Darkness Before the Daylight Blog

鋼の錬金術師、黒子のバスケにまつわる人々、漫画やアニメ、日々の楽しみ、その他つれづれ。

新刊情報です 【CC大阪109新刊サンプル】 からだ

2017-01-04 22:54:44 | 日常
やっと入稿できました……
誤字を見つけてしまってへこんでますが、頑張って書いたので、よろしかったらお手にとってみてください。
表紙は相方のシンさんに描いていただきました。とても綺麗なのでご覧くださいね。

2017/01/08 CC大阪109 鋼の錬金術師オンリー THE GATHERING DAY
6号館B こ26b サークル名:3P2D で頒布します。
(A5/64P/イベント頒布価¥500/成人向け)

ロイエド遊郭パラレル。
ロイの働く子方屋に、将来芸者になる運命を背負って売られてきたエドワードとアルフォンス兄弟の話です。
客をもてなすことができるように、芸事の修行をしながら、エドワードはロイのことを思っている自分に気付きますが、望んでも無理なことと諦めていました。
しかし、自分の生きる道を切り開こうと決意し、一度だけでも自分の気持ちを伝えようとして……

遊郭パロですが、ロイエド以外のカップリング要素はなく、ハッピーエンドです。
全て書き下ろしています。サンプル部分は全年齢ですが、本にはR18描写が含まれますのでご注意ください。


以下はサンプル部分になります。かなり長めですがよろしかったら。


「からだ」 試し読み


 ロイが自分の部屋からいつも見ていたのは、四角い額縁のような窓枠におさまった風景だった。
 この町で、この家のこの部屋に住むようになって、季節の巡りも何周か経験したけれど、自分はどこに行くのか、何をするべきなのか、まだ知らないまま生きているような気がしていた。

 エドワードとアルフォンスの兄弟は、まだほんの小さな子どもの頃に、この家へと売られてきた。
 彼らが初めて来た日を、当時二十二歳だったロイ・マスタングは、四年以上経った今でもよく覚えている。

 エドワードを初めて見た時、出迎えた者たちは皆一様に、これは売り物になるまいと考えた。
 あまりに痩せて細く、髪はぼさぼさと伸び放題だった。木綿の古い着物はつぎはぎだらけで、元々は縞模様だったらしいのがほとんどわからないほど汚れている。

借金のかたにと買い叩かれた子どもの姿は、ひどくみじめなものだった。
今時、町ではここまでの風体の子どもはなかなか見かけない。丸一日かけて、続く凶作にあえぐ寂れた北の農村から、連れられてきたのだった。
晩秋に売りに出されたのは、今年もほとんど皆無作だったからだ。この家がある南の地方よりも、北は土地が痩せていて、貧しい集落が多い。身売りされる子どもも、当然北の出身がたくさんいた。
まだ八歳と七歳で、いずれ店に出せるようになるまでの間、この家で引き取り面倒を見ることになった。だが、その金を取り戻せるほど客がつくかといえば、はなはだ心許ない。
 まだしも女であれば、どこの店にでも勤めることができる。それならば稼ぎようもあるだろうが、客の少ないであろう男なのだから、不安がる者ばかりだった。

ロイが立って見下ろすと、色素の薄い髪が後ろで束ねられ、水分を失ってそそけ立っている。
顔は泥なのか垢なのか、一面茶色く目だけが目立つ。膝はがさがさと乾ききり、すねは傷だらけだった。
弟と二人、暗く沈んだ色彩の中、目だけは濃い金色で、珍しさにロイは見入った。

 ここに連れてくるまでの道中、ほとんど口をきこうとしなかったと、使いの者は言った。言葉を覚えているのかどうか、よくわからないとも。
「……」
裸足のままで、二人は土間に黙って立っている。表情から、不安を押し隠しているのがわかった。時折きょろきょろと周囲を見てはいるが、確かに何も言葉を発する様子がない。
話すことができないようでは、客の相手は難しい。
黒く汚れた細い脚が、短い着物の裾から寒そうに出ている様子もまた、忘れることができない。

