![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/dc/d1487b548cfb4148f044bd43eff098d6.jpg)
■メイン写真
上柘植からみた霊山
■今回のコース
霊山寺駐車場(駐車)→萬壽寺→福地城跡→(東海自然歩道)→霊山→霊山南峰→霊山寺
名阪国道を天理から亀山に向かう際、上柘植インター付近から右手にどっしりとした
山容が見える。これが布引山地北端の山、霊山(れいざん、765.5m)である。
この日は、JR柘植駅から霊山への周回コースを把握しておきたかったので、
霊山寺駐車場にクルマを置いてから、まずは俳人・松尾芭蕉を生んだ松尾家の
菩提寺である萬壽寺に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e3/bd6a7776d7c667e8555c9e0eef0628d9.jpg)
ずっと舗装道を歩くことになるが、途中でシロバナネコノメソウを見かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/9a/7e615d6ed367a6a57fe5248955095d86.jpg)
萬壽寺。なかなか厳かな雰囲気だが、この本堂が立てられたのは昭和になってからで、
ガラスが入っているが、それがレトロでなかなかよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/1d/27289630e337239eb6e86e6912ee4fba.jpg)
境内には松尾芭蕉の墓がある。
芭蕉の墓は、没した大阪の天王寺に3か所と、本人の遺言により葬られた
滋賀県大津市の義仲寺にあるらしいが、この寺にもある。
有名人は没しても別荘を宛がわれるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a8/fde2e8f72a763039783218bffed99850.jpg)
境内あるスダジイの古木。幹をみても、もはやスダジイとは分からないシワガレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/00/9f3800f740720e427e621a70fd82d938.jpg)
萬壽寺から、さらに奥へ進むと、福地城跡がある。今では芭蕉公園という名前だ。
福地城跡は、じつは名阪国道のすぐ横にあるのだが、国道を爆走していると
全く気付くことはない。
ちなみに松尾家は、城主だった福地氏の一族である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/fd/a53d7dc35d5f6a227f1e218d7e199370.jpg)
福地城跡に咲いていたマンサク。
名阪国道のパーキングエリアの真下のガードをくぐり、東海自然歩道に合流して
植林の長い長い舗装林道を、ひたすら登ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/47/c3badf7384d85fd43544200cd149eaf7.jpg)
ごくたまに、横を流れる沢の流れが変化して、束の間の美しさを見せるが、
概ね、退屈な道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d7/7938d10e5b39968dd38efb3f63663a74.jpg)
それでも歩いているうちに霊山の山頂に着いてしまう。4年ぶりに踏む山頂だ。
アセビが満開で出迎えてくれた。
ここは古墳のような横穴石室もあるが、平安期から江戸期にかけて大きな寺院が
あったという。
嵯峨天皇の勅願を受けた、伝教大師(最澄)の草創というから由緒ある寺だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2d/d4bbb102b93a231dafc56c034282eae2.jpg)
山頂は冷たい強風が吹き抜け、とてもじゃないが長時間、景色を見ることは
できなかった。
山頂直下までクルマで来た地元の兄ちゃんと談笑しながら
風を避けて昼食をとり、霊山寺に向けて下山開始。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d5/083be9a0a802cfa3b63b3859d36cf9fc.jpg)
この三叉路で、唯一、方角を示されていない尾根の踏み跡を拾うと、
誰も行かない霊山南峰に行ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7b/1882f3c4085bd285d371ae4ee426068e.jpg)
霊山南峰の直下からは、霊山の山頂部が見える。
一般登山道に戻り、下山にかかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2a/66ec17eada393c24fe7534aa137e61ae.jpg)
途中、美しいコケに遭遇。
クリンソウの芽もちゃんと出始めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/85/7015401beb8dbeeebe0258b8dd590da0.jpg)
原地堂。普通は「地蔵」だが、この下山路に幾つか出てくる地蔵は
すべて「地堂」と書く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8c/cc009240cb66c6c9b9ea6d6357133b99.jpg)
苔むした地蔵、もとい字堂が並ぶところまで来ると、霊山寺はもうすぐ。
生駒の矢田丘陵北端にある霊山寺は「りょうせんじ」と読むが、
ここは「れいざんじ」でOK。
(生駒の霊山寺は、ガイドブックの中には「れいざんじ」とルビが振って
あるものもあるが、これは明らかな誤り。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/78/4ea77802dd9cb835f919fdab6cca11cd.jpg)
霊山寺の本堂には、かなり立派なシャチホコが見られる。
源頼朝が平治の乱に負けて、平宗清の保護下にあったころ、ともに伊勢参りを
しようと、ここを訪れ、御来迎を見たという。
深い霧が出て、ブロッケン現象が起きたのだろう。
頼朝は、鎌倉幕府を開いた後も、寺に鐘などを寄進したという。
なお、平宗清は、松尾芭蕉の祖先にあたるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2a/b478588aadd1a1965d74a8e2c8154b84.jpg)
霊山寺の入口あたりにある梅林。ちょうど見頃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/25/410aff42bf173ae21bc2abc26d476283.jpg)
クルマで柘植駅までのルートを確認。
ついでに、下柘植にある小さな造り酒屋、橋本酒造場に立ち寄った。
