眠れぬ夜
ただひたすらに
イラ鎮める
じゅもんのよう
ことばつづりし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日がわけもなくイラつく事をに耐えて、こんなひどい世界になってしまったのは誰のせいなのか、
あまりにも人間の欲望を求めすぎたから、地球が警告してるのかもしれないとおもったりして
コロナウイルスも地球が刻む歴史の中のひとつのページなのかもしれない
今日のめざめに感謝して
眠れぬ夜
ただひたすらに
イラ鎮める
じゅもんのよう
ことばつづりし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日がわけもなくイラつく事をに耐えて、こんなひどい世界になってしまったのは誰のせいなのか、
あまりにも人間の欲望を求めすぎたから、地球が警告してるのかもしれないとおもったりして
コロナウイルスも地球が刻む歴史の中のひとつのページなのかもしれない
今日のめざめに感謝して
パソコンも私の体も限界状態なのかな、パソコンが嫌がって思うようには動いてはくれない
みえにくい眼でやっと言葉にしてもパソコンは嫌がって言葉を消してしまう、そういえば君(パソコン)もだいぶお歳だったね・・・
パソコンは新品に変える事が出来るけど
私の体はどうだろうか、新品とはいかなくても、中古のまたその中古品くらいに直せたならまだ生きて行けそうだから
小雨降る中を散歩してきました。
こんな風景にも出会えた人生なのだから、恩返しをしてからだと自分に言い聞かせてる日々
もうひと踏ん張りして、ありがとうんえね・・・
急に涼しくなって、むしろ寒いほど
今までは、シャワーだけで済んでたけど
やはりお風呂につかる時期になった
シャワーだけの時も怖かったけど
我が家の浴室は洗面の部分から浴室に入る段差がたぶん8センチ以上あるだろう
眼が悪いのと貧血の私はお風呂嫌いになった、むしろ恐怖だ
シャワーだけで済ませていた時期は何とか無事に過ごせていたけど
浴槽につかるのは本当に怖い
軽いめまいがつねにつきまといする体を
つねに自分自身が気を抜かない
今はそれしか予防方法がない
この家に住んで早3年になろうとしている
習うより慣れろと言う
ある程度の視力はあるのだが
なぜか、距離感がわからないから
よく物にぶつかるし、突然目に前に人が現れてびっくりが日常
不自由を数えたらきりがないから
今、生きられる事に感謝しよう
総裁選と2つの台風がまるで今の世を写し鏡のようにぶきみだ
選挙は国民の意思など関係なく
台風もただ、命を守る事しか出来ない
避難を呼びかけられても
「蜜」が怖い
台風10号は伊勢湾台風と同じくらいに大台風だそうだ
豪雨と風が史上最強だそうだが
自分のみは、やはり、自分で守る
それしかない、むしろ、それが出来る国にいられる事がいい
昨日、総裁選に出ると発表した方
いつも穏やかなお顔で会見されてる表情が
突然鬼面顔が後ろに見えるときがある
政治家は
おそらく
正義、権力、私力(欲望)、を、
自分の中でせめぎあいしながら
物事に取り組んで行くのだろう
そのどれかが大きく動いた時
魔物はつかさず取りつき
政治家では無くなる
現実の世界は
政治ショーを見て、次の選挙で清き一票を
大嵐よ
願わくば、静まりたまえと
祈る事しか出来ない
昨日は眼の診療日
こんなに多く検査しても?なのだが
患者は中々言えない者だ
「検査しないでと」
そして、検査された日は、眼は使え物ぬならない
あの嫌な痛みと見えにくさが復活
だから何とか検査を避けたいけど、嫌だとは言えず従う
とにかく今は信じなくては、光を維持出来ているのだから
10年近く眼の痛さを我慢していたのに
たった1日が辛いし、見えにくいとイライラして
何も出来ない自分が情けないし、この光を感謝することも忘れてる
いつもの事だが
朝、眼を開けるのが怖い
もし、見えなかったらどうしょうと、不安な気持ちで起きる
起きてすぐはぼんやりだけど
徐々に光を確認できる
あ~あ、今日も大丈夫のようだ
やはり、ありがたくて、感謝して生きなくては
わが相方さんはかなりの頑固者
