だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

旅の僧

2007-06-17 22:23:09 | Weblog

 私は大学を出るのに7年かかった劣等生であった。大学に入って一年目、都会での新しい暮らしにうまく適応できず、勉強をする気もまったくなくなり、なにもかもいやになってぷいと旅にでた。無責任な話である。その旅の中で、ふと海が見たくなって、京都から歩いて日本海まで行ってみた。野宿しながらの乞食旅行である。
 高校の時に、年に一度全校をあげて40kmほどの道のりを歩くという「強歩大会」なるものがあり(どんな高校だ…)、その調子で行けば3,4日でつけるなとタカをくくっていた。一日目はなんとかそれなりの距離を歩けたが、二日目、三日目となると、もう足首が痛くて休み休みしか歩けなくなった。地図で見る1kmというのが無限に遠い距離のように思えた。ごくたまに、横を通り過ぎる車が止まってくれて「乗っていくか?」と声をかけてくれた。「いやいいです、ありがとう」と断って歩いた。

 びっくりしたのは、京都から少し北に入ると、いきなり急峻な山地になるということだ。雪も多いようで、積雪量を測る高い棒が立っている。今思えばいろいろな美しい風景があったはずなのだが、その時はとにかく歩くということに懸命で、風景を楽しんでいる余裕はなかったようだ。
 夕方になると野宿をする場所をさがした。シュラフ一つで寝るのでどこでもよいようなものであるが、人目につかず、背中が痛くなく、雨に濡れず、川の増水などの危険な要素のないところ、というと意外に適地をさがすのは難しい。もうひとつ天候がすぐれなかった。寝ていると雨が降ってくることがあり、ポンチョをかぶって寝た。
 宮本常一ならば、野良仕事をしている人に親しく話しかけ、話し込むうちにその人の家に泊めてもらったりしたのだと思うが、私はむしろ人気を避けたかった。そもそも宮本の歩いた時代とはちがって、野良仕事をしている人の姿もほとんどなかった。

 結局、一週間近くもかかったのではなかろうか。念願の日本海にでた。小浜だったと思うが、しばらく海岸でぼーと佇んでいた。海はなにごともないように静かだった。

 その日はさすがにふんぱつして、ユースホステルに泊まった。その日の泊まり客は私の他には一人。これまたうすぎたないかっこうの坊さんである。托鉢をして歩いていると聞いて、すなおにすごいと思った。自分は数日歩いただけでよれよれなのに、ずっとそういう生活をしているとは。寺に入れと言われたこともあるが、それを断って歩いているという。

 その日のテレビのニュースは衝撃的だった。日本海中部地震が発生して、東北地方では津波によって大きな被害がでていた(1983年5月26日)。特に小学校の子どもたちが遠足で海岸に来ていて津波にのみこまれ、14人が亡くなっていた。昼間私がぼーと見ていたその海の向こうで大きな悲劇が起こっていたのだ。
 テレビを見ていた坊さんが、私の方を向いて言った。「自分が生きていて、子どもたちが死んでしまった。自分が身代わりに死んだ方がよかったのに。」
 私は返す言葉をさがしたが、思いつかなかった。坊さんは本心からそう言っているようだった。「自分が死んだ方がよかったのに」。坊さんは繰り返した。私はじっと黙っているしかなかった。
 次の日の朝、私は京都に戻る列車に乗るために駅に向かった。別れ際、坊さんは笑顔で手を振ってくれた。

 それからもう数年間、私は心も身体もさまよっていた。周囲の人々にはとんでもない迷惑をかけ、自分の弱さや情けなさをいやというほど味わった。ただ、その中で大学にいただけでは絶対に出会えなかった多くの人々に出会い、今にして思えば、かれらからたくさんのことを学んだのは確かと思う。

「世の中には二種類の人間がいるだけだと、いつか誰かが言っていた。奇妙で、面白い人生を送る人々、そしてもうひとつは、まだ会ったことがない人々…」(星野道夫『旅をする木』文春文庫1999年)。

 今は自分が当時の坊さんよりも歳上になっただろう。津波で亡くなった子どもたちは生きていればもう立派な大人になっていたはずだ。その子たちに私はあの日、坊さんを通して出会ったとも言える。あの坊さんが今どこで何をしているか、もちろんまったく分からないし、むしろ分からない方が自然と思う。なにげない出会いと別れが日々の暮らしを形づくる。その意味はしばらく時間を経てからでしか、分からないものなのかもしれない。

