停車場八幡神社
鎮座地 本町4-22
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
例大祭 9月第2又は第3土日
解説
明治22年(1889)甲武鉄道(中央本線)開通と同時に国分寺駅ができると
その周囲にできた新興集落を停車場といった。
停車場の人々は国分寺村に属し、国分寺八幡神社の氏子となっていたが、
新参者という事もあって冷遇される事が多く、自分たちの鎮守社をほしいと常々願っていた。
昭和になって、倒産した今村銀行頭取、今村繁三別邸の屋敷神、稲荷神社の敷地に、
本村国分寺八幡神社のご分霊を向かえようとしたが、なかなか許可が下りず、
ようやく昭和26年(1951)正式に認められた。
現在なぜか八幡神社の社殿は基壇のみ残して存在しない。
稲荷神社と参道が交差する珍しい境内である。
鎮座地 本町4-22
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
例大祭 9月第2又は第3土日
解説
明治22年(1889)甲武鉄道(中央本線)開通と同時に国分寺駅ができると
その周囲にできた新興集落を停車場といった。
停車場の人々は国分寺村に属し、国分寺八幡神社の氏子となっていたが、
新参者という事もあって冷遇される事が多く、自分たちの鎮守社をほしいと常々願っていた。
昭和になって、倒産した今村銀行頭取、今村繁三別邸の屋敷神、稲荷神社の敷地に、
本村国分寺八幡神社のご分霊を向かえようとしたが、なかなか許可が下りず、
ようやく昭和26年(1951)正式に認められた。
現在なぜか八幡神社の社殿は基壇のみ残して存在しない。
稲荷神社と参道が交差する珍しい境内である。