Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

仲間との絆

2012-03-11 23:59:59 | 雑感


3月11日。

とりわけ2011年、昨年の3月11日は、日本にとって辛いものとなった。

決して忘れてはならない、「東日本大震災」が発生し、想像を絶する大津波が東日本太平洋沿岸に容赦なく襲いかかり、多くの尊い人命を、一瞬のうちに奪って行った…。

私が今住む山口県には、直接的な被害はなかったが、私の実家がある埼玉県は、大地震の揺れの大きさが、今もなおそこに住む、家族や多くの仲間(先輩方、同期や後輩達全て)を恐怖の底へと誘った…。今でも、「難を逃れた」格好の私の中で、「罪悪感」に似た感情は、拭い去れない。

しかし、これは、「映画のワンシーン」でも何でもない、「現実」として受け止め、体感しなければならぬ事だと、肝に銘じているつもりだ。

その仲間の一人に、現在、東北大学に通う、高校の部活動の、22歳下の後輩が居る。
私が連絡先を把握している仲間では、最も震災の直接的な被害を受けたのも、彼であった。
1ヶ月も経たない前、「日輪の下に」が終わっての、若手中心の「ミニOB会」で一緒に会食した仲間…現役だけでは賄えない「役割」を、必死に手伝っていた「雄姿」を披露していた彼が、無事かどうかが分からない…。彼の安否が確認できるまでの、約28時間は、例えようもない不安な時間で、非常に長く感じた。
震災から28時間後、ようやく彼の携帯電話のメール機能が何とか使用できるその時に、必死に「無事」を知らせる彼のメールが届いた時は、号泣した。今でもその時の事は、鮮明に蘇る。

私も、この大震災と対峙して、拙ブログで幾つか記事を書いた。
「大海原を見る自由」と題した記事…これを書いた時の気持ちは、決して忘れてはならないし、一生胸に刻む意味で、自分に矢印を向けた記事でもある。
そこで登場する、立教新座中学・高校の、渡辺 憲司 校長先生の「餞の言葉」のみならず、最近知った、その半月後に迎えた新年度に入学してきた新・中学1年生と、新・高校1年生に向けた「お祝いの言葉」の力強さには、今も圧倒される。しかし、渡辺校長先生の様な「言葉に、力ある御方」こそが、「リーダー」であるのだと思う。私も、渡辺校長先生から現れる「リーダー像」に少しでも近づく努力は続けたいと、気持ちを新たにした。

ところで、前日の3月10日。
私は、「3年B組金八先生」の「第5シリーズ」の「スペシャル」をDVDで鑑賞していた。「第7シリーズ」全般が、私の中では「傑作」と思っている事には変わりはないが、それに匹敵する位に実は印象に残っている。なので、私自身が「何となく、疲れている」とか、「スランプかな?」と感じる時は、自然と鑑賞している気がする。実際、今、まさにこの時、「書く」とか「言葉を発する」事に対し、「怖さ」を感じ、自信もすっかり無くしてる。

しかし、これを鑑賞して、「東日本大震災」からちょうど1年が経つこの時、思う事を正直に書こうと、思った。
このタイミングで書くのは、実は、時と場面を正確に把握していないのかもしれない…。でも、多くの尊い人命が、1年前の大津波によって奪われてしまった後だからこそ、「生きる」という事と、敢えて対峙する意味でも、正直であるべきと考えて、書くことにした。自信は失っているけれど…。

少し話は逸れるが、私が鑑賞した「第5シリーズ」…実は、私にとっても「金八先生」の「5番目」のシリーズという「事」に「意味」があって見ていたシリーズだった。

私が小学6年生の時のクラス(5年生の時の「クラス替え」から一緒の、2年目のクラスでもある)…昨年2月に、29年ぶりに「同窓会」を開いたクラスであるが、担任して頂いた先生は、まさに「金八先生」の様な、熱血漢に溢れる先生だった。
私達のクラスは、5年生の時の1年間、特に「まとまった」という感がなく、何となく「ゆるみ」があったクラスだった。「一つ」になっていた実感が、手応えがなかったクラスだった。
しかし、「金八先生」の様な担任の先生の、熱意に溢れた、情熱あるご指導の「賜物」で、私達のクラスは、遅ればせながら「何か」を自らで考えはじめ、その姿勢を先生に評価され、先生の「けじめのシンボル」でもある「ひょうたん」という学級名を頂き、次第に「一つ」になっていき、成長していった…。
その「ひょうたん」という学級名を先生から頂いた、「5番目」のクラスが、私達であった。
そんな仲間に囲まれて、3学期制の第1学期で、私は非力ながら「学級委員」に選挙で選ばれた経緯があって、昨年の2月の同窓会で、幹事の一人としてお手伝いをさせて頂いた。非力なのは相変わらずだけど…。
そういった経緯があって、「第5シリーズ」を、「特別な意味」で見ていた。