「名前は」
なるべく怖がらせないように、座敷から降りて、ロイは穏やかにそう問うた。
兄らしい方が、弟の前に立ちはだかるようにして守りながら、こちらを睨み上げた。
「エドワード」
答えた声は低かった。
言葉ははっきりしている。耳も目も、口も異常はないようだった。
「弟の名前は」
 重ねてロイは尋ねた。
「アルフォンス」
 弟が答えようとしたのを遮り、エドワードが言った。
 こちらへの警戒感を隠そうともしない態度を見て、ロイは大変なことになったと感じた。

兄弟に、親はすでになかった。
今まで面倒を見てきた親戚が経済的に行き詰まり、家をたたんで引っ越すことになったという、よくある身売りの理由だった。貧乏人の子沢山で、食べる口は一つでも減らしたいに決まっている。
彼らはもう、子守ならできる歳ではある。しかし下働きの年季奉公に出そうにも、男は引き取り手が少なく、あては見つからなかったらしい。
この痩せた体格では、力仕事はまだ全く無理だった。女の子と違って使いづらい上、碌な躾もされていない野生児ときては、引き受けようという物好きはいないのだった。

エドワードが、絶対に弟のアルフォンスと離れるのは嫌だと主張したのも、行き先が決まらない原因だった。
エドワードの顔を見ると、その頑固さもなるほどと納得できる表情をしていた。意志の強そうな目つきが、ロイを射抜くように見返していた。この家に馴染ませるには骨が折れるだろう。

 エドワードたちがこの家に来ることは、ロイは数日前から聞いていた。これまで数名の女の子が、同様にこの家で暮らし、去って行っている。しかし、男の子を迎えたのは初めてだった。
 今までは女中たちが中心となって育ててきたが、今回は男子とあって、ロイにその役割が廻ってきたものらしかった。

「少しおまえが、面倒をみてやれ」
突然言われたのは、今日の朝だった。
ロイは自信がなく、一度は辞退したものの、聞き入れられなかった。実際に本人たちの顔を見てみて、ロイは改めて断ろうという意を強くした。
「あれが私の手に負えるとは思えません。学校に通わせた方が」
そう訴えるロイに、まあ待てとブラッドレイは煙草をふかし、噛んで含めるように諭した。
「学校に通って実になるだけの頭と、やる気があれば、通わせる。金をかけるのは、それを見極めてからだ」
まずは見目を整えて芸事を仕込み、客の相手をするための作法を身につけさせる。何年かかるものか、無事に座敷に出て稼ぐことができるようになるまでは、こちらの持ち出しだった。
頭がいいなら学校も悪くない。しかし、本人にやる気がなければどうしようもない。まずは観察だというブラッドレイの言い分も、もっともだった。

「わかりました」
 ブラッドレイにはそう答えるしかないロイの立場もまた、エドワードとどれほどの差があっただろうか。

「まあ、来たのね」
 楽しげな女性の声がして、兄弟はそちらを向いた。
「男の子は初めてですものね。大変だと思うけど、お願いするわね」
 おかみさんという呼び名がとても不似合いな、ブラッドレイの妻だった。着ている銘仙の色鮮やかさに、部屋が明るくなるようだった。
おっとりと品が良く、こうした水商売に携わっている店の女主人という感じのしない女性だ。
動作もゆるやかで、口調もいつも優しく、声を荒げた姿はロイの記憶にない。ロイが出会った頃よりも、確かに年を取っているはずなのだが、全く変わっていないように思える。
この家に、芸者仕込みのための子どもが何人来て、また去って行っても、このおかみさんは気遣いの言葉をかけ、にこにこと笑っているだけで、着せてやったり食べさせてやったりの世話は、皆使用人に任せているのだった。

「頑張ってね、ロイさん」
人ごとのように言われればため息もつきたくなるが、この悠揚迫らざる落ち着きには、逆にほっとさせられる時もある。
何とかなるか、とロイは思い直して振り向いた。

並んでいる姿をつくづくと眺めれば、兄弟とはいうが、二人にあまり体格差はなかった。むしろ、アルフォンスの方が幾分丈夫そうにすら見える。
「何歳違いだ」
そう尋ねてみたが、本人たちは、年の差をよく認識していなかった。使いの者は「親戚に聞いたところでは、年子らしい」とだけ答えた。
自分の数え年すら知らない子どもたちを、ロイは不憫に思ったが、この家に来る子どもたちは皆、似たり寄ったりの境遇だった。

