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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 35 アフリカ③

2025-06-21 11:14:20 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠③ (2008年1月)
 【阿弗利加2金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
      藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子     司会とまとめ:鹿取未放


35 潰れたやうな時間の澱みスークには売らるる鶏(とり)の眠れるにほひ

            (まとめ)
 上句、感覚的だが雑多でとらえどころのないスークの本質がよく捉えられている。下句の「鶏の眠れるにほひ」は映像と臭覚を伴ってスークの雰囲気をよく伝えている。哲学的な深みを感じる歌。(鹿取)


                 (レポート)
 スークを詠いおこすため「潰れたやうな時間の澱み」とまず言い切る。旧街区として保存の意味もあろうが、時代からとりのこされたようなスークを理屈抜きで感じさせるうまい比喩である。同時に結句「鶏の眠れるにほひ」と実によく照応しており、このフレーズが一首全体によく働いている。スークは業務ごとにまとまって営業していていろいろな場所があるらしいが「鶏の眠れるにほひ」のする所とは、何か虚無に支配されているようだ。(慧子)

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馬場あき子の外国詠 34 アフリカ③

2025-06-20 20:48:12 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠③ (2008年1月)
 【阿弗利加2金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
      藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子     司会とまとめ:鹿取未放


34 モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女

          (まとめ)
 「モモタロー」のカタカナ表記がいかにも外国人の発音のようである。モモタローはモロッコの人々がなじんだ数少ない日本のイメージなのだろう。彼等が「モモタロー」と呼ぶ由来は童話からかトマトの品種名からか不明だが、トマトの「モモタロー」に限れば大玉の品種なので下の句の「小さき品種」に繋がるところがちょっと困るが、トマトだから大きいといってもたかがしれている。作者は「モモタロー」と呼ばれて一瞬ひるんだが、それを跳ね返す気分で「小さき品種」なのだと開き直っている。外国へ行くと、知っているかぎりの日本語で話しかけられることが多い。それらはたいてい親しみをこめた呼びかけによってものを売ろうとしているのだ。どこの国の観光地でだったか、日本人に向けて「貧乏プライス」という客引きの言葉がかかっているのをテレビで見た。「貧乏」の語の持つニュアンスを詳しくは知らない客引き達にとって、それは軽蔑ではなく単純に「安くしておくよ」くらいの意味で使っていたのだろう。
 しかし、レポーターが引いているジャップの歌を考えると、まてよとも思う。「吾等小さき品種の女」と受けるからにはやはり「ジャップ」というほどひどい差別意識はなくとも、小さな東洋人をあなどる気分が潜んでいる言い方だったのだろうか。
 ※ルール違反だが、後日作者に直接伺ったところ、「明るい揶揄」の気分だろうとおっしゃっていた。「蔑称とは感じなかった」そうだ。 (2009年2月 追記)    (鹿取)

                                                                                   
                 (レポート)
 各国の旅行者が行き交い人種の見本市のようなスークにおいて、日本人女性が「モモタローと呼ばれたり」と詠っている。同行した清見糺の一首。 (慧子)
   背中からジャップという語に狙撃されメディナでわずかな買物をする            

 

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馬場あき子の外国詠 33 アフリカ③

2025-06-19 09:08:56 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠③ (2008年1月)
 【阿弗利加2金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
      藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子     司会とまとめ:鹿取未放


33 鞄ごと跳ねて喜々たる少女ふと迷路に消えてここより自由市場(スーク)

           (まとめ)
 初句の描写にいかにも楽しげな少女の様子が見えるようだ。こういう元気の良い少女はどこにもいるものでかわいいなあと見ていたら、外国人には迷路のように見える路地に入っていってしまった。ここからはスークと呼ばれる野外市場である。すこし恐いが好奇心いっぱいな作者が思われる。T・Hさんのは穿った意見だが、少女の悪意を見てしまうとこの歌の弾んだ気分を台無しにしてしまう。謎程度でとどめた方がいいだろう。(鹿取)

                    
                (レポート)
 旅のつれづれ、作者の前を行く少女に目がとまる。持っている鞄は少女の夢や未来を象徴していて、いい小道具である。迷路に少女が消え、そこはスーク。鮮やかな場面転換。(慧子)    

