今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

愛をこう人 1 (小説)改編版

2016-12-11 19:50:07 | 小説 愛をこう人 改編前版

愛をこう人(改訂)

つたない小説ですが、私には宝物です。
これを書いた頃の気持ちに戻れたらと思うけれど、今は無理なのかも?ふと読み返してみようと思う時がありますが、長文で今の私にはむずかしくて・・・
体調が眼が持たない、短めに編集出来たらと思い、改めて載せていきたいけれど、果たしてどこまで出来るだろうか、つづけての更新はむりかも、でも、頑張ってみたいです、よろしかったら、お読み頂ければ嬉しいのですが!どうぞよろしくお願いします。


   ☆  ☆ ☆


<愛をこう、人はそれぞれの胸の中に秘めた想い・・・>
<歳月は誰もが等しく過ぎて行く・・・>

(1)
走る車がさほど多くない平日の長野自動車道を佐久インターで降りて、一般道をゆっくりと走る・・・
爽やかな初秋の風が、少しだけ開けた車の窓から心地よく、久美子の頬をなでて行く、ひさしぶりに握るハンドルは心なしか、伝わり来る振動が腕に重く感じた。
今から向かおうとしている場所は、久美子にとって、故郷とは言いがたいけれど、私の育った場所である事は確かな事!

ひと月近く、束縛されて、見えない、心の自由を奪われているような、病院での限られた空間で過ごして、来る日も、来る日も、検査と薬に頼り、気に添わない病院暮らしで、久美子の体は予想していた以上に体力と気力が落ちていた、やはり、外の空気や、景色に触れられる事は、気持ちの良いものだ。
元々、久美子はどちらかと言えば、気ままな人間だ!

特に急ぐわけでもなく、すれ違う車も少ない、ゆっくりと車を走しらせていく!
久美子は今、何も考えずに、前だけを見て進む!

六十五歳の今日まで、平凡な暮らしを少しだけ、避けて、生きてきたのだろうか。
あの大切な思い出の中に入り、あの日に帰ってみる!

「幼かったあの頃、寂しかった日々」
「そして、孤独で、多感な少女時代」

そう、私は、十八歳の早熟な愛を感じた日も言い知れぬ不安と孤独でこの胸がつぶれそうな思いだった日々・・・

私がここで暮して、大人に成長して行った場所だ!
何かを、思い出そうとして、考えなくても、直ぐに浮かんで来る。

「私の大好きだった母のいた場所!」

久美子には無条件で優しかった母の姿は、もう、何処を捜しても見えないけれど、それでいて、いつも、私を見守ってくれる。

「遠い存在の母!」
『母の顔』
『母の姿』

あの優しかった母は、この青い空の何処かで私を見つけてくれるのでしょうか?
セピア色の思い出が描き出す写真のように、遠景の山々の姿も、どこか、古ぼけて見えていた、幼かった私と母の笑顔だけが懐かしくおもい出す、今、向かおうとしている場所は、特別で美しい感情にしてくれる私の大切な場所なのでしょうか?

ただ、寂しくて、悲しくて、貧しくて、ひとりの泣き虫な私の居た場所!
いつも母の姿を追い、懸命に母にすがった、辛い記憶だけが浮かぶ、私が育った故郷!

幼くて、孤独だった、あの子供の頃、私はいつもひとりだった、心が満たされる事のない記憶はただ虚しい!

けれど、あの人が、突然、私の前に現われた時、私の愛は全速力で走り出した、大きな愛に出会った時、未熟な私は変わってしまった!
私に愛の素晴らしさと苦悩をおしえてくれた人!

私の人生の全てを賭けて、愛した、切なく、激しい想いが私に混乱と狂おしい感情が生まれた!。
何もかもが未熟だった青春の日の出逢い!

『たった、十七歳の出逢い』

幼すぎた愛を貫く事を知った場所、そして、運命を変えた愛が私を虜にした場所!



愛をこう人 ・2 (小説)改編版

2016-12-11 19:41:16 | 小説 愛をこう人 改編前版


(2)
田舎道特有の細い車道は、くねくねと幾重にも曲がるカーブはその先の見えない不安と混乱する微かな期待を予感させて、ゆるい坂道は何度も繰り返しのぼる、やがて、見覚えのある風景が私の目の前を通り過ぎて行く、ハンドルを握る私に否応なく、迫り来る記憶、まばたきをした一瞬に、いつの日か、遠い昔に体験した苦い記憶も呼び覚ます・・・

メリーゴーランドに乗って、回転して行く、優しく揺れながら、移り変わって行く、風の波に泳ぐ世界で、夢の中のけしきが揺れて動くように、錯覚さえしてしまう、ぐるぐるとまわりながら、私の視界の中で、不思議な感覚が通り過ぎて行った!

柔らかい風と車窓から受ける少しだけつよい風が重なり合う感覚に、私は夢の中でドライブするような気持ちで楽しんだ、道の両側から色とりどりのコスモスの花が、今を盛りに初秋の光をうけ咲き誇る、美しい花の波を描き輝きながら、揺れて波打つ、かぜ色の悪戯!

走らせる車はゆっくりとした速度や震動が、とても気持ちよく、わたしの体につたわり来る!

「キラキラと輝く虹のように」

淡い帯状の薄絹をなびかせる風の仕草が美しい風景を絶え間なくつくり、ゆっくりと、通り過ぎて行く六十五年の私の生きた日々は、確かな鼓動として私に命を伝えてきた、今、久美子の心は、いい知れぬ切なさと共に自己満足感なのだろうか、ここで命が終わってもいいとさへ思える自分に気づく!

「突然の熱い想いと感情」
「ああ~なんて美しい」

この胸が一瞬、苦しいほど、キュンとなり、目頭が熱くなった!

曲がりくねった坂道を車はゆっくりと走しる、小さな台地に、久美子は車を止めて、昔の我が家があった場所を眺めてみた、幼かった頃、私はいつも母のそばを離れなかった、母はつねに忙しく働き、体を動かしていた人だった。

その母の後をついてまわり、私は母を困らせていたのかも知れない!
やがて、私がひとりで過ごせる頃には、母はこの世からいなくなった。

蒼ざめた気の弱い不安を隠して、私の顔は、見えないゆがみと似合わない大人げた眼差しをみせて、微笑む!
その寂しさを慰めてくれた場所があった!

いつ、どんな時に、その場所を知ったのか、誰かに、おしえられたのか、どうかも、忘れてしまったが、私には生涯、心の中で大切にしている風景がある!

『秘密の花園』

あの場所に行く、私は、夢の世界で、特別に母に会える気がしていた、確かに、母の姿は、見えないけれど、あの花園では、心に囁く母がそばにいて、話しかけてくれた!
長く、暗い冬がすぎて春、雪解けと共に、花園は、美しいピンク色の世界に変わって行く、子供だった私には、そのピンク色の花の名前は知らなかったけれど、大人になってから知った。

「桜草の花」

香しい匂いが母のにおいに感じて、雪解けを待ちかねて、私は、あの特別な場所「秘密の花園」へかけて行った!

十八歳になって、この地を離れる時まで、誰にも知られずに、久美子は通い続けた、久美子が夢見る世界、魂を自由に出来た、母の思い出と共に大切で忘れられない風景・・・

「秘密の花園」

夏は、真っ赤に熟れたグミの実をたべて、時を忘れて、過ごした、楽しい場所だった。
秋は、色いろどりの木の葉が、私に美しい絵の世界を描かせてくれた。

私が育った頃は、誰もみんなが忙しく働いていた、あの、私の父以外の人は、頑張って働かなくては、生きて行けない時代だった!

仕事の選り好みなどしていられない、貧しくて、ひもじさを満たすために、みんなが必死で働いていた、そんな中で、私の父だけは、異質な人だったから、子供ながらにも、父の姿に、戸惑いと嫌悪感を持って成長した!

六十五歳の今、私は別の世界へ旅立とうとしている、そして少しだけ先に行ってしまった、あの人に、出会えるのだろうか?
残忍なまでに、あの頃に立ち戻る、あの、くすんだ暗く古い粗末な建物が、私の感情を占領した、思い出したくもない!