ロイは、エドワードとアルフォンスの方をもう一度見た。女中が、ため息をつきながら襷をかけ直している。この汚れきったなりのままでは、座敷に上げることもできないのだ。
おかみさんは「そうね、まずは着替えないとね」と、今気付いたような顔をして、それでも手ぬぐいを出してきてくれた。

泥くさい匂いも、いつまでも家の中で発散させてはおけないから、まずは彼らを入浴させる必要がある。となると、風呂屋に連れて行くことになる。
とはいえ、近寄らずともわかるシラミだらけの子どもを二人、突然連れていっては迷惑になる。相談して湯を沸かし、たらいで洗ってやることになった。
「夏だったら、行水させとけばよかったんだけどねえ」
そうこぼしながら女中たちが二人に湯をかけ、こすってやる。彼らは抵抗もせず、おとなしく着物を取り去られ、洗われた。
ロイはそれを見守った。時間と共に少しずつ、肌が本来の色を取り戻す。子どもらしい日に焼けた顔が、汚れの下から現れ始めた。

髪もひどくからまっていて、毛先までときおろすのは大変な苦労だった。長い間、櫛など通したことがなかったに違いなく、先端は少しはさみを入れるしかなかった。丹念に洗うと、どうやら金色らしい艶が見えてきた。
長さは肩下まである。椿油を手にとってなじませると、つやつやと光をはじいた。ロイは、それをきれいだと思った。

二人から脱がせた着物はといえば、屑屋に売るのもためられるほどのありさまで、足拭きにもできず、家の裏で火にくべることになった。
勿論、着の身着のままの彼らにまともな着替えなどなかったから、洗い上がった身体にはとりあえず、古い浴衣を巻きつけて食事をさせた。
夕飯どきにはまだ早かった。おひつにあった冷やご飯を茶碗に盛り、湯をかけ、漬け物を出しただけだが、箸を持つのももどかしいほど急いで食べる様子を見て、ロイは「のどに詰まるだろう」とあきれた。
さぞかし空腹だったと思われる。米の飯は久しぶりだったらしい。好きなだけ食べろと言いたかったが、腹痛を心配して、お代わりは一度にさせた。歯は白く、丈夫そうだった。

行儀の点では話にならない。箸は握って持っているし、正座ができずに立ち膝のままで食べている。が、それはおいおい、なおせるだろう。
ロイは、エドワードをじっと観察した。
彼はアルフォンスがきちんと食べているか、着物を着ているか、常に気にして、繰り返し見ていた。新しいものは、まず自分が口に入れ、大丈夫か確認してからアルフォンスに渡していた。自ら毒味とは恐れ入る。
「大したものだな」
ぎりぎりの生活を経験してもなお、弟を大切にする兄の姿を見て、兄弟というものをもたないロイは感心した。自分はほとんど大人になってから、ここに引っ越してきた身だった。

ロイは、着たきりすずめの彼らの着替えとして、自分の昔の着物を探し出してきた。
間に合わせに与えた無地と縞木綿の二枚の着物は、まだかなり大きかったが、それでも普通の格好をさせると、兄弟は別人のようにしっかりして見えた。

今まで、どんな暮らしをしてきたのだろうか。望み薄と重いながら、ロイは尋ねてみた。
「学校に行ったことはあるか」
挑戦的なまなざしが、ぎらりと武装してこちらを見返した。
「ない」
「そうか」
ロイは薄く笑った。
「では、字は習ったことはないな」
「ない」
少し悔しそうに、エドワードは答えた。字を見る機会など、今までまずなかっただろう。
目鼻立ちは整っている。きつい顔つきのエドワードに対し、アルフォンスの方は優しげで穏やかな印象だった。
育ち盛りの子どもは顔がすぐ変わる。数年経って彼らがどうなるか、芸が身につくか、客あしらいができるようになるか。
この世界で生きていくことができるか。
それは、神様にしかわからないことだった。

