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本文サンプル かきおろし部分
「何すんだよ」
ロイを軽く押しやる動作をして、エドワードは顔を背けた。
「待たせてしまったか」
無理にこちらを向かせるようなことはせず、そっと離れてロイはソファーへと腰掛けた。エドワードはダイニングの椅子にどんと腰を下ろした。離れてはいても、こちらを意識しているのがわかる。
ロイは猫を飼ったことはないが、誰だったか、士官学校の同期が、「追えば逃げる生き物だ」と言っていたことを思い出した。
思い通りにはならず、こちらが構いたいと思った時は言うことを聞かない。そのくせ、ふっと見るとそばに来ている。そうした気まぐれなところが面白いと。
この感じなのかと、ロイはエドワードを見やった。
この前とほとんど変わりないはずの部屋の中を、エドワードは見るともなしに見ている。
沈黙が重くなりすぎないうちにと、ロイは声をかける。
「茶でも飲むか」
エドワードは黙っている。
いつまでも返事を待たず、ロイはそのまま湯を沸かす。以前も淹れてやった銘柄の茶でいいか尋ね、不器用な頷きを見て取って、カップを二つ出した。
「旅はどうだ」
まあまあかな、という答えが聞こえる。
例えば十年前なら、自分はどうしていただろう。
こうして女性と二人きり、相手はこの上の段階に進むことを、少なくとも拒否はしていない。それを覚悟してついてきたといえるというなら、服を脱がせ、脱ぐことをためらいはしなかっただろう。しかし、今は違った。
相手を欲しいと思わないわけではないが、男相手は勝手が違う上、十四も年下の子どもとあっては、そうそう行動には移せない。いたいけなものを手にかけるような、ひどく残酷なことに手を染めようとしているようなおそれがつきまとった。
あの、焔のような眼を見た時に、恋に落ちた。
子どもをそのように想ったところで、その先に実るものがあるだろうか。
自業自得とはいえ、今も警戒されたままだった。
仕方がない。ロイは準備していたものを出すことにした。
与えると約束していた情報だから、そろそろ言わなければならない。裏も取れているから、役に立つだろう。
早くエドワードを喜ばせてやりたい。それは疑いのない本心だった。
しかし、ロイは逡巡した。その言葉を与えた瞬間に、せっかく会いに来てくれたエドワードは、今こちらと一緒にいることを忘れてしまう。意識は全て、その情報に向かうだろう。それはほとんど、決まった未来だ。
残念ではあるが、それでも言おう。
いつかエドワードが望みをかなえた時に――あるいはあらゆる可能性を失い、望みを諦めた時に――彼の何もかもを受け止めるのは自分だからだ。
そういう愛し方を、ロイは選ぶと決めた。
「前に少し話したことだが」
ロイは切り出した。
今まで視線を合わせずにいたエドワードが、顔を上げてこちらを見る。
ああ、やっぱりとロイは瞬時に納得する。
エドワードの「好き」は、旅への思いを消し去ることはできないものだ。
彼を送り出し見守ることだけが、今の自分にできることの全てなのだ。
「――君たちの探している石についての文献を、こちらでも少し調べてみた。今までにわかったマルコー医師の足取りから、手がかりの情報探しという名目で、行ってきてもらいたい場所がある」
「どこだ」
ロイはその場所を伝えた。すると、エドワードは「無駄だ、そこは」と言下に否定した。
「なぜわかる」
理由を聞くと、最近立ち寄って何の成果もなかった場所だと言う。
「どういうことなんだ」
エドワードは小さなため息をついて、話し始めた。
ここしばらく、エルリック兄弟は、石にまつわる情報を集める時には「非合法でもいいから、怪我を治せる腕のいい医者はいないか」と尋ねているらしい。
「不思議な赤い石の話を知らないか」は、もう尋ね尽くしてしまったせいもある。
どこかの誰かが隠している小さな石や、眉唾物の伝説よりも、生きて動いている人間の方が見つけやすい。賢者の石が人の命を依り代としているなら、相当な人数の医師がその精製に噛んでいるはずだった。
重い怪我を、常識では考えられないほどのスピードで治せる医師がいるなら、その情報が欲しかった。
人探しを続けていたところ、「歩けなかった子どもを歩けるようにした者が、このあたりにいるらしい」という話を、エドワードは聞きつけた。
