だいずせんせいの持続性学入門

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林勝和尚との対話(7)

2016-04-03 15:16:37 | Weblog

私 今日は日本の仏教のあり方についていろいろお聞きしたいと思います。

和尚 それはお手やわらかにお願いします(笑)

私 私も含めて最近は仏教に興味を持つ人が増えていると思うのですが、それは別にお寺で仏教を教わったからではありませんね。本を読んだり、話を聞いたりすることで、今の社会を生きる上での生きづらさに対する救いだとか、生きる指針とかを求めてのことだと思うのです。

和尚 そうですね。若い人たちも関心を持ってくれる人が増えてきました。

私 それに対して、仏教の本来の道場であるお寺は、お葬式や法事をやってお経を読んで対価としてのお布施をもらう、一種のサービス業、自営業のようなもので、そういう心の問題とは何の関係もないように見えます。

和尚 いわゆる葬式仏教というやつですね。実態としてその通りです。最近は住職の集まりに行くと、話題は檀家が減った、法事が減った、このままでは立ち行かない、というような話ばかりです。

私 そもそも、お釈迦さまは出家者は殺生をしてはいけないとか、性的な行為をしてはいけないとか、そういう戒律を守ることを弟子たちに課したわけですよね。日本のお寺では日常生活では普通にお肉の料理も出てくる、結婚して子どももいるということで、そういう戒律は全く守られていないと思うのですが、それでいったい仏教と言えるのでしょうか?出家ということが今では全くわからないですよね。お坊さんは出家者なのでしょうか?

和尚 もっともな疑問ですね。これは日本に仏教がどのように伝えられて受容されたか、という歴史を紐解かないと理解できませんし、これからどうすれば良いかわかりませんね。仏教が中国から伝えらえたわけですが、それは古代国家の意志として中国に船を出すということでしか得られなかったわけで、そもそも仏教は国家によって伝えられ、また受容されたわけです。東大寺ができたり法隆寺ができたりした時代は、僧侶になるために出家するというのは国家が認証する手続きだったのです。それで僧侶はいわば公務員でした。有力なお寺に入って昇進していけば大きな権力を手にできたわけです。

私 出家して僧侶になることが一つの出世のコースだったわけですね。村の中にお坊さんはいなかったのでしょうか。

和尚 それがいたんですね。国家の認証を得ないで、でも頭を剃って袈裟を着てお坊さんとして暮らしていた人たちがいました。それは一種のインチキ坊主なのです。当時は律令制といって、土地は国のもので、人々はそこを耕作して税を納める義務がありました。作物だけでなく、道路工事、都の建設とか、労役もたくさんあり、生活は苦しかったわけです。一方、出家して僧侶になれば、戸籍から排除されて、そういう納税労役の義務が免除されたんですね。それで税逃れで出家する人がいました。在家法師と言って、普通に結婚して子供もいてという様子だったようです。

私 そういう人は取り締まりの対象になったのではないのですか?

和尚 確かにインチキ坊主だらけでは国は成り立たないのですが、統制はあまりとれなかったようです。逆にそういうさまざまな形態の税逃れが公然と横行することで律令制が崩壊していったという側面があります。ただ、中には本当に山の中で修行して立派な徳を得た人もいたようで、そういう人を国家が正式な僧として追認するということもあったようです。

私 戒律は日本ではどのように受け入れられたのでしょうか。

和尚 中国から鑑真が日本に渡って来ますが、それは戒律を正確に伝えそれを広めるというのが主目的でした。その後空海、最澄の時代になるわけですが、彼らは戒律軽視、あるいは無視の態度をとっていきます。

私 それはどうしてですか?

和尚 戒律をどう扱うかもっとも焦点となったのは法然上人ですね。上人自身は戒律を厳格に守り修行した高僧です。もちろん結婚もしていないし子どももいません。しかし、そのような厳格な戒律を守らなくては成仏できないという教えでは、日々の暮らしの中で苦しんでいる民衆の心を救えない、ということで誰でも念仏をすれば成仏できる、としたわけです。法然上人が民衆のさまざまな質問に答えた問答集があるのですが、その中で上人は酒を飲むこと、殺生をして肉を食べること、セックスをすることなどを「やらないのに越したことはないけれども、人の世の習いなので、ダメということはない、とにかく念仏をすればよろしい」と答えています。これは僧侶向けではなく、在家の民衆向けの言葉ですけれども、それを敷衍するならば、僧侶にだってそう言えるわけですね。

私 それを徹底したのが親鸞というわけですか。

和尚 その通り。罪深い日々の暮らしをそのまま受け止めて、そこからの救いを得るために念仏するということで、表面的な生活の規則を守ることが重要なのでなく、それができなくても、心の底から阿弥陀仏を信じることが重要なのだということです。それで、浄土真宗は無戒であると言われますし、肉食妻帯をいわば「宗旨」としていくわけです。

私 お葬式はどうなんでしょう。宮本常一の本を読んでいたら、対馬の話ですが、天台宗のお寺は葬式を全くやらず、曹洞宗のお寺が葬式を担当していたという話が出てきて、おやと思いました。昔からお寺で葬式をしていたわけではないのですね。

和尚 そもそも仏教と葬式は何の関係もありません。お釈迦様はむしろ修行僧は死者には近づかないようにと弟子に話しています。仏教が中国に伝わり、儒教とか道教とかの祖先を大事に祀るという信仰と合わさった結果、お寺でもお葬式をするようになりました。日本では、鎌倉・室町の時代に、荘園が解体され、家というものが確立し、家が集まったムラの守り神としての氏神信仰がスタートするのと同時に民衆の間でもお寺で葬式をやるようになりました。三十三回忌までの子孫の供養が終われば死者は氏神様に一体となってムラを守る存在になるということになりした。その供養をお寺でやるようになったわけです。

私 それが今では葬式仏教と呼ばれるまでになったのはどういうことなんでしょう。

和尚 それは江戸幕府の寺請制度が決定的でした。幕府はキリスト教を禁止するために、すべての人はいずれかの寺の檀家となり、寺に身分を証明されなければならないということにしたわけです。それで当時たくさんのお寺が創建されています。檀家は身分証明を得るのと見返りに、寺に対してお布施や寄付、労役の提供をしなければならないという仕組みです。すべての人がどこかの宗派の信者なのですから、お寺は人々に対し仏の教えを説いて布教することが必要なくなりました。不可能になったと言ってもいいですね。あとは僧侶の仕事といえばお寺の経営をいかに上手にやっていくかということで、葬式と法事。あとは地主としての経営。それが今まで続いているわけです。

私 江戸時代にはどの宗派でも妻帯していたのですか?

和尚 そうではありません。公然と妻帯をしていたのは真宗だけです。それ以外の宗派は妻帯を禁じていました。むしろ幕府がその禁を犯した僧侶を罰したりしています。もちろん真宗以外のですが。

私 ということは、幕府というか国家が宗旨を守る取り締まりをやっていたということですか?そこまで国家が宗教に介入していたのですね。

和尚 介入どころか、お寺は完全に国家の統治機構の一部だったわけです。

私 なるほど。では真宗以外のお寺では僧侶は女性とは関係しなかったのですね。

和尚 いやそうでもないのです。こういう不徹底さというかいい加減さが日本仏教の歴史の特徴かもしれません。お寺には女性がおり、「大黒さん」とか呼ばれていたそうです。まぁ住職のお妾さんですね。有力な家の主人がお妾さんを囲うのは戦後の憲法ができるまでは制度的に認められた普通のことでしたから、お寺でもそういうことはしばしばあったようです。当然子どももいて、その子が修行してお寺を継ぐというのは、真宗では当たり前ですが、他の宗派でも実質的にはかなりの程度そうなっていたようです。

私 でも今では公然の秘密という感じではありませんね。お坊さんもちゃんと結婚するのが普通ですよね。

和尚 それは明治維新の時からです。明治5年の太政官令というのがあって、すべて宗派について、僧侶が肉食妻帯するのは「勝手」、すなわち許可するという通達です。

私 これも国家の通達でそうなったのですか。

和尚 そうです。それほどまでに仏教は国家の統治システムの中に組み込まれていたわけです。

私 前に郷土史を読んでいて明治初めの廃仏毀釈の時に、県の役所にお寺の住職が呼び出されて環俗せよという通達があり、それで住職はお坊さんをやめ、お寺がなくなったというのを読んで、不思議に思ったことがあります。僧侶であるかどうかはお上が決めるものなのかと。そういうことだったのですね。

和尚 ただ、この通達によって、僧侶が持っている聖職者としての特別な身分というのはなくなったという側面もあります。ようは僧侶といえども普通の人として生きなさい、税金も兵役も課しますよ、ということです。廃仏毀釈によって、廃寺にならないまでも、農地を召し上げられたり、檀家が減ったりと、寺の経営は危機的状態になるわけです。でも一方で、肉食妻帯を宗旨上も受け入れて、聖職者というのではなく、普通に「自営業者」として生きて行けば良いということになります。