腹が満たされて、再び周囲を見回し始めた二人に、ロイは言い渡した。
「ここで今日から、生活してもらう」
 二人は黙っていたが、ロイの言葉に反発している様子ではなかった。飢えが落ち着いたところで、ここにいればとりあえず食べ物はもらえるらしいと了解したのだろうと、ロイもまた了解した。
「君たちは他に行くところがない。ここで働くんだ」
「働く?」
「働かない者は、ここでは必要ない」
 ロイははっきり言った。子どもといえども、居食いさせてはおけないのだった。
「働くったって、何をすればいいんだ」
怪訝な顔で、エドワードが問い返す。
「やり方は教えてくれる。あとは君たち次第だ」
明日からが始まりだから頑張るようにと、ロイは言い聞かせた。
「まず、その茶碗を洗ってみなさい。壊さないように」
 二人はまた辺りを見回した。もそもそと立ち上がって台所に並び、洗い桶の水を使って、自分の使った茶碗と箸を洗った。
背の低い子どものことで、小さな荒れた手を懸命に伸ばし、箸を一本ずつこすっている。
湯漬けを盛っただけの茶碗は、すぐにきれいになった。

晩秋の夜はすぐに来る。
女中たちと相談し、二人を早く休ませることにした。整理するべき荷物がある訳ではなし、万一家の中で暴れられては始末に負えない。今はおとなしくても、兄弟げんかが始まっては困る。さっさと布団に入れて静かにさせようと相談がまとまった。
周囲の大人が寝床を用意してくれようとしている、その気配を察して、エドワードがロイの方へと近寄ってきた。
こちらを見上げている。どう話しかければいいか、迷っているようだった。
それを見てロイは、自分がまだ兄弟に、名前を名乗っていなかったことを思い出した。
「私の名前は、ロイ・マスタングだ」
 エドワードは頷き、しかしロイとは呼ばず、小さな声で用件だけを伝えてきた。
「アルと、一緒の部屋にしてくれ」
「わかった」
ロイは優しく答えた。
「今日は疲れただろう。もう休むといい。明日からは働いてもらう」
当然、彼の希望は叶えられることになる。居候の子どもたちのための個室など、あるはずはないからだ。
物置の三畳ほどの隙間をあてがってやり、古い布団を一組持ってきた。風呂上がりに着せたぶかぶかの浴衣が、寝巻の代わりだった。くっついて寝れば、寒いことはない。
薄くて綿はへたっていたが、今までの布団よりはだいぶ上等だったと見え、しばらく経って覗くと、彼らは寄り添ったまま、ぐっすりと寝入っていた。
ロイは静かに戸を閉めた。

この家では、芸者になる子どもを預かり、育てて芸を仕込む「子方屋」と、子どもがしかるべき年齢になってから、希望する店に紹介する仕事を兼業していた。
芸者になるといっても、勿論子ども自らが希望している訳ではない。家が貧しく、年頃になれば借金と引き替えに売られていく。それ以外に家族、ことに両親が生きていく方法がないのだった。
身売りの仲立ちをし、店を斡旋する仕事は、見ようによっては非人道的に映るだろう。しかし、批判する人々は、この貧しさという問題をどう解決するか、他の方法を提示してくれることはないと、ロイは思っていた。
最近数年間、農村部を続けて襲っている凶作の爪痕はひどく、ここでも数ヶ月前まで女の子を置いて面倒を見ていた。
その子も無事に商談をまとめて取引先へと送り出し、ようやく肩の荷が下りたところにやってきた、初めての男子二人だった。

 男の子は取引先も、業者も別で、この家でも今までに扱った件数は少なかった。断る選択肢もあったが、どこの子方屋も手が一杯だったり、男の子は養ったことがないと言われたりで、たらい回しにあっていたのを、見かねてブラッドレイが引き受けたという事情だった。
 見慣れない天井を見上げて眠りについたに違いない子どもたちは、その夜、起きることなく熟睡していた。

