今朝、ダンナの実家の安否が確認できました。
母も兄も弟も、野田村の叔父夫婦も無事でした。
長く感じた1週間、無事を確認できただけ気持ちが一歩前進しました。
祈ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
兄のau携帯は地震直後から全くダメでしたが、今朝、たまたま港のほうへ降りていたため、
(実家は山の中なので普段からあまり通じない)通じたようです。
ほっとしました。
実家は大きな被害もないようでした、
停電も復旧したようで、なんとか大丈夫だ、と。
ガソリンと食料は今はあるけど・・・な様子でした。
長男であるダンナの兄は村に住み、以前から消防団などで高齢化となっている村の人々の手助けをしています。
村は山の中、村の中心部・駅まで6kmの位置にあるので、移動手段は車しかありません。
急な病気や事故が起きても、大きな病院までは車で30分以上かかります。
村内で起きる悲惨な事故の時も進んで救助をしたり、普段は村の人の足となって駅まで送ったり、
介護ホームへの送り迎えをしたり、物を運んだり、おつかい頼まれたり、
自分の仕事以外に村の生活にはなくてはならない、たくさんの仕事をしています。
都会で生まれ育った軟弱な私には出来ないような行動、
「おにい(義兄)ちゃんってすごい」といつも思っていました。
今朝も被害が甚大と言われている漁港の後片付けをしているところに、
私からの電話が繋がったようでした。
ホントはもっと詳しく状況を聞きたかったけど、元気でいると解っただけで十分。
忙しそうなおにいちゃんの仕事の邪魔をしないようにすぐに切りました。
おにいちゃん、大変だけど村の人々、被災された人々の為に頑張って。
心から応援しています。
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甥っ子のその後です。
単身赴任していた甥っ子は、丸二日間何も食べるものなく、
あちこちの避難所を廻り13日、同僚の一人と出会えました。
地震から3日目の14日、車が出せたので石巻駅の会社に辿りつき、安否を知らせ、
偶然にもその直後、姉が朝からかけていた会社への電話が通じ、無事の確認が取れました。
その後、同僚と仙台支店のほうへ移動し、とりあえず会社で寝泊りできるように布団と生活物資を受け、
食べることも出来るようになりました。
情報がなかった3日間、4日目に仙台支店に着いてTVを見たとき、
あまりの酷さに愕然とし、自分が生きていたのは神様の助けだ、と思ったそうです。
休むまもなく翌日からは石巻に出向きあちこちの避難所を廻り、
お客様の安否確認等をしているそうです。
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ダンナの故郷である岩手県。私もお世話になってから20年以上たちます。
通いなれた駅や町の変わり果てた姿をネットやTVで見る度、心が痛くてなりません。
東京も毎日の余震、原発の問題と穏やかではいられない状況が続いています。
でも悲しんでいる間もなく働き続ける皆さん、寒さの中で震える被災者の皆さんのことを思えば、
何の言葉もありません。
まだ安否の解らない方もたくさんおられると思います。
一人でも多くの方の所在が、1日も早く解るよう、私も祈り続けます。
心配してくださった皆さん、祈ってくださった皆さん、ひとまず落ち着きました。
本当にありがとうございました。
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