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10 コメント

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THANKS! (daizusensei)
2007-06-17 22:32:41
おととしの秋から書き始めたこのブログ、めでたく100番目の記事となりました。額田王さんをはじめ、熱心に読んでくださるみなさんのおかげです。自前のメディアをもつことの意義深さを感じています。これからも精進しますので、どうぞよろしくお願いします。
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Unknown (龍子)
2007-06-18 01:59:28
はじめまして。りゅうじといいます。ゼミのレポートの材料探しで少し前にたどりつき、それからぽつぽつと拝読させてもらっています。ゼミでもサステイナブル・ソサエティーのことを勉強しているので、とても参考になります。

僕も今いろいろと道に迷っているのですが、
今回の記事はそういったなにもかもが無駄ではない
と励まされた気がしました。
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はじめの一歩 (額田王)
2007-06-18 15:19:33
(たびたびお邪魔して申し訳ありません。でも、先生がちらりと触れてくださったので嬉しくて)100回の記事とのこと、おめでとうございます!かなりの期間、拝読しながらもコメントを書くなんて思いもよりませんでした。でもつい数日前、初めて書き込ませていただいたときの不思議な高揚感…。ちいさなコメントなのに、何年分?かの勇気が必要でした。考えてみると、すぐ近くにも遠くにも、さまざまな苦しみや不安をかかえて息をひそめるように暮らしているような人々がいるのかも知れない。(先生が「劣等生」だったなんて信じられませんが)、皆さんもここに来て、一緒にはじめの一歩を踏み出してみませんか?みんなのちいさな勇気を持ち寄りましょう!
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Unknown (ozeki)
2007-06-19 17:23:18
100回、おめでとうございます。

 ブログも続けるのは結構大変ですよね。

 しかし、大学に7年、お世話になったとは。先生の感じからは意外でした。
 なんかスマートな感じを受けていたので。

 ちょっと親近感?
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THANKS! (daizusensei)
2007-06-20 08:42:30
みなさま>コメントありがとうございます。

アクセス数から推測すると、おそらく500人くらいの方が定期的に見てくださっているのではと思います。最近では初対面の方から、「ブログみています」と言っていただけるようにもなりました。(いつもありがとうございます→これを1000人にするのが目標です!)

学ぶ(研究する)ことでみなさんの税金からお給料をいただける身としては、学んだ成果をわかりやすくみなさんにお伝えするのは当然の仕事と思っています。

みなさん、どうぞ気楽にコメントしてくださいね。
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大学卒業に7年とは! (funabashi)
2007-06-20 12:27:48
大学生時代に心も身体もさまよっていらしたということを知って、だいずせんせいの今の人間性の豊かさがよく理解できました。
若いときにそこまで悩むということが人をつくるのですね。誰でもとは言いませんが……
僕の場合は高校生時代に病で苦しみましたが学生時代は元気で合唱とか学生会活動をしていました。そうした悩みはなかったですね。
サラリーマン時代50代の後半が本当に悩み、苦しかったです。
ブログ100回立派ですね。内容も充実していて、これからも楽しみにしています。
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Unknown (井筒耕平)
2007-06-20 23:34:34
記念すべき100回目が、このような内容とは。。先生の人柄が伝わってきて、とても温かい感じがしました。私も7年間いましたが、大学以外の場で学ぶことが多かったです。
そう考えると、大学はある意味受容性の高さが存在意義のような…。どうでしょうね(笑
これからも楽しみにしております!
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☆祝☆ ブログ100回達成!!! (水都の風)
2007-06-21 00:48:09
ブログ・100回達成! おめでとうございます。 
100回という回数もスゴイ!けれど・・・
どのお話からも、
堅実な日々の暮らしに育まれた心の豊かさが感じられ、いつも引き込まれます。
高野さんの暖かさと謙虚な姿勢の礎は、
この学生時代の心の彷徨によるものが大きいのでしょうか?
先を焦る最短距離のコースでは、
大切なもの、美しいもの、etc.を、
見落としてしまいがちですから・・・

お体お大切に、200回、500回、1,000回を目指してください。
これからも楽しみにお邪魔させて頂きます。
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Unknown (Unknown)
2007-06-21 21:25:50
身代わりって、なれるもの、なのでしょうか。
なれるのかもしれませんね。

・・・支離滅裂ですいません。

いつぞや講義を聞かせていただきました。
ありがたいお話だったと今でも感謝しております。
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THANKS! (daizusensei)
2007-06-21 23:45:25
みなさま>コメントありがとうございます。

ひょっとして大学に7年いたってこと、意外にうけてます?

このような「弱さの情報公開」を安心してしあえる社会になるとよいなと思います。私は学生時代から20年以上を経て、やっと自分の問題を克服しつつあるのかもしれません。
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