今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

グレード ジャーニー、人間の起源(似合わない事書きますが)

2020-08-27 14:35:28 | 山、人、幸せな出会い

眼に良くないけど焦ります、突っ走ります。

テレビでは今、世界中のいろいろな争いごとが報じられてる、ひとつ、ひとつ、考え悩んだところで何の役にも立たないけど・・・

昔、観た「グレード ジャーニー、人間の起源」を思い出した、関野吉晴さんというおしゃさんが、人間の起源の地、アフリカ大陸から、南米パタゴニアまで、自転車で、人間が進化し旅に出た一歩から終着地パタゴニアにたどったドキュメンタリー番組だった。

私はこのような番組は大好きだったから毎回録画をして何度見たし、山仲間にも観て頂いた、今もおそらく家のどこかに眠っている・・・何を書きたいのか頭が混乱してくるけど、ようは、人間同士、地球人同士争ってる場合ではない、この連日の猛暑で、つくづく思う、地球が壊れかけてるとそれもかなり加速して・・・

地球人同士でこの地球を守る事を話し合わなくては、青臭いかもしれないけど、太陽系のひとつの星、いつから人間の優位がついてしまったのだろう、アフリカ大陸で人間が誕生した頃は同じだったはず・・・

昔、お偉い学者さんが言っていた、砂漠は人間が作り出した物だと、くしくも昨日、録画していた物をみて、日本の縄文時代は20000年以上もつづいたのだとか、おそらく、恐竜とも遭遇していた頃もあったのだろうと、思いをはせて、その頃の人間は生きるために食べて、それ以上は欲張らなかっただろう、そして、人は進化という現実にめざめ、他人の物をほしがるようになったのだろうか・・・

今、新コロナウイルス、これもまた地球上の進化か、それとも人間の欲望が作り出した物なのだろうか、

世界中が鎖国されていて、楽しむための旅は出来ない、私は本当に良い時代を生きられた、今、海外に旅したい方には申し訳ない思いだけれど、パタゴニアへの山旅も経験させていただいた、いつか、コロナが収束した時は行きたい国へ行けますように祈っています。


私はやはり人の運にめぐまれて・・・あるご夫妻の物語(追記あり)

2020-08-15 20:28:00 | 山、人、幸せな出会い

今日、8月15日は終戦記念日ですね、75年前、私は1歳でしたから、それに東北の山奥で育ち、父親はのんだけれで、あまり仕事をしない人だった。母が寝る間も惜しんで働き生活する、私は物心がつた頃にはたまに家にいる父が、「内地の奥様」と母を殴りながら言っていたことが、気がかりのひとつでした。後でわかったことですが父親は家族を連れて朝鮮で日本軍の仕事をしていて、その頃が父の人生でおそらく一番華やかだった、昭和20年の春に朝鮮から引き揚げて、帰国、かなりあったという財産は持ってかえれずわずか身の回りの着がえ位だったと、誰かに聞かされたことを、そして母が42歳の若さで亡くなった。

何処で観たのか忘れてしまったけど「北川民治」という画家の絵(たぶん本)を観たときに自分でどんな目的だったか忘れてしまったけど、東京へ行かなくてはと思った事だけは確かなことだった。

東京で仕事をしていた中で、あるご夫妻に私はなぜか優しくされた、そのご夫妻は父母とおなじ位の年齢だったこともあり親しみを感じたのかもしれないけど、とにかく私は優しさに飢えていたのかもしれない、旦那さんはいわいる学徒動員で戦場駆り出されて「シベリア抑留」を何年も耐えて帰国後大蔵省(今は財務省かな)お勤め、奥さんは専業主婦だったと思うが、なぜ私が知り合いになれたのか、どんなきっかけだったのか思い出そうとしても思い出せないけど、

何度かご自宅に招待していただきご飯を食べたがどんなものだったのか記憶にない、けれど、旦那様は物静かで、奥様はケラケラとよく笑う人だった、

ただ一度だけ、私の仕事はどんな事をするのかと聞かれた旦那様に、私は正直に答えて、小さな印刷所だから、外回りから、工場での印刷まで何でもやっていることを話したのを記憶している、何年のお付き合いだったかご夫妻からは一度もシベリア抑留の事、戦争の事は聞いた事がなかつた、

ただ、読んでいる本の事などを話した記憶がある、あの頃の私は生意気にもロシア文学に惹かれていて、読みかじっていた、特にプーシキンの詩が好きで読みかじった、好きなところだけを読んでいた、そんなことをたぶんご夫妻に話していたのだろうと今になって複雑な気持ちになる、私の憧れたロソア文学の世界と今のロシアは全く別の価値観なのだろう、プーチン大統領は生きている限り自分が大統領でいるつもりみたいだから・・・

