DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

勝負できない学生

2005年09月28日 22時04分05秒 | Weblog
今の学生らを見ていると思うのは、異様に「勝負できない」ことである。何か1つの目的を持って、努力を続けて、勝負を賭けるということを、殆どしない又は極端に避けるように見える。何事も、適当に流して、最悪の結果は避けようとするが、最善を尽くそうとは思わない、そんな印象を強く受ける。もちろん例外もあって、一見果敢なチャレンジャーも見受けられるが、全体から見れば少数派であろう。総論的に見れば、勝負をしない学生は年々増えてきていると思うし、実は、学生が成長してゆく大人でも同じような傾向が見られる。
自分のことを棚にあげていると思われるかもしれないが、柴田は実はこれでいてデカイ野望を持って、イチかバチかに賭ける挑戦者(勝負師)的なところが多分にあると思っている。一方、柴田の周りの学生を見ていると、最低限の努力で最大の効果を得ようとする効率化は異様に意識するし、自分の周りの小さい世界での相対的な勝負にはこだわるのに、世間を相手にする絶対的な勝負には立ち向かう勇気がないように見える。
これらの傾向は、個人的な資質の問題が支配的ではあるが、幼いころからの教育の影響も多分にあると思う。もともと日本人は恥を極度に恐れる民族であって、挑戦して失敗するよりも問題を避けて無難にやり過ごそうとすることが多い。これが日本の社会の根底にあるから、教育現場でもこの影響から無縁ではいられない。手を挙げて間違えて答えてしまい、恥をさらす事は最も避けたいことなのだろう。さらに、勝負を避ける原因としては、日本全体が総中流化してしまい、努力によってどん底から這い上がる必要もないし、勝負に打って出て頂点を極めようとする意思もないことがある。
程々に幸せで、程々に努力して、程々の人生を送ろうとする傾向が、社会全体を支配している。これが安定した社会の状況なのかもしれないが、一方で、グローバリゼーションという名のアメリカ化が世界全体で進む中で、大競争時代も日本の外から覆いかぶさろうとしている。変化し続けること勝負し続けること、これらこそが継続的安定を生むのであって、多様な変化を続ける状況において、変化しないことは停滞と敗退を招く結果しか生まない。これらのことを理解してくれていれば良いが、学生らがこのまま社会に出たら、これら先を見越した連中に食い物にされるだけだと思わないのだろうか?リスクが少ない学生時代こそが、勝負に打って出る訓練が出来るし、勝負の勘所つまりは引き際や落とし所を身を持って学び、自分の真価が分かろうというものなのだが。山師になれとは言わないが、変化を臨機応変に受け入れ、挑戦者として社会に出て行って欲しいと思う。
そう言う思いで、柴田はDALABを運営しているつもりなのだが………

ニート対策について

2005年09月28日 05時38分05秒 | Weblog
世の中では、ニート対策が問題らしい。若者は国の大切な労働力なのだから、これを何とか生かすように、指導や機会を作る政策が行われるようだ。しかし、新聞にも書いてあったが、これには大きな無理があると思う。そもそも社会の本質が、ニートを生み許容しているので、一部の努力で改善できるはずがない。
まず、これだけ社会が成熟してくると、殆どの国民が程ほどに裕福になっているから、たとえ自分の子供が働かなくても、親の甲斐性で食わせる事が出来てしまう。貧しい昔の日本では、食ってゆけずに幼い子供まで丁稚に出していたと思うと、この状態はある面で幸せである。何だかんだ言っても、日本は平和で豊かな国になったのである。まあ、これが続いたのでボケが来ているのも事実だが。極論を言えば、税金が今の10倍になって、親が自分が生きていくのにギリギリになれば、ニートなんて存在し得ない。自分のことは自分でしろと子供を投げ出すだろう。
また一方で、競争社会と言いながらこれだけ成長してしまった以上、実は日本は根本的には競争なんてしていない。皆、ぬるま湯的な環境を求め、これを作り上げて、みなヌクヌクしている。ニート予備軍である今の学生を見ていると、殆ど必死な競争をしていない。何とか学校に入ってしまえば、適当にやって卒業できるし、適当な就職をすれば、適当に金が貰えて生きていける。まあ所詮、適当な人生しか送れないわけだが。
つまり、社会が成熟すると言うことは、人々が努力しなくても生きてゆけるという、社会的な豊かさ(甘えの環境)を得たことになる。人間は怠惰だから、このような状況を作り上げた以上、これを壊すことはしないし、再度努力なんてしないだろう。たとえ小手先の目標設定をしたところで、本質は変わらない。後は、衰退の一途を辿るのが本質だろう。物理法則でもあるエントロピーの法則に反することは出来ないのである。
しかししかし、このエントロピーの法則に抵抗できる唯一の存在として、生物の営みがあったはずである。もはや、生物の集合体である社会そのものには、自己改善能力を期待するのは間違っていて、物理的存在としてのエントロピーの拡大しか未来はない。個々の人間が、これまで以上に良く生きようと思う気持ちが、この混沌の中から新しい秩序を作り上げてゆく可能性を持っている。要は、その人自身のマインド(志)が全てである。これがあれば何でも出来るし、これがなければ何も出来ない。単純な話である。

研究日誌H170927

2005年09月28日 04時59分32秒 | 研究室情報
=クラブの会議があって、午前中しか研究室に居られない。
 これでは学生との対話も十分出来ないので、研究室としての機能が損なわれている
 少しずつでも学生の力を高めて、その力を大きく結集できる研究室にしたい
=共同研究の契約の件で、色々と取り乱したりしたが、事務的な手違いだそうだ
 人間は誤った情報を得ると、簡単に思い違いをしてします。禁物。
 冷静に相手を信頼できる関係を気づいてゆくことが大切だと、つくづく思った。
=こうして見てみると、具体的な研究活動なんて、全然していないことが分かる
 これでは、論文もかけないわけだ。