意気込んで詳細を尋ねたが、その人物が滞在したのはほんの数日間のことのようで、本物の医師かどうかも不明だった。本人を知る者は探し出すことができず、突然歩けるようになった子どもの姿を見て驚いた近所の者が、親に聞いて知ったに過ぎなかった。
その近所の者に当たると、親自身もはっきりとは言いたがらなかった上、しばらく前に一家は引っ越してしまったという。
これは、口止めされていたと考えるのが妥当だ。
「誰に聞いたのか教えてくれ」
曖昧な情報をもとに、いくつかの場所を中継し、最後にようやく訪れたのがあの、母親に似た女性が取り仕切る店だった。
「あの店、あまり行きたくないんだよな」
エドワードは、明らかに気が進まない様子を見せた。
「その店の女性のことは、こちらでも聞いている。店は古いが、経営者が現在の女性になったのはせいぜいここ数年のことだ。調べでは、なんでも、マルコー医師の古い友人の娘にあたるらしい」
「え」
エドワードは目を見張った。マルコーについて尋ねても、心当たりがないと言っていたのは、嘘だったということになる。
「まあ、古くからら知っている間柄のはずだが、事情が事情だからな。突然やってきた君に、そう簡単に本当のことは言わないだろう。その時、国家錬金術師だということは伝えたのか?」
「いや、言ってない」
「ふむ」
ロイは考えた。
軍属である国家錬金術師を嫌う者は多い。こうした時に、正体を明かすか、隠すか。どちらが相手の協力を得られるかは、微妙な判断が要求される。
「逆に、君の身元を明らかにして、率直に事情を打ち明けて頼んだ方がいいかもしれないな」
考え考え、ロイは言った。
「君はすでに、マルコー医師に会っている。それは国家錬金術師でなければあり得ないことだ。ごまかす方が不自然だろう」
「……」
「むしろ、マルコーに託された文献があることと、彼の言葉を伝えれば、開ける道もあるかもしれない」
そうかもしれないと、エドワードは思った。彼女が、世話になったマルコー医師を庇っているのだとしたら、敵ではないことを理解してもらえば、おそらくは解決する。
そのロイの話には、エドワードにも頷けるものがあった。
「わかった。反応を見ながら、試してみる」
「気をつけてな」
「うん」
予想した通り、エドワードは茶を飲み終わるとすぐ、腰を上げた。
「俺、準備したいから――そろそろ、帰る」
「そうか」
ロイは否とは言わない。最初からこうなると知っていた。
エドワードは少し申し訳なさそうで、それが可愛いと思い、ロイは一度だけ、そっとキスをした。
「……」
赤くなったエドワードを促し、コートを着させた。
ロイは、車を出す前に資料をしまおうとして、もう一度ちらりと店主の女性の写真を見た。
一つ得心がいった。彼の母親と、雰囲気がよく似ていた。
当然のことだが、彼の心の傷はいまだに深いのだ。
年上の大人、まして母に似た人に「あんたは俺をだましただろう」と詰め寄り、情報を提供するように改めて交渉すること。
本来ならばまだまだ、大人の庇護下にいてしかるべき年齢の彼にとっては、難易度が高いだろう。
不意にエドワードが言う。
「あんたもな」
「何がだ」
「え? 気をつけろってこと」
ロイはそちらを向いた。エドワードも黙って、こちらを見つめ返した。
お互いがお互いを、自然な形で思いやっていることに――それを、お互いが気付いていることを、今二人は了解した。
何かを越えた。何かが過去になった。
それが何であるかはうまく言えないが、何かの、始まりの時が来ていた。
これまでに、二人の間にあったいろいろなものが、淡く薄れていくのを感じる。
ロイは手を挙げて応じた。
「わかった」
エドワードはおとなしく送られ、夜の歩道に降り立った。
今までなら振り向かなかっただろうエドワードは、一度だけ車の方を見て、「じゃあな」と言った。
ロイの胸に、温かいものが広がる。
何度彼らを見送れば、取引や権力を介することなく、一人の人間同士で向き合えるのだろうかと、この前までは思っていた。
でも少しだけ、身体だけではなく心が寄り添ったと、そう感じた。
今しばらくおあずけだが、これもいいだろう。
なにしろ軍の狗は、ときに心迷っても、辛抱強いのだ。
K-BOOKS様でも取り扱い予定です。
よろしくお願いします~~~
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