DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

研究の価値

2005年09月03日 08時00分57秒 | Weblog
様々な価値観が並存する社会では、独り善がりは無意味であるが、研究の価値について、考えてみたい。柴田が考える研究の価値を一言で言うと、
  「研究の価値は、どれだけ社会を改善しうるか」であると思う。
しかし、これでは抽象的過ぎるので、もう少し具体的にと言うか、直接的かつ定量的に言うと、(短絡的だとの批判は承知の上で敢えて言うと)
  「どれだけ研究費を集めて、どれだけ論文を公表したか」であると思う。
ここで、誤解を恐れずにこれらをさらに突き詰めてゆくと、後者の論文発表については、今の学会の状況を見るにつけ、柴田の本来の専門分野に関して言えば、5年前と現状に本質には大きな展開は見られないという問題がある。工学の一分野として、実用的には完成の域に来ているので、論文発表が、即、社会を変えうるかと言うと、大きな疑問が残る。なので、研究者の最低の義務として論文発表はあるが、それが研究の価値に直結するかというと疑問で、数多の論文が発表されているが、大きな意義を持ち社会を改善しうる論文は、ごく僅かである。なので、論文数やインパクトファクターが、そのまま研究の価値を決めうるほど、確実な指標にはなりえない。
とすると、現在は資本主義の市場経済社会であることを鑑みると、様々な金融商品と同じく、研究課題もある種の投資対象であって、その成果が必要とされれば、莫大な資金を確保することが可能であるし、必要とされなければ資金は集められない。人類が発明した最大の仕組みである「お金」は、これだけ多様になった価値観の中で、ほぼ全てに交換可能な、極めて広い価値を包含しうる存在だと思う。であるから、様々な思惑や希望の中で、莫大な資金を集めた研究は、それだけでこの社会での期待の大きさを表していると思う。
そこで柴田は、今年度の目標として「研究費の確保」を第1に考え活動してきた。それには、画期的なアイデアで研究プロジェクトを作ることや、中小企業の共同研究に丁寧に答えることで信頼を得る事など、様々な努力を続けている。それなりに成果を挙げつつあるが、柴田の野望はもっと大きいので、さらに挑戦し続けてゆきたい。ただ、気をつけているのは、このごろ増えてきた競争的予算獲得で、組織の代理で研究提案をする機会が多いが、これには柴田は関わりたくない。なぜなら、研究という研究者の存在をかけて行う取組みは、組織という覆いを隠すことで、役割を分散することで責任も分散させ、結局、玉虫色の良く分からない成果しか出せない場合が多いと思うからである。数年前から始まったこれらの競争的研究費で、どれだけ社会を変えうる研究が出てきているのか、柴田は実感が出来ない。

共同研究を進めるという事

2005年09月03日 07時34分03秒 | Weblog
共同研究の打合せに業者さんを訪問して、それなりに有意義な議論が出来て、緩やかではあるが共同研究の体制や目標が形作られてきたのを、実感している。社長さんも社員さんも、前向きに取り組んでもらっていて、取りあえず納得した共同研究になり始めたところだ。しかし、相手の企業さんは、この程度で満足しているのか、少々不安だった。柴田にはそれほど高度な技術があるわけではなく、特に耐震工学や構造工学に関して言えば、少し不安なところがある。そのため、逆に業者さんと一緒に勉強して行くつもりで、共同研究に取り組んでいるのが、本音である。
実は、打合せのあと別件の相談を受けた。別の某大学の先生に別の共同研究をお願いしているが、不満を持っているらしい。思い当たる節はある。大学の大先生というのは、学者さんが多いので、自分の興味に合わないことはやらないし、そもそも企業の行っていることを些細な問題と見る傾向がある。大先生の高尚な研究はご立派だが、大先生が思うほど役に立たないことがお分かりになっていない。同僚が行っていたが、「学者先生には共同研究は出来ない」のだろう。本当だ。やはり大先生は、大企業相手に何でも自力で進めるスタッフを用意した共同研究に、助言や指導をしてやれば(口だけ出して)済むようなお話は対応できるが、中小企業の本当にこちらに期待して(頭も手も出して)全面的な協力が必要な共同研究は出来ないのだろう。だとすれば、この部分に我々の活路があるわけで、企業と自分と学生が一体になって、それぞれの得意分野を生かした、共同研究を組織できるはずだと思う。世の中、大企業はごく僅かで、大多数は中小企業なのだから、中堅技術者の育成を目指した高専は、この中小企業の取組みを支援する役目を、もっと明確に持たなければならないと思う。
現実的には、様々な業務を抱え不十分なスタッフの組織しかも持たない我々は、大学の大先生に張り合う必要は無く、もっと足元を見て、自分の特性を生かした方向を目指すべきだと思う。
高専の教員として日々の業務に押しつぶされ、絶望的になるときが多いのも事実であるが、それでもそれでも、前向きに進んでゆきたいと思う。

研究日誌H170902

2005年09月03日 06時54分38秒 | 研究室情報
=今日は授業を2つやったが、その前後の時間を考えると、余裕は無い。
=共同研究の打合せに向かった、非常に良い雰囲気で話し合いが進められた。
=こちらから提出した資料は、とても有用で具体的な議論が出来た。
=幾つか課題が出されたので、学生スタッフと共に進めてゆきたい。
>振動シミュレーションのソフトウエアを調査して、デモを検討する。
>共同研究の役割分担をして、こちらから必要となる資料を収集してゆこう。

研究日誌H170901

2005年09月03日 06時49分34秒 | 研究室情報
=ついに9月が始まったが、学校が始まると慌しく、研究どころではない。
=時間の余裕はあるはずだが、まとまった時間が無いのを言い訳にしている。
=色々ありすぎて心の余裕が無く、仕事を処理する方向へ、頭が動かない。
>もう少し落ち着いて、計画的に作業を進めるようにしよう。
>とにかく、学校へ提出する書類の作成に、計画的に集中しよう。