「子供から大人へ導いた日々を!」
「やはりここは私の故郷なのですね!」

けれど、決して、懐かしさからの感情ではないと、久美子は心の中で否定してみた、長い時間をへて、この風景を観て、なぜ、こんな思いになるのだろうか、この地は、母との思い出と共に私の大切な場所だった!

「秘密の花園」は、もう、とうの昔に消えてしまった。
久美子が思い描いていた、所には、近代的で、洋風な邸宅が建ち、小さな公園が見えている、そして、見渡す限りに広がる、田んぼや畑に変わってしまったのでしょうか。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相変わらず、眼が痛い、どうすらぁ~いいのよの私的日々ですが、更新が出来たから、ちょっとうれしい!
時の間違いや、疑問に思う事もあるかも、ですが、お許しください。





愛をこう人 3 (小説)改編版

2016-12-11 19:40:32 | 小説 愛をこう人 改編前版

(3)
病におかされた今の私の体は否応なくむしばみ進んで行き、心も体も弱りきって、孤独に耐え抜いた今も、何かが足りなくて、どこかに何かを、置き忘れて来た気がする、まだやり残した事がある、そんな思いと、もう充分に頑張って生きた満足感がせめぎ合いながらも

「素晴らしい人生だったとも思える」

少しだけ混乱している私の気持ちは、はっきりとした、私の病気の観念がないような、病院を出てからは記憶と時に起きてくる激しい痛みが、久美子自身の今を思い出させて、こんな感情が、私を試しているのだわ?

これからの久美子のなすべき行動を現実に実行出来るのかと!
何かに問われている、そんな気もした!

「自分ではもうこれ以上の何の未練などない!」
「もう誰にも、迷惑をかけられない!」

そうかたく決心しての旅立ちだったはずなのに、このあまりに、美しい風景に、私は、なぜか、まだ、全てが終わったわけではなく、他のちからが、方法があり「生きる目的が出来るような気がした」

私には、特別なエネルギーが授かる方法が残されているように思えて、微かな、生きる望み、欲望が、この脳裏をかすめはじめている事に、久美子自身が驚いていた。
もう、この地には、会いたいと思う人もいない、久美子を暖かく迎えてくれる家族も、身内といえる人も、誰も住んではいない、父と母の眠るお墓を守ってくれる人のいない場所になってしまった。

けれど、こんなにも、久美子の育った、故郷が美しい所だったと、改めて気づいた、今回の旅で!
久しく帰っていなかった、故郷に来て、六十五年の歳月を生きた、自分をみつめている、今、自分の命が終りに近づいている事が真実なのかと、疑いたくなってくるほど、穏やかな時間が過ぎて行く!

久美子は、ここ数年の苦しみと孤独、痛みが、何かの策略にでもあったかのように、夢の中での事のようにも、思えるほど、久美子は安らいだ気持ちと少しだけ心が混乱する気持ちを意識して、遠ざけて、見ていたかった!

今、自分の中で起きている事を、そのすべてを受入れられるのだろうかと、再び問いかけていた。

「短く、儚い時間」
「人間、ひとりの人生は大自然の中では、一瞬の輝き!」

すべてが浄化された自分が、ここにいるのだと思いたかった。

思えば、ながく、ひとりで生きてきた久美子には、家族という存在はないに等しい、久美子自身の心の不安定さを、仕事に打ち込み、夢中で頑張っていた時期は、寂しさもさほど、気にする事もなかった。

時折、わけもなく感じた孤独感も、いつしか気づかないうちに忘れてしまうほど、日々の忙しさが久美子には喜びにさえ思えてしまうほど、偽りの自由に生きる事が、あたりまえの事のようにすごせていた。

四十歳を過ぎた頃から、時折、体調を整える事に時間が少しずつ長くなって行った事が、かすかな気がかりではあったけれど、いつしか、そんな事も、あたりまえの事と自分の中で消化して行った。
少なくても、あの突然の痛みが全身に走り、意識が遠のいて行く、あの日までは!

天と地の揺れ動く不快さと耐え切れない激しい痛み、引き裂かれ、砕けてしまいそうな体はやがて、すべて、闇の中で、私は消えてしまった。
「意識を取り戻した時は病院のベットの中だった」

それからの数日はまるで、私の体は次々とおこなわれた検査で全身が壊れかけて行く、そんな感覚で、ベットから起き上がれないほど、体調が悪く、完全に病人に変身させられてしまった!

少なくとも、私は、あの日までは元気で、日常生活の出来る体だったはずだ、仕事に支障をきたすほどの不健康な状態ではなかったと、心の中で、久美子は自分の体の変調に抵抗していた。

久美子は仕事をする時は、ひとりの社会人として、最大限、力を注いでいた。
ところが今はどうだろう、自分の気持ちとは推し量れない、不自由さが、私を支配している。
久美子自身、体調の変化を受入れられずに、もがき、苦しむ事も出来ない、不快感と気力の低下をいやおうなく実感して、落ち込んでいる。

つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気ばかりが焦って、痛む眼がよく見えないけど、更新出来て、少し安心、絵も描きたいけど描けない、不自由さを愚痴っても、出来る事に感謝だ!




愛をこう人 4 (小説)改編版

2016-12-11 19:39:56 | 小説 愛をこう人 改編前版

(4)
六十五年生きていて初めて体験した事だった、ひと月の病院での日々、心と体に重い荷物をくくりつけているようだった、ベットから起き上がる事がこれほど、エネルギーの要る事だったと思い知らされた。

あまりにもいっきに体力が落ちてしまい、情けない状態だった。
ひと月の入院生活で、それからの私の運命は大きく変わってしまったと感じた。
病院のベットの中で、私は、すべてのエネルギーの抜け落ちて行く夢を、何度も、何度も、みていた、説明の出来ない不安感と微かな体の痛みが続く・・・

時折、浅い眠りからめざめて、ただ、ぼんやりと、横たわるベットから視覚に入ってくる、天井の薄黒く、汚れたシミが、私に襲い掛かってきそうなほど、揺らぎ、動く怪物に見えてきて私は思わず、この体を緊張させて、硬く、小さく体を丸くして眼をとじて、通り過ぎて行く、恐怖感をやりすごしていた。

やがて、検査の結果が出たと、担当医は、無表情に伝える言葉に私は、不思議なほど、驚きも、不安も、怖さもない、私自身も無表情だった気がする、他人事のように聞いていた、体に起きている不快感とは別の人格があったのだろうかとさえ思える。

少し時間が過ぎて、ドクターの話した言葉、ひとつ、ひとつを思いだすように、自分の事として、現実に起きている事として、受入れるしかなかった。
それでも、病院の担当医に、私はわけの分からない事を心の中で言いかえして、抵抗を試みている私の体には!
「ガン細胞などより着くはずがない!」

ただ、そう自分につぶやき続けていた、それほどまで、私は現実を受け入れる事が出来なかった。

けれど、心の何処かで、無駄な抵抗だと、はっきりとした意識も、確かにあったのだと思う、久美子はあの激しい痛みで、意識をなくして病院へ担ぎ込まれるまで、時おり、酷いめまいが起きて、背中の鈍い痛みがあるだけで、四十年以上働きづめに働き、ひとり生きてきた自信があった、結婚もせず、いや、望まなかった、久美子の心にある、言葉に出来ない!
「あの人への深い想い」

消す事の出来ない、強烈な記憶が
『私のすべての感情を支配していた』

世間では一流だといわれた、杉丸商事に、短大を卒業して、事務職から始めて、商社員として、勤めて、定年をあと一年を残して退職した。

久美子が商社に就職した頃は、女性社員は、必ず、同じ職場の方々にお茶を出すサービスからが、最初の仕事の、決まりごとのように、その頃の久美子は、何もわからず、指示されるがままに、無我夢中で仕事をして、毎日が過ぎて行った。

世間一般での見方は、杉丸商事と言えば、海外でも知られている一流の総合商社だ。
もちろん、世界中の国々と取引のある会社だが実態は、封建的で
「男性優位社会で、学歴社会だ」

