CRASEED Rehablog ニューロリハビリテーションとリハビリ医療の真髄に迫るDr. Domenのブログ

ニューロリハビリテーションの臨床応用を実践するリハビリ科専門医・道免和久の日記【CRASEED Rehablog】

ゴスペルチャリティーコンサートから支援の御寄付

2006-08-10 23:31:12 | リハビリ
7月22日の「YES, WE CAN !」ゴスペル・コンサート(リハビリ打ち切り制度撤廃運動を支援するチャリティー・コンサート)の松岡葉子様から、コンサートの収益金113,680円の御寄付を頂きました。経費を除いた全額を、運動のために寄付して頂きました。

診療報酬改定を考える会の『署名活動』については既に決算報告をさせて頂き、口座を閉鎖しましたので、引き続いて開設しました『撤廃運動』の口座(三井住友銀行甲子園支店リハビリ制限撤廃運動 寄附口座)で管理させて頂きます。

コンサートを発案した松岡さん、実現させたBEE芦原さん、各ゴスペルグループの皆様、裏方の皆様、聴衆の皆様、そして、全国から暖かい心で支えて下さった皆様に、心から感謝申し上げます。

早速、その一部から打ち切り被害実例登録ソフトの開発料を支払わせて頂きます。

これからが正念場です。粘り強い活動のために共に闘う仲間が増えたことに勇気づけられます。

まずは、実態を国民に知ってもらうことです。署名活動のようは派手さはありませんが、大切な活動です。頑張りましょう。

消耗戦の末に・・・

2006-08-10 09:37:18 | リハビリ
呼吸器リハビリについて、すでに90日を越えて打ち切りの期限をむかえた患者さんが数多くおられます。

『悪化したら再開できる』といいますが、悪化=死と隣り合わせの状況で、打ち切りが絶対にできない患者さんがおられます。

その対策として、医療機関によっては、
1)中止したら命が危ないので、従来通り継続して診療報酬を請求してみる。
  ・・・厚労省、支払い基金に対して、査定できるものならしてみなさい、という意味のようです。いわゆる中央突破。
2)中止したら命が危ないので、無料で続ける。
  ・・・無料の診療行為の位置付けが不明確。そもそも、持続可能なシステムではない。
3)中止したら命が危ないので、別の病名をつけて継続。
  ・・・違法ですが、制度上の不備を医療機関の責任において肩代わりしています。
4)査定されそうもない安い診療行為(消炎鎮痛処置=350円)として、継続。
  ・・・持続可能ではない上に、実質的に理学療法を実施しているので、やはり違法。

いずれも、患者さんも医療機関も消耗戦の中に陥れられています。この理不尽な制度をどうしても継続させたい人がいるとしたら、以下はその人が考えるであろう最悪のシナリオです。

1)まずは、上記の献身的な医療機関が『良心的な』病院、制度にしたがってやむにやまれず打ち切った医療機関が『冷たい』病院、という印象を植え付ける。
2)それでしばらくは見逃しておいて、ある時点から、上記いずれも『違法』であり『不正請求』として、請求額とともに報道させる。医療機関は『不正請求』額を返還し、消耗戦に終止符を打つ。
3)しかしその後、『必要な医療行為を打ち切った』として医師や病院が訴訟の対象になる。

また、別の機会に述べますが、患者さんと医療機関が対立するほどに、厚労省は政策を動かしやすくなります。制度に問題があっても、余力のない消耗戦の混乱の中、さらに対立を煽ることが可能です。

そんなシナリオを未然に防ぐ必要があります。この2~3か月がその最終段階であろうと思います。

リハビリの場が減少しています

2006-08-09 19:51:49 | リハビリ
除外規定や疑義解釈にかかわらず、リハビリを受ける場が減少しています。

●数百人規模のリハビリ外来の廃止
●地域リハビリの拠点クリニックの閉鎖
●集団療法によって相互のコミュニケーションのリハビリを実施していた失語症の外来も閉鎖。
●療養病棟では、入院でのリハビリが打ち切り制度で認められないために、生き残りをかけて在宅訪問に療法士を配置転換。

医療機関の実情は、徐々に明らかになっています。

医療機関が悪いわけではなく、制度が悪いのです。(制度に過敏に反応しすぎる医療機関にも問題がないわけではありませんが、原則論を貫くまで経営体力が残っていないのも事実のようです。)

今後、医療機関の実態調査を行い、日本リハビリ医学会等で発表したいと思っています。(もちろん、その頃までこの問題を引き延ばしてはいけないと思います。)


医療格差社会

2006-08-08 16:43:53 | リハビリ
医学は不確実性の科学("science of uncertainty")であり、確率の技術("art of probability" )である。(臨床医学判断学入門(Medical Decision Analysis)より

それを踏まえた上で、必要な人が必要な医療を受けられるシステムが、日本の国民皆保険制度。

『たまたま』重症であったり、回復に時間がかかる人が、『負け組』になる制度で良いのでしょうか? 民間保険に入っていた人だけが、高い水準の医療を受けられて、無保険の人が、病院の前で見捨てられて死ぬ社会で良いのでしょうか?