                                               
         (当日意見)
★実はこの少女は観光客をおびき寄せる役割をしているのかもしれない。(T・H)      

 

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馬場あき子の外国詠 31、32 アフリカ③

2025-06-18 14:09:42 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠③ (2008年1月)
 【阿弗利加2金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
      藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子     司会とまとめ:鹿取未放


31 観光として生き残る水売りの老爺鈴振る真赤(まつか)なる服

           (まとめ)
 真赤な服は民族衣装だろう。おそらくかつて実用として水が売られていた時から着用していたのだろう。観光としてのあざとさがいくらかは気にかかりながら、作者にはそういう風俗を伝えつづけてほしい気持ちもあるのではないか。(鹿取)


32 水売りの皮袋の水はどんな水もろ手一杯買へば涼しも

           (まとめ)
 テレビの旅番組でモロッコの水売りをみたことがあるが、老爺が斜めに掛けた皮袋から細長い管が出ていて、両胸にぶら下がった6~7個のコップの一つに注いでいた。この歌の場合はコップに注がれたものを両手にうけたのかもしれないし、作者のことだから手にちょうだいと言ってもらったのかもしれない。もろ手に買ったところで詩になっている。
 尾崎放哉に「入れものが無い両手で受ける」という句があるが、ひとから施し物をもらうときの有り難い気分が「両手で受ける」という言いまわしに滲んでいる。この歌の「もろ手一杯」はどうであろうか、(観光客はペットボトルの水をいくらでも購入できる時代だから)水そのものを尊ぶより、水売りという伝統を珍しがり、はしゃいでいる気分かもしれない。
 ちなみに、かつて馬場と共に訪れたネパールの街角で、アイスクリームを買いに来た子供に葉っぱに乗せてアイスを渡している光景に出会ったことがある。椎の葉に飯を盛った万葉の時代を思った事であった。(鹿取)


                 (レポート)
 モロッコでは皮袋に水が貯えてあるらしい。あらかじめ用意された器があったのかどうか、それはさておき、手というものをおりおり美しくうたいあげる作者ならではの一首だ。(慧子)         
                                                          

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馬場あき子の外国詠 30 アフリカ③

2025-06-17 08:48:30 | 短歌の鑑賞

2025年度版 馬場あき子の外国詠③ (2008年1月)
 【阿弗利加2金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、

        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
 レポーター:渡部慧子     司会とまとめ:鹿取未放


30 カサブランカに降(お)りて時間を巻き戻し九時間前の太陽に会ふ

           (まとめ)
 カサブランカは「白い家」の意。カサブランカと日本の時差は9時間、現地について実際腕時計を巻き戻して現地時間に合わせたのだろう。時差の不思議を歌っているのだが、白い家とさんさんと照る太陽がよく映りあっている。
 永田和宏歌集『華氏』の「時差」の一連でアメリカで師・高安国世の死を知ったの次のような歌を思い浮かべることもできる。(鹿取)


高安国世氏の死去は、七月三十日午前五時十二分。ひとり待つその時刻までの、ながい夜。
    朝と夜をわれら違えてあまつさえ死の前日に死は知らさるる
    君が死の朝明けて来ぬああわれは君が死へいま遡りいつ

           
           (レポート)
 カサブランカはモロッコの空の玄関、15世紀にポルトガル人がこの街を建設し、そう名付けた。その後20世紀初めフランス統治下にて近代都市に改造され、現在に至っている。
 そこへ馬場あき子一行は安着した。時差を詠っているのだが「九時間前の太陽に会ふ」とは同行した清見糺の「モロッコ私紀行」※を参照にするとよく理解できる。
 世に不可能をあげるなら、時間を巻き戻すことがひとつある。それを歌においてやすやすとやってのけ、快感のある一首だ。(慧子)
※9月16日21時55分成田発⇒⇒⇒20時間飛行してジブラルタルを越え、モロッコ到着
                              (日本時間 9月17日18時20分)
                              (現地時間 9月17日10時20分)
                                                          

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