久美子が事務職を数年勤めていた頃に
「男女雇用均等法が制定された」

そんな中で、久美子が勤める、杉丸商事でも、名ばかりの、男女雇用均等法の実力主義を取り入れはじめていた。
けれど、まだ、まだ一握りの女性社員にだけ認められた、狭き門であって、一般の女子社員には「高値の花」だと思わせる、一流の大学を卒業した女性社員にだけ、認められた事だった。
事実、普通に女性社員のほとんどは嫁入り前の腰掛的職場で、結婚相手を見つけるための職場だと考える人も多かったと久美子は感じていた。

つづく





愛をこう人 5 (小説)改編版 

2016-12-11 19:39:26 | 小説 愛をこう人 改編前版

(5)
狭く、かたくなに、孤独に生きる世界での事、久美子はその頃、真面目に仕事をしてはいたが、それほど、仕事に対して情熱を持てなかったし、仕事に満足して生きてきたわけではなく、私学の短大の卒業だから、久美子は身のたけにあった、与えられた仕事が出来ていれば、それでよかった。

それでも、若く、情熱を持って、仕事に生きがいを持てた時期も確かにあった。

若さゆえに、性格的なのか無謀とも思える事であっても、全力で取り組めば、叶えられる夢をみる、そんな時期の事だった!

あれは、三十代から四十代にかけて、久美子は仕事や世の中の仕組みに強い矛盾を感じた出来事があった。

久美子は、何か、その頃の自分を変えたくて、ある企画書を上司に提出した。
だが、受け取りはしたけれど、久美子の企画としては、認めてはくれず、あろう事か、久美子の企画は、同じ職場の男性社員の提出した企画の物として企画は認められて、仕事として進められた。

久美子はなぜ、自分の考えた企画が他の人の物になってしまうのかを、抗議しても、簡単に拒否された事が、久美子の心を酷く傷つけて、人間不信になってしまうほど気持ちが落ち込んでいた。

その事があってから、何かにせきたてられるような思いと、自分の能力の有無がどれほどのものか知りたいと切実に思った時期があった。

それは、いつも、久美子の心を支配し、久美子の中心にいて、語りかける「存在」が苦しかった。

この「存在」を、もう、取り除いてもいい時期だと、その頃の久美子は思っていた。

その存在を排除出来るチャンスのようにも思えて、久美子自身を変えたいと願っての事かも知れない!

とにかく、久美子は生き方を変えたいと思う時期でもあったのだが・・・

眼に見えぬ存在
言葉を交わせぬ存在
心だけを大きくする存在
時として苦しい存在
未熟だったあの日の存在
ただ穏やかに生きて行く
時を重ねて少しだけ
大人になった私に
重い存在が心を支配する


久美子は故郷では、少しは名の知れた高校を卒業した。

その頃、可能な事であれば、東京の私立大学に行きたかったが、現実には久美子に深い悩み、苦しみもあった事、又、私学に行けるほどの経済力も無い事で、その頃の久美子は、自分の置かれている立場に流されて生きるしか自分の出来る事はないのだと、諦めていた。

日々、久美子の心を捉えて、離さない、姿こそ見えないけれど、早熟な愛が刻む美しい傷あと、炎のように、いつも心の中にいる「春馬」への愛に溺れそうな切ない想いも又、久美子の生き方・・・

その頃はすでに、母は亡くなって、姉夫婦が家を継いでいた。

そして、父の事を話さなくては、この物語は前へ進まないけれど、久美子が高校を卒業出来た事は、経済的な面や家庭の置かれていた状況を考えただけでも、奇跡的な事だった。

だから、久美子は、高校卒業と同時に、故郷を逃げるような思いで、松本に出て就職した。
その理由は、後につづることになりますが、久美子は十八歳の時に、久美子の人生の全てが決まってしまったのかも知れない・・・

それは久美子に与えられた運命のように、めぐりあう愛に溺れて・・・


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ、感性が元気だった頃、いっきに書き上げた、小説なので、今読み返して、あの頃の感情に戻れない淋しさを感じてるけど、これも、私の生きた人生だとおもいながら・・・


愛をこう人 6 (小説)改編版

2016-12-11 19:38:43 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (6)
松本に就職した久美子は、大きな秘密を持ったまま、誰に頼ることもなく必死で自活し、世間に対しても家族に対しても、普通の十八歳の女の子としての姿を装っていた、幼さを際立たせて・・・

他人が見る久美子は清純で、負けん気で、頑張り屋さんだと誰が見ても、そう思っていた。
何処にでもいる、十八歳の女の子として、仕事に、日常生活に、精一杯勤めていた。

けれど、久美子自身の秘密とは別に、久美子を悩ませていた事、必死で働き、節約して、ある程度の貯金が、お金が出来ると、父親か、姉から、まるで、その時を待ちかねていたように、お金の必要事が出来てしまったから、助けて欲しいと言って来て、久美子を落胆させた。

「なんとか、お金を都合して欲しい!」

実家から、家族から、逃れたいと願っていても、どうにもならない、しがらみがつきまとう。
久美子はそのたびにほとんど、無一文になり、ひどく落ち込んで生きて行く気力さえなくなる、辛い事だった。

その事情とは、どうやら、父が不用意に繰り返しする「借金」を姉は苦労して、尻拭いをしていたようだった。
そんな事も、一度や二度の事では済まなかった。
久美子の父は家族や他人の痛みなどに気づく人間ではなかったから、姉が久美子に助けを求めて来る時は、よほどの事情が出来た時のようだった!

そんな時、久美子は大好きな絵の勉強をしたい気持ちも、希望も目標まで奪われたような、絶望した思いになり、しばらくは久美子は、家族の存在を憎んで、家族の存在を消したいとまで思った、若くて激しい激情的なおもいになった。

そして少しずつ、少しずつ、絵を描く事への夢や情熱を無くして行った時期の事だった。

今、故郷として、この地に立ち戻り、六十五年の生きて来た歳月を強烈な想いと、途切れ、途切れに、ここで過ごした日々を思い出しながら、久美子自身の心に問かけてみた。

「私の生きた日々は素晴らしかったのかと!」

もう、誰も、お参りする人のいない、寂しく、置き忘れられた、父と母、そして、不確かな事ではあるが生まれて数時間で亡くなったと聞かされている、たったひとりの兄?の眠る、この小さなお墓に、十数年ぶりに、久美子は手をあわせた。

そして子供の頃に大好きだった場所、穂高の山々が、遥か彼方に見える場所、幼い頃、よくひとりで、歩きまわり遊んですごした

『秘密の花園』

すでに、あの、美しい風景は消えて無くなってしまったけれど、私の胸の中にはっきりとその場所は見えていてあるのだった。

私だけが知っている、あの美しい風景、今の時期は少し秋の色に染めて、久美子は、ゆっくりと歩きながらその風景を意識的に思い出し、ただ、久美子の中で、勝手にあの「秘密の花園」の風景は思い出としてあらわれては消えて行った。

心の中で描く、少し早い秋は、やさしく、美しく、久美子をあの幼かった日々へいざなって行った!



