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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 81

2025-08-09 21:22:33 | 短歌の鑑賞

2025年度版 渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
  【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
  参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子     司会と記録:鹿取未放  


81 ほのかなる雲のにおいの頻伽来て天にちいさなる子宮を鳴らす

             (レポート)
 頻伽とは迦陵頻伽を指して極楽にいるという想像上の美声の鳥。それが飛来してきて天に子宮を鳴らすという。子宮というものを神秘的な器官としてたたえ、同時に儀式に鳴らす楽器のように子宮をとらえているのかもしれない。飛天のいる仏画のようだ。(慧子)


             (当日発言)
★迦陵頻伽は頭は人間で胴体からは鳥。ここで鳴らす子宮は鳥なので人間の子宮とは違います。斎藤茂吉に有名な迦陵頻伽の歌がありますね。(鹿取)
★このにおいというのは色つやとかではなくて、スメルの匂いなんですよね。(真帆)
★はい、スメルの匂いだと思います。松男さんの雲はとても思い入れがあってたくさん詠まれていますが、天上と地上を繋ぐものなんでしょうか。(鹿取)
★この一連は産むことをテーマにして歌っていられると思いますが、それでいろんなものに想像を飛ばしていく訳ですが、迦陵頻伽が子宮を鳴らすって常人にはできない発想で、でも聞こえそうに思えてくる。松男ワールドの面白さだなあと。(真帆)
★前の歌の透き通ってゆくお蚕様や妊娠した女にはなまなまとしたものを感じたのですが、こちらは雲の匂いという天上的な形容で、しかもそれが仄かだというところに美しさを感じます。だから子宮を鳴らすと言われても清らかな音が響いてくる。言葉通りに読んでいい気分になれる。(鹿取)
★はい、解説なんかしちゃいけなくて、このまま読んですばらしい。渡辺松男は天才だと思います。「ほのかなる」がとっても効いていますよね。きっと天上にはこんな美しい世界があるに違いないと思わせられる。すばらしい歌だと思います。(A・K)


    (まとめ)
とほき世のかりようびんがのわたくし児(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ恋ひにけり
                                               『赤光』斎藤茂吉

 

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 80

2025-08-08 09:53:30 | 短歌の鑑賞

2025年度版 渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
  【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
  参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:渡部慧子     司会と記録:鹿取未放  


80 みごもれるおみなの指にわがおもうお蚕様は透きゆきにけり

           (レポート)
 妊娠している女性の身体の指に注目する。そのふっくらしているであろう指に蚕を連想したのだろう。身籠もりということを思う作者の心には、神秘を感じ、つつましさがあるだろう。指を見ながら、蚕を連想しながら作者に恍惚感があったのか、「お蚕様は透きゆきにけり」と表現する。(慧子)


             (当日発言)
★身籠もった女の指が蚕の透き通ってゆく感じに似ているというのでしょうか?よく分からなかったのですが。お蚕様と妊娠したおんなの指はどういう関係にあるのでしょう?(A・K)
★繭になる前の蚕は透き通った感じになっていくのでしょうかね。(鹿取)
★身籠もるとだんだん聖なる感じになっていくのかなと。(真帆)
★「透きゆきにけり」のところはリアリティがあるので、作者は養蚕をよく見る機会があったのかもしれませんね。(鹿取)
★「透きゆきにけり」には身籠もっているおんなの生臭さみたいなのも感じますね。(A・K)
★作者は「おみな」って表記していて、これはもともとは若く美しい女性を指す語ですが、それでも何かマリアさまみたいな清らかさではなくて、原始の女のようなふてぶてしさとか、気味悪い印象を持つのは、今A・Kさんがおっしゃったように生臭さがあるからなんでしょうね。A・Kさんが生臭さという言葉にしてくれたので、やっと私も自分のもやもやが言葉になったのですが。(鹿取)


      (まとめ)
 蚕の4齢幼虫は次の眠りに入る前に体に光沢がでるそうだ。その後眠りに入り、5齢幼虫になって7日経つと食べなくなり、透き通った体から中の絹物質が見えるため黄色~飴色のように見えるらしい。この後、繭を作り始めるという。「お蚕様は透きゆきにけり」とはこの4齢幼虫あたりの蚕を言っていて、女性の指とのアナロジーを感じているということだろうか。やっぱり生臭い感じがする。(鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 79

2025-08-07 08:05:08 | 短歌の鑑賞

2025年度版 渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
  【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
  参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子     司会と記録:鹿取未放  


79 秋蜻蛉ひかる盆地にみちあふれわれは子宮になりたくなりぬ

           (レポート)
 盆地という地形にひかりがあり、秋蜻蛉がみちあふれている状態。そこから作者は「子宮になりたくなりぬ」という。秋蜻蛉は赤とんぼであろう。生命を象徴する色としての赤が、ひかりとともに満ちあふれている様は、祝福された景。(慧子)
  

            (当日発言)
★レポーターは「秋蜻蛉」を「あきせいれい」と読まれましたが、それだと6音になるし、ア音の繋がりが美しい「あきあきつ」だろうと思います。(鹿取)
★作者が意識してやっていらっしゃるかどうかは分からないけど、盆地ってくぼんだものだから子宮と繋がるかなと思います。(A・K)
★フロイト的に言えばまさにそうですよね。(鹿取)
★子宮というのは生物学的な用語ですが、赤とんぼが盆地に満ちあふれている、赤は生命そのものです。盆地にわーとそういうのが群がっている情景は素晴らしくて、そういう命を生み出したいという願望なのかなあと。(A・K)
★上句は普通の自然詠としても読めますよね。秋、蜻蛉のア音で続ける明るさとか、これだけ巧く斡 旋できるかどうかは別にして、普通の人でもこういう景だけなら言えそうです。でも、こんな下句の思想を持っているのは松男さんだけですよね。(鹿取)
★蜻蛉が赤いので血液のように見えて、それで子宮を連想したのかなと思います。子宮になりたくなりぬって面白い感覚なんだけど、それを硬くではなく柔らかく伝えてくるところがいいなと思います。(真帆)
                                 

