かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 14

2023-03-25 10:37:37 | 短歌の鑑賞
    2023年度版 渡辺松男研究3
      (13年3月)【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)12~
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       司会と記録:鹿取 未放


14 恍惚と樹が目を閉じてゆく月夜樹に目があると誰に告げまし

     (当日意見)
★月の光が空にあがって西の空に落ちてゆくまで、そういう月の光
 の推移する時間を自分が樹になったような感じで歌われたのでは
 ないか。月の光の強弱を樹の肌 で感じるというのは普通の人間
 の感覚。それを樹の目で感じているところが渡辺さん。下の句は
 誰か言う、とか馬場あき子の歌にもたくさんある。(慧子)
★馬場先生の歌は自分の内面のつぶやきのようなものを誰かが言っ
 たよという形で表現したものがたくさんありますね。でもここは
 「まし」だから馬場先生の歌とは違う。「まし」の文法上の意味
 は「ためらいの意思」ですね、この辺りは「樹に目があると誰か
 に告げたいけれど、誰に告げてもきっと信じてはもらえないだろ
 うな、でも自分は樹に目が有ることを知っているよ」という気分
 でしょう。でもそれは日常的感覚では誰にでも納得してもらえる
 ことではないので、そのあたりをレポーターの崎尾さんはどう考
 えるの?ということを聞きたかった。(鹿取)
★人間も深くものを感じたいとき目を閉じるが、樹にもそういうこ
 とがあると渡辺さんが感じていらっしゃるのかなあと思った。あ
 まりにもほれぼれする月光だったので樹は目を閉じたのかなあと
 思う。(崎尾)
★やわらかい月の光のなかで目を閉じる樹というのは分かる気がす
 る。(曽我)


     (後日意見)(2023年)
 自分の心のつぶやきを誰かに代弁させる馬場あき子の技法。たとえばスペイン旅行詠「慶長使節の支倉は老いて秘むれども夢に大西洋かがやけり一生」に続く歌「支倉の老いの寝ざめに聖楽の幻聴澄むと誰か伝へし」の「誰か伝へし」は「誰かが伝えた」という意味だが、その誰かは実際には存在しない。「誰も伝えた者はいなかった。けれども自分馬場あき子は(支倉の老いの寝覚めの幻聴に澄んだ聖楽が聞こえた)と思ってやりたい」という祈りのような気分なのだろう。ちなみに支倉は藩主伊達政宗の命によって慶長使節として派遣され、苦難 の末フェリペ三世に謁見したが、帰国後は冷遇されたまま世を去った。(鹿取)



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