愛をこう人 7 (小説) 改編版

2016-12-11 19:38:07 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (7)
夏の終わり、「秘密の花園」は大好きなリンドウの花が一面に咲き、広がっていくひんやりとした風の波を幾重にも淡い秋色に染めて、美しい群青の世界が久美子を包み込んで行った。

現在も過去も私にとって、意味の無い、不吉な日でしかない事を忘れさせて、時間だけは等しく過ぎて行く。

故郷の風はやさしい
ゆっくりと走らせる車から
私の心を捉えた赤い実
太陽は秋の色に輝き
見知らぬ家のずずなりの柿の実
田んぼはこがね色をつよく彩る
しあわせな子供の笑い声が
姿を隠して聴こえた気がした



今の時代では考えられない事だけれど、明治、大正、昭和の初めまでは当たり前のことだった、いかにして財産を守ることが出来るかで、縁組が決まった時代だった。

久美子の両親は、父が二十一歳、母が十七歳の時に結婚した、母の両親の家は裕福とは言えない生活だったようだけれど、母はひとり娘だった為に、家の跡つぎとして、父は母の家に婿養子として入る事が遠い親戚であった、父の家との話し合いで、幼い時に、決まっていた久美子の両親の結婚だった。

父は男四人の兄弟の末っ子だった事もあり、甘やかされて、とても我儘な人間に育ったために、結婚してから母をとても困らせていたようだった。

久美子は幼くして、母を亡くしているので、両親の結婚した頃や若い頃の生活は、ほとんどわからないし、誰もおしえてはくれなかった。

それでも、何かの噂話のように、父と母のことを、聞いた時は、幼かった私の好奇心をそそる、昔の御伽噺を聴くように興奮した。

子供心にも特別に興味を感じた事として、久美子の記憶に残っている。

両親は、結婚して、何年目かで、久美子の上の姉が生れた、そして、次の年には久美子の下の姉がうまれている。

たぶん、生れて直ぐに亡くなったと聞かされている、男の子は、私たち三姉妹 の兄にあたる人なのだろう。

父は、結婚した頃に、当時、長野では、大手の運送会社に勤めていた。不確かな事ではあるが1930年前後の頃には、自分の会社をつくり、日本軍の軍属として、朝鮮半島にわたり、日本軍の備品を調達する会社を営み、結構な羽振りだったようで、久美子は、幼い頃に、父が酒によって、自慢げに話してた事!

『内地のだんなさま』
『内地の奥さま』

と、朝鮮の人たちに呼ばれていて、いつも多くの朝鮮の人が手伝いに来てくれたのだと、言って、昔を懐かしそうに、何度も話すのを聞いた事があった!

私は1943年に朝鮮半島のどこかでうまれた!!!

けれど、上の姉たちは日本で生れたのか、朝鮮で生れたのか、分からないまま、二人の姉は五十代の若さで、亡くなっている、若くして、久美子だけが、故郷を離れて、松本、東京と住まいや仕事を替えて、暮した事と、姉ふたりは、としごだったが、久美子は上の姉とは十歳、下の姉とは九歳も年齢が離れていた。


  つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

リンドウの花を描きたかったけど、眼がよく見えないので、何の花が描けたのか?
眼の状態は益々悪くなり、見えにくいけど、ブログは生きがいだから、つい、無理しちゃう
恥ずかしいけど、載せちゃって・・・


愛をこう人 8 (小説)改編版

2016-12-11 19:37:33 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (8)
久美子が大人になってからは、ほとんど、姉たちとの会話もなく、滅多に、姉妹が親しく会う事もなく、母が三十七歳で亡くなった事で、上の姉も、家を守るために、たった一度、見合いの席で会った人と、姉の意思など、関係なく、否応なしに、結婚させられた。

父は四十三歳の若さで、妻を亡くしてから、ず~と、独り身で通したが、久美子の目で見ても、母に対しての気持ちでも、なんでもなく、ただ、ダメ人間であって、かっこつけた、言い方をすれば、世捨て人だ!

「いわいる、生活破綻者だった!」

私は、朝鮮で生まれて、二歳三ヶ月で、日本に引き揚げて来た、もちろん、その頃の事など、私には、記憶にはないが、私は、小さい時には、とても体が弱くて病気はかりしていた為に、とても痩せていて、姉たちは元気で遊び、結構太っていたような気がする。

だから、姉たちにあまり似ていないこともあり、父や親戚の大人たちは、時折、からかい、面白半分に言われた事がある。

「おまえは、朝鮮から、拾ってきた子」
「引き揚げて来る時に、かわいくて」
「朝鮮の港で、小ちゃな赤ん坊が」
「弱弱しく、泣いていたから」
「かわいそうなので、拾って連れてきたんだ」

そんなふうな言葉で、言われて幼い頃育った。

もちろん、大人たちの面白がる、冗談だと分かっていても、久美子は、かなり大きくなる時期まで、この事が、とても気になる事だった。

そして、成長するにしたがって、元気な健康な体になり又、父の顔や性格に、姉たちより、私は特に父に良く似ているし、母や姉たちと同じところに、豆粒のような小さな赤い「アザ」があったりして、間違いなく、本当の両親で姉妹だと言う事を、久美子自身が、納得出来た事だった!

本当の親子で、姉妹なのだと、久美子は、密かに、自分自身で安心した気持ちになれた。

父は若く、血気盛んな頃、朝鮮にいた時代は、お金に不自由のない生活して、たぶん、父の願う、思いどおり、希望する生活が叶えられた。

小さな会社の経営者として、人を動かし、人の上に立つ魅力を味わってしまった。
たとえ、小さな組織であっても、父を持ち上げて、へつらう人たちがいた!

朝鮮での暮らしや立場は、父を有頂天にして、愚かな甘い日常が、人としての本当の価値判断を狂わせた!

父の、その後も、甘い人生は日本に引き揚げて来ても続くものと思いちがいしていた!叶わぬ夢をみ続けた一生だったのだろうか?

夢ばかり見る、生活破綻者としての怒りと弱い者への向けられる暴力にかわった、嫌われ者でしか生きられない、精神の弱い人間だったのかも知れない!

そんなふうに、思った時、この私は、性格など、父に一番似ていると思う、暴力など、振るわないけれど、精神の弱さや生き方の選び方が嫌になるほど良く似ている!

とりわけ、母はその父の怒り、やりきれない思いを暴力というはけ口に変わって行き、受け止めさせられていた、姉や久美子は子供心に、父の存在は恐怖でしかなかった!

私の記憶の中で、今も体が硬くなるほどの怖い、化け物にしか、見えなかった、嫌な思い出だ!

朝鮮から日本に引き揚げて来る時、お金や何一つ価値のある物は持ち出せなかったとかで、ほとんど、身ひとつの、着の身、着のままの悲惨な状況での帰国だったようで、長野の父の故郷での生活は、幼かった私も、つねに空腹に耐える日常だった。

今、久美子は、ふと、幼かった日々を思い出しながら、あの出来事が否応なく、鮮やかにうかんでくる、まだ十六歳の私は、男性の事など、多少の興味がある程度であった頃!

それは突然の出逢いで、始まった、それでいて、あまりにも大きくて

『衝撃的で、忘れられない出来事!』

久美子の家は、父が結婚した時に、父の実家から、渡された、山と少しばかりの田畑があったが、両親が朝鮮に渡っていた事で、それらの財産を、他の兄弟が、半ば強制的に横取りした状態になっていた。

元々、多くない財産を、長男が引き継ぎ、他の兄たちは、分家して、少しばかりの財産を分け与えられていたが、その誰もが、家族を養えるほどの物ではなかったから、分家した者は長男の家、すなわち実家の手伝いをして、何がしかの物を与えられて、やっと家族が生きていける生活だった。

だが、父は、その頃では珍しく、少しばかり、頭が良かったとかで、勉強も出来るからと、父の両親は、無理をして、旧制松本中学校へ通わせ、卒業させて、そして、長野の運送会社に父は勤めた。

その何年か後に、国の要請で、父は朝鮮半島に渡って行ったのだった。


   つづく


愛をこう人 9 (小説)改編版

2016-12-11 19:36:50 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (9)
久美子には、両親がどのくらいの歳月を朝鮮で暮したのかは、あの時期を知る両親、親族も知人もいない今となっては、知る事も出来ない。

けれど、終戦まじかの昭和二十年春に、日本に引き揚げて来たが、父の故郷では、私たち家族は、歓迎されない人間たちだった!

父に与えられたはずの山や田畑は、どこにも無くなって消えていたのだった!
実の兄弟たちを信じていた父は、親から与えられた、わずかばかりの財産を兄たちは横取りしていて、一部は他人に売りわたして、お金に換えてしまい、もちろん、お金など残っていないから、父の手に渡される事もなく、父、そして、私たち家族は、引き揚げて、故郷に着いた、その日から、生活に困窮した!

父の兄弟であり、久美子には、伯父に当たる人たちには、私たち家族は、ただの、邪魔者でしかなかった。目障りなだけの弟の家族だった!