今どきは防犯、防護、当たり前だと思うのだが、カギをかけるのを嫌がる
私は異常なほど怖がりで寝る前に、必ず、小さい家だけど「戸締り確認、火の用心」を済ませないと寝れない気になって、物音など聞こえるはずないのに、誰かいる?になって、もうダメ、確かめないと・・・
そんなわけで、隣の部屋でお休み中の相方さんに気づかれないように、しずしずと、ぬきあし、さしあしで、カギを閉めに行く、熟睡しているころを見計らっていくのだが(夜這いなどの気は全くないのだ)何度かに一回は、相方に気づかれてしまう・・・
そんな時は決まって「あなたが息してるか」確かめてるだけよと言う
カギは開けとけ~が基本なので,その事は言葉にしない、けれど、相方さんは分かっている
カギを確かめに来たことを、
以前にこの事で言い合って気まずい思いをして、結局は私が折れた「まあ~ここは二階だから、大丈夫よね」という事に落ち着いて、私の夜這い行はつづいて、
相方さんのみてみぬふりがつづいて、
よくまあ~50数年ご一緒出来てますね~
ちなみに、お金、我が家はありません、私が山に全部使いましたから
宝物はこの命と思い出くらいで、ささやかな年金に頼っての暮らしです。
昭和の価値観で止まってしまったような相方さんの御命も大事でございますから
私は今日も右でも左でも従い、お慕い申し上げますです
この暑さ厳しきおり、自転車こいで
お買い物ご苦労様です
ありがたいです、感謝です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記
こんな貧乏我が家ですがなぜか、2度、詐欺にあいかけました。
あのにっくき、詐欺しめ、呪ってやるの思いで今も思い出します
1度目は前の家の時で、
わが相方は携帯を使っておりますので、まんまと詐欺師にコンビニまで誘導されて、けれど、これはへんと気づいて、あわてて近くの交番に駆け込んだけど「実害」がないと「立証」されないと言われて、あっちやら、こっちやら、引き回されて、疲れ切って帰ってきました、にっくき詐欺師め、我が家は医療費だけはたくさん払っていることを知っていたのか、5年さかのぼって返しますと言ったとか・・・
2度目はここに引っ越してきてすぐの頃だったかな
私宛てに「財務省」と書かれたハガキが送られてきた、そこには「最後通告」だったと思うけど支払金がどうとか?裁判がどうとか、わけわからないことが書いてありました、私はあまりクレジット決済をしてないからなぜ??で、この地域の消費者センターに電話して、詐欺だと知りました。(ハガキに書いてある電話にかけては詐欺の始まりです)
2度の経験は不快で不安を募らせる、にっくき詐欺師め、呪ってやるの気持ちを今でも持ち
ごようじん、ご用心で、留守電話にしてるから、医療関係者からしか録音なしで、少し寂しいけど、仕方ない。
私は6月の半ばくらいまで、眼の痛さと、うす暗い、ぼんやりと周りの状況が判断できる程度ほどの視力の中で、いつ失明し見えない闇が来るのか絶望と希望を彷徨いながら暮らしていました。
元々10年前くらいから眼の痛さに耐えて、徐々に視力は落ちて行ったが、2018年の暮れにまったく見えなくなった時は本当に驚きと悲しみとごちゃ混ぜになって絶望した、けれど、幸いにも何日かで少し周りの判断が出来る程度に、視力は回復したが、ブログを続けることは出来ず、閉じていた、パソコンも放置したままだった。
ここに越してきて2年が過ぎようとした頃、ご近所さんに眼科が開院されて(それまで別の眼科医院にお世話になっていたが)あまり期待を持たずに開院された眼科医院へ行き、検査、治療、手術、などなどを繰り返し、そして今年6月の初めに「医療用、コンタクト」にたどり着いた。
それはまさに「奇跡が起きたように」見えるのだ、この世界の光輝きを、痛みもさほど感じないし、太陽の陽射しは確かに眩しいけど、外に出て深呼吸が出来る、あの薄暗い闇の世界ではない光、なんと言葉にすればよいのだろう・・・
今年は年明けから体調の悪さとなぞコロナの恐怖におびえながら、必死でこの地域に溶け込もうとして頑張ってイベントへも参加していた会も、いきなり断ち切られて「孤立感」が深く、相方さんとふたり散歩も難しくなる。
