今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

人間修行と希望と、(写真、かえました、この山に)

2020-07-31 15:56:07 | 南米の旅

先日救急車にお世話になって

幸いにも、そのあとは落ち着いて来ている私ですが

精神が弱く、我儘な人間には

生きて行くのが大変だ

でも贅沢な事と思いながらも

相方さんの頑固さは日を追うごとに強くなるみたい

右と言えば右で従い

電気ついてたよと言えば、あ~そう、ごめん(本当は貴方だって忘れてるとき多いのにと)

でも、今は恩返しの人生だから

がまん、我慢で、人間修行

希望を持って

夢がある

ふと、ボリビアの山旅での記憶が

よみがえった

もうおそらくはあの世界に会えることは出来ないだろうけど

私の人生は後悔も思い残しも無い

素敵な時間を過ごせたのだと

自分の心に言い聞かせて

隣室の人にありがとうねと言ってみる

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追記

ボリビアの山旅ではたくさんの想い出がありすぎて、でも、私の体は4000mをすぎるとたちまち高山病になります。

ボリビアの首都、ラパスの空港は4000m以上の標高が高い、私はもうボリビアに近ずく飛行機の中から高山病になりはじめて20日ちかい滞在のほとんどを高山病に痛めつけられる苦しい日々でした、頭痛、気分が悪い、など、最悪は周りの風景が真っ赤なに見えるのです(血の色)それでも歩く歩いて、5700mまで登れましたがここでストップがかかり私だけが現地のスタッフさんとベースキャンプまで下山になり、他の人が登頂を果たして下山してくるまで10時間ほど誰もいない荒野に一人テントの中で待ちつづけてみんなが下山してきたのは夜中、真っ暗の中遠くからヘットランプの明かりが一つ、またひとつと・・・

私は登頂出来なかった悲しみと共にみんなが疲れ切って帰ってきた姿に感動もし涙声で「お帰りなさい」言いながら手を振り続けていました、暗闇の中で・・・


何も、何も、なにも

2020-07-26 16:33:53 | 雨音らしく


何もしない日があっていい
何も出来ない日があっていい
何も頑張らない日があっていい

何も苦痛だと思えない日があっていい
何も不自由だと思わない日があったらいい
何も感じないボケッとした日があっていい

何も焦らず、ゆっくりと時間だけが過ぎていけばいい
何も誰にも気づかれず孤独な日があっていい
ああ~何も、ああ~何もかも虚しくても

しぶとく、しぶとく、生きるんだね~この私

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以前に載せたものですが、今、こんな思いでコロナに負けない自分のために


救急車に、でも、幸いな事に・・・

2020-07-23 10:30:13 | 生きて行くこと

日曜日夜、血圧が230にも上がって(いつもは100くらい)頭は痛い、気分が悪い、体の右側がどうも変で苦しくて

どんどん自分がわからない状態になって行くので、よろめきながら、病院へ電話して症状をつたえて、救急車で来るように病院の答えに従い、救急車をお願いして、病院へ運ばれました。

救急車に乗り込もうとしたとき、マスク、マスクはと救急隊員の方に言われ、あわてて持っていたタオルで口元を抑えて、そして隊員の方からマスクを受け取りつけました。

病院につき、いろいろと検査をして内科的には大丈夫だからと12時過ぎにタクシーで帰宅出来ました。

精神的に弱く我儘人間の私には、なぞコロナ、人間関係、しなくてもよい先々の心配が増幅していて、精神的に追い詰められていたようです。

あらためて思いました、救急隊、医療従事者の「新型コロナウイルス」の危険にさらされている事、本当に使命感と言う事だけにたより、辛く、苦しいだろう中を、存在な言葉を投げかける事もなく、私たち病人を守ってくださってる事、本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

私のできる事は感染しない努力、感染させない努力で日々の行動に責任を持つ事で

医療従事者へのお礼になるのだろうか、感謝

 

(追記)

病の身

暖かき言葉

癒されし

明日の勇気

奮い立たせし

 


人生の分岐点、私は人の運に恵まれて・・・(追記)

2020-07-17 09:23:20 | 山、人、幸せな出会い

毎日が忙しくて、それでいて、体が動かなくて、100年にいや1000年に一度ぐらいかもしれない、天災なのか、人災なのか、あまりにもたくさんの事がありすぎて、76年生きていて、今、わが人生を振り返ることが多い。

父は戦争でおそらく人生がダメになってしまったのだろう、父からの教えは何も無い、母は苦労つづきで42歳の若さで死んだ、私、18歳の時突然現れた「北川民治」という画家の絵(たぶん本)を観た瞬間になぜか、東京へ行こうと思った。