父は、なんとか、住む場所だけは、実家のある村はずれの小さな家を確保して、父は家族を辛うじて、守った。

歓迎されず、会いたくない「存在」であっても、血縁者である事は、その地域の人間であれば、誰でもが知っている為に、父は、兄の家族が住んでいる実家へ、時として呼ばれて、出向くが、その度にいつも、露骨な言葉で嫌がらせを受け、ひどい扱いを受けていたようだった。

もちろん、久美子自身は、その頃は、一番小さな自分がなぜ、父の実家へ、何かとお使いさせられるのかが、不思議で、子供ながらも!

「気が重い事だった!」

その頃は、父の両親は、すでに、代替りをしていて、なんの権限も無くしていたし、祖父は、久美子が余り覚えの無い時期に亡くなり、祖母だけが、隠居所に住んでいて、私は、祖母を良く尋ねて行った。

祖母はいつも優しく私を迎え入れてくれて、今、思えばあまり食べものがなかったにもかかわらず、わずかなお米やサツマイモなどを、伯父さんに隠れて、私に手渡して、くれていたようだった。

父の兄たちは、祖父が亡くなった事で、なおさら、父に譲られた、財産をかえす事も無く、そ知らぬ顔で、益々父は、兄弟の中で孤立した状態になって行った。

生活の厳しさや、伯父たちの酷い仕打ちに耐えきれず、心がゆがみ壊れた父は益々、母に対して、暴力をふるう、その姿は私たち姉妹の父に対する憎しみさえ、生まれていて、恐怖感だけが大きくなって行った。

そんないびつで、大人たちに対する恐怖精神を持って、私は成長した日々だった。

父の苦悩
耐え忍ぶ母
幼き日に私が見た
生きる事の難しさを
今、思う
父と母の生きた日を

けれど、久美子には、とても大切な思い出があった。
私たち、三姉妹は、母が何度か、つくってくれた。

「特別な、お菓子を忘れる事が出来ない!」
「宝物の思い出がある」

とりわけ、食べ物は、子供にとって強烈な印象を植え付ける。

子供の頃に口にした味は、忘れられない!
「特別に美味しいと記憶して残されていた!」

父は、時々、仕事をしても、ほとんど、生活費を母に渡す事がなかった。
父がどんな仕事をしていたのか、どれほどのお金を稼いでいたか、久美子は父が働く姿をあまり見たことがないし、分からなかった。

けれど、父には何か、得意な事があったようで、時々、何処からか、仕事を頼まれる事があって、出かけて数日は帰宅しない日が、極まれにあった。

ただ、良く覚えてはいないけれど、幼い頃に、私たちが住む地域の村祭りの時、舞台の上で、うたを歌っている姿を見たことがある。

たくさんの人が拍手していた事!

周りにいた大人たちが、父を褒め称えていたような、かすかな記憶があった。

私たち母と子は
「父のいない日は、特別な日だった!」

そんな日は、母に甘えたくて、私たち姉妹は、駆け足で家にいる母のそばへ急いで帰った。

姉たちは学校から、私は、外で、ひとりあそびをしていても、姉たちの普通の日とはちがう事を感じ取って、母にすがりつくように、家に帰った、
「かすかな記憶がある。」

そして、母と四人でおしゃべりが出来る事がなによりも特別に嬉しかった。

母は、あまり、普段はおしゃべりをする人ではなかったけれど、父がいない日は、私たちが母に、思いつく、すべての事をおねだりした。

何よりも、あの怖い父がいない事がうれしかった。
久美子や姉たちは
「父さんは、大嫌い!」「父さんは、帰ってこなければいいのに~」

たしか、そんな事を言ったように覚えている。
けれど、その時は、母にすごく、叱られた!

お父さんは、とても、とても、お仕事が大変なのだから、そんな事を言ったら、罰が当たりますよ!
今は、怖いと思うかも知れないけれど、いつかきっと、お仕事が上手くいって、たくさんお金をいただいたら、

「あなたたちに、お土産を買って来てくれますよ!」
と、母はいつも言ったけれど、
「でも、父がお土産を買ってきてくれた事は一度も無かった!」

父がお土産を持って帰ってきた、そんな、嬉しい思い出は私たち姉妹には無いけれど!

そんな父に対する記憶は久美子の中に一度も無かったけれど!
「いや、一度だけ、あった!」

  つづく



愛をこう人 10 (小説) 改編版

2016-12-11 19:36:06 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (10)
私が幼かった頃、あの時代、あの頃はまだ珍しい物だった。
「あんぱん!」

たった、ひとつだけ、父は家に持ち帰って来た、そのあんぱんを、お釜で、炊き立てのご飯の上にのせてふわふわになった、
「ひとつのあんぱん!」
そのあんぱんを、母は嬉しそうに、私たち三人の娘に三等分わけて食べさせてくれた。
「宝石のような思い出があった!」

あの頃の思い出は、今となっては定かではないけれど、三つに分けられたあんぱんの一つを手に、私は夢中で口にほうばりながらも母の姿が鮮やかに思い出す、今、思うに、あんぱんを三つに分けるとき、母の手ゆびには、微かなあんこがゆびについたのだろうか?

母は私たちがあんぱんを食べるのをみながら、ゆびをなめている母の姿、久美子はそんな母のその時まで私たち子供の前でみせた事のない別の母の姿だったことが強烈に、鮮やかに思い出される。

今、私は人生の終盤を生きている、あの時の母の姿は人間としての本能があらわれていた瞬間の姿だったとおもえるのだった。

母は、いつも、父にどなられて、殴られていても、悲しみを苦痛を顔の出さず、いつも父の味方をして、愚痴ひとつ言わない事が、なぜなのか、久美子には、大人になるまで、不思議で、不満だった!

父の気持ちなど、分かろうとはしないし、わかりたくもない、父に味方する、母のそうした言葉が姉や久美子にとっては、長い間寂しい気持ちを持ち続けていた。

けれど、たった数日、仕事で父のいない、のんびりと安らいだ気持ちでいられる事がただ、うれしかった!!!

私たち姉妹が幼い頃はとにかく何も無い時代だったけれど、極、わずかな、かぞえるほどの、特別な思い出だけれど、母が、私たちにつくってくれたお菓子がある。

「特別に、甘く、美味しかった、お菓子!」
それは、黒砂糖の塊に天ぷらの衣をつけて、油であげた物だ!

衣が、茶色になり、美味しそうに、ふんわりと膨らんできた時、取り出して、熱々を食べると、中の黒砂糖がとろ~り、とろけて、甘くてとても美味しかった。

黒砂糖の塊は、大きさが同じではないので、私たち姉妹は、競い合いながら大きい物を取り合った。

でも、母は叱る事もせず、ただ、にこにことえがおで、私たちの姿をみていた。
たくさんのお菓子をつくれるわけではなかった。

たぶん、あの頃は、黒砂糖も、貴重品だったはずだ、母は、どうやって、あの黒砂糖を手にいれたのか、わからないけれど、私たちは嬉しくて、特別な事だった。

母のおしえも母に伝えたい事も
あまりにも短すぎた時間
暖かな母のぬくもりにすがる
時は意地悪なまでに母を遠ざけて
私から奪い去って行ってしまった


     つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体調が悪い、眼がダメの日がつづいてる、そんな中で「剣岳」の絵を描いてるけど、何処までが仕上がりなのか❓判断できない、でも、描ける幸せを味わえていい・・・はたして、ブログに載せられるだろうか?



