域まで達しているわけではなく、そもそも身分不相応な会社に入ってしまったことに悩んでいました。このままではいられなくなると思い始めていました。これは事実ですが、もう一つは僕自身の性格にも問題があったと思います。のんびりやとか小さいことにこだわらないタフなタイプだったら、そこまで悩まず乗り切っていたんじゃないかとも思います。英語の不安は致命的でしたが、それよりも仲間とのコミュニケーションがうまくありませんでした。ただドライな考え方の人が多かったのも事実ですが、、、なぜ僕は急にニューヨークに行くことになってしまったんだろう?先輩たちにも申し訳なくて話しにくくなっていっていました。人が聞けば、うらやむようなビジネスマンのスタート年のようですが、実際はおちこみっぱなりでノイローゼでした。

このころ仲のいい女性がいました。同じ年でオーちゃんというニックネームで、大学3年(1990年)のときアメリカにホームステイいったのですが、そのグループの中にいた女性でした。のちに僕が会社を辞め、失業していたときも、転職先の小さい規模の証券会社にはいって直通電話のない寮で生活しているときも連絡を同じようにくれていた人でした。彼女は全日空の国際線スチュワーデスとなって上京してきて、留年経験のある僕が四年生のときからしばしば会ったり、よく電話したり、葉書をだしたりするなりました。全日空が東京/パリ便がスタートしたときに乗務していたことを葉書で教えてくれたりしました。そんな彼女がニューヨークにフライトできました。待ち合わせは会社が終了後の僕のマンションのロビー。僕が帰ると先に到着しており、ひかえめな態度だったと思います。晩御飯に行く前に、せっかくだからと部屋を案内しましたが、彼女は部屋のドアがきちっと閉める勇気がなくて、僕もちょっと緊張してしまって、入口ドアは半開きのまま数分部屋で過ごしました。つきあっていたわけではなく、正式には仲のいい友達でした。でも心はすごく近かったです。(続く、、、)
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