考えてみると、海の向こう国々は何をしたいのかわからない怖さに満ちている、日本の若者よあなたの肩には多くの歳よりが乗っかっているのだ、そのじじ、ババは、良くも悪くも頑張って、頑張って、今のにっぽん国をつくってきた人々です、平和を守り、美しき日本でいられるかは、若き、君たちに託すしかないのだから・・・

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追記

青春の日のある日、東京大学のまえの通りの小さな画廊で本物「北川民治」画家の絵を見る事が出来ました、あの独特の画風にであえた、そして何十年もすぎて、長谷川恒男さんの(登山家)事務所のスタッフさんのお一人が北川民治」さんのお孫さんと美大一緒に学んだと聞いたときは驚きと懐かしさと、偶然なのか、必然なのか、ひとのめぐりあわせの不思議さを感じた、そのスタッフさんも今はこの世界にいないお人になりました。

私だけがしぶとく生かされている事のいみを常に考えてしまいます、まだ何かをしなさいと神という存在があるのであれば、何をすればいいのだろうか・・・

 


人生の分岐点、私は人の運に恵まれて・・・(追記)

2020-07-17 09:23:20 | 山、人、幸せな出会い

毎日が忙しくて、それでいて、体が動かなくて、100年にいや1000年に一度ぐらいかもしれない、天災なのか、人災なのか、あまりにもたくさんの事がありすぎて、76年生きていて、今、わが人生を振り返ることが多い。

父は戦争でおそらく人生がダメになってしまったのだろう、父からの教えは何も無い、母は苦労つづきで42歳の若さで死んだ、私、18歳の時突然現れた「北川民治」という画家の絵(たぶん本)を観た瞬間になぜか、東京へ行こうと思った。

何かの縁で住み込みで働いた印刷屋さんのご主人夫妻はとても教養のある方だったので私はおそらくたくさんの影響を受けただろうと出会いをありがたく思っている。

少しずつ、少しずつ過ぎて来た時間を思うと本当にたくさんの人と出会い、私に影響を与えてくれたと思う、中には傷つけて意地悪する人もいたけれど(その時は死にたいと思うほど苦しかった)今となってはどんな方法で乗り越えたのか忘れてしまったけど、一度や二度ではなかったけど、やはり今、生きていられるのは誰かの一言で救われて前を向いて生きて行こうと勇気を頂いたのだろう。

山歩きは子供の頃から好きだったから、友人とまたひとりで低山歩きが多かった、結婚し、こどもが生まれてからも家族で年に2~3度は山歩きをしていたが、私は「長谷川恒男」さんという登山家との出会いが人生の大きな分岐点だったと、あれほど山を想いのめり込んで山に行き、やまに行く為に働き子育ても、家事も出来るだけ頑張って、したがって睡眠は足りるはずもなく、元々私は基礎体力がない、頭も悪いし(登山は賢さが必要)登山技術もまるでダメ、そんな私が山を恋し、想いだけが先走る歳月だった。

いまのよで

かいせぬおんを

ありがたく

後の世思い

平和祈りて

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写真はネパールの山旅の物、山の名前?になってしまって・・・

(追記)

昔のフイルム写真のスライド用フイルムがたくさんあるのですが、捨ててしまってもよいのかまたなにか利用できることがあるか、迷ってますよい使い道があるのだろうか、教えて下さい。

 

 


ヒマラヤの勇士たち (今年も快挙です)

2018-05-25 11:03:08 | 山、人、幸せな出会い


今年も近藤謙司さん率いるエベレスト登山隊は無事、快挙を成し遂げて、ベースキャンプ地を離れて、下山中だそうです。
悲しいニュースも聞いていたので、隊員、スタッフの皆さんご無事で下山して帰国できますように祈りながら・・・

下の記事(私のヒマラヤへの想いを詩にかいたものです、今は眼や耳が悪くてなかなか文章も書けないけれど、ヒマラヤや山への想いは消えないでしょう、あの風景を思い出すだけでもこの胸が熱くときめきます、
以前に書いたものですが・・・

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大自然に身を任せて
けっしておごることのない心と
白き峰に宿る神々への敬意
はやる思いと一歩前に進めるための呼吸
そのどれもがひとつの歯車となり
高みへ届く願い

一瞬の風は嵐を連れてくる
いつ通り過ぎるのかを読み取る力
それは迷いのない精神を身にまとい
高き宇宙からの無音の声をきく
ひとり、ひとりの魂と神々の会話
あまりにも透明な世界がつくる領域