愛をこう人 11 (小説) 改編版

2016-12-11 19:35:02 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (11)
母は、松本の町育ちの人だった。
幼い頃から、親同士の決めた相手として、母は、どんな思いで父と結婚したのか!
久美子には理解出来ない事だけれど、父や母の時代は不思議な事ではないのかも知れない。
「結婚する当人の意志よりも、親の考えが優先された。」

母は、父の故郷に来るまでは、おそらく、農作業などした事が無かったはずだ、それが、私たちを育てる為に、農繁期には、他人の家の仕事を頼まれて、どんな仕事でも、何でもして、手間賃を稼ぐ生活だった。

この地方では、田植えや稲刈りを、その地域の人たちが総出で、いっせいに行うのがつねだった。

母は、その人たちに混じって、言われるがままに、一生懸命に働いていた。

地域の人たちは、それぞれに、自分の田んぼや畑の作業を持ち回りで行う事で、手間賃を出さずに住む。私の家には、田畑が無いために、母は、わずかな手間賃やお米や野菜でもらい、それが、我が家の生活の糧、貴重な財源であった。

苦労知らずで育った母だったが、父と結婚したばかりに朝鮮に行き、なれない外国暮らしをした、そして日本に帰って来て、なれない農作業をして、子供を育てるしかお金も食料もなかった時代だった。

そんな母の姿を見ている父は、少しも、母をねぎらうどころか、ともすれば、いためつけるようにさえ、幼い頃の久美子には見えていた。

相変わらず、仕事をせずに、父は寝転がりながら、本や新聞を読んでいる事が多かった。

時には電気代を払えずに、電気を止められて、ろうそくの灯りで生活していても、父は働こうともせずに、ぶらぶらと過ごしていて、母に文句や不満を言っては、困らせていた。

そんな、ろうそくの薄暗いあかりでも、時には父は本を読んでいたりする。

「本の中には、いろんな良い事が書いてある!」
「お前たちも、本を読んで、面白い事を考えろ!」
「学校では、教えてくれない事も書いてあるぞ!」

私たちに言ったのか?母に対しての言い訳なのか!

父は思い出したように、こんな事を言ったりもした。

そして、極、たまに頼まれた仕事で出かけて行って、働いて得た、お金を、父は、ひと晩で遊び、使い切って帰って来る、そんな時の母はとても悲しそうに!

「泣いているように見えた時もあった。」

けれど、母は愚痴を言う事も父に対して、働いてくださいと言う事も無かった。

いつも穏やかで静かな母で、私たち姉妹は、よほどの悪い事やいたずらをしない限りは叱られる事も、叩かれる事も、母から受けたことが無かった。

ただ、他人に迷惑をかけたり、他人の物を黙って使ったり、取ったりした時や、嘘を言った時は、母は、いつもの母ではなかった。

ひどく叱り、そして、いつも母は、なぜ、その事が、いけない事なのか、私たちが分かるまで、許してはくれなかった。

だから、久美子は、あの頃から、悪い誘惑に迷いそうな時でも、たいていは、母のあの姿を思い、浮かべながら「善と悪」について、考える事が出来た。

母の言葉で、忘れられない言葉がある。

『貧乏は恥ずかしい事ではない!』
『誰かを恨んだり、憎んだりする事は、恥ずかしい事!』
『苦しい事は、神様がいつか助けてくださる!』

私たちに、そう言って、聞かせてくれた、今、思えば、この言葉は私たち姉妹への教えでもあったけれど、母自身への苦しみを耐える方法だった気がする。

とても、きれい事過ぎるかも知れないが、久美子は母が言い残したこの言葉が、心の片すみにいつもあった。

母のこの言葉を守りたいとも思って生きて来た。母が亡くなった時、私は幼すぎて、たぶん、母が残してくれた、言葉や思い出のひとつ、ひとつを、美化しているのかもしれませんが、これらの言葉や思い出は久美子の寂しさを癒してくれた事は間違いの無い事実です。

けれど、私の中に住む、別の思いが「悪魔の囁き」として聴こえて来る!

「人生は短い、悔いの無い生き方をしたい!」
「好きなように生きていかなくては、嫌だ!」
「我慢ばかりの人生なんて、つまらない!」
「多少の我儘は、今の私の有益になる!」
「私は自由だ、誰にも束縛されたくない!」

どこか、虚栄して、狂想した感情は、別な人格の存在を疑いたくなる滑稽さで自分をみる。
ふと、そんな相反する矛盾な思いも又、心の片すみにあった、私という人間だ。

     つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

挿し絵は「美しき人」を、似てないけど載せちゃった。
小説の内容とは関係ないので、挿し絵書きたいけど、描けない・・・



愛をこう人 12 (小説) 改編版

2016-12-11 19:34:23 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (12)
常に、自由気ままで、働くことを忘れた、家族の事など、考える心を持ち合わせぬ、この我儘で自分勝手な父の血が、間違いなく、この私の中でうごめいていると嫌悪感と共に感じる瞬間があった。

久美子は、父を呪いたい思いがありながらも、確かな、親子関係を確かめていた。

今、人生の終りの時を迎えて、久美子は、そんな父の姿が懐かしくて、恋しくて、会いたいと、なぜか思う事もある、この頃だった。

呼び合う魂
満たされぬ親子の血
互いを避けようと
もがき苦しみながらも
わが父の存在
あまりにも自由
あまりにも破綻した人間
私の中で聴こえて来る
誰よりもそばにいる
近い父と私の存在

父は相変わらず、仕事もせずにただ本を読んで暮らしていては、突然いなくなったりする事が多くなった。

誰かに、何かを、頼まれたわけでもなく、家を空けることが多くなっていた。
村の人の父のうわさ話で、私は、はじめて知った言葉!

「放浪」

そんな言葉があることを知った、まだ、小学校に入学していなかったと思う、何歳頃の事だったか、あまりにも小さく、幼かった時だったから、けれど、自分の父親の悪口なのだと、気づいて、言いようのない悲しい気持ちだった。

村の人の意地悪なつげ口、子供だから分かるまいと、まるで面白がるように、私に言って聞かせた。

「少しばかり、頭が良いからって!」
「おめえのおやじは何を考えてんだが~」
「上の学校を卒業したからて~」
「わざと、難しい言葉つかって!」
「無学もんをばかにしてんだ~わ~」
「親切ごかしに、しゃべくって~」

私の父は昔から、なにを考えているか、分からない、人間なのだとか・・・

「放浪癖」
「又、あの罰当たりな男は!」
「馬鹿が出て来て、まったく困った奴だ!」
「おとなしい、お母ちゃんが気の毒だ~」
「子供もいるのにね、困った男だ!」
「色恋沙汰をおこすわけでもないのにね!」
「でも、どこで、何をしてるのか、わからないよ!」

久美子は、子供心にも、意味も分からずに、腹立たしくて、悔しくて、父が誰かに、なにをしたというのだろうと、とても悲しくて、いやな気持ちだったと思う。

お酒を飲むのが大好きだったようで、出かけて何日かして、家に帰って来る時に、父はお酒に酔っていた事も結構多かった。

いつもの事ではなかったけれど、酔っている時に、母に対して、暴力を振るったりする、そんな父の姿が久美子はとても嫌だったし、怖かった。

そんな父の生活態度を、母はいつも黙って、見送り、少ない手間仕事で、家族を支えていたが、 「ある年の稲刈りの頃!」

突然に起きた、出来事が子供心にも不安で怖かった、あの時!

私は、母が働いている田んぼのあぜ道で、遊びながら、母の仕事が終わる時間まで、待っているのが、私の日常だった。

今、正直に言えば、子供の卑しさで、母のそばについていれば、なにか食べられる!
おやつを貰えるのが嬉しかった気もするし、なにより母と一緒に家に帰れることが私は嬉しかった。

その日も、母と一緒に、何か、おやつを貰って食べていたのだと思う。

午後のお茶休みの時に、突然、母は気分が悪くなり、吐き出しながら、苦しがった、とても、我慢強い、母のこんな姿を、私は見たことがなくて、うろたえて、泣きながら、母にすがった!

すこし、落ち着いた時に、仕事をやめて、近所のおばさんに支えられて、私と母は、家に帰ったが、その時も父は家にはいなかった。

私はどうする事も出来ずに、悲しさと不安で、 「ただ、怖かった!」

なにか、とんでもない事が起きそうで、怖かった!