そんな中の光だ、私は信じられない思いの中でパソコンを開けた、諦めていたわがブログにたどり着けたそして、なぞコロナから逃れたくて、毎日がブログにのめりこんでる日々・・・
だが、眼医者様から言われてる「コンタクトは一時しのぎだと」
コンタクトを外せば痛みと闇が隣あわせだ、毎回診療のたびに怯えながら「コンタクト」を入れてくださいとお願いしてる。
そして昨日が眼科診察日、私は手紙を書いた
「先生、私から光を奪わないで下さいと」
このままコンタクトをつけ続けさせてくださいと、気持ちの中では先生にすがりついて、土下座して、お願いして、もうしばらくはこのまま光の中にいられそうだけど・・・
いつまで許される事なのだろう、焦る気持ちが言葉をつくり、頭の中で囁く、あんなこと、こんな事が堂々巡りして、聞こえない耳が擬音と美しいメロディーを奏でて、昔帰りを繰り返し、今日も光が美しい
耳はわずかに残された聴力でもがまん致しますから、光だけは奪わないでくださいと祈る
命ある今をありがたく、感謝
昔帰りばかりしていた、最近、気持ちを切り替えて
今を語ろうか
若者ばかりに頑張れ、頑張ってとお願いしていてダメですよね・・・
まずは自分の身は自分でという事で
だけど、焼肉もりもり食べるわけにもいかず
毎日が玄米、カロリー計算、味なし野菜のわかめの塩気では生きてはいけない
こんな生活をしていたら、心までが栄養不足で死にたい気分になっていた
ありがたい事に、若き日のザバスとアミノバイタルが眼の前に登場して来て
これが、良かったのか、
死にたい気分もどこかへ消えた
お肉一切れ、魚一口、野菜は塩気なしでも食べられる
足りない栄養「ザバス」頼み、
アミノバイタル一本飲んで
さあ~出発だ、病院へ、お散歩へ今日は元気に歩けそう
朝、昼、晩と、
どなたかさまに、頂きました、
「中西圭三」さんのリズムにあわせて盆踊りかもしれないけど
すこし遅れて体、ふるふり、リズムにあわせるつもり
唄うは竹内まりやの「駅」
最近の私、頭の中でぐるぐる回って
眼が光をつかんでる
ありがたきかな「医療用、コンタクト」暗闇の世界から救い出してくれた
夢を希望と恩返し
明日も頑張りましょう
感謝の気持ちで、ひが暮れて
今日の話ではないのですが・・・
あれは確か7月末の事、私には貴重なお時間でして、お医者さん参りは、少し長めの待ち時間をこらえて受診も終わり外に出たら急に冒険心が芽生えまして、ふらふらとまだ未知の世界に行ってみたい気になって、なにしろ、この街に越してきて2年と半年だからまだ歩いてない道がたくさんある。
私にとって貴重な自由、深呼吸して、なぜかうれしくなるわけで、帰宅時間が遅くなっても言い訳が出来るわけだから、好奇心むらむら、冒険心満々、で~歩きだしたまだ見ぬ街へ、家とは逆の方向へ、
歩き出しはるんるん、だが目当ての家電屋さんは現れないもうこの辺のはずなのに、で、しっかりマスクをつけて恐る恐るやわらコンビニへと入り、わかくイケメン?の店員さんに聞いてみるが、私が行こうとしてるお店は無いそうで、別の家電量販店を教えて頂き、あと10分くらい歩いたところだと、丁寧に地図らしきものまで書いてくれた、ありがたい、こんな婆ばのために貴重なお時間を使わせてしまい、悪いから私には食べられないサラミソーセージなど買い求め、地図の示す方向にあるけど、歩けど、目指すお店は出てこない、そこでまた、マスクをつけて勇気を出して、お尋ねしてもまた10分くらい歩いてとお答えが、そんなことの繰り返しが3回か?4回・・・
歩きました、歩きました、杖つくババは完全に迷い道でございまして、何処をどう歩いたのか、いまだになぞでございまして、やっと、たどり着いた「○○の家電量販店」では、わがパソコンの謎侵入者対策は無理だとのと答えにうちのめされて、疲れ切って、タクシーに揺られてなんとか無事に帰宅したけど、わが相方には、まだ、言ってないので・・・
その夜、なぜか変、体温計は38度をさし、慌てて濡れタオルで冷やしたら、35.9度になって、考えたら、あまり水分とってなかったし、暑さも感じてなかったけど、確かに気温は30度越えしてたはと、あれはやはり、熱中症だったのか?
