DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

生きていると言うこと

2005年09月01日 13時02分54秒 | Weblog
実は、身近な人の手術に立ち会うことになった。先日それは行われ、結局10時間を越える大手術になった。自分は、ただ待っているだけなのだが、異様に疲れ、体調を崩したような感じになってしまった。とすれば、手術を行った執刀医の疲労は尋常ではないだろう。生体に手を入れて病気を治す行為は、一歩間違えば死が横に待ち構えているわけで、その緊張感を10時間維持するわけで、常人が出来る技ではない。
人間は生物の一種で、生物は非常に精巧なメカニズムを持つシステムだと思うので、乱暴な言い方をすれば、ある種の機械である。当然、臓器つまり部品は利用した分だけ消耗や損傷を受けることになる。生体は自己修復の機能があるので、ある程度は自然治癒出来るが、致命傷や老朽化した場合には、外部からの施しが必要で、それが外科手術ということになるのだろう。
10時間もの大手術が終わり、ICUに入れてもらうと、その人はベッドに横になっていた。でも、単に寝ているのではなく、全身にいくつものチューブとコードをつけて、かろうじて生きているようにも見えた。意識はあって安心はしたが、人間の命が神秘的な力で維持されるのではなく、医学的物理的な装置によって維持されていることを目の当たりにして、非常に大きなショックを受けた。つまり、車をぶつけると壊れて、工場で修理するのと、本質的には同じ行為が行われているように思えてしまった。不謹慎かもしれないが、人の命は決して神様が創ったのではなく、遺伝子により作られたたんぱく質の集合体の、奇跡的に複雑なメカニズムの動作によって維持されているのだと思った。
めったに無い経験だったが、人は生まれいずれ死ぬんだ、という道理を見せつけられたような気がした。別に教訓はないが、少しだけ大人になったような気がした。

研究日誌H170831

2005年09月01日 12時37分32秒 | 研究室情報
=今日は、特別な理由があって、研究室には行っていないので、研究活動はなし。
(特別な理由と言うのは、身近な人の手術に付き合ったためで、大変だった)
=共同研究も予想通りにまとまってきて、大台に手が届きそうになっている。
(しかし、そのとき人手が間に合うだろうか?本気で心配になってくる)
=研究成果は、能力×時間×努力だと思うけど、この努力をするためには、集中する必要があって、そのためには、邪念無く専念できる気持ちの余裕が必要だ。このごろ、慌てまくっているので、若干心配である。