何かの縁で住み込みで働いた印刷屋さんのご主人夫妻はとても教養のある方だったので私はおそらくたくさんの影響を受けただろうと出会いをありがたく思っている。

少しずつ、少しずつ過ぎて来た時間を思うと本当にたくさんの人と出会い、私に影響を与えてくれたと思う、中には傷つけて意地悪する人もいたけれど(その時は死にたいと思うほど苦しかった)今となってはどんな方法で乗り越えたのか忘れてしまったけど、一度や二度ではなかったけど、やはり今、生きていられるのは誰かの一言で救われて前を向いて生きて行こうと勇気を頂いたのだろう。

山歩きは子供の頃から好きだったから、友人とまたひとりで低山歩きが多かった、結婚し、こどもが生まれてからも家族で年に2~3度は山歩きをしていたが、私は「長谷川恒男」さんという登山家との出会いが人生の大きな分岐点だったと、あれほど山を想いのめり込んで山に行き、やまに行く為に働き子育ても、家事も出来るだけ頑張って、したがって睡眠は足りるはずもなく、元々私は基礎体力がない、頭も悪いし(登山は賢さが必要)登山技術もまるでダメ、そんな私が山を恋し、想いだけが先走る歳月だった。

いまのよで

かいせぬおんを

ありがたく

後の世思い

平和祈りて

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写真はネパールの山旅の物、山の名前?になってしまって・・・

(追記)

昔のフイルム写真のスライド用フイルムがたくさんあるのですが、捨ててしまってもよいのかまたなにか利用できることがあるか、迷ってますよい使い道があるのだろうか、教えて下さい。

 

 


あまりにも、あまりにも・・・

2020-07-13 10:50:03 | 生きて行くこと

あまりにも、多くの苦痛に満ちてしまった地球

これから、どうすればいい

誰もが思う事だろう、地球は変だ、尋常じゃないと

争いと、不自由と、殺りくと、偏見、独裁者などなど

ニュースはもう観れないと重い心になる、けれど・・・

最近、見たテレビ番組で

「ぺスト、歴史ヒストリア」

ながい、ながい歴史の中で人間は現実を受け入れて

知恵を、賢さを、忍耐を、犠牲を、そして矛盾を乗り越えて生きている

ある国ではペストで死んだ自国の兵士を戦争の武器として敵国へ投げ入れて使う恐ろしい事もあったとか

まさかと思うけど今の世では無い事を信じよう

文明、科学、私にはわからない事だらけだけれど

自分のみは、自分で守るしかないのだと改めて思った

けれど、私は病の身、医療機関でお世話になることが多い

この大変な時代、私は守られていると実感して

医療従事者への感謝の気持ちでありがとう

 

 

 


薄れていく記憶の中で

2020-07-10 20:21:03 | ヨーロッパのの山旅

眼の状態や、コロナウイルスの恐怖から外出もひと様にお会いすることも出来ない日々

私は物忘れがひどく、驚きと焦り、どうすればいいと自問自答の日々です

私自身は満足した人生だったからたとえ明日が無くなっても運命を受け入れて生きているけど

相方や家族の事を思うとやはり、もうひと踏ん張り頑張らねばと自分を奮い立たせて

カロリー計算し、味㋨ない食事は生きて行くための物、お世辞でも美味しい言えないけど口へと運ぶ

BSプレミアムで観た「ヨーロッパアルプス」の風景、なぜか、胸があつくなって、喜びと悲しみがごちゃまぜになった。

マッターホルンへ3回向き合ったけど、私には縁遠い頂、吹雪と格闘しながら、それでもあきらめられずにマッターホルンへの登山とりつき口まで行ったあの日、また3度目はもう私自身の体がボロボロになっていて、それども3分の2くらいは登れたのだろうか、疲れ果てて下山、ホテルに着いて、登山靴のひもさへとかず、ベットで涙した日、次の日、ツェルマットの街角で聴いたビバルディの四季のあの美しい響き(無名の演奏家が路上コンサートをしている)今は音楽も聴くことは出来ない、記憶だけが美しく奏でる。

今はありがとう、感謝の気持ちで過ごしている。

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写真、マッターホルン見つけられないので、アイガーかな?