それでもまだ時間が余っているので、このあともう一カ所、気になっていたところへ
行くことにした(つづく)。
上柘植からみた霊山
■今回のコース
霊山寺駐車場(駐車)→萬壽寺→福地城跡→(東海自然歩道)→霊山→霊山南峰→霊山寺
名阪国道を天理から亀山に向かう際、上柘植インター付近から右手にどっしりとした
山容が見える。これが布引山地北端の山、霊山(れいざん、765.5m)である。
この日は、JR柘植駅から霊山への周回コースを把握しておきたかったので、
霊山寺駐車場にクルマを置いてから、まずは俳人・松尾芭蕉を生んだ松尾家の
菩提寺である萬壽寺に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e3/bd6a7776d7c667e8555c9e0eef0628d9.jpg)
ずっと舗装道を歩くことになるが、途中でシロバナネコノメソウを見かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/9a/7e615d6ed367a6a57fe5248955095d86.jpg)
萬壽寺。なかなか厳かな雰囲気だが、この本堂が立てられたのは昭和になってからで、
ガラスが入っているが、それがレトロでなかなかよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/1d/27289630e337239eb6e86e6912ee4fba.jpg)
境内には松尾芭蕉の墓がある。
芭蕉の墓は、没した大阪の天王寺に3か所と、本人の遺言により葬られた
滋賀県大津市の義仲寺にあるらしいが、この寺にもある。
有名人は没しても別荘を宛がわれるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a8/fde2e8f72a763039783218bffed99850.jpg)
境内あるスダジイの古木。幹をみても、もはやスダジイとは分からないシワガレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/00/9f3800f740720e427e621a70fd82d938.jpg)
萬壽寺から、さらに奥へ進むと、福地城跡がある。今では芭蕉公園という名前だ。
福地城跡は、じつは名阪国道のすぐ横にあるのだが、国道を爆走していると
全く気付くことはない。
ちなみに松尾家は、城主だった福地氏の一族である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/fd/a53d7dc35d5f6a227f1e218d7e199370.jpg)
福地城跡に咲いていたマンサク。
名阪国道のパーキングエリアの真下のガードをくぐり、東海自然歩道に合流して
植林の長い長い舗装林道を、ひたすら登ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/47/c3badf7384d85fd43544200cd149eaf7.jpg)
ごくたまに、横を流れる沢の流れが変化して、束の間の美しさを見せるが、
概ね、退屈な道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d7/7938d10e5b39968dd38efb3f63663a74.jpg)
それでも歩いているうちに霊山の山頂に着いてしまう。4年ぶりに踏む山頂だ。
アセビが満開で出迎えてくれた。
ここは古墳のような横穴石室もあるが、平安期から江戸期にかけて大きな寺院が
あったという。
嵯峨天皇の勅願を受けた、伝教大師(最澄)の草創というから由緒ある寺だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2d/d4bbb102b93a231dafc56c034282eae2.jpg)
山頂は冷たい強風が吹き抜け、とてもじゃないが長時間、景色を見ることは
できなかった。
山頂直下までクルマで来た地元の兄ちゃんと談笑しながら
風を避けて昼食をとり、霊山寺に向けて下山開始。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d5/083be9a0a802cfa3b63b3859d36cf9fc.jpg)
この三叉路で、唯一、方角を示されていない尾根の踏み跡を拾うと、
誰も行かない霊山南峰に行ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7b/1882f3c4085bd285d371ae4ee426068e.jpg)
霊山南峰の直下からは、霊山の山頂部が見える。
一般登山道に戻り、下山にかかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2a/66ec17eada393c24fe7534aa137e61ae.jpg)
途中、美しいコケに遭遇。
クリンソウの芽もちゃんと出始めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/85/7015401beb8dbeeebe0258b8dd590da0.jpg)
原地堂。普通は「地蔵」だが、この下山路に幾つか出てくる地蔵は
すべて「地堂」と書く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8c/cc009240cb66c6c9b9ea6d6357133b99.jpg)
苔むした地蔵、もとい字堂が並ぶところまで来ると、霊山寺はもうすぐ。
生駒の矢田丘陵北端にある霊山寺は「りょうせんじ」と読むが、
ここは「れいざんじ」でOK。
(生駒の霊山寺は、ガイドブックの中には「れいざんじ」とルビが振って
あるものもあるが、これは明らかな誤り。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/78/4ea77802dd9cb835f919fdab6cca11cd.jpg)
霊山寺の本堂には、かなり立派なシャチホコが見られる。
源頼朝が平治の乱に負けて、平宗清の保護下にあったころ、ともに伊勢参りを
しようと、ここを訪れ、御来迎を見たという。
深い霧が出て、ブロッケン現象が起きたのだろう。
頼朝は、鎌倉幕府を開いた後も、寺に鐘などを寄進したという。
なお、平宗清は、松尾芭蕉の祖先にあたるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2a/b478588aadd1a1965d74a8e2c8154b84.jpg)
霊山寺の入口あたりにある梅林。ちょうど見頃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/25/410aff42bf173ae21bc2abc26d476283.jpg)
クルマで柘植駅までのルートを確認。
ついでに、下柘植にある小さな造り酒屋、橋本酒造場に立ち寄った。
それでもまだ時間が余っているので、このあともう一カ所、気になっていたところへ
行くことにした(つづく)。