えらばれし者だけがその地に足跡を残し
栄誉ある喜びと歓喜を称えよ
それは幾多の苦難を身ずからの課題として
喜びに変える努力をする勇気
ヒマラヤはいつも変わらずにそこにいる
だが時として見えぬ神々はヒマラヤを覆い隠す

今、この時が、そうなのかもしれない
ヒマラヤの勇士よ
又、再びの喜びの日を祈ろう

神々が与えし命に感謝

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<写真は、近藤謙司さんよりお借りしたものです、今年のエベレストです。>





まだ、まだ、だよ!の声が・・・

2017-03-10 15:15:57 | 山、人、幸せな出会い

  (今も、ウルタルの谷を見渡せるホテルに飾られてるのだろうか、山の師、長谷川恒男さんの写真が)


もう、25年が過ぎたのだろうか

少し痛む足を気にしながらのさんぽ道、少しの坂道を歩きながら、ふいに思い出した
<まだ、まだだよ!>
あの懐かしい声が聴こえた

昨年が、ウルタルで亡くなって25年だったけれど、昨年のうちに私の山の師である「長谷川恒男」さんの思い出の記事を書きたいと思いながらも言葉をつづれなくて、心が重かった。

師との山行はいつも強烈で、私にとっては体力も登山技術も限界を超えた山行ばかりだったが、そんな私の持つ能力以上のものを引き出してくれる、言葉に出来ないほどの感動をいつも与えてくれた、たくさんの忘れがたい思い出と経験だった!

特に、師との最後の山行は「槍ヶ岳、北鎌尾根」だった
5月の連休明け、長い長い歩きと重いリック、眼もくらむような雪壁のトラバース、重いリックを背負いながらのアイゼンでの岩壁登攀の連続で恐怖感と体力の限界を超えていたのか<幻覚>を見るという経験もはじめてした、あの時、「善と悪」の区別が出来ずに、ただ、この重いリックを何処へ捨てようかと思いながら歩いた記憶!(捨てる事もなく下山したけど)

長く、苦しい山行も終わり、上高地で重いリックをおろしてトイレへまっすぐ歩けずよろよろしていた私を見て、同行者が「Tさん、だいぶ疲れてるようね!」と言った事に

師は「まだ、まだ、だよ!」との声が聞こえて

あの日以来、私はどんな困難にであっても<まだ、まだ、だよ!>の声を思い出しては懐かしく、励まされてきた。

あの日から、25年の歳月が過ぎ、今、私は眼と耳の機能がわずかに残されて、足も手も不自由さはあるけれど、さんぽも出来るし歩ける、一日が幸せで穏やかに暮らせてる。

たくさんの山での感動と経験は私の生きて来た道、私という人間が存在した証なのだろう・・・
まだ、まだ、だよ!
この声が聞こえた時
切なさと共に生きる勇気がよみがえる
私が今、精一杯頑張れる
そんな、思い出の声だ!


世界遺産「サガルマータ」

2016-10-31 15:50:05 | 山、人、幸せな出会い

昨日、
懐かしい映像を見た
「サガルマータ」
エベレストの別名だ

テレビ番組「世界遺産」で
憧れの山
「ナンダ・デビ」をちょっとだけみれた
近くまで行ける機会が2度あったけど直前で行けなかった
今も憧れてる・・・

気がかりな想い

2016-01-30 11:50:07 | 山、人、幸せな出会い

今にも冷たい雨から
白い雪に変わりそうな
寒い朝です

こんな日はどうしても
気になってしまう

私はあの頃とは
違う姿になってしまったけど
この心はいつだって
あの頃のまま
四兄弟のままで
大切な思い出へつながる

 ☆

あの日から
ながい、永い、時がたってしまったね
私は旅の途中
君たちは大切な場所で
出会ったのは奇跡
なんの躊躇いもなく
共に同じ時を過ごした出会い

今、私は、
君たちが平和の中で暮らせていると
そう願う事、

遠い地の今を
日々、耳に届くイスラムの嘆き

あの日、共に過ごした
優しい時間の永遠を
願い、祈ります



眼の痛さと思い出写真

2016-01-29 11:50:07 | 山、人、幸せな出会い

わが愛しのカメラとお別れだね
きょうのように
寒さが身にしみると
やけに昔が思い出されてね
胸の奥までが切ないよ

あと何年
私は眼の痛さや
耳の不自由さに
耐えられるだろうか
きっと、きっと
大丈夫さ

この寒さがすぎて
また春の日を迎えて
こんな美しい世界を
夢見て
そして生きて

残された君の贈り物
たくさんの花や山
どんな風景にも
絵に出来そうだ
今日は少しだけ
希望にかえて

眼に感謝しよう
記憶の中で
美しく咲く
出逢いがあって
心が優しくなれたね

遠い日に記憶した
山での感動を




偶然、そして出会いと喜び(映画、の・ようなもの)ロケに

2016-01-19 11:57:03 | 山、人、幸せな出会い

偶然の出会いから、今、やっと、公開中のようですね、2014年の9月22日に、わが街のさんぽ道でロケをしていた時の奇跡の出会いから、こんなことを書いてました。

下の記事はその時のことを書いたものです。

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今日のさんぽみち
なんだかうれしい出会い
心が弾むひと時