『国にお金がない』、『無駄を削る』と言いながら、実は誰かが得をしていませんか? 理不尽に思える制度改革では、『得する人』を考察することが大切です。

国民からみれば、削減した税金の何十倍ものお金を、特定の企業が吸い上げる仕組みではないですか? 『無駄』を削った結果、特定の機関や企業が、『無駄』以上に利益を得ていませんか?

そして、その『無駄』が本当は無駄ではなかったとしたら・・・。単に『長期にわたり効果の明らかでないリハビリ』というフレーズは、医療における利益追求と格差社会造りに利用されただけということになります。犠牲者はもちろん、たまたまその対象となってしまった患者さんです。

このような話をすると、お役人はなぜ当事者意識をもつことができないのでしょうか、と質問されます。自分がそうなる可能性だってあるのに、と私も思いますが、そこは謎です。特権階級のための病院があるわけでもないでしょうし・・・。

制度を硬直化することで、そこからたまたま落ちこぼれる人が『負け組』。その混乱の中で、まさか火事場泥棒のような人達が、虎視眈々とチャンスを伺っていないか、心配です。


リハビリ打ち切り制度被害実例登録開始!

2006-08-07 12:13:49 | リハビリ
リハビリ打ち切り制度被害実例登録を開始しました。

craseed.netから、お入り下さい。

以下のような例の入力に御協力下さい。各種関連メーリングリスト、ブログ等での周知もお願い致します。署名とは異なりますので、とりあえず100例を目標にしたいと思います。締め切りは打ち切り制度が撤廃されるまで、あるいは、(仮に)打ち切り制度による被害で訴訟が開始された場合には、当事者側が勝訴するまでです。

【打ち切り制度被害の例】
●まだリハビリの適応があるにもかかわらず、日数制限のために打ち切られた患者さんご自身の実例
●打ち切りたくなくとも、制度上やむを得ず打ち切らざるを得ない状況の医師、療法士からの報告
(内容的に必要と判断される場合は、必ず患者さんの了解を取って下さい。
記入者自ら個人情報保護法を遵守し、個人が特定できないように記載して下さい。)
●打ち切りに対する不安
●除外規定だと判断して継続したにもかかわらず、審査機関により査定されてしまった例
●除外規定かどうか不明のため役所に問い合わせたが、誠実な対応がなかった例
●除外規定や疑義解釈が機能しない例
●介護保険のリハビリではうまくいかなかった例
●介護保険の対象外で受け皿がない例
●地域格差により受け皿がない例 などです。
●打ち切り後の対策:必要に応じて制限に関わらず継続(中央突破)、無料奉仕等々
●厚生労働省や川崎二郎厚生労働大臣への要望も入力可です。

なお、医療機関向けの、打ち切り被害の数などの統計調査は別途実施します。それに先行して、具体例、具体的問題点を、国民やメディアと共有したいと思います。


よろしくお願い致します。

全国医学生ゼミナール全国準備期間企画にて講演

2006-08-06 19:29:00 | リハビリ
三重県津市にある三重大学医学部内で、全国医学生ゼミナール全国準備期間企画に招かれて講演しました。

タイトルは、『リハビリ打ち切り制度の理不尽と国民の反発』です。

質疑応答を含めて13時~15時の予定でしたが、医学生さんたちの熱気につられて、しゃべり終えたのが15時。その後質問が50分近く、続きました。

本当に熱心な医学生さんばかり。これだけ問題意識をもっている医学生達が将来の医療を支えると思うと、本当に頼もしく思いました。

http://www.izemi.com/modules/xfsection/article.php?articleid=130

医ゼミそのものは8月11日からだそうで、その前座としては重いテーマだったかもしれません。しかし、メッセージは届いたかと思います。

●リハビリ打ち切りは序の口で、医療のあらゆる分野で制限が始まる。
●国民のための医療という視点に立てば、「診療報酬制度改定」ではなく、「医療制度改定」と改名し、中医協は3分の1が国民あるは患者会代表で占められるべきである。
●つまり、誰のための医療、誰が医療制度を決めるのか、という根本から考え直す必要がある。
●規制緩和と言いながら、国民皆保険を破壊し、特定の企業が儲かる仕組みにするのが目的ではないかと思われる。

などなど、お話しました。

署名活動の経緯報告では、本当に辛かった時期のことを思い出し、目が潤んでしまいました。医療制度の改悪がなければ、もっと臨床や研究や教育に時間を割くことができるのに、この半年、すっかりこの問題に没頭させられています。私は医療制度の専門家でも何でもなく、おかしいことをおかしい、と言っているだけ。普通の主張をしているのに「急先鋒」と評価されてしまうのはなぜ? メールによる医療相談も休止したままで、そのかわりに考えている電話相談も開始できないまま。一人の人間にできることはあまりにも限られています。スタッフとのコミュニケーションもままならず、これでは本末転倒と言われても仕方がない。あらゆる批判受け入れたとしても、今、行動を休止してしまったら、代わりにに誰がやってくれるのか、今まさにリハビリ難民が生まれているのに・・・・悩みは尽きません。