いい年いたババがお灸をすえられた一日の出来事だった、ちなみに、今日の病院行きはタクシー、電車、タクシーでのほぼ一日、待ち時間ばかり長い、けれど、ひとさまには触れない、距離を保つ事に専念、ぶじ帰宅して、一休みして、今頃の時間にブログ更新でございます。
ご安全に、こあんぜんに、誰かの真似してるババのブログなんて、若者はみないだろうが、平和を祈り、考えよう・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はパタゴニアかアラスカ、どっちかな?
私は携帯電話(スマホ)を持たない人間です、その価値観も分かりませんので、情報はテレビだけです。
以前は本や新聞を見て私なりの考えを持って行動していました。
昨年の今頃は耳は左は全く聞こえない、右だけが健康な人の3割くらいしかきこえていませんし眼は「いずれ失明すると宣告されていて、今年の6月くらいまで眼が見えなかり、少し見えたりの繰り返しでとてもブログをやれる状況ではありません、ただ絶望的な日々を1年半ほど自問自答の日々でしたから、今、このようにブログ更新出来る事はやはり私にとっては奇跡ではと思うほどのありがたい事です。暗闇と言うのは本当に恐ろしく不安が増幅する事なのです。
本題まで前置きが長くなりましたね、
先日、テレビ番組で「渡辺恒雄。戦争と政治」と言う物を放送していた、私はみたい物はそのほとんどを録画して何度かに分けてみているのですがこの番組は一気見出来ました。けれど、答えがでませんでした。
渡辺恒雄さんはごぞんだと思うが読売新聞のそして野球の巨人軍ジャイアンツの人です。
今の若い方はスマホでサラサラと1日中使いこなして、どんな情報を見ているのだろうか、私はもう10年以上前から耳も眼も悪かったしそれほど携帯電話と言う物が必要性を感じてなかったので一度も持っていませんからその利用価値がわからない婆婆が生意気な事を言ってると、余計なおせっかいなのかもしれないが・・・
この「渡辺恒雄。戦争と政治」は政治に無関心で、kポップミュージックを好む若者にぜひ見て頂きたい、そして考えてほしい太平洋戦争後の日本がどのようなことがあって今を生きられるのかを戦争後の出来事を一つ一つ自分で考える事はとても大事なことだと思うし、今の日本ではそれが許されている素晴らしい事、世界の中で自分の考えを言えないし自分が人間であることさへわからない人たちがこの地球上にはたくさんいるのですから・・・
香港でのニュースをを見るたびに胸が痛くなります、人としての権利さへ奪われて・・・
太平洋戦争の前の日本がたぶんあのような事がおきていたのだろうと考えています。
私は何度も何度も絶望と死の淵をさまよいながら、生かされている身です、まだ何かをしなさいと言う意味なのだと受け止めて考えて、今、出来る事はこんなつたない言葉でブログを更新し、誰か一人でもこの私の思いが伝われたら、わたしの生きて行く意味があるのだろうと勝手に思っています。
このなぞコロナが収束したら、どんな日本になるのだろうか
戦争など無い、平和な日本でいてほしいと祈りながら・・・
(追記)
今日8月11日23時45分より再放送があるようです。
暑さとなぞコロナから逃げたくて
日がな一日ブログにのめりこんでる私
人間修行はつづいて、わが相方もあきれてるのか?