 

 


私、壊れちゃったのだろうか・・・

2020-07-08 22:30:07 | ひとりごと

地球が、人間が

なんだか

不可解で不思議で

昔とちがっちゃってる

信じがたい事が

怖い事が多すぎて不安

一億五千万円

聴こえない耳にこだまして

何のことだか不思議

一億の民が

一円づつ誰かにあげてもまだ足りない

欲望は果てしなくつづいて

覚悟して

天命を受け入れる

信じていた人に裏切られると

すごく、すごく

悲しくなる

壊れちまった私

 


私、言えませんでした。

2020-07-07 20:31:01 | ひとりごと

数日前の事、ある診療所での待ちあい室

今どきだから、座る場所の長いすも「ここには座らないでのマークつき」も多く

ただ、患者さんは押し黙りうつむいて、座っていい場所に座り診察を待つ

私は右耳がわずかに聴力を残されただけで、それでいて、雑音、擬音だけは頭に響くので辛い

そんなわけで、若いお母さんが2人の幼子を連れた(おそらく、どちらかの子の診察なのだろう)

幼子はとにかくじっとしていないし、むずるし、大声で泣くし、大変だ

私は頭が痛いし、辛いけど、耐えられる

そしておもわず、手帳を取り出して書いた

「このような時代に子育ては大変ですね、本当にご苦労さま、頑張って」

こんなことをメモしたけど

さてどうする

私はもう、子育ても孫守も出来ません

私の子育て中いろんなことがあった

下の子が小学5年生になった時、

私は結婚以来初めて一人で外泊をした

憧れの尾瀬に行った

・・・・・・・・・・・・・

今の私の頭はかなり混乱してるみたい

記憶と思いだけが焦り始めて

けっきょく、幼子を連れた母にはメモも渡さず、何も言わず

今、何をすればいい

私にはどうする事も出来ないことが多すぎて

願わくば

後の世が平和であってほしいと

祈るばかりです

 

 


やっぱり、にっぽんて、いいなぁ~

2020-07-05 15:33:03 | ひとりごと

豪雨の被害にあわれた方々お見舞い申し上げます。

こんな言葉で慰められるとは思えないはけど、言葉につまってしまった。

午前中、なぞコロナにおびえながら、完全武装して、眼科へ「コンタクト」を取り換えに行ってきました。

歴史に刻まれるほどの100年に一度の災い、新コロナウイルス

いったい誰が・・・なんて恨みごとを言ったところで何の役にも立たないけどでもやはり怖い

思い残しも悔いもないと言いながら、76年生きて来て

頑張って働き

頑張って山へ

頑張って好きな事をしてきた私の人生を思う時

本当に良い時代を生きて来れたのだと感謝の気持ちになる

「やっぱり、にっぽんて、いいなぁ~」

この場所で自分で考えて言葉に出来る、素敵さと自由

自由に行動することは責任も伴う事

まずは相方に家族にありがとうを心の中でつぶやき

お国からの給付金まだ届いてないけど

ロボット掃除機、買っていいよね

腰が痛くてお掃除大変だから

 

 


今、この時だから・・・

2020-07-03 09:43:53 | 生きて行くこと
気が付けば、今年も半分の時が過ぎて行った。
自分でも忘れていた生まれた日
もうなのか、まだまだなのか
わからないけど
76年生きて来た
私の人生は誰かと比べられないけど
全力疾走、思い残しも悔いもない
だから、もう、なんて思うけど
痛さ、苦しさを感じながら
この命あるのは
たぶんまだ何かしなくてはダメなのだろう
そうだねー
相方さんに
家族に
恩返しする時間なのだと
わが心に言ってみる

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写真は遠い昔、訪れたパキスタンでのものです


痛い、痛い眼の歳月、そして今・・・

2020-07-01 10:50:03 | 頑張ろう、私
毎日のコロナニュースで今の私はひどく精神的に追い詰められて、それでも、なんとか頑張っています。
糖尿病を患ってからもう40年になるだろうか、たくさんの合併症を繰り返し、眼も白内障から始まりいくつもの病名は覚えられないほど・・・
そして、痛い、痛い眼に耐える日々が長い歳月がつづいて・・・

そして、終の棲家にたどり着き2年が過ぎようとしたある日、ご近所に新しく眼科の医院が出来(それまでも別の眼科で治療はうけていたが)私の中では期待とあきらめをもある中で診察を受けて、検査、治療治の繰り返しがつづいて、結果的に「医療用コンタクト」にたどり着いた。
この方法が最善なのかはわからないが、痛みがあまり感じないで過ごせることは幸せな事で感謝、感謝の気持ちです。
後どのくらいこの方法で過ごせるのかわかりませんが、コンタクトを入れて2週間ごとにとりかえる為の通院は「医院でもびっくりの」アルコール消毒しまくりの、なぞコロナ恐怖症の完全装備で通院の私です。

老いてなを
幸と不安が
つきまとい
我が人生に
祈りくわえし