DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

研究における研究費

2005年09月13日 05時32分33秒 | Weblog
柴田は、誤解を恐れずに言えば、「研究は金でやる」ものだと思っている。高い志と綿密な研究計画に対して、十分な資金を投入することで、大きな研究成果が期待できると思っている。学術研究と言えども、金で解決する問題は多いし、金が無ければ始まらないこともある。なので、研究費獲得に関しては、露骨なまでに主張をすることにしている。やり過ぎだとの批判もあるだろうが。
それで、自分の周りを振り返ると、この手の活動にまったく手を付けない研究者?もいる。共同研究・研究助成金・科学研究費、どれも殆ど無視していて、どういう理由だか、これらの活動に努力しようとしていない。ちょっと、分析すると、
=先生的教員: とにかく学生の中で教育だけに専念している人
=公務員的教員: 与えられた予算の中だけで研究を考えている人
=下請的教員: 雇われ仕事や頼まれ仕事だけで手一杯な人
どれも本質的には研究者とは言えない。この手の人を否定するつもりは無いし、高専と言う中途半端な存在では、このような人が存在できるのだろう。しかし、高等教育機関として研究が業務である場合には、これでは困る。いまや、競争的研究費獲得は、絶対的な条件なのである。
それで、この手の人が仙人のように霞で研究しているのなら良いが、この手の人に限って、努力もせずに金がないと主張して、身内に回ってきた配分用研究費の分け前を求める。金が要るのなら、自分で努力して獲得するべきで、我侭だけしか言わない棚から牡丹餅な人などに分ける研究費はない。
敢えて言えば、競争的研究費獲得に努力せず、分け前研究費だけを期待するのは、「趣味的研究・事務的研究・下請的研究」、と言って良いだろう。それは、その程度の価値しか持たないし、ましてや社会を動かす大きな力には成り得ない。逆に言えば、社会を変革する打って出る研究に耐えられないと思う結果、このような研究態度になるのであろう。それならそれで結構だが、そう思うのなら、我侭を言うのはやめて欲しい。
ただし、組織的に活動して、責任が明確でなく、研究計画も不明、という競争的研究資金もあるが、あれは組織間での分け前研究費であり、柴田は関与したくない、強いリーダーシップを持つ研究者個人の下で行われるのが研究であって、単なる寄せ集め集団には研究は出来ないからである。
研究者個人の責任で、資金を獲得し、最善の努力をし、成果を報告する。これが、本質的な研究者の活動で、この3つの責任を果たせないならば、それは研究者ではない、単なる教員であろう。それだけのプライドや責任や戦略が研究者には必要である。

研究日誌H170912

2005年09月13日 04時58分00秒 | 研究室情報
=やっとグリッドWの数値実験を進めている。やっと取り掛かったが時間がない。
 それなりの準備はしておいたのだが、具体的な作業にはトラブルがつきもの
 512個のジョブを投入するとき、連続に入れると、取りこぼしがあるようだ
=研究室に居ると、不意打ちで学生の質問を受けることがある。
 それが先生なのだろうが、こちらも別の仕事をやっている時だと困る
 学生は、こちらはいつでもウエルカム状態だと思っているが、そうではない!
=科研費の説明会に参加した。当たり障りの無い情報で、あまり有意義ではない。
 この程度の情報なら、説明書を読めば分かるし、時間を掛けるほどではない
 多くの教職員が参加しているのに、わが学科は2名、相変わらずだと思う