多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

小平市「小平神明宮」

2010年10月16日 | 神社
小平神明宮 

鎮座地 小川町1-103

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 郷社  

別当寺 小川寺?

例大祭 9月19日

解説 
明暦2年(1656)現武蔵村山市岸村の小川九郎兵衛が入植し小川村が誕生した。

5年後の寛文元年(1661)、村の鎮守とするため、
瑞穂町の阿豆佐味天神社の神職、宮崎隠岐の弟、主馬を神主として、
阿豆佐味天神社の摂社で神明ケ谷戸の神明宮を遷した。

地元では「神明様」と呼ばれて親しまれている。


神明宮の狛犬1


・奉納年 嘉永7年(1854)
・石工 石工 小川氏 秋廣
・願主 宮崎加賀守義秋 発願 数名あり
・右 子取り
・左 子取り
・記事
神明宮には他にも狛犬あり。嘉永は6年までなので、安政元年の奉納か?


神明宮の狛犬2


・奉納年 安政2年(1855)
・石工 ?
・願主 小野弥兵エ
・記事
摂社の狛犬、同様の物もう1対あり 奉納年など摩滅して判読せず。

小平市「上鈴木稲荷神社」

2010年10月15日 | 神社
上鈴木稲荷神社 

鎮座地 上水本町2-6

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 村社 

例大祭 9月22日 

解説 
鈴木新田のひとつ上鈴木新田の鎮守。
享保8年(1723)新田開発のおり、
親村である小金井市の貫井村の稲荷神社の御分霊を遷した。

明治41年(1908)下鈴木稲荷神社に合祀される。

昭和24年(1949)地元住民の強い要望により旧に復した。

現在の社殿はそのおり旧陸軍経理学校の若松神社の社殿の払い下げをうけたもの。

小平市「堀端稲荷神社」

2010年10月14日 | 神社
堀端稲荷神社 

鎮座地 上水南町1-1

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 村社

例大祭 9月23日

解説 
玉川上水南の当地は野中新田の飛地である堀端野中といった。
元文元年(1736)組頭利左衛門が稲荷神社を勧請し堀端野中の鎮守とした。

小平市「氷川神社」

2010年10月13日 | 神社
氷川神社 

鎮座地 回田町136

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社   

例大祭 9月19日

解説 
回田新田は東村山市の廻田村が野中新田より土地を譲り受けて享保11年(1726)に開かれた。

当初この新田は親村からの出作地で定住者がいなかったが、
やがて定住者もでき村の鎮守として宝暦5年(1755)氷川明神と稲荷明神を祀った。

小平市「日枝神社」

2010年10月12日 | 神社
日枝神社 

鎮座地 小川町1-103

祭神 大山咋命(おおやまくいのかみ)

旧格式 無格社  

例大祭 4月8日

解説 
万治元年(1658)江戸麹町の日枝神社のご分霊を日吉山王社として祀った。
当初は現在地より100メートルほど西にあった。

神明宮とともに小川村の鎮守として崇められている。

小平市「秋葉神社」

2010年10月11日 | 神社
秋葉神社 

鎮座地 御幸町315

祭神 秋葉大神

解説 
詳細不明。
五日市街道沿いに鎮座する。
西隣の海岸寺の鎮守か?

平成16年(2004)社殿を改築した。
表紙写真はそれ以前のもの。



上は秋葉神社近景。
社殿は、ほぼ以前のままで建て替えられた。(あるいは修理か?)
コンクリートの参道も整備された。

国分寺市の神社概略

2010年10月10日 | 神社
国分寺市の神社概略

国分寺市の市名の由来は、
奈良時代に全国に建立された金光明四天王護国之寺こと国分寺が当地にあった事に由来する。

国分寺の周辺には古くから国分寺村ができ、
また鎌倉街道の宿場として恋ヶ窪村も古代・中世より栄えた。

江戸時代になると新田開発により北側の台地上に多くの新田村が開墾された。


これにて国分寺市は終了。
明日より小平市の神社を紹介します。

国分寺市「戸倉神社」

2010年10月10日 | 神社
戸倉神社 

鎮座地 戸倉4-34

祭神 八千戎神(やちほこのかみ)