数日が過ぎた頃に、父は帰って来たが、母の寝ている姿を見ても、さほど、驚きもせずに、母の隣で、父も寝転んでいるだけだった。

実際のところは、私は、六歳くらいの子供だったし、父がどんな思いだったのかは、分からないが、病気で寝込んでいる母の隣で、ただ寝ている父の姿が、久美子をよけいに、父が憎らしく感じて、不安な気持ちにさせたように思った。

そのあとの事はあまり覚えてはいないけれど、しばらくして、母は病院へ入院した、その日から、何ヶ月か経ったある日、母は病院で亡くなり、家には帰ってこなかった。

上の姉は確か中学の三年だった、下の姉は中学の一年で、姉ふたりが交代で、病院にいる母のそばにいられる事が、久美子は、ただ羨ましかった。

父は、母が、入院してから、やっと仕事を始めた、父は、何処かの会社に勤めているのだと、姉がおしえてくれた。

だから、母が入院してからは、ほとんど家に父は帰ってこなかった。

姉たちも、交代で、病院へ行ってしまい、いつも私は、ひとりで過ごしていた。
「久美子は、寂しくても、がまんして!」
「一人で、留守番をするのだよ!」

上の姉は、そう言って、急に母の口真似をしているように、大人びた、口調で、久美子へいいおいて、いつも忙しがって、出かけて行った。

久美子は、母に会えない寂しさと、自分を誰もかまってくれない事の不安と母に会いたい思いで、いっぱいになり、怖くて仕方なかった。

そんなある日、朝起きても、誰もいない、久美子だけが家に置き去りにされたような気持ちで、悲しくて、寂しくて、怖くて・・・
「ただ、母に会いたかった!」

隣町の病院に入院している母に会いたくて、久美子は、ひとりで、行こうと決めて、汽車に乗るためのお金を、家の中の引き出しを全部捜したけれど、汽車賃が足りるほどのお金はなかった。

仕方なく、歩いていこうと、考えた。

あいまいなきおくだったけれど、上の姉が、町の親戚に行くときに、久美子を連れて、歩いて町まで行った事があることを思いだし、あの道を、歩いて行けば、きっと、母のいる病院へ行けると、久美子は思った。


      つづく





愛をこう人 13 (小説) 改編版

2016-12-11 19:33:39 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (13)
姉に連れられて行った、あの時は、それほど、遠いとは思わなかったし、町の親戚の家では、お祭りで出された、ご馳走をたくさん食べて、久美子は、大好きな「ぼたもち」をお腹いっぱい食べた事を覚えていた。

あの時、姉について歩いて行ったけれど、姉が常に久美子の手を握ってくれていた事とお祭りの事が楽しくて、何の不安もなかった。
姉とふたりで歌を歌いながら歩いた町への道!

どんな歌だったかは、思い出せないけれど、久美子は誰かにおしえてもらった、覚えたての流行歌を得意げに、歌いながら歩いた。
姉も一緒に歌ってくれた。

何度か、繰り返し、歌った頃に、町の親戚の家に着いたような気がしていた、だから、親戚の家まで行けば、きっと、母のいる病院はすぐ近くだと、勝手に決めつけていた。

朝起きて、ちゃぶ台の上に、サツマイモが一本置いてあったので、それを、かじりながら、久美子は歩き出した。

村の道で、誰か知った人にあったら、きっと、何処へ行くのかを、聞かれると、子供ながらも、何か、いけないこと、悪い事をするような気持ちでいたので、誰にも見つからないように気をつけて、歩いた。

村から急いで山道を走るように、歩いたけれど、姉と歩いた道のはずが、見覚えのある景色は、何処まで行っても現われない!

広い大きな畑道になったり、木がいっぱい並んだ、少し暗い林が続いて、久美子の不安な、記憶にないけしきばかりだった。

小さな峠道を何度も越えて、なぜか、同じようなけしきが出てくる。

そんな時、久美子は、昔、ばあちゃんに聞いた、狐が化けて出て、綺麗なお花畑に誘いこむ事を思い出して、怖くなったが、家に戻る道も分からなくなっていた。

すると、本当に、お花が綺麗な場所が出て来た、きっと狐が久美子をばかしているんだと思い、走って通りぬけようとしても、なにかが追いかけて来るように思えた!

久美子は、怖さもあったが、きっと、この山道を越したら、ぜったいに町に出られると、強く思い込んで、必死で歩いたが、山道は何処までも続いて、時々、名前も知らない綺麗な花がたくさん咲いているかと思ったら、突然、雪がふって来たように見えた、益々、久美子は混乱と怖さに震えてしまった。

ふと、あのやさしい母の顔を思い浮かべては、母の顔の方へ必死で走り寄るが、そこには、母はいない!母の顔も消えてしまった!

そんな事を何度も繰り返して、どのくらいの時間が経ったのか、分からないまま、久美子はただ、山道をひたすら歩いた。

ある峠に着いた時、遥か遠いところに見える山並みが、うっすら白い雪景色で、夕陽なのか、朝日なのか、久美子にはもう、判断がつかないほど、今、自分が、何処を歩いているのかさえ、分からないけれど、今まで、見た事のない
『美しい景色だった』

久美子は、その美しさに、今までの悲しい気持ちや怖さを忘れてしまいそうな、ワクワクして、楽しい気分になっていた。

嬉しさと、心が悲しくなるほどの綺麗な山の景色だと感じた!

そして、光の線を幾重にも流れるように、眩しいほど、銀色に輝いて、山並みが揺れ動いていて、見ているすべての景色を照らしていると思った、瞬間に、暗闇が被い久美子をおそった。

「怖い思いだけが、久美子の体中を縛りつけた!」痛くて体が動かないほど、真っ暗やみになった。

もう、手も足も痛くて一歩も足を動かせないほど、
「怖くなった!」
「体中がなにかにぐるぐる巻きにされているように!」
「痛くて、動けない!」

まるで、久美子のいる場所は、谷底だと思えるほど、何も見えなかった。久美子は、ただ、うずくまるしかない。

今、この場所には誰もいない、久美子を助けてくれる人はいないのだ。

久美子はここで泣いては、化けものか、鬼が来て、食べられてしまうと、本気で、あの時は思った。

だから、声を出さずに静かにして、息もせずにいればきっと、化け者も、鬼も、暗闇で見つけることが出来ずに、諦めてくれるはずだと、勝手に決め付けて、我慢した。

やがて、息も出来ないほどの怖さと、疲れや不安で、久美子は気を失ったようで、久美子が気づいた時は、何処かの家に寝かされていた。

お坊さんらしき人が、久美子の顔を覗き込んでいた。
久美子の顔をじっと見ていた見知らぬ人は久美子をどうしようとしているのだろう?

夢のつづきなのか、現実の事なのか、きっと、化けた狐の家に取り込まれたのだと思った!
「このままだと、化け物に食べられてしまう!」
本当に恐ろしかった!

久美子は、怖くて、眼をあけられずにいると、お坊さんらしい人が優しく声をかけてきた。

「お嬢ちゃんは、何処から来たのだい!」
「この辺では、見かけない子だけどね!」
「こんな夜中に、何処へ行くつもりなんだい!」

まさか、人さらいの悪い人に連れられて来たのかい!
お嬢ちゃん、ひとりなのかな?
そんなふうに聞かれたように、覚えている!

久美子が答えられずにいると、次々と、聞いて来て、何をどう話せばよいのかが、分からずに、久美子は、ただ、じっとしたまま、怯えていた、はじめて見る、この家が、化けもの屋敷なのだと、その時の久美子は思い込んでいた!

      つづく


愛をこう人 14 (小説) 改編版

2016-12-11 19:32:57 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (14)
しばらくは身じろぎもせず、眠ったふりをして耐えているしかなかった。

誰なのかわからないが、この家?には久美子を知ってる人がいて、お坊さんに、久美子の事を話してくれたようだった。

やっと、久美子は、ほっとした気持ちになった。
「今夜は、ここで、ゆっくりと眠るんだよ!」

お坊さんが言った、明日、誰か、大人のひとに、頼んでお母ちゃんのいる病院に連れて行ってもらうからね!
「とてもやさしい口調で言った。」

久美子は少し、うとうとしたあと、もう我慢できずに、起きだして、ひとりで出かけようとした時に、めったに会う事もなかった、父の兄である、伯父さんが迎えに来てくれた、急いで走るように伯父さんについて歩いて、久美子は、伯父さんと、母のいる病院に着いた。

母の病室に入った時、父は、ぼんやりと久美子を見て!
『母ちゃんはもう・・・』

そう言ったが、久美子には、父がなにを言っているのか、
『分からなかった!』
『理解出来なかった!』

病室には、ベットに寝たままの母と、そのそばについていて、ぼんやりしている父がいるだけで、姉たちは何処へ行ったのだろうと、不思議に思った!