隣室とのしきりを占めると「ドアー開けとけ~」と言いに来る
わかってますです、私を心配してること、
ありがたいけど、私は今、孤独になりたいの
もう、充分我儘してきたけど、
まだ性懲りもなく、我儘根性出てきちゃう
お掃除だって、お料理だって、頑張ってるから
この暑さとコロナに負けて
ふたりで散歩出来ないけど
もうちょっとだけ待っていて
見知らぬ人ばかりこの街であなたも孤独なのはわかってる
ごめんね、嫌がるあなたを説き伏せて越してきたこと
もろ、もろのしがらみを断ち切りたくて
あの街を離れた事
私は後悔などしてないけど
あなたはきっと、辛い孤立感を我慢しているから
私に、人間修行させてるんだね
こんなにも大変な時代が来るなんて
想像も出来なかったから
ごめんなさい、無理させて
この暑さの中で自転車こいで
お買い物ご苦労様です
感謝してます
あなたが元気でいてくれて
もう少しだけ頑張ろうねふたりでね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相方の育ててるお花です(写真)
なぞコロナに恐れて半年が過ぎてそして今日は8月3日だなんて、
生きていれば、辛い事、悲しい事、そしてちょっとうれしい事もあったり
無駄に詰めが伸びるね~と相方さんと言い合ったり
ふつうに日常生活が送れることがありがたい
元気だった頃は今頃の時期はそわそわ、ドキドキ、気もそぞろ、頭の中は山に行ってた
数年前にあちらの世界に旅立ったAさんをふと思い出す
本当にたくさんの山へご一緒しましたね
中でもあなたが定年退職記念山行を私が計画して行った西上州の山(ごめん、山の名前忘れて出てこない)
あなたは本当に喜んでくれて張り切ってトップをリード、ザイルさばきもよかったです。
生真面目でちょっとだけ頑固さがあって、銀行マンらしさが今も私の眼の奥に記憶しています
私の方が先に山の世界を離れたけど、他の山仲間から愛されて頑張った事、知っています
それなのに理不尽にも病いに侵されて、それでも、頑張って、頑張って病いと戦った事も知っています
私は最後のお別れさへも出来ずにごめんなさいね
けれど、つらくて、辛くて、私の精神の弱さを恥ちゃう
私は今も頑固に生きてあがいてますが
いつか、あなたのいる世界へ行ったとき、笑顔で迎えてくださいね
あなたが居た街を離れてしまったけど、忘れてはいません
たくさんの感動と思い出をありがとうね
あの頃のお仲間とも今は会えない今日この頃だけど
それぞれの生き方で頑張っているみたいです。
あなたに頂いた山用の傘、大事に今も使わせて頂いてます
もう少しだけ、こちらの世界で頑張ってみますから
遠い世界から私たち仲間を見守って下さいね、よろしく
山の写真、西上州の物が出てこなくて、北アルプスですが、あの夏、やりましたね、やり遂げましたね
仲間5人で、上高地から槍穂高大縦走、荷物も重かった、長い歩きと岩場の連続で緊張もして、私はあの時すでに自分の体力の限界をかんじて、でもそれでも諦められなくて、数年後、冬の宝剣岳、木曽駒ケ岳への山行は
「ダメ押しの決定打」を悟る山行でしたが、山への想い恋こがれは、今なおつづいています。
この想いが私をしぶとく生きさせているのかもしれない。
山へは現実は無理だけれど想い描く憧れは持ちつづけていけそう、許されるよね。
日曜日夜、血圧が230にも上がって(いつもは100くらい)頭は痛い、気分が悪い、体の右側がどうも変で苦しくて
どんどん自分がわからない状態になって行くので、よろめきながら、病院へ電話して症状をつたえて、救急車で来るように病院の答えに従い、救急車をお願いして、病院へ運ばれました。
救急車に乗り込もうとしたとき、マスク、マスクはと救急隊員の方に言われ、あわてて持っていたタオルで口元を抑えて、そして隊員の方からマスクを受け取りつけました。
病院につき、いろいろと検査をして内科的には大丈夫だからと12時過ぎにタクシーで帰宅出来ました。
精神的に弱く我儘人間の私には、なぞコロナ、人間関係、しなくてもよい先々の心配が増幅していて、精神的に追い詰められていたようです。
あらためて思いました、救急隊、医療従事者の「新型コロナウイルス」の危険にさらされている事、本当に使命感と言う事だけにたより、辛く、苦しいだろう中を、存在な言葉を投げかける事もなく、私たち病人を守ってくださってる事、本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私のできる事は感染しない努力、感染させない努力で日々の行動に責任を持つ事で
医療従事者へのお礼になるのだろうか、感謝
(追記)
病の身
暖かき言葉
癒されし
明日の勇気
奮い立たせし
あまりにも、多くの苦痛に満ちてしまった地球
これから、どうすればいい
誰もが思う事だろう、地球は変だ、尋常じゃないと
争いと、不自由と、殺りくと、偏見、独裁者などなど
ニュースはもう観れないと重い心になる、けれど・・・
最近、見たテレビ番組で
「ぺスト、歴史ヒストリア」
ながい、ながい歴史の中で人間は現実を受け入れて
知恵を、賢さを、忍耐を、犠牲を、そして矛盾を乗り越えて生きている
ある国ではペストで死んだ自国の兵士を戦争の武器として敵国へ投げ入れて使う恐ろしい事もあったとか
まさかと思うけど今の世では無い事を信じよう
文明、科学、私にはわからない事だらけだけれど
自分のみは、自分で守るしかないのだと改めて思った
けれど、私は病の身、医療機関でお世話になることが多い
この大変な時代、私は守られていると実感して
医療従事者への感謝の気持ちでありがとう