翌朝、エドワードとアルフォンスは、すっきりとした顔で目覚め、元気に姿を現した。
 明るい朝の光の中で見れば、まだ彼らの首の後ろはわずかに汚れていたが、昨日のような悪臭は全くなくなっていて、子どもらしいお日様のような匂いがした。
 並んで食事をするのを、ロイは後ろからちらりと見た。
 兄は長い髪をしていて、弟は短いが、その色は同じく金色で、朝日を浴びて静かに光っていた。
「アル、ほら」
 エドワードが、鍋の味噌汁を底まですくい、実が少しでも多く入るように弟によそってやっている。
まだ小さな二つの背中が、ひどく健気に映った。
「水は、飲みたくなったら自分で、ここで汲んで飲むんだよ」
 女中の言葉に、二人は頷いた。

 食後の相談の結果、彼らは主に掃除と店への使いを担当することになった。
門の前の往来を箒で掃いたり、花に水をやったりする仕事は、客商売の家としては非常に重要だった。近所への簡単な買い物や呼び出し、注文の品を取りに行く人手は、あればあるほど重宝する。

 言葉も明瞭に話すことができ、記憶力も悪くない兄弟だった。それは昨夜一度教えただけのロイの名前を、正確に言い当てたことで確認できた。
 早速、女中が仕事の段取りを教え、道具を渡すと、彼らは働き始めた。
「何事も丁寧に」と言い聞かせる。家とは名ばかりの、板塀に囲まれたような小屋の中とは勝手が違うだろうが、そのうち、ここでの過ごし方にも慣れるだろう。
「畳の目の通りに掃くんだよ」
 女中が一つ一つ教えている。畳がない家に育てば、当然知らない。

 ロイが見るところ、彼らは飽きっぽいはずの子どもとしては、至極真面目に掃除をしていた。
 この家で暮らすために主人に気に入られようと努力しているのか、元来働くことを厭わない性格なのか、どちらか謎だが、仕事ぶりは悪くなかった。
 エドワードが、たもとがずり落ちてくるのを、邪魔そうにたくし上げている。体格に合わない着物のせいで、袋を着ているようになっていて、動きにくそうだった。
「家に、探せば甥の昔の着物があると思うから、持ってきます」
「頼むよ」
 女中の言葉に、ロイはほっとした。下着にも事欠く今のままでは気の毒だ。
彼らのために新しい品を用意することは難しい。それをすれば、浴衣一枚紐一本、かかった費用の全ては彼らの借金になってしまう。成長期でもあり、ある物を預からせてもらえるなら、それが最も無駄のないやり方だった。

「終わった」
 エドワードが言いに来た。玄関周りを見に行くと、まずまずきれいになっていた。
ロイは満足した。これなら、ブラッドレイも及第点をつけるだろう。
「午前の仕事が終わったら、私の部屋に来なさい」
ロイは、たどたどしい手つきで今度は雑巾を絞っている二人に、そう命じた。

昼近く、何を言われるのかと緊張してやってきたエドワードとアルフォンスは、ロイの部屋にかしこまって座った。
「字を勉強する気はあるか」
「勉強する」
尋ねると、エドワードは即答した。アルフォンスも「する」とはっきり言った。
「頼もしいことだな。なぜだ」
ロイは聞き返した。その訳を知りたかった。
「字がわかると、手紙を書ける」
と、エドワードは言うのだった。
「そうか。手紙を書きたい相手がいるのか」
 こくりと、兄弟は頷く。
「誰に書きたい」
自分の元からいなくなった両親に書くのだと、エドワードが答えた。まだ、人の生死の概念がないらしかった。
しかし、死んだ者に手紙を書くのも、悪くはない。
「そうだな」
ロイはそのまま鉛筆と紙を持ってきて、兄弟に見せた。
「これを使うが、やってみるか」
「やる」
まずはロイがいろはを書いて見せた。意外にも彼らは、すでに読める字がいくつかあった。見よう見まねで少しずつ覚えたものらしい。
「すごいな」
 誉めると、兄弟はそれが意外らしく、ちょっと不思議そうな顔をした。
 家の周りを囲む板塀の穴をふさぐために貼られた、催し物を告知するチラシを見たと、二人は話した。

それから数日、ロイは仕事を終えたエドワードとアルフォンスを自室に呼び、少しずつ字の読み書きを教えた。
こういうことをしたのは初めてだったが、兄弟はそのロイから見ても、非常に飲み込みが早かった。間もなく簡単な文は読めるようになり、ひらがなも書けるようになった。
「どうだ、調子は」
 ブラッドレイに尋ねられた。彼はこの展開をおもしろがっているようだった。
「なかなか筋がいいです。学校に通えば、十分ついて行けるものと思われます」
 ロイもまた、彼らの世話を楽しんでいるところがあった。
「そうか。では、小学校に話をしておくとしよう」
ブラッドレイはそう言った。