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 78

2025-08-06 10:42:35 | 短歌の鑑賞

2025年度版 渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
  【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
  参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子     司会と記録:鹿取未放  

                                 
78 夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む

      (レポート)
 何にでもなりきる作者はこの度パンになり、妊娠によってパンの子、そのような柔和なものを産む。作者は夢によって規定を越え、妊娠をするパンになるのだが産む性へ越えてゆくことに含羞のようなものがあったのか、夢の力を借り、性のないパンという設定をしているように思える。様々な境界を越えゆけるものとしての夢というものもある。(慧子)


     (当日発言)
★初めてこの歌を読んだとき、男性が子を産む歌を作ることにほんとうにびっくりしました。しかし性を越えて出産をうたうということに斬新なものを感じました。(真帆)
★この歌は歌壇でも話題になりましたよね。A・Kさん、いかがですか?(鹿取)
★私は今日初めて参加しました。事前に送ってもらった資料に鹿取さんが渡辺松男さんのこんな 言葉を引用されていました。
   
   ……在ることの不思議、無いことの不思議、生命のこと、そういう次元を詠まなかったなら、私(に)とって歌は意味のないものになっていました。存在に寄り添うこと、それを掬うこと、それを包むこと、あるいは包まれること、それに成りきること、それらのことはいつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっているかぎり不可能なことでした。(「かりん」2010年11月号)
    
 それから今日鹿取さんが配ってくださった寺井さんの評論(「居心地の悪い親切――『けやき少年』と『ヰタ・セクスアリス』」「かりん」2005年8月号)を読んで、ああ、渡辺さんってこういうんだと。この二つの文章を前提にすると何となく分かるような気がします。宇宙的な幻想的なものと現実的なものが溶け合ったような感じ、夢想なんだけど分かるような感じ、「夢に」と断っているところが用意周到だと思うのですが、感覚的に触感として伝わるような、言葉をうまく使っていますよね。(A・K)
★そうですね。この歌は「夢に」とあるので、本人の述懐や寺井さんの論を読まなくとも、こちら側の歌として奇抜だけど充分楽しくかわいらしく読めます。この先だんだんそういう枠が取り払われるんですけど。『けやき少年』のあとがきで、この歌集に収められた歌は平行世界の記憶の断片で自分にとってはリアルなんだというようなことを言っていますけど。掲出歌は世界に対して絶望しきっていないというか、何かを生み出したいって思っているわけで、世界に対する松男さんの立ち位置が出ている歌だと思います。幼児的な感じもするのですが、世界を投げ出していないところが読者 としても希望が持てて楽しいなと思います。(鹿取)

         (まとめ)
 当日配布した寺井さんの渡辺松男歌集『けやき少年』に対する評論は長いので引用しきれないが、要点のみ箇条書きにする。(鹿取)
  ・歌群の向こうにひとりの人間の像が結べないから居心地が悪い
  ・近代的な自我主体による発話ではない
  ・意図して現代短歌を異化しようとしている

 また、川本千栄氏が掲出歌と82番歌(子を孕みひっそりと吾は楠なればいつまでも雨のそばにありたり)ほか数首を引いて次のように書かれているので紹介する。
 ユングによると全ての男性は深層意識にアニマ(内なる女性)、女性はア ニムス(内なる男性)を持っているとされている。そう考えると、これらの歌は渡辺の深層にあるアニマの声なのだと言うことができる。
    私の知らない「私」―渡辺松男に見る「深層の私」
     二、ユング心理学で読む渡辺松男
              (「D・arts」創刊号 2003年4月) 

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馬場あき子の外国詠 62、63 アフリカ⑥

2025-08-05 11:44:35 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠 7(2008年4月実施)
  阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171 
  参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
     T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・S       司会とまとめ:鹿取 未放


62 アフリカの乾ける地(つち)にとぐろなすもの飼ひならし老いゆくは人

             (まとめ)
 眼前の蛇つかいを見ながら、ふっとこの老い人の生活を思っている。アフリカの過酷な風土で長年蛇を調教しながら生きてきた人間、あくどいようでもそれは生活の為である。その点では憎い顔をした蛇使いながらそこはかとない悲哀があり作者の同情がある。61番歌(すべらかにとぐろなす身を解く蛇のいかなれば陽に涼しさこぼす)を受けて蛇と直接言わないで「とぐろなすもの」と言っているところが面白い。結句も「人は老いゆく」となだらかに用言で止めず、体言止めで人を強調したところにも作者の思いが出ている。「アフリカの乾ける地」という生きる場の提示が、下句をよく活かしている。(鹿取)
        

63 笛吹けど踊らぬ蛇は汚れたる手に摑まれてくたくたとせる

          (まとめ)
 汚れたる手、にリアリティがある。いかにも蛇使いを業としている人の手だ。蛇も疲れ切ってストライキをしたい時があるのだろう。「くたくたとせる」だから病気だった可能性もあるが、ストライキととって飼い主に抵抗を試みる蛇と解釈した方が、アフリカ一連の最終歌としてふさわしいように思われる。(鹿取)

 

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