そのあたりまでは述べませんでしたが、医学生達は私の思いを受け止めてくれた上で、全国の医学生や国民を巻き込んだ議論を展開してくれそうです。期待しましょう。

療法士養成校は大丈夫か

2006-08-05 04:12:05 | リハビリ
現状で、療法士の数は不足しています。

療法士を確保できずに施設基準を取れない病院も少なくありません。そして、制度上は1日3時間できるはずの急性期~回復期のリハビリが、療法士の不足で2時間未満にとどまる病院が『普通』です。介護保険の分野では、全くの不足と聞いています。(理由はわかりません。病院指向が強いのでしょうか?)

そうはいうものの、養成校は『乱立』と言われており、養成校における教員不足は明らかで、教育の質の低下を心配する人もいます。特に、卒業直後に『教員』になるような人もいて、臨床経験がゼロではさすがに教育は困難でしょう。

以下が私見です。

●養成校は確かに多すぎるようだ。
●しかし、地域の隅々まで療法士が充足するためにはまだ時間がかかる。
●量の充足を、質の向上や職域拡大につなげる努力が必要である。
●神経科学のような研究分野を志す人が増えて良い。(CI療法のSteve WolfはPTです)
●教育の質については、調査していないのでわからない。
●将来的に養成校は淘汰されるだろう。一方で、学校経営だけ考えれば安泰との見方もある。(就職できるかどうかにかかわらず、国家資格が取れる専門学校は数多く存続しているのと同じ。)
●療法士の活躍の場を広げられるように、医師、経営者を教育することも重要。
●今年度から理学、作業、言語という区分が医療保険から消されたことは、専門性から考えて暴挙と言わざるを得ない。

(Transdisciplinary approachを、療法士の専門性を消してしまうように勘違いしている病院もありますが、それは誤りです。専門性を明確にしつつ、役割を柔軟にオーバラップさせてアプローチすることによって、より効果的な治療ができる、というのが正しい考え方です。嚥下訓練と食事介助、移乗訓練とトイレ介助・・・その違いすら見えなくなっているようでは・・・。)


昨今のリハビリ医療を眼科に例えれば・・・

2006-08-03 04:29:49 | リハビリ
例え話です。こんな眼科の方針は実在しないはずです。

右眼が失明の危機。治療によって完治はしないが、手動弁くらいに改善する可能性はある。
   ↓
 (架空の治療方針)
   ↓
大切なのはADL。右眼の回復に「拘るのは」「障害の回復への固執」よ。さっさとあきらめなさい。それより、1週間で左眼だけで遠近感をつかみながらADLを自立させなさい。見えにくくて危なかったら、介護保険でも申請してみたら? 使えないと思うけど・・・。


????これって、一体、医学なんでしょうか? 医療と言えるのでしょうか? 右眼の治療を早く始めてよ!という患者さんの必死の思いに対して、何も治療しない・・・としたら。(もちろん、眼科ではそんなことはないと思います。)

でも、脳卒中片麻痺のリハビリでは上記のことが日常茶飯事です。右片麻痺、ハイ、すぐに利き手交換、右手を使えるようになろうと思う気持ちを、勝手に『ネガティヴ』な気持ちに塗り替える一部のリハビリ専門家達。

「リハビリテーション医療」が全人的医療であることの中には、「機能障害の回復への挑戦」が含まれているはず。しかし、それ【のみ】では社会復帰できないので、代償によりADL自立の概念とか、人間としての尊厳を回復できるまでの心のサポート、社会職業的問題の解決などなど、全部が含まれているはず。

いつから、短期のADL自立だけがクローズアップされて、それ以外のものが『悪魔』のごとくに、切り捨てられてしまったのでしょうか? しかも期間限定

リハビリ医療関係者は、いつから『即席諦め促し業』に成り下がったのですか? リハビリ科=『ADL科』ですか? 『自立さもなくば切り捨て科』ですか?

麻痺などの機能障害の面でも、ADLの面でも、心の面でも、『長期にわたり確実に改善』している部分を【診る】ことができるリハビリ科医を育てましょう。

「最後だとわかっていたなら」

2006-08-01 16:46:15 | リハビリ
ゴスペルコンサートで知り合ったBEE芦原さんのブログから転載します。『死の哲学』のデーケン先生の言う2つの『時』、クロノス(物理的な時間)カイロス(かけがえのない時、一度だけ来る、もう二度とやって来ない時)の違いを思い出しました。カイロスへの感受性をもちながら生きてゆきたいですね。

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「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがえたことも やり直す機会が
いつも与えられている

「あなたを愛している」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから