様々な価値観が並存する社会では、独り善がりは無意味であるが、研究の価値について、考えてみたい。柴田が考える研究の価値を一言で言うと、
「研究の価値は、どれだけ社会を改善しうるか」であると思う。
しかし、これでは抽象的過ぎるので、もう少し具体的にと言うか、直接的かつ定量的に言うと、(短絡的だとの批判は承知の上で敢えて言うと)
「どれだけ研究費を集めて、どれだけ論文を公表したか」であると思う。
ここで、誤解を恐れずにこれらをさらに突き詰めてゆくと、後者の論文発表については、今の学会の状況を見るにつけ、柴田の本来の専門分野に関して言えば、5年前と現状に本質には大きな展開は見られないという問題がある。工学の一分野として、実用的には完成の域に来ているので、論文発表が、即、社会を変えうるかと言うと、大きな疑問が残る。なので、研究者の最低の義務として論文発表はあるが、それが研究の価値に直結するかというと疑問で、数多の論文が発表されているが、大きな意義を持ち社会を改善しうる論文は、ごく僅かである。なので、論文数やインパクトファクターが、そのまま研究の価値を決めうるほど、確実な指標にはなりえない。
とすると、現在は資本主義の市場経済社会であることを鑑みると、様々な金融商品と同じく、研究課題もある種の投資対象であって、その成果が必要とされれば、莫大な資金を確保することが可能であるし、必要とされなければ資金は集められない。人類が発明した最大の仕組みである「お金」は、これだけ多様になった価値観の中で、ほぼ全てに交換可能な、極めて広い価値を包含しうる存在だと思う。であるから、様々な思惑や希望の中で、莫大な資金を集めた研究は、それだけでこの社会での期待の大きさを表していると思う。
そこで柴田は、今年度の目標として「研究費の確保」を第1に考え活動してきた。それには、画期的なアイデアで研究プロジェクトを作ることや、中小企業の共同研究に丁寧に答えることで信頼を得る事など、様々な努力を続けている。それなりに成果を挙げつつあるが、柴田の野望はもっと大きいので、さらに挑戦し続けてゆきたい。ただ、気をつけているのは、このごろ増えてきた競争的予算獲得で、組織の代理で研究提案をする機会が多いが、これには柴田は関わりたくない。なぜなら、研究という研究者の存在をかけて行う取組みは、組織という覆いを隠すことで、役割を分散することで責任も分散させ、結局、玉虫色の良く分からない成果しか出せない場合が多いと思うからである。数年前から始まったこれらの競争的研究費で、どれだけ社会を変えうる研究が出てきているのか、柴田は実感が出来ない。
「研究の価値は、どれだけ社会を改善しうるか」であると思う。
しかし、これでは抽象的過ぎるので、もう少し具体的にと言うか、直接的かつ定量的に言うと、(短絡的だとの批判は承知の上で敢えて言うと)
「どれだけ研究費を集めて、どれだけ論文を公表したか」であると思う。
ここで、誤解を恐れずにこれらをさらに突き詰めてゆくと、後者の論文発表については、今の学会の状況を見るにつけ、柴田の本来の専門分野に関して言えば、5年前と現状に本質には大きな展開は見られないという問題がある。工学の一分野として、実用的には完成の域に来ているので、論文発表が、即、社会を変えうるかと言うと、大きな疑問が残る。なので、研究者の最低の義務として論文発表はあるが、それが研究の価値に直結するかというと疑問で、数多の論文が発表されているが、大きな意義を持ち社会を改善しうる論文は、ごく僅かである。なので、論文数やインパクトファクターが、そのまま研究の価値を決めうるほど、確実な指標にはなりえない。
とすると、現在は資本主義の市場経済社会であることを鑑みると、様々な金融商品と同じく、研究課題もある種の投資対象であって、その成果が必要とされれば、莫大な資金を確保することが可能であるし、必要とされなければ資金は集められない。人類が発明した最大の仕組みである「お金」は、これだけ多様になった価値観の中で、ほぼ全てに交換可能な、極めて広い価値を包含しうる存在だと思う。であるから、様々な思惑や希望の中で、莫大な資金を集めた研究は、それだけでこの社会での期待の大きさを表していると思う。
そこで柴田は、今年度の目標として「研究費の確保」を第1に考え活動してきた。それには、画期的なアイデアで研究プロジェクトを作ることや、中小企業の共同研究に丁寧に答えることで信頼を得る事など、様々な努力を続けている。それなりに成果を挙げつつあるが、柴田の野望はもっと大きいので、さらに挑戦し続けてゆきたい。ただ、気をつけているのは、このごろ増えてきた競争的予算獲得で、組織の代理で研究提案をする機会が多いが、これには柴田は関わりたくない。なぜなら、研究という研究者の存在をかけて行う取組みは、組織という覆いを隠すことで、役割を分散することで責任も分散させ、結局、玉虫色の良く分からない成果しか出せない場合が多いと思うからである。数年前から始まったこれらの競争的研究費で、どれだけ社会を変えうる研究が出てきているのか、柴田は実感が出来ない。