話を元に戻す。

何が言いたいのか…というと、その29年ぶりの同窓会を開催した事と共に、度々鑑賞している「3年B組金八先生」の「第5シリーズ」の「スペシャル」を見ている間に、あることに気付いたのだ。

それが、この記事のタイトルにある、「仲間との絆」であった。

それを強く感じる事ができた「参考書」の様なシーンが、冒頭の画像の場面だ。
武田 鉄矢 さん演じる坂本 金八 先生の台詞…ほぼ全文引用して紹介したい。

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何度でも私は言います。あなた方は今、16歳。「死ぬ」なんて言葉を使うな!。
人間、死ぬ事に意味はない!。

(中略)

「どんな死に方をするか」…そんな事は少しも大事じゃ事じゃない人生では。
人生で一番大事な事は、「どう生きて行こうとしたか」…その事だけです!。


命あるものは、やがて死にます。当たり前の事です。この桜中学も、やがて、「教育改革」の嵐の中で、死んで行くでしょう。
桜中学は、死んでも構わない。「桜中学に、3年B組があった」…そんな事は少しも大事な事ではない!。
一番大事な事は何か…。
「3年B組があって、そこに仲間が居て、共に語り、共に学び、どう生きて行こうか…それをこのクラスで決心した、そしてその決心を、一生涯語り合う仲間であり続けた」…その事が一番大事な事なんです!。
死によって途切れるものでなく、死によってもなお繋がろう、広がろうとする者になりなさい!。


(中略)

あのね。分かりやすく言えばさぁ、この地球には62億(現在は約65億)もの人間が住んどりますよ。しかし、この時、この日、このクラスで出会った、僅か、僅か30人の素晴らしい仲間じゃありませんか。大事にしましょうよ、お互い。40年、50年経って、良いもんだぜ、ばったり会って「よう、○○」、「よう、××」なんて声掛け合うのは。そんな友達は、金じゃあ買えないぜ!。大事にしようよ…友達をさぁ…。

(中略)

はい、お互いの顔を見合ってごらん。横に居る友達の顔を見てごらん。横に居る友達は、同世代。一緒に思い出を作って行ける、「唯一の世代」ですよ。桜中学3年B組で出会った、何度語り合える、「同級生」です。この同級生と一緒に、君達は21世紀を生きて行く、作って行く。そして私はここで、生きて行く。私には、君達が必要なんです。私がこう生きたかった、という「証」…それが、君達なんだ。君達が、私に力を与え続けてくれている…感謝しています。
桜中学3年B組を、忘れるな。なぁ。
金八先生を、忘れるな。
もう一度言いましょう。「死」に、意味を込めるな!。
生きて行け!。
「生きて行こう」と、絶えず仲間を誘う人になって下さい!。


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小学校で一緒に卒業した、「ひょうたん」の仲間。
中学校で出会った、53番君、ウメ君という親友。
高校3年間、「意地」だけで続けることができ、そこで出会った先輩方、同期、後輩達。
大学での4年間で出会った仲間。
別の大学の大学院を受験して合格し、充実した研究ができた、2年間で出会った先輩方、同期、後輩達。

地球上の人類の数が65億とすれば、その分母は想像を絶する数字だし、その「想像困難」な分母から出会うことができた、かけがえのない、素晴らしい仲間…。
決して、お金では買えないものである。だから、「日輪の下に」のため「だけ」にであっても、山口から埼玉の行事に出席するのだ。

「遠くに居ても、一人ではない」事を、言葉でしっかり教えてくれた53番君に感謝すると共に、29年ぶり(正確には、全員が同じ中学校に入学したので、26年ぶりだが)に昨年再会した、小学校6年生の「ひょうたん」学級の仲間や、今もなお、親しくさせて頂いている、高校の部活動の関係者各位の存在を感じ、「三百六十五歩のマーチ」の様に、「3歩進んで、2歩下がる」でも良いので、「確かな1歩」を歩めるように、「仲間との絆」を胸に刻みながら、生きていきたい…。

「左大腿骨巨細胞腫」という名の、命に少なからず関わる病気から、25年前の4月に救って下さった主治医に定期的に診せる為に、6月、帰省する。

ブログを通じて、本当に親しくさせて頂いているnanaponさんssayさん風屋さん川島さん…また、会食ご一緒させて下さい。
「ひょうたん」学級のみんな、また、帰るよ。皆とゆっくり会えるのは、よっぽどのことがない限りは、このタイミングだけだから、また、会食させて下さい。

「東日本大震災」から1年を経た、今日に寄せて…。

Dancho

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