CRASEED Rehablog ニューロリハビリテーションとリハビリ医療の真髄に迫るDr. Domenのブログ

ニューロリハビリテーションの臨床応用を実践するリハビリ科専門医・道免和久の日記【CRASEED Rehablog】

門閥は親の仇で御座る

2006-01-10 23:03:51 | 医局制度
今日は171回目の福沢諭吉先生生誕記念日でした。例年通り、関西合同三田会における祝賀会がリーガロイヤルホテルで開かれ、私も義塾の出身者として出席致しました。

安西祐一郎塾長の記念講演は常々楽しみにしております。経済界や政界のみならず、同窓生の結びつきが強い慶應出身者が全国に30万人もいるそうですから、その頂点である塾長の影響力は絶大なものがあります。

講演内容等は大阪慶應倶楽部のホームページに譲りますが、個人的に印象的だった言葉は、「門閥(もんばつ)制度は親の仇(かたき)でござる。」という 『福翁自伝』からの引用でした。今から見れば明治政府が自由な社会を作ったかどうかは疑問ですが、江戸時代はどうしようもないガチガチの封建社会があったわけですから、それを否定した福沢諭吉の言葉は当時はいかにもショッキングなコピーだったのでしょう。

『官から民へ』という流れにあって、民の柱として慶応義塾の30万人「社中」がこの国を先導する時代のスタートということも強調されていました。今年から本格的に慶応義塾150周年記念事業がスタートするそうで、900億円規模の大構造改革と聞き、今から楽しみにしています。

慶應義塾の150周年スローガンが「Design the future 未来への先導」だそうで、新たな価値観の創造をめざすCRASEEDの理念とも重なりますね。

なお、塾長が昨年と同様に強調した、義塾で学びたい人には常にオープンでありたい、という考えに期待しています。慶應義塾の精神は、家柄(門閥)でもなければ、また「三田会」と一見矛盾するようですが、学閥でもないと、私は思います。そのためには、この精神に共感する人には、広く門戸を開くべきだと思います。福沢諭吉の頃には、金沢慶応義塾、徳島慶応義塾、大阪慶応義塾など全国展開をしていた、という話とも結びつきます。再度、日本を変革するような旋風を義塾が巻き起こしてくれることを期待します。

繰り返しますが、福沢諭吉が生きていたら、一部の慶應出身者に見られるちっぽけな「学閥」的な動きを一蹴することと思います。

学閥について

2006-01-09 07:19:07 | 医局制度
学閥支配の医学

集英社

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医学部に限らず、日本の社会では「学閥」という群れが幅をきかせています。
会社役員では慶應閥?が最も多く、マスコミは早稲田、官僚は東大などなどが有名のようですが、特に慶應の同窓会(三田会)の結びつきは、他大学出身の方々からは、異様なほど強く見えるようです。
しかし、福沢諭吉の言葉にある「慶應社中」というコンセプトは、本来、学閥のような閉鎖的な考えではないはずです。つまり、「慶應義塾は教職員、学生、卒業生など関係者一同(社中)の共有物であり、その目的は公共(パブリック)のために尽くすことにある・・・」という考え方です。小沢一郎も橋本龍太郎も小泉純一郎も慶應出身ですから、とてもひとくくりにはできそうもないですが、それぞれ全く違う立場で(正しいかどうかは別にして)パブリックのために仕事をしているわけです。
それでも、卒業生によっては「最強の学閥」だと勘違いしている人も少なくないようだし、慶応大をめざす受験生や親にも、慶応閥の強み?を期待する人もいますから、あまり強く否定はできないです。

ええっと、そんなことを話題にしたかったのではなく、医学部における学閥の弊害を論じたかったのでした。まずは、米山公啓氏のこの本をお読み下さい。とてもわかりやすい内容です。
(最近(2006年1月30日)米山公啓氏が私と同じgooにブログを開設していることを知りましたので、トラックバックさせて頂きました。なんだかんだいいながら、医学部教授になっている私ですが、この問題は是非議論したいと思っています。)


医局制度を考える その5

2005-12-08 05:25:25 | 医局制度
業界の人からは変人と呼ばれるのかもしれませんが、

●私は、医学部教授として私個人を接待する宴会はお断りします。
●地方の講演会終了後などに開催される懇親会には、文字通り(特に現場の医師や療法士との)親睦を深めるために出席しています。
●プロジェクトのメンバー全員に対する病院経営者からの説明会等は適宜実施しています。
●このプロジェクトは全国に数百名の広がりが予想されます。また、週末は講演会等でほとんどスケジュールが埋まります。したがいまして、誠に申し訳ないのですが、メンバーの結婚披露宴には全て欠席させて頂いております。そのかわりに、(本当に!)記憶に残る心からのプレゼントを差し上げることにしています。
●通常のNPO法人と同様、CRASEEDに対する御支援は受けさせて頂きます。この場合、予算、決算は理事会や総会を通りますので、透明性が確保されます。
●将来的に、CRASEEDの代表は適任者に交替して頂くことを考えています。組織運営上のけじめをつけるためです。(CRASEEDは、既にいくつか存在する「トンネル医局」ではありません。)