字の間違いを指摘すると、エドワードがぶっとふくれるのが、ロイはおかしかった。「間違ってない」と主張した後、実際に間違っていたとわかると、悔しがる。
「今度は負けねえからな」
エドワードは負けず嫌いで、いつの間にか勝負になっていた。
兄弟で、どちらが早く覚えるかを競い合っているらしいのも、理解を後押ししているようで、教え甲斐があった。

ロイは心から、エドワードが字を覚えていくのを見てほっとしていた。
字の読み書きがよくできれば、無学のまま、ただ身体だけを売る生活ではなくなるからだった。
舞三味線など、芸事が身に付くようなら、それで客を楽しませることができる。無理に一晩に何人もの客をとって、数で稼ぐ必要もなくなる。
そうすれば身体にかかる負担も減り、彼の芸を気に入る人が現れたなら、身請けしてもらう道も夢ではないだろう。

彼らはおそらく、二人の組み合わせでの芸を目玉として売りに出されることになると思われる。ロイにはそれが目に見えるようだった。
姉妹であることを宣伝文句にした芸妓たちというのはよくある。姿形の似た二人を座敷に揚げるのは、金持ちに許された粋な趣向といえた。
彼らが自分たちのそうした運命をわかっているのか、ロイは確かめなかった。いつ、どの段階で、どんな言葉でそれを言い聞かせるか、その判断はさすがにロイの仕事ではなかった。

 近くの小学校への編入はあっさり決まった。明日から学校に行くようにと、これはブラッドレイが直接兄弟に話した。用意してやった学用品を前に、真面目に勉強するよう約束させる。
「アルも、学校、行かせてくれるか」
そう切り出されて、ロイも頷いた。
「風呂敷包みが、二人分あるだろう」
その時にエドワードが見せたほっとした表情は、とても可愛らしかった。
「アルも行っていいなら、行く」
 そういつもの言葉を繰り返した。大人に言っているというより、自分に言い聞かせているような口調だった。兄弟は二人とも、とても嬉しそうだった。

 ロイが苦労したのは、エドワードの頑固さだった。彼は納得のいかないことは、決してやろうとはしなかった。
町での生活はしきたりが多い。まずは静かに歩くこと、挨拶や返事、食事の作法に至るまで、それまでにはエドワードが聞いたことのなかっただろう決まり事の数々について、うるさく言わなければならない。度重なって注意を受けると、エドワードは返事をしない時があった。
 ロイの言うことは聞かなければならない、というわきまえはあっても、負けん気の強い気質は自分でも抑えようがないらしかった。

兄弟は日を追ってここでの生活に適応してきた。
ロイに対して、また親切な女中たちに対して、エドワードは少しずつ心を開いていくようだった。
アルフォンスも、言いつけをよく守って働き、エドワードに遜色のない速さで字を覚えていった。
この兄弟の両親は農民だったそうだが、二人の様子からみて、よくものの道理をわきまえている人たちだったのではないかと、ロイは感じた。

教室に余裕がなく、二人とも学校が全く初めてだったため、兄弟は最初の頃は同じ教室に入れられていた。机も隣で、一緒に座ったままの毎日だった。絶対に弟と離れたくないと主張したエドワードだったから、これはむしろ好都合だった。
一度だけロイは兄弟について、学校に出向いた。
「よろしくお願いします」
担任にそう挨拶しようとすると、校長まで出てきた。
後でわかったことだが、ブラッドレイはこの小学校に、仕込み途中の子どもを通わせる際に便宜を図ってもらうため、毎年まとまった額の寄付をしていたのだった。

