CRASEED Rehablog ニューロリハビリテーションとリハビリ医療の真髄に迫るDr. Domenのブログ

ニューロリハビリテーションの臨床応用を実践するリハビリ科専門医・道免和久の日記【CRASEED Rehablog】

鶴見和子 絶筆

2006-08-30 18:41:57 | リハビリ
鶴見和子さんの絶筆となってしまいました。

藤原書店 『環』 26巻 (2006年夏号)

老人リハビリテーションの意味

『費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。老人を寝たきりにして、死期を早めようというのだ。』『この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだ』

そして、鶴見和子さんは、7月31日亡くなられました。

新刊ですので書店でお買い求め下さい。

鶴見和子の歌 予兆

2006-08-29 12:12:17 | リハビリ
世界的社会学者、鶴見和子さんの歌です。

予 兆

政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ
生きぬく道のありやなしやと
ねたきりの予兆なるかなベッドより
おきあがることできずなりたり


          (藤原書店 【環】26巻 2006年夏号)


リハビリ打ち切りに対する悲痛な叫びです・・・

打ち切り被害における加害者は?

2006-08-29 00:11:48 | リハビリ
ついに運動器リハビリが期限を迎えました。厚労省は44万署名を黙殺しています。

『悪法も法』として打ち切る医師の悩み、『法を犯して』打ち切らない医師の悩み、それぞれ聞いております。私自身もそうです。

打ち切る医師は、加害者なのでしょうか?
『法を犯して』打ち切らない医師は、一時的には支持されますが、『不正請求』として報道されるときには、いかにも悪者という形で、表に出されます。

正義はいずこ?

『リハビリは必要に応じて提供』すべきものですから、支払い基金に対して、「査定できるものなら査定してみろ」という態度で臨む病院もあるようです。

やはり、制度がおかしい、と強く思います。

これから、徐々に具体的対応の混乱が表に出てくると思いますが、メールやお手紙を事務局に頂けましたら、ブログ等でも紹介させて頂きます。よろしくお願い致します。

Adding life to years------ QOLの医学

2006-08-28 20:24:50 | リハビリ
前記事のスライドだけでは、別の意味で偏った意見にも誤解される可能性がありますので、『原点』のスライドも掲載致します。

Adding years to life 従来の医学は、寿命に年数を加える医学。延命中心。
Adding life to years リハビリ医学は、延命も大切だが、いのちを加える医学。
           スライド下段の横軸だけでなく、縦軸を向上させることで面積を最大に。

脳卒中リハビリ医療のあり方スライドより

2006-08-28 20:09:11 | リハビリ
脳卒中リハビリ医療のあり方についての講演のスライドの一枚です。60枚以上のスライドの1枚であること、前後にいろいろと文脈があること、スライドの言葉以外に口頭で解説していることを念頭にお読み下さい。
静岡での講演も大変好評だったようで感謝しております。藤島一郎先生から「warm heart, cool head 」と最高級のお褒めを頂き、感激しております。前回スライドを掲載して好評でしたので、今後も折に触れて継続致します。

今日、8月28日で運動器が打ち切りになりました。明日から、運動器のリハビリ処方をどのようにするか、本当に悩んでいます。

「脳卒中リハビリテーション医療のあり方」講演

2006-08-26 23:45:54 | リハビリ
8月26日土曜日静岡で下記の講演会を行いました。藤島一郎先生のお招きで実現した講演ですが、私としてもこの時期のこのテーマに、力が入りました。

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専門医・認定臨床医生涯教育研修会《中部・東海地方会》
「脳卒中リハビリテーション医療のあり方」
 兵庫医科大学リハビリテーション部教授 道免 和久
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【抄録】
日本の脳卒中リハビリテーション医療は、ワンフレーズスローガンによって翻弄されて来た。学問的真理が、わずか数年単位でコペルニクス的転回を生じることはあり得ない。例えば、エビデンスレベルが高いCI療法が定着するまでに、約20年を要していることからも、新たなアプローチを行うためには、科学的に慎重な吟味が必要である。
本講演では、脳卒中リハビリ医療の動向を述べ、その問題点と今後の方向性を明らかにする。

臨床家の不思議

2006-08-24 03:40:39 | リハビリ
「患者さんから学べ」「現場にこそ真実がある」・・・まさにその通りである。

ところが、画一化された医療システムの中では、幅広い臨床経験ができないため、目の前の患者さんのことだけが真実だと勘違いする場合が少なくない。相当経験豊富な人でも、忘却するので恐ろしい。私自身も、急性期病院にいながら、療養型の患者さんの実情を忘れないように自戒している。せいぜい発症後2か月くらいまでしか診療しない人が、「6か月以降は改善しない」と断言する姿に唖然としてしまう・・・。

6か月超えてから、どんどんよくなって回復した患者さんの臨床経験は、平均的臨床家であれば、誰でももっているはずである。そのような患者さんから6か月超えの入院リハビリを奪う打ち切り制度に、なぜ反対しない人がいるのか、摩訶不思議である。

病院の外来で無駄なリハビリに「見える」ことが確かにあるが、その「無駄」についての分析は見たことがない。一人一人を診察してみると、さまざまな問題を抱えつつリハビリを継続しながら、社会復帰も果たしている人が少なくない。慎重な調査と議論が必要ではないか。

「無駄=切り捨てろ」という発想には、人間の弱さが見えるような気がしてならない。当事者にとっては必要だから続けているのに、その意義がわからない臨床家。「麻痺を治すことができないから、生活重視だと言っているのに、いつまで病院に来て、医者や療法士に治せというのか。そんなストレスは受けたくない。もういいかげんあきらめなさい。」という、医療者の身勝手な陰性感情の逆転移が「治らないのにリハビリに来ている」という【感情】になっているのではないか?