私 檀家にとっても葬式、法事を将来にわたって滞りなくやってもらうためには、お寺にあととりがちゃんといてくれた方が安心かもしれませんね。

和尚 私が本山で修行していた時、修行仲間の多くはお寺の息子さんたちでした。寺のあとを継ぐために住職の資格を取りに来ているわけです。彼らと話していると、檀家さんが縁談話を次から次に持ってきて困るというのがあります。年頃になると、息子さんが結婚できるか、あとつぎができるか、というのが檀家さんにとっても関心事になるのですね。

私 だんだん分かってきたのですが、そう言っている間に、今では法事なんかあまり厳格にはやらないようになってきましたよね。葬式仏教すら形骸化しつつあるのではないでしょうか。

和尚 その通りです。今では大手の会社がお坊さんの「派遣サービス」をしていたりします。電話をして宗派を伝えれば、法事にお坊さんが来てくれます。料金表があって、お布施の額に悩まなくて良いということです。もうお寺すら必要なくなってきました。今では葬式も葬儀場でやるし、法事も簡単になってきて、かつてのようにお布施で結構裕福な生活ができるなんてことはありえませんね。貧すれば鈍すということで、借金を抱えた坊さんの不祥事、犯罪などというのも耳にします。嘆かわしいことです。

私 田舎では住職がなくなるとそのまま無住になる寺がどんどん増えていますね。

和尚 この寺もそうでした。一旦無住になったらまず復活できないですね。檀家さんも支えられずに寺は廃墟になっていきます。

私 一方で、心の迷いというか、生きづらさというか、そういうものは私たちの間にますます深まっていて、深いところでの仏教へのニーズというのは高まっていると思うのですが。

和尚 私もそう思います。それは葬式仏教では受け止められませんね。一方で、今でも葬式といえばお坊さんということになるのはどうしてでしょうか。近親者の死というものを受け止めるには、やはり合理的な思考だけでは役不足で、何らかの儀礼、供養というものが必要と感じられているのだと思います。今は死が日常生活から見えなくなってしまっていますよね。その中で近親者の死は、自分の生と死を考えるまたとない機会となっています。むしろ葬式仏教が衰退しつつある今は、本来の仏教の教えを広める良いチャンスかもしれません。

私 私たちは時々、無住になったお寺の本堂で、檀家さんの許可をもらって、お経を読んだり座禅をしたりしています。勝手流ですが。

和尚 それは良いことをされていますね。仏さまも喜んでおられると思いますよ。そういう風に、お寺を本当に必要としている人にどんどんオープンにしていけば良いと思います。気軽に入ることができて、そこに行けば誰かが話を聞いてくれる、何かヒントが得られる、という風に。お坊さんも積極的に社会の中に出て行って、必要とされている人とのご縁をつなぎに行く必要がありますね。

私 一般には宗教というと若い人には敬遠されてしまいますが。

和尚 それは、宗教というのはがっちりした価値体系をもっていて、それを押し付けられるのではないか、といううっとうしさがあるからですね。確かに新興宗教などはそうなのですが、仏教はどうでしょう。ある意味、情けないくらい何でもありというのが日本の仏教ではないでしょうか。そこで行われてきたのは、お釈迦さまの教えを厳格に守り布教することではなく、目の前の人々を救うということを第一に考えて、そのためには教義を適当に無視したり捻じ曲げたりしてきた歴史とも言えます。お坊さんは、次々に新しく生まれてくる世の中の苦しみや悲しみへの答えを持っているわけではありません。その話にじっと耳を傾け、一緒に悩むのがその役割だと思いますし、今に名が残っている偉いお坊さんたちは皆そうやってきました。そこにお釈迦さま以来2000年以上の歴史の中で歴代の仏教者の考えたこと教えたことが、さまざまな智慧となりヒントになるのではないか。それがものすごく多様で何でもありだからこそ、新しく生まれる問題に対して、何かしらヒントを見つけられるのではないか。私はそういう思いでいます。

私 なるほど。多様な教えがあっても、空だったり、縁だったり、そういう仏教を特徴づける一つの世界観があると思います。そこから日々を生きて行く指針というかヒントが得られる。それが魅力なんだと思います。

和尚 そう言っていただけるとありがたいです。今ではお寺は、国家からも見放され、檀家さんからも見放されて、ある意味では自由になったわけです。だからこそ得られる新しいご縁というのがあるのではないかと思っています。

私 なるほど。今日も良いお話をありがとうございました。

 

 

 

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