Mr.Dashのぶろぐ館

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2016年3月20日(日) 布引・霊山と、松尾芭蕉ゆかりの地をたずねる

2016年03月21日 | 山登りの記録
■メイン写真
上柘植からみた霊山


■今回のコース
霊山寺駐車場(駐車)→萬壽寺→福地城跡→(東海自然歩道)→霊山→霊山南峰→霊山寺


名阪国道を天理から亀山に向かう際、上柘植インター付近から右手にどっしりとした
山容が見える。これが布引山地北端の山、霊山(れいざん、765.5m)である。

この日は、JR柘植駅から霊山への周回コースを把握しておきたかったので、
霊山寺駐車場にクルマを置いてから、まずは俳人・松尾芭蕉を生んだ松尾家の
菩提寺である萬壽寺に下った。



ずっと舗装道を歩くことになるが、途中でシロバナネコノメソウを見かけた。



萬壽寺。なかなか厳かな雰囲気だが、この本堂が立てられたのは昭和になってからで、
ガラスが入っているが、それがレトロでなかなかよい。



境内には松尾芭蕉の墓がある。
芭蕉の墓は、没した大阪の天王寺に3か所と、本人の遺言により葬られた
滋賀県大津市の義仲寺にあるらしいが、この寺にもある。
有名人は没しても別荘を宛がわれるらしい。



境内あるスダジイの古木。幹をみても、もはやスダジイとは分からないシワガレ。



萬壽寺から、さらに奥へ進むと、福地城跡がある。今では芭蕉公園という名前だ。
福地城跡は、じつは名阪国道のすぐ横にあるのだが、国道を爆走していると
全く気付くことはない。
ちなみに松尾家は、城主だった福地氏の一族である。



福地城跡に咲いていたマンサク。

名阪国道のパーキングエリアの真下のガードをくぐり、東海自然歩道に合流して
植林の長い長い舗装林道を、ひたすら登ってみた。



ごくたまに、横を流れる沢の流れが変化して、束の間の美しさを見せるが、
概ね、退屈な道である。



それでも歩いているうちに霊山の山頂に着いてしまう。4年ぶりに踏む山頂だ。
アセビが満開で出迎えてくれた。
ここは古墳のような横穴石室もあるが、平安期から江戸期にかけて大きな寺院が
あったという。
嵯峨天皇の勅願を受けた、伝教大師(最澄)の草創というから由緒ある寺だった。



山頂は冷たい強風が吹き抜け、とてもじゃないが長時間、景色を見ることは
できなかった。

山頂直下までクルマで来た地元の兄ちゃんと談笑しながら
風を避けて昼食をとり、霊山寺に向けて下山開始。



この三叉路で、唯一、方角を示されていない尾根の踏み跡を拾うと、
誰も行かない霊山南峰に行ける。



霊山南峰の直下からは、霊山の山頂部が見える。

一般登山道に戻り、下山にかかる。



途中、美しいコケに遭遇。
クリンソウの芽もちゃんと出始めていた。



原地堂。普通は「地蔵」だが、この下山路に幾つか出てくる地蔵は
すべて「地堂」と書く。



苔むした地蔵、もとい字堂が並ぶところまで来ると、霊山寺はもうすぐ。
生駒の矢田丘陵北端にある霊山寺は「りょうせんじ」と読むが、
ここは「れいざんじ」でOK。
(生駒の霊山寺は、ガイドブックの中には「れいざんじ」とルビが振って
 あるものもあるが、これは明らかな誤り。)



霊山寺の本堂には、かなり立派なシャチホコが見られる。
源頼朝が平治の乱に負けて、平宗清の保護下にあったころ、ともに伊勢参りを
しようと、ここを訪れ、御来迎を見たという。
深い霧が出て、ブロッケン現象が起きたのだろう。
頼朝は、鎌倉幕府を開いた後も、寺に鐘などを寄進したという。
なお、平宗清は、松尾芭蕉の祖先にあたるらしい。



霊山寺の入口あたりにある梅林。ちょうど見頃だった。



クルマで柘植駅までのルートを確認。
ついでに、下柘植にある小さな造り酒屋、橋本酒造場に立ち寄った。

それでもまだ時間が余っているので、このあともう一カ所、気になっていたところへ
行くことにした(つづく)。

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