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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 57、58 アフリカ⑥

2025-08-01 10:08:05 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 馬場あき子の外国詠 7(2008年4月実施)
   【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171 
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S       司会とまとめ:鹿取 未放


57 蛇つかひ黒い袋に手を入れてくねる心を摑み出したり

              (レポート)
 くねる蛇の心を摑むという詩情。この微妙な働きをする蛇遣いは、見物人である作者の心まで掴んだ。(T・S)


             (当日意見)
★くねる体、でなく心であるところが上手い。(崎尾)

 

             (まとめ)
 くねる心、といったところが面白い。くねる体、では当たり前。もちろん、くねっている蛇体に心は反映されている。黒い袋、もゴミ袋のようなただのビニールかもしれないが、黒という色を出したことで神秘的な効果が出た。(鹿取)

           
58 蛇つかひの黒い袋にうごめける感情のごときうねりのちから

           (まとめ)
 57番歌「蛇つかひ黒い袋に手を入れてくねる心を摑み出したり」の補完。蛇が袋の中でうごめいている様子を「感情のごときうねりのちから」という。57番歌の「くねる」よりさらにダイナミックな動きで、それを「うねりのちから」と言っている。感情の「ごとき」であって、「うねりのちから」イコール蛇の感情だ、というのでもない。この辺りの微妙な接続が興味深い歌だ。(鹿取)
                  

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馬場あき子の外国詠 56 アフリカ⑥

2025-07-31 10:22:29 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠 7(2008年4月実施)
 【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171 
  参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
     T・H、渡部慧子、鹿取未放
 レポーター:T・S       司会とまとめ:鹿取 未放 

                                                               
56 夕日濃きフナ広場にはじやらじやらと人群れて芸なしの蛇もうごめく

               (レポート)
 フナ広場はマラケシュにあるジャマ・エル・フナ広場のことである。ジャマ・エル・フナとは死者の広場という意味で、昔は罪人の処刑場だった。広場と言っても街の一角が商業地で、多くの店が集まっています。ここには多くの人が集まるので、見世物や街頭芸人がいろいろな出し物を演じて、客からお金をもらいます。蛇遣いも有名です。コブラを笛を吹いて踊らせる芸はよく知られています。「じやらじやらと人群れて」硬貨の音にも聞こえ一層の賑やかさの表現。笛を吹いてもなかなか思い通りにいかないこの蛇。「芸なしの蛇」。愛嬌者だろうか、意地っ張りなのだろうか、実に楽しい。(T・S)

         
            (当日意見)
★じやらじやら、の擬態語が蛇(じゃ)の音に通じる。(可奈)
★蛇も、の「も」がよい。(藤本)
★人群れて、に自分が入っているのか、納得ができない。全て上から見下ろしているという感じ。(T・H)
★当然、自分も入っている。群れている人の一員であることを承知し自己批判もありつつ、旅行者としていくらか無責任にその雰囲気を楽しんでもいる。(鹿取)


            (まとめ)
 「夕日濃き」に夕方の華やぎがある。そういう時刻になってますます広場は活気を帯び、「じやらじやらと」人が群れ出すのだろう。濁音を使った擬態語は、自分も含めその場を楽しもうと意気込む無責任な群衆の比喩になっている。「芸なしの蛇」は手厳しいようだが同情の心もこめられているようだ。(鹿取)

 

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馬場あき子の外国詠 55 アフリカ⑥

2025-07-30 08:28:14 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 馬場あき子の外国詠 7(2008年4月実施)
   【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171 
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S       司会とまとめ:鹿取 未放

         
55 群れて行く日本人の小ささをアフリカの夕日が静かにあやす

           (まとめ)
 結句に力がある。「照らす」なら誰にでも言えるだろうが、「あやす」で深い思索の歌になった。アフリカの夕日は日本人の小ささを愛撫するかのように、慈愛にみちた暖かさで包み込んでいるのだ。「群れて行く」の所にいくらか日本人の性格的な弱さを自虐する意味合いがあるだろうか。それにしてもアフリカの人々はよほど体格がよかったのだろう、既にレポートした阿弗利加一連には日本人の小ささをうたった歌が他にもあった。(鹿取)
   日本人まこと小さし扶けられ沙漠を歩むその足短し
   モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女
 
 

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 77

2025-07-29 10:54:08 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)
     『泡宇宙の蛙』(1999年) 【邑】P50~
     参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:泉 真帆       司会と記録:鹿取未放          