<その4>の記事の通り、「医局」という法人は存在せず、存在しないところに(企業や政治家の贈収賄のような多額ではありませんが)お金の出入りがあるところが、不透明だったわけです。今は大学への助成金という形で、ほとんどが透明化されていると信じていますが、リハビリ科のような地味な科ばかりではありませんので、他科のことはよくわかりません。

これまで、病院経営者等からの要望により、懇親の場にお付き合いしておりましたが、そのことがメンバーに見えないまま、「人事派遣」につながってはいけない、と思っています。当プロジェクトではそういうことは一切ありません。白い巨塔の一場面にもありましたが、永田町の料亭政治みたいなことは、医学の世界では無縁にしなければなりませんね。

医局制度を考える その4

2005-12-07 05:29:23 | 医局制度
「大学医局」という法人は存在しません。「医局」とは単に医師が集まる部屋を意味するのみです。そして、医学部教授の「人事権」は、大学病院や分院に限られ、市中病院は公式には全く無関係です。

ところが、一般的には以下のように理解されています。

医学部教授は、医局という大企業の社長。大学スタッフが本社勤務。「関連病院」は(公立病院であっても)医局の支店にあたり、多数の支店社員の人事を含めて、医学部教授や医局長(人事部長にあたる?)が決定する。したがって、支店毎に別法人の責任者(院長や理事長、市長、県知事等)がいても、責任者の意志とは全く無関係に、社員の人事が決められる。大学病院に戻ることは「本社勤務」であり、社長に気に入られなければ、遠隔地の病院(地方支店)に「飛ばされる」ことも・・・。それだけ強い結びつきがあっても、支店勤務中に、本社から支給される報酬がないどころか、大学研究生となるために「授業料」を払い、将来の「学位」取得の意志や、医局への忠誠を試される・・・。

私はこの制度について、社会科学の対象として興味がありますが、当事者である医者にとっても国民にとっても問題の多い制度だと思っています。良い点はあります。だからこそ残っています。しかし、医者だけでなく国民も「白い巨塔」の権力闘争の世界を面白がっていては、いつまでも閉鎖的な体質は改善されないでしょう。

私も、埼玉県に勤務し、子供が2歳と0歳だったときに、「次は小松だから。」という医局長からの電話一本で、埼玉県から高速道路で550km先の石川県に「飛ばされ」ました。抵抗しましたが「人事命令」は絶対でした。そもそも、そんな遠隔地の病院を「関連病院」にすることについて、社員である「医局員」の了解など得ていません。教授と医局長など一握りの幹部と、病院経営者の「決定」があるのみ。とりあえず、最初に「派遣」される医師1名だけが、「行きます」と言えば、永続的に「公式」の人事派遣先として、医局員全員が派遣の「リスク」にさらされます。

そんなひどい人事だったら、関連病院にすることを医局員全員で拒否すれば良い、と思われるところですが、結局、貧乏くじの「被害者」は1名だけなので、それ以外の医局員は「ラッキー」という心境なわけです。何年に1回、引くか引かないかの「はずれくじ」のために、医局長や教授に睨まれるより、ラッキーな人事のうちに学位研究を仕上げた方が良い、と思う人が大半でしょう。もちろん、教授など医局幹部が「関連病院」とした決定を、医局員が覆すことなど「前代未聞」のありえない話です。

しかし、私達は「関連病院」を決めるのは、教授ではなく、実際に仕事をする人(つまり医局員全員)でなければならないと思います。したがって、私のところにご挨拶に来られる病院経営者には、私にではなく、メンバーの医師達に、働きたいと思ってもらえるような情報を提供して下さい、とお願いしています。その上で、メンバー全員によるアンケートの病院ランキングが上がるように、リハビリの理念などの改善をお願いしています。

また、勤務条件について、例えばある人が半額の報酬でもある病院で働きたい、と言ったとしても、私達のプロジェクトのメンバーは全員がそれを認めないでしょう。なぜなら、「君の先輩もこの待遇で働いたのだから、君も我慢しなさい。」と言われるからです。ポストは一人のものではなく、メンバーの共有ポストである、という意識付けをもってもらっています。そういう視点で希望病院調査のアンケートもすっかり定着しました。

人事異動はないにこしたことはありませんが、すぐれた臨床医になるためには、特徴が異なるいくつかの病院でも臨床経験が必要です。したがって、旧来の医局とは違うやり方で、必要最小限の人事異動は行っています。