旧格式 村社  

別当寺 満福寺

例大祭 9月15日

解説
享保14年(1729)現あきる野市戸倉の住人、郷左衛門らによって戸倉新田が開墾された。

その際、親村の三島神社より山王権現を勧請し村の鎮守とした。

文政4年(1821)社前の稲荷小祠とともに、
神祇管領長上、吉田家より「山王権現」の神号と「正一位稲荷大明神」の号を受けている。

明治2年(1869)神仏分離により社名を戸倉神社に改めた。

国分寺市「停車場八幡神社」

2010年10月09日 | 神社
停車場八幡神社 

鎮座地 本町4-22

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

例大祭 9月第2又は第3土日

解説 
明治22年(1889)甲武鉄道(中央本線)開通と同時に国分寺駅ができると
その周囲にできた新興集落を停車場といった。

停車場の人々は国分寺村に属し、国分寺八幡神社の氏子となっていたが、
新参者という事もあって冷遇される事が多く、自分たちの鎮守社をほしいと常々願っていた。

昭和になって、倒産した今村銀行頭取、今村繁三別邸の屋敷神、稲荷神社の敷地に、
本村国分寺八幡神社のご分霊を向かえようとしたが、なかなか許可が下りず、
ようやく昭和26年(1951)正式に認められた。

現在なぜか八幡神社の社殿は基壇のみ残して存在しない。
稲荷神社と参道が交差する珍しい境内である。

国分寺市「高木八幡宮」

2010年10月08日 | 神社
高木八幡宮 

鎮座地 高木町3-9

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

例大祭 ?

解説 
当社のある高木新田は野中新田六左衛門組に属しているが、
現東村山市高木村の住人等によって開かれた新田であり、
成立過程も異なり半独立していた。

村の鎮守も独自に八幡宮を祀っていた。

明治42年(1909)本村の神明社に合祀される事になり、
別れの芝居が上演される事となった。

しかし、それから一月以上も雨が降り続いて延期になったうえ、
やっと上演されたものの回り舞台の綱が切れるというハプニングが起きた。

よほど合祀を嫌がったもの?と当時噂されたとか。

その後、昭和59年(1984)ようやく旧地へもどる事ができた。

国分寺市「神明宮」

2010年10月07日 | 神社
神明宮 

鎮座地 北町1-10

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 村社  

別当寺 村持ち

例大祭 9月23日

解説 
享保10年(1725)現小平市の野中新田の一部として六左衛門組が当地を開墾、
村の鎮守として神明社を祀った。

江戸時代には神職はいなかったが、
現在は小平の山口氏が神職を務めている。

例大祭は西側数百メートル先にある愛宕神社とともに行なわれる。

国分寺市「中藤新田神明社」

2010年10月06日 | 神社
中藤新田神明社 

鎮座地 西町2-27

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 村社  

別当寺 観音院

例大祭 9月21日

解説 
中藤新田の鎮守。
中藤新田は享保15年(1730)現武蔵村山市の中藤村の住人等によって開墾された。

国分寺市「内籐神社」

2010年10月05日 | 神社
内藤神社 

鎮座地 日吉町4-11

祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 国分寺

例大祭 9月19日

解説 
享保19年(1734)内藤新田の鎮守として近江国日吉山王宮のご分霊を遷した。
明治2年(1869)神仏分離により社名を内藤神社に改めた。

国分寺市「南榎戸稲荷神社」

2010年10月04日 | 神社
南榎戸稲荷神社 

鎮座地 富士本3-3

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
南榎戸の6軒が祀っている小祠。

当地にはもと富士塚があり浅間神社が祀られていたが、
明治10年(1878)の暴風雨により倒壊しそのまま再建されること無く、
国分寺市「愛宕神社」に合祀された。

富士塚はいつしか無くなり現在は公園となっているが一応愛宕神社の境外地である。

国分寺市「丸山神社」

2010年10月03日 | 神社
丸山神社 

鎮座地 南町2-1

祭神 不明(大山祇命?)

解説 
江戸時代は山神社といい宝暦5年(1755)創建という。

明治になって丸山神社と改名。
第二次大戦末期、社地が陸軍高射砲陣地建設予定地に指定されたため現在地に遷った。