(そういう『感情』が、高齢者リハビリ研究会における『長期にわたり効果が明らかでないリハビリが行われている』という悪意に満ちた提言に変貌したものと思う。『長期にわたるリハビリ』と『効果が明らかでないリハビリ』は全く次元が異なる概念である。)

完全に麻痺が治らないことくらい、長期の患者さんはわかっている。しかし、メインテナンスしなければ、寝たきりになることも、実感としてわかっている。だから、リハビリを続けるのだ。命がけの「根気強いリハビリ(大田仁史先生)」なのであって、「だらだらリハビリ」というネガティブな価値判断も含んだレッテルを貼ることは、臨床家としては厳に慎むべきである。

心理的効果も見逃せない。月に1回のメインテナンスで、外出すること。療法士や医師の専門的意見を聞くこと。これによって、どれだけの安心感が与えられるか、考えるべきであろう。心理的安定を得る効果をリハビリに求めると、そんなことのために運動療法や医学を学んだのではない、と言う人がいる。しかし、それは立派な「効果」ではないか? 『リハビリ依存症』というレッテルの背景には、心理的なところまでかかわりたくない、という臨床家の無意識も見えて来る。

関節が10度よけいに動くことにこだわるのは良くない。それよりも生活、生活・・・・と、二者択一を全ての人に迫る乱暴な意見には困惑する。どっちも大切ではないか。麻痺かADLか、という選択を強制する前に、QOLとは何か、障害にともなう心理的葛藤などを、患者さんから学ぶべきだと思う。

以上、私見でした。

本日のフジテレビ『とくダネ!』特捜部で放送されました

2006-08-21 19:17:20 | リハビリ
本日のフジテレビ『とくダネ!』特捜部で、

『戸惑う患者・悩む医師 揺れるリハビリ医療の現場を特捜せよ』

が放送されました。

『診療報酬改定に伴い、今リハビリ患者が危機が迫っている。』

との内容で、20分近くこの問題が放送されました。先日のNHKよりも短い時間でしたが、よくまとまっていたと思います。切迫感に欠けていたなどの意見もあるようですが、国家権力側の見方ではなく、基本的に弱者である国民サイドから描かれていたと評価致します。
(国民と国家が対立する問題を報道するとき、メディアが『公平に』両論併記することは明らかに国民を不利に陥れます。)

署名活動についても取材していましたが、そこまで紹介する時間はなかったようです。

ブログ再開

2006-08-21 19:03:43 | リハビリ
夏期休暇中もブログの更新をするつもりでしたが、事実上のオフライン(一般電話回線のみ)の状況となっておりましたので、更新できませんでした。

報道関連でいくつか御報告することがあります。また、打ち切りの実態がわかりづらくなっている理由などを、まず書きたいと思います。

しばらくお待ち下さい。

鈴の鳴る道(再掲)

2006-08-12 22:58:16 | リハビリ
鈴の鳴る道―花の詩画集

偕成社

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より3詩抜粋

何のために
生きているのだろう
何を喜びとしたら
よいのだろう
これからどうなるのだろう

その時 私の横に
あなたが一枝の花を置いてくれた
力を抜いて
重みのままに咲いている
美しい花だった

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鏡に映る顔をみながら
思った

もう悪口をいうのは
やめよう

私の口から出た
ことばを
いちばん近くで聞くのは
私の耳なのだから

-----

正しいと思う 心の中に
揺れ動くものがある
今日私は 私の顔を
していただろうか

大きな鏡に
映す
ような気持ちで
目を閉じる

(富弘)

永田町か?霞ヶ関か?

2006-08-11 20:29:04 | リハビリ
つまりは、政治が悪いのか、官僚が悪いのか、ということです。

大局的に見れば、政治なのかもしれません。政治主導の『改革』の中、某企業が『規制緩和』の名のもとに『医療を食いものにしようとしている』という意見もよく耳にします。そこまで追求することも大切かもしれません。国家予算に占める医療費が安すぎるという問題もその通りだと思います。

そこは、どんどん多くの人に議論して頂きたいと思います。国民的議論が必要です。

私個人の意見もあります。しかし、私は、一人の患者さんが必要な医療を受けられなくなることを訴え続けることに必死です。それ以上の政治的能力もなければ、野心も余裕もありません。(政治的野心がある人だったら、じっと黙っていることでしょう。その方が『得』に決まっていますから。)

政治路線は撤廃運動の中には盛り込んでいません。『診療報酬制度』を『医療制度』として、国民の手の中に取り戻すことこそが、大切だと思っています。『診療報酬制度』という矮小化された名称に隠れて、国会の議論も採決も経ずに、こっそりと診療制限が進んでいることを問題にしています。

官僚が公僕の意識をもって本当に国民世論や政治に敏感になるとき、日本の将来はまだ明るいと思います。しかし、実態は天下り先の確保に躍起になり、官僚ファミリーが私腹を肥やすような構造がある、と思うのです。そういう組織にとっては、大臣が誰になろうと、政権がどうなろうと、既得権益を守ることは大して難しいことではないのでしょう。

以上、個人的見解でした。