77 せつせつと蜻蛉ら交尾しつつ飛び遥かなり近きなり遥かなり空

           (レポート)
 下句の修辞の巧みさに注目した。遥かなり、近きなり、遥かなり、と繰り返すことによって、韻律と同時に蜻蛉のかろやかさ、ゆれるさま、陶酔感、そして作者自身の正気が遠くなるような夢見心地な抒情も表現されていると思った。(真帆)


                 (当日発言)
★レポーターは蜻蛉を「せいれい」と読まれましたがここは「とんぼ」だと思います。とんぼと読めば2句の句割れしている「蜻蛉ら交尾」が7音に収まるので。下の句は拗れながら高く低く飛んでいる感じですよね。それで空が遠くなったり近くなったりする。それを「遠く」ではなく「遙か」と言ったところに、はろばろとした寂しさみたいな気分が滲んでいるし、レポーターがいうように陶酔感も呼び出す仕掛けだと思います。(鹿取)
★交尾だから恍惚感。自分の体験からしか歌はうたえないから、それが反映していると思いました。 (慧子)
★私は自分の体験以外からも、いくらでも歌は作れると思います。何か対象を観察してそれを詠むこともできるし、全くの未知の物事を空想で歌うこともできると思います。もちろん、それをうたうからには、どこかで自分に繋がってはいるんでしょうけれど、その繋がりは必ずしも体験を通しているとは思いません。(鹿取)
★時間のことも感じられる歌だと思います。昔からずっと続いている。(K・O)
★そうですね、生殖は子孫を残す行為で大昔から営々と続いてきたんですね。(鹿取)
★蜻蛉の交尾はすぐに終わって、産卵する場所を探すためにオスとメスは繋がって飛ぶそうです。別にこの一首が間違っていると言うのではないですが。(真帆)
★まあ、詩的真実というのもありますから。作者はそういうふうに見たって事ですよね。(鹿取)


               (後日意見)(2019年8月)
 この歌の下の句について、どこかで見たような気がしていたが次の歌が下敷きになっているのかもしれない。
   ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり                                          北原白秋『黒檜(くろひ)』
 昭和12年のクリスマスイブ、白秋は眼底出血のため神田駿河台の病院に入院していた。病院近くのニコライ堂からはクリスマスの鐘が揺り返すように大きく小さく小さく大きく聞こえてくる。眼を病む白秋の耳は研ぎ澄まされていただろうが、鐘のゆったりした揺れを捉えておおらかな美しいリズムを作っている。(鹿取)                                      

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 76

2025-07-28 18:35:56 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)
     『泡宇宙の蛙』(1999年) 【邑】P50~
     参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:泉 真帆       司会と記録:鹿取未放          

                                      
76 沈黙のひかりの層のぶあつきを突破しながら翡翠(かわせみ)となる
    (「翠」の文字は、歌集では「羽」部分が旧字体「羽」です)

             (レポート)
 主語は「われ」でよいのだろうか。なにか突破しながらカワセミがカワセミとなる、とも思ったが、むしろ青葉の季節、重層的に感じる光のなかを抵抗感をもちつつ突破してゆく作者自身が、カワセミのように飛び、青く発光してゆくさまを思い描いた。(真帆) 


              (当日発言)
★「沈黙のひかりの層」は認識までの時間かと思いました。(慧子)
★魅力的な歌で惹かれます。宇宙空間を猛スピードで突き進んでいるような感じ。ものすごい抵抗を押しのけて突き進んでいるうちに自分があの美しい緑色の翡翠になった。このまま受け容れてすごく魅力的な歌なんだけど、「沈黙のひかりの層」とは何かと理屈を言わないといけないのでしょうか。(鹿取)
★スピード感のある歌ですね。時空を突破していく。「沈黙のひかりの層」は認識までの時間という意見もあったし、いろんなものを含んでいるのでしょう。その前には太い樹になっているし。とにかくかっこいい歌です。(K・O)
★タイムトラベルとか平行宇宙とかいろいろ想像させられます。分厚くて渦巻いている、ものすごい大きな時空間。でも、ホーキングとかと違うところは、そこにあんな小さな美しい翡翠を持ち込む ところ。科学者と詩人って、そこがちょこっと違うのかな。(鹿取)
★『泡宇宙の蛙』って歌集の題に触れるところのある一首かなと思いました。(K・O)
★そうですね、「泡宇宙」というのも難しい概念でしたよね。(鹿取)

 

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