そのあとの事は何も覚えていない、ただ、普通ではない怖さで、どうしたらいいのか、
『母の声が聴こえない、母のそばに行きたい!』

大変な事が起きていると思いながらも、母のそばに行きたいだけだった。
幼かった私は、そのあとの事は何もおぼえていないし、わからなかった。
「母の最期の姿を何ひとつ覚えていない!」

母が亡くなった事を理解出来たのは、ずっと、ずっと、後のこと、私には長い時間が必要だった!

母は、何一つ、良い事もなく、楽しい事もなく、幸せだった事も無く!
「三十七歳の若さで、亡くなった!」

「十七歳で結婚して、初めての子供は生まれて直ぐになくなった、その後、立て続けに、姉ふたりを生んで、何年か後には私を生んでくれたが、なれぬ外国暮らしをして、やっとの思いで、日本に引き揚げて来ても、生活破綻者の夫に、何ひとつ文句も言わず、従い、そして、暴力に耐えた。

母は、あまりにも幸せの薄い人生だったと、久美子は、ずーと思っていた。

けれど、幼かったあの頃には、分からなかった、母の気持ちを久美子は、成人してから、少し、母の想いや、何が幸せで、人生や、幸福とは、いろんなかたちがあり、他人には、はかり知れない事なのだと思う。

母の短い人生にも、ほんのわずかな、小さな幸せを感じた時期があったのだろうと、思ったりもする。

「久美子も、又、誰にも理解せれぬ愛を生き抜く!」

母が亡くなって、数年は、父も、人並みに、残された家族を守り、働いて、お金を得るようになった。

けれど、上の姉が、母が亡くなった後は、私や、家族の母代わりになって世話をしてくれて、母が亡くなった時、上の姉、ミキは、十六歳、下の姉、鈴子、は十五歳だった。

そして私は、良く覚えていないけれど、たぶん、六歳か七歳の頃に母は亡くなった。

姉ミキが二十歳になった時、突然、結婚して、姉のお婿さんである、義理の兄が出来た。

そして、その頃には、姉、鈴子は松本に出て、就職していた。

だから、父は、又、元の生活破綻者に戻っていた。家を預かる、義理の兄がいて、姉がいて、何の心配もないと考えた父は、以前にも増して、ダメな人間になっていた。

母のいない寂しさが、なお、無情でダメな人間にして行った。

時には、ひと月も家に帰らず、何処で、なにをしているのかもわからぬ、放浪して歩く人間になっていた。

父がどんな人間であれ、義兄は、働き者で、姉はその点だけでも、幸せだった、私は、性格的に、父と似たところがあり、特に母が亡くなってからは、とても気むずかしい子供になったようで、姉を困らせていたようだった。

学校が大嫌いで、行きたがらず、手を焼いていたと、大きくなってから話してくれた。

特に体が弱い、よく熱を出し、お腹も壊しては、食べ物も贅沢をいった、好き嫌いの激しい子供だったようだ!

その頃は、どこの家庭でも、肉よりは魚をよく食べた。

それも、川魚が主だったから、私は、あの魚の生ぐさい臭いがとても嫌いだった。

その頃の贅沢品は、缶詰だった、肉を甘辛く煮たものが好きだった。
私はその缶詰を、お腹を壊すと、決まって、
「肉の煮たのを食べたい!」

そう言って、義兄の仕事帰りに買ってきてもらう事が、決まりのようになっていた。

今思えば、牛肉ではなく、鯨の赤身だったようだが、その頃では、贅沢な食べ物で、特に、田舎での事、義兄が町に出て、働いていたから、出来た事だった。


        つづく




愛をこう人 15 (小説) 改編版

2016-12-11 19:31:51 | 小説 愛をこう人 改編前版

 (15)
義兄は、とても、人間的に出来た人だった。
私たち家族を大事にしてくれた。

姉夫婦に結婚二年目で、男の子が生れた、その日の出来事は、私には、忘れる事が出来ない複雑な思いになる出来事だ。

子供を生む事も、お産も、あの頃は、家で済ます事だったから、狭い、田舎での事、お産婆さんもいない村!

姉は子供が生れるその日まで、良く働き、家事もこなしていた。
父は、相変わらず、何処かへ行っていないし、義兄は仕事で留守だった。
姉の陣痛が始まった時には、私と姉だけしか、家にはいなかった。

だから、急に、姉が苦しみだして、私はどうすれば良いのか、ただ、心配するしかなくて、慌てていると、姉は苦しみながら、隣村にいるお産婆さんを、急いで呼んできてと、私に言い、伝える事がやっとだと思えるほど、苦しそうだった。

私は、姉が言うままに、お産婆さんを呼びに行って、お産婆さんと一緒に戻ると、姉はもう、赤ちゃんを一人で生んでいた。

しわくちゃな、血まみれの中で、赤ちゃんは、大きな声で泣いていた。

もう少し、お産婆さんがおそかったら、どうなっていたのだろうと、あの時の驚きと混乱した自分を思い出すと胸の鼓動が激しくなる緊張した思いになる!

生れた赤ちゃんは、可愛くて、私はとても嬉しかった。
姉夫婦も子供と私とを分け隔てしないように、気をつけていたようだったが、なぜか、私は気持ちの何処かで、寂しいような、姉を取られたような、不安定な感情だったかもしれない。

「その後、赤ちゃんは元気に育つはずだった!」
けれど、誰もが、信じたくない、不幸が起きた!

赤ちゃんが、まだ、小さくて、幼かった頃に、突然の病気で亡くなった。

私には、どういう事だったのか、わからないけれど!
私の日常は、それを境に、大きく変わった、学校へ行きたくない、などと、姉を困らせる事も出来ないし、姉が許してはくれなかった、たぶん、子供心に、私は姉の辛さを知ったのだろうか?

家族の中では、なにも変わらないように見えていたが、久美子の居場所が無いような、ぎこちない、息苦しさを感じるようになっていた。

姉は、益々、仕事をたくさんして、家事もきちんとこなしていた、私たちの母がしてきたように、田んぼや畑の手間仕事だったが、姉も、本当に良く働いた、だから、我が家は、母がお金で苦労したのとは比べられないほど、生活は豊かに私にはみえていたのだった。

少なくとも、食べ物が無くてひもじい思いはしないで、暮せていた。

おかげさまで、私は、義兄と姉の稼ぎで、成長して、県立高校にも通わせてもらっていた。

そんな時に、ある日、突然、父は、今まであったことも無い男性と、その人の息子を連れて帰ってきた!

父の説明だと、今まで、行方不明だった、父の腹違いの弟だそうで、歳は三十代で、その息子が六歳だと言う事だった。

祖父も、とても変わった人だったようで、若い女の人に生ませて、祖父が亡くなるまでは、何かしかのお金を送っていたのだと言って、父は、なぜか、自慢げに話している事が、久美子には不思議だった。

その頃は、すでに、祖父も祖母も亡くなり、伯父たちは、そんな事など知らないとして、兄弟として、認めようとせず、付き合いもなかった。

ところが、どんな、いきさつで、父は、歳の離れた、腹違いの弟を見つけて、心を通わせたのか、私たち家族も、伯父たちにも、理解出来ない事だったが、むげに追い返すことも出来ないと言って、心優しい義兄が、この家で一緒に住んで、生活の基盤を立てる事はどうかと、提案してくれた。

この事が、私の運命が大きく変わっていく出会い!
『この伯父と私は!』
この時、お互いの心にどんな力で、つながっていたのだろうか!


 つづく

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このところ、眼の調子が悪くて、辛い日々です、???なところが出てくるかもしれませんがお許しください、いつもお読み頂けて感謝です。