二人は学校に慣れ、毎朝玄関周りの掃除を終えると、荷物を持って元気に登校していった。その頃には肌の色つやも良くなり、お下がりばかりではあったが着るものもどうやら間に合って、この町の子どもらしく見えるようになっていた。
 あまりみすぼらしい格好では、近所に使いに出せないので、裁縫担当の女中は急いで彼らの着物を直してくれた。家に子どもがいると、活気が違うことは、皆が感じていた。
学校の先生がついているので、自分が字を教える必要はもうないだろうとロイは思っていたが、彼らは宿題をロイに見てもらいたがった。夕食がすむと彼らの仕事は終わるため、ロイの部屋に宿題を持ち寄って、三人で過ごすひとときがあった。
宿題を見てやっても、二人とも大して間違っているところはなかったが、古いちゃぶ台に並んで座り、ロイに答えを点検してもらうと、どこか安心するようだった。その夜の日課は、しばらく続いた。

ロイがつくづく感じたのは、エドワードはたった一人の弟、アルフォンスが誰より大事なのだということだった。他に身内のいない境遇の二人が、固く結びついているのは当然だった。
学校に行けばたくさんの子どもたちがいる。彼らはあまり話したがらなかったが、兄弟もそれなりに、帰り道などで級友たちにからまれることがあったらしい。
エドワードはアルフォンスを常にかばい、よその子どもたちにいじめられるような場面があれば、猛然とやり返した。更に反撃をくらうことも多く、こぶや傷をこしらえて帰ってくることも少なくなかった。
やがて、彼らに何かすれば倍になって返ってくるということは次第に周知されたとみえて、誰も兄弟をいじめる者はなくなった。

この家と町に馴染み、勉強も飲み込めるとわかれば、そろそろ彼らに芸を仕込む段取りとなる。
座敷に出すためには、まずは踊りと三味線だった。
近くに琴三味線の指南所があり、元芸者が師匠となって生徒を抱え、指導してくれていた。同じ歌舞音曲の教室でも、こうした場所には、一般家庭の子女は普通来ることはなく、置かれた立場によって、生活空間は区分けがなされるものなのである。
ロイはここに、アルフォンスを介添えにして、エドワードを通わせることにした。家にある練習用の三味線を見せ、挨拶に行くようにと話した。
しかしエドワードは三味線に全く興味を示さず、手を触れることさえ嫌がった。
「いやだ」
そう繰り返し、ロイが繰り返し言い聞かせても受け入れなかった。
ここに何をするために来たのか、居候先の親戚と、使いの者に因果を含められたはずだったが、何しろまだ八歳の子どもでは仕方がなかった。
「楽器ができれば、将来、君のためになる」
「いやだ」
「どうしてもか」
「行かない」
理由を尋ねると黙りこくる。琴、琵琶、笛などどれをすすめてもだめだった。ロイはため息をつき、仕方なくブラッドレイにそれを報告した。
「まあ、いいだろう。そのうち自分の立場がわかる」
言うことを聞かない子どもに怒るどころか、むしろロイの気のせいでなければ少し楽しそうに、ブラッドレイは隻眼をわずかにすがめて、そう言った。
今まで多くの子どもたちを見て、皆例外なくそうだったのだと、ロイは察した。彼にとって世間知らずの子どもを手玉にとるなど、造作もないに違いない。
「小遣いも、そうだな、他の家の子どもたちと同じようにやるといい。子どもなりの付き合いもあるからな。贅沢は必要ないが、不自由もさせるな」
「はい」
その小遣いも全て、ロイが自分の手で記録する。将来、エドワードはそれを、自らの身体で稼ぎ、返さなければならないのだ。
ロイはふと、小遣いを自分の所持金から払ってやりたくなった。週に十銭か二十銭、そのくらいのわずかな額だ。自分が払ってやれば何ほどのこともない。
小遣い銭さえも細かく帳簿につけ、月単位、年単位で累計して、大人になったエドワードに払わせる。それを考えただけで、憂鬱だった。
この世界の仕組みを十分承知しながら、だからこそ、気が進まなかった。
人並みの支度をして、学校に通わせている費用も全て、彼らの肩にかかる借金になる。
とはいえ利子をつけず、着物は新品を買わずに心当たりからかき集めてやっているだけでも、この家のやり方はかなり良心的な方なのだった。

そしてある日、ロイはブラッドレイに呼ばれた。
「お前に、次の仕事を頼もうと思う」

 
……続きはオフで……

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