言葉を交わすだけで勇気が出る

かわりのない日常で出会う偶然は奇跡
言葉を交わす喜びが今日の奇跡をみる
痛む足が少しだけ軽くなって偶然と奇跡になった

名も知れず別れても穏やかさが行く道を照らして

早秋の陽が眩しさも
嬉しさに変えたひとときの出会いに感謝

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今日の散歩道で映画のロケが行われていた!
なんのイベントがあるのだろうと人がきの中でキョロキョロと私は見なれない風景に興味津ぶかく、近くの人に話しかけて、迷惑もかえりみず言葉をかけてしまった。
「の、ようなもの」?何度聞いても覚えの悪い私は映画の題名が間違っていたら、ごめんなさい!!!



心だけがパタゴニアへ

2015-12-28 11:04:07 | 山、人、幸せな出会い

世の中は、年の瀬、年末で
大掃除やら、お買い物やらで忙しそうだけど
我が家はというか、私はいつもと変わらない日常だ

お掃除も出来ないし、おせちも作れないし、食べられないから
納豆生活が続きそう、大好きなおもちだって、のどに麻痺が少しあるから食べられないし
お年賀の客は、丁寧にお断りしてるから、おそらくはこないだろう
まあ~寂しいと言えば、寂しいけれど
私自身は孤独さにも慣れ、結構幸せな生き方だと思うけれど
わが相方はどう感じてるのだろう・・・

体は日常と変わらない暮らしだけど
この心だけは、元気だったころに思い出帰りしてるのだろう

昨日のニュースでニューヨークは22度の暖かさだったとか
世界中が、どこか変だ!

おそらく、私が昔、山旅した、パタゴニアもあの巨大な氷河が解けて地形が変わるほどだとか

カラコルム(パキスタン)、ヒマラヤ、アラスカ、南米(ボリビア、チリ、アルゼンチン)
ヨーロッパアルプスなどで氷河はたくさん観たけれどパタゴニアで観た氷河は特別な美しさだった。

今、思い出に浸りながらも、眼の痛さであまり言葉にできない事が残念で切ないけれど
個の思い出があればこそ、生きる勇気を感じて、幸せだと思う。



夢と現実、パタゴニア

2015-12-28 11:03:07 | 山、人、幸せな出会い
クリスマスの時期になると
どうしても、心がうずく

そんなわけで写真を見たくなりさがすが
どうやら、山を諦めた時
くるしくて、山の写真をだいぶ、処分してしまい
パタゴニアでのたくさんの写真もその中にあったようだ
今、おもえば、本当にもったいない事したものだ

でも、数枚がパソコンの中で輝いてた

写真を頼りに
パタゴニアの思い出を手繰り寄せてみる

けれど眼がよく動いてくれない
悲しさで
何処まで、言葉に出来るだろうか?

パタゴニアへの憧れは
不思議な夢の中での出会いだった

今も不思議だが
あまりにも鮮やかな風景を
夢の中でみた

その時はまだ、どこにある風景なのか知らなかったが

数年が過ぎたころ
映画<彼方へ>で
あまりにも
夢の中で出会った風景と同じようで
一瞬のうちに虜になった
パタゴニアだった

その後
パタゴニアへにたどり着くまで
長い、長い、時が必要だった

たくさんの想いが
よみがえる、今日この頃

ひとつ、ひとつ、言葉につづれたら良いのだが・・・
焦らずに
自分らしく、
幸せな時間を
思い出をつづろうか




遠い道

2015-12-28 10:57:25 | 山、人、幸せな出会い

私の行く道は果てしなく遠い
なんだか、何処かで聞いたような言葉だけど
今の私の心境だ

行く先の見えない迷路にはまったようで
どちらの道を選べば
少しは気が楽になるのだろう

いや、迷ったところで
立ち止まっては
いられないのだろうか

一歩でも
前へ、前へ
せめて気持ちだけでも
希望を持ち
この道を進もう

たとえ
暗い森の中の道

何処か不安で
出会いたくない
けもの道だとしても

心呼吸して
自分に言い聞かせて
大丈夫だと心をさとす

そんな出会いも
あっていいのかもしれない
この道の先に希望があるのなら




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きおわずにすすめたらいいな~