別の医局に移るときも、驚くべきしきたりが存在するようです。
次回をお楽しみに。



医局制度を考える その3

2005-10-30 12:21:33 | 医局制度
「医局」を辞めるのはなかなか難しいようです。

もちろん、どこの職場でも社会的責任がありますから「明日辞める」ということは通りませんが、「半年後に辞めます」と言っても認められないことが多いようです。病院側も医局側も「診療体制が崩れる」とか「患者さんを見捨てるのか」という大義名分がありますから、辞める方にも罪悪感が生まれて、延期を迫られます。
さらに「学位を取るまでは医局にいなさい」と言われていた人が、「学位を取れたので来年辞めます」と切り出すと、「恩を忘れたのか、2~3年は御礼奉公しなさい」と言われます。これ以外にも、女性医師に対して「結婚しない約束をしなさい」と迫るような噂はよく聞きます。

一人の医師が医局を辞めることによって、ある地域の病院の1つの診療科がなくなってしまうことさえありますから、ある意味、地域医療の安定化にも医局制度が役立っているとも言えます。また、医局制度は、一定のグループがローテーションによって複数の病院(いわゆる関連病院)を支えていますので、特色ある病院で経験を積むことができ、医師の育成という点では利点も多いと思います。

しかし、私は、医局制度によって人事が硬直化しているところに問題の根っこがあると考えています。

入りやすく辞めやすい医局、あるいは、大学医局でなくても診療科グループが数多く育つことにより、人事が流動化すると思います。1人が辞めても、もし社会に必要とされている診療科であれば、また誰かが参加してくる、ブランクがあっても最短にとどめることができる、と思います。

その意味でも、新臨床研修システムは、研修先として大学医局を選択肢からはずす第一歩を踏み出すきっかけを作った功績があると思います。大学病院側は大変ではありますが、そこは自由競争となり、望ましいことと思います。大学病院の方も、研修医に選ばれるように相当の努力が必要になります。

来春には、新臨床研修医のシステムの初の「卒業生」が生まれます。多くの3年目の医師が、どのような選択をするか、つまり、特色ある専門医育成コースを作る市中病院に人が集まるか、大学医局に戻ってくるか、注目されます。

私達のグループは、大学医局のようでもあり、一般診療科グループのようでもありますが、両方の良い部分だけを残したシステムにしたいと考えています。御礼奉公不要、メンバーの投票による病院選定、最低条件(専門医までに2病院を経験する)以外には自由意志を尊重、など、全く新しい試みを実践しています。

あとは、将来の自分探しをしている多くの医師、研修医による自由選択を待つばかりです。

タテ社会の人間関係

2005-10-25 07:19:21 | 医局制度
タテ社会の人間関係―単一社会の理論

講談社

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1967年以来のロングセラーで、諸外国版もあるとか。私の中学生のときの愛読書でした。
ヨコ社会の諸外国とタテ社会の日本で、大学や研究機関の研究の進め方や組織のあり方も、全く異なります。官僚制度しかり、医局制度しかり、家元制度しかりです。30年ぶりくらいになりますが、また読んでみようと思います。ヨコのつながりや自発性を大切にしょうとしても、医局の組織はどうしてもタテにしかならないのです。そこが悩みどころ・・・。医局そのものが「場」である限り難しいのでしょうか?

医局制度を考える その2

2005-10-17 22:49:06 | 医局制度
ブラックジャックによろしく (1)

講談社

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「白い巨塔」は傍観者にとってはとても面白い。当事者はたまったものではないが、それは当事者の問題。・・・そういう構造が、医局講座制を生き残らせているんですね。しかし、最終的にその弊害を患者さんが被らないように監視が必要です。私達のような(いわゆる)マイナー系(もちろん、世の中の需要という点ではメジャーだと思っています!)で、臨床が好きで、患者さんの家を訪問するような集団には、理解できないような力学が、大きな医局では働いているようです。「ブラックジャックによろしく」に出てくるような、ウナギしか切れない外科学教授は、今はいないと思いますが、研究のみ重視の大学だともしかしたら、それに近い人がいないと・・・。

医局制度を考える その1

2005-10-16 21:00:31 | 医局制度
医局の人事異動、と言っても一般の方にはピンと来ないことでしょう。『白い巨塔』や『ブラックジャックによろしく』に描かれていることは象徴的には真実ですので、ご一読下さい。
 明治以来、医局制度が残っているのは、日本の社会制度にもマッチした良い点もあるからでしょう。しかし、その影で、今の時代に合わない多くの矛盾があることも確かです。私も、突然数百キロも離れた病院に異動を命じられ、大変な苦労を味わった一人でもあります。これはひどい、と思いながらも、当事者としてはそこから抜け出すという発想は全くありませんでした。国立病院でも、民間病院でも、人事権は国や医療法人にあるはずですが、なぜか大学教授の命令で異動する。そこが不思議なところです。私も教授職に就きましたが、若い人たちには、あのような苦労はさせたくないと強く思います。
 今の時代に合った制度とはどのようなものか。それについて現在進行形で模索しているところです。異なる環境の病院で仕事をすることは、臨床家にとっては実力をつけるために絶対に必要なことです。そのために、ある一定の集団で複数の病院をローテーションする制度は、医局制度そのものですが、不合理なところや一教授の恣意をいかに排除するか、が最大の課題です。透